キス魔と幽霊と聖桜高校
霊が見える、それがどうしたって程度の特技。
世の中には霊が見えると言って他人の興味を引く女がいる、ってお笑い芸人がネタをしていた。私はそれを聞くたびに複雑な気持ちになったものだ。
左利きの人くらいの割合で霊が見える人がいるのか、それともUFOをこの目で見た! くらいのありえなさなのか。
年齢を重ねるにつれて、それが後者であることに気付いた私はすっかりその事実を隠すようになっていた。
基本的に見えても得はしない。幽霊が怖いものってイメージくらいはあるし、怪我をした人間みたいなちょっとグロテスクなのもいる。
幼馴染が病院とか葬式に行くのを億劫がる気持ちが近いのかもしれない。死が近くにあるような感覚とでも言うのかな
私にはよくわからないけど。
申し遅れました、私は神崎美空。そんなわけでどこにでもいる、とは言いがたいキス魔の高校一年生。
家族にも同級生にもキスをしていたら今じゃ妹と幼馴染みしかキスさせてくれなくなった、そんな純粋な悩みを持つ私に今、新しい悩みができた。
入学式の時にいた生徒会会計、夜行月、彼女にキスをしてみたいと思った。
夜行月という女子は、いつもクールでくたびれた雰囲気の老成した女子だ。文武両道の天才と言われていて、死んだような目のせいでますます大人びて見えるが、身長は低くて、首元まで伸ばしっぱなしになったツヤツヤの髪が妙にあどけない。
そんな不思議な雰囲気のギャップ萌え美少女。この学生生活がぶっ壊れてもひとたびキスを。
「あ、いた。夜行さん」
「……え?」
廊下の曲がり角で誰かを待ち伏せするように突っ立っていた彼女に声をかける。一人でいることが多いと聞いた通りだ。
きょとんと驚いた彼女の顔を見て、顎をそっと掴んで引き寄せた。
柔らかくて、透明感のある肌、吸い込まれそうな煌めく瞳が丸くなって私を見つめる。
何をされるのか想像もできない純粋な驚きの表情がゆっくりと近づいてくる。
触れた唇は、乙女と呼ぶに相応しいような柔らかさがあって――
冷たい。
氷でも食べた後なのだろうか。窓から吹く五月の薫風が妙に暖かく感じるほどに。
「きゃあああっ! つーちゃん! つーちゃあんっ!」
「ふむ、すまない。驚かせるつもりじゃなかった。ただ青春を謳歌しようという野望を」
言っているうちに違和感に気付く。
キスされて驚く夜行月がぴょんぴょん飛び跳ねているように見えたけど、よく見ると落下が遅い。
まるで風船をつけて浮いているように。
それに、私のイメージしていた夜行月はこんな風に騒いだり叫んだりするような子ではない。
無愛想なまま殴るとか、唾を吐き捨ててきそうな目をしている女子だ。
――そう、目。この子は夜行月よりも、キラキラと輝いた瞳をしている。
曲がり角から夜行月が現れた。
紛れもない夜行月。常に何かを訝しむような、疑うような、嫌うような、そんな目をしている。
「つーちゃん! 今この人、私を見て触ったよ! キスされちゃった!」
「……見えてるの?」
キスをした方の夜行月がふわぁと浮かび上がった。それを突然現れた夜行月はちらちら見ながら私に問いかける。
この目だ、一体なにをしてくるかわからない、人の心が欠けたような目。
「いや見えてない、なにも」
「何が?」
「む? 何が何が?」
「何を見たのか聞く前から見ていません、なんて、見てはいけないものを見てしまった人が言うことでしょう?」
勝ち誇るでも嘲るでもなく、淡々と夜行月は言った。ただ詰問をされているように感じるのは、私がこの人を恐れているからかもしれない。
「ほんとだほんとだーっ! ホシちゃんのこと見えてるって自白しちゃったね!」
「ふ、さあ、なんのことだか……」
「今のは誤解だった、と?」
「え?」
「今、どっちと喋っていたの?」
「え、いやそれは、もちろん夜行さんと」
「私も夜行だよ~!」
「あ、えっと……」
同じ顔の女性が二人、それぞれが私に喋りかけてくるから、状況が分からなくなっている。
ふわふわ浮かんでいた幽霊夜行が、人間夜行と並び立つ。
「……見えている、んだ」
「……はい」
「……そっか」
「ねぇ~! ねぇ~! だから言ったでしょ! 私だよつーちゃん!!」
つーちゃん、と何度か言っていたけれど、夜行月のことをそう呼んでいたのか。
人違い、いや幽霊違い?
まさかキスする相手を間違えるなんて。こんなにはっきり人に見える幽霊、生まれて初めてかもしれない。
夜行月よりも生気があるもの、仕方ない。
「……さて、見えているところで何か問題が?」
「私以外に見える人いなかったから、ちょっと衝撃」
「そうですか。では、これで失礼ということで……」
「待って」
流石にフェードアウトはできないか。この人ならあるいは呼び止めないと思ったけど。
ただ、夜行月にもこの幽霊が見えていること、そして同じ顔をしている理由とか色々気になったことはある。話してみるのも悪くはないかもしれない。
「ふむ、なにかまだ用が?」
「キスしたってなに?」
「……いや、うん。正直なところ夜行さんにキスしたいな~と思って近づいたから」
「……あぁ、あの神崎美空?」
「ご存知でしたか」
「ちょっと有名だから。間違えてそっちにキスしたのね」
キスされる立場にあった、と知ってもやっぱり夜行月は平然としているようだ。ちょっとやそっとのことじゃ動じないという私の評価は間違っていない。
となれば私がすることは一つだ。
「……、どうせ悪評が広まるならキスさせてくれませんか? お願いします」
「悪評なんて広めない。精々自分の身の振り方を反省してください」
「やった!」
と私が喜ぶ束の間、同じ顔の二人ながら意見は異なっているらしく。
「良くない! 良くないよつーちゃん! 懲らしめてあげないと! 私のファーストキスだよ!?」
「……霊なんでしょ? 減るもんじゃなし」
「私はつーちゃんが好きなの~! つーちゃん、むちゅ~!」
少し意見を戦わせていたが、夜行月のひどい塩対応。おかげでこっちは助かっている。
熱烈な関係のようだけれど、幽霊の体はひゅんひゅんと夜行月の体をすり抜ける。
「なんで~! さっきは確かに触れたのに~!」
「ふふ、それは私が霊能力者だからね」
「……待って、じゃあ星を成仏とかさせられる?」
月の声が少しだけ高くなった。先ほどまでなかった興味の色が表情にも出ている。
成仏、というのは、あまり穏やかな気がしないけれど。
「つーちゃん!? それって私がつーちゃんと離れるってこと!? そんなのヤだよ!」
「……ふーむ、あいにく私にそんな力はないので。姉妹仲良くやってください」
「ほら~! ほらほら! ひどいよつーちゃん!」
可愛らしいリアクションをする幽霊がポカポカとすり抜けて叩いてくるのを、夜行月はまるで無視していた。
表情はがっかり落ち込む、というわけではない。私に興味を失くして普段通りに戻ったという感じだ。
妙な底知れなさはあるけれど、心がないのではない。
「……神崎美空、連絡先を交換してくれる?」
「えっ! 喜んで!」
思いがけない提案にスマホを取り出す。数少ない連絡先が一つ増える、その相手が夜行月であることに喜びは一入だ。
彼女は案外になれた手つきで作業をするとすぐに完了した。表情から読み取れることは少なく、これもただの作業ということだ。
「ところで、なぜ連絡先を? もしかしてキスを……」
「星の相談に決まっているでしょう。私以外に見えた人がいないから」
「ですよね。では、本当にこれで」
ひとまずその場はクールに去る。
作戦は失敗したものの、奇妙な関係は出来上がったらしい。
私を見つめる四つの目はどこか複雑に絡み合っているような気がした。
今回の総括
神崎美空は霊が見える。
夜行星の幽霊は、神崎美空と夜行月にだけ見えている。