眼鏡と苦無と悪霊小路
ゴールデンウィークも終わりが近くなり、徐々に学校を意識するようになってきた。
従野は学校に行っているし、カラオケなんかでクラスメイトと交流を深めているからそんなに変わらないのかもしれない。
しかし、彼氏ができるとは驚いた。
それも相手があの影山。彼は自覚はしていないだろうが、霊の、夜行星の気配を感じ取っていた。
従野もそれに気付いていただろうに付き合うとは。いやむしろ、気付ける存在だから付き合ったのだろうか。
逆に従野が影山にべた惚れだったらどうしよう、なんてことも考えて、不毛だとやめた。
「ジョジョは四部まで読んだんだったな。続きはいいのか?」
「うん。……私、そもそも死んでいるんだしさ。それが読めただけで満足しちゃったよ」
「ふむ、随分と慎ましい。それで構わないなら、構わないが」
……実際、夜行星の未練は多少解消されたらしい。
美海が言うには、星の声が少し聞き取りづらくなったらしい。
彼女の存在が薄まった、未練が減った分、その存在が弱くなり感知しづらくなったのだろう。
ただ聞き取りづらくなったというだけで、星の気分次第で私に触ることはできるし、つまり星がその気になれば結局美海と喋ることもできると考えられる。
全部、星の気分次第だが、平常では一応は弱まったかな? という気休め程度なわけだ。
「他に未練はないのか? 早く成仏したいだろう」
「考えてるけどさー、もうつーちゃんのことばっかり考えちゃって。なにか他に面白いことない~?」
死んでいるから満足と言った口でそれか。
寝ころんだ姿勢でふわふわ浮かびながら壁をすり抜けたりして遊んで、星は全く自由にあどけない。
――けれど、自分のことをホシちゃんと呼ばなくなった。
態度もふざけながら、真面目な雰囲気に合わせるようになった。
美海も星を最初は小さな子供のように扱っていたが、今は年上の人を見るようだと言っていた。
彼女は霊体だけでなく、精神もめきめき成長し始めていた。
誰とも会話できなかった十年を経て、私たちと会話することで成長したのだ。
理性的に育ってくれればいいが、もしも彼女が自分の存在を優先し始めたらどうなるか。
恐ろしいような、それはそれで楽しいような。
「出かけようよ~どこでもいいからさ~」
「出かけるのはいいが目的地は……む」
ラインが来た。クラスメイトの馬鹿のライン。
その内容を一目見て目的地はすぐに決まった。
「喜べ、星。出かけるぞ」
「え! どこどこ!」
ともあれ出かける準備をしなければいけない。
面白半分で送られてきたラインには、学校近くの『悪霊小路』を訪れる旨が記載されていた。
―――――――――――――
怨霊、怪異、悪霊、幽霊、妖怪、都市伝説。
世の中には様々な、目には見えない邪悪な存在がいる。
一般人にはとても信じられないだろうが、そういう邪悪の輩と戦い続けている一族もいて、遥か昔よりこの世界を影ながら守ってきた者たちがいるのだ。
うちの母とか。
「……ここどこ?」
「悪霊の家の前の前の前くらいだ」
「なんでそんなに離れているの?」
「危険だからな」
私はそういうお家の仕事から離れて生きてきた。だから何も知らないし、何もできない。才能はあると言われたが、鍛えてないから素人同然だ。
だから、見る能力を活かして、ただ隠れている日々だ。
「悪霊の家は強い地縛霊で、近づかなければ安全。逆に近づけば危険。それだけの化物だ。私はできれば見られたくないし、かといってみすみす犠牲者を増やしたくもない。だから、とりあえず隠れる」
「ふーん」
何の変哲もない住宅街。道路に沿って居並ぶ家々の中の一軒にそこはある。
住人は、どれだけ時間をかけて回り道をすることになっても、決してその家の前は通らない。
その家の前を通るだけで、襲われるからだ。
「どれほど強い存在かは知らないが、かなり有名な割に放置されているところを見ると相当厄介な相手らしい。だから私は特に手は出さない。死者が出るかもしれないが、放置されているなら怪我で済む程度だろう」
「……それでいいの? そんなの、駄目だよ」
「そうか? 危険を求めて遊びに来た奴らだ。自業自得……むしろ望んでそうなっているようなものだ」
「そんな言い方って」
ラインを見る限り、参加者は影山、立石、柴木、誘子の四人。従野が影山組と呼んでいる仲の良さそうな男衆だ。
参加者を募るラインだったが、色よい返事はなく、護道とかが注意している。
「よし。星、今から写真を見せるからこいつらがどこにいるか探してくれ。ぴゅんと飛んで」
「えー。自分で探せばいいじゃん」
「私はできる限り霊が見えるとかって話をしたくない。知られたくない。だから」
「じゃあ、なんで来たの?」
子供の単純な『なんで』という質問は答えづらい。だがそうじゃなく、星は純粋にわかっていた。
「放っておくこともできない、でも自分も守りたい。どっちつかずなんだよ、美空は」
「……星」
「なに。あ、ゎ」
うるさい口はキスで黙らせてやろう。と口を押し付けた。
ぼごむにゅんとぶん殴られた。この感覚は慣れないけれど、唇の感触は久しぶりだったから悪くない。
「なにすんの!?」
「キス」
「今することじゃないでしょ!」
「いや従野と会えてないから口寂しくて……」
「も~! とりあえず、その人たち探せばいいんだよね! わかったから!」
最初からそうしておけばよかったのに、なんてわざわざ言わないが、星は言われた通りに探してくれた。
既に四人組は悪霊の家のかなり近くで待機しており、おそらく機を見て突入する段階なのだろう。
「参ったな、四人だけ?」
「うーん、もう一人、なんか見守ってる感じの人がいた」
「……ふむ、私と同じことをしているのか。暇人か、もしかすると」
とにかく距離感を大事にしながら現場に向かう。決してバレないように、けれど万が一の時に何かできるように。
「それで、もう一人はどこにいるかわかるか?」
「あっち側。たぶんバレないと思う。他に、周りにそんな感じの人はいないよ。生活してる人はいるけど」
悪霊小路の悪霊の家の傍に四人、その後ろ側に私と星が見張っていて、反対側の方に誰かがいる。
影山たちを挟み撃ちにするみたいな形だが、その誰かと意志疎通は取れない。誰かわかれば個人ラインでもできるだろうが。
「向こう側にいるのはどんな人だった?」
「女の子だったよ。眼鏡かけてー、黒い髪を後ろにまとめててー、凄い真面目そうな人」
「……貴田? クラスメイトだと、そうなるか」
「名前は知らないけど。身長は美空より低いよ。でも美海ちゃんよりちょっと高いくらい」
「おそらく合っている。……しかし、連絡したところでな」
どうして貴田がここに来たかは知らないが――手遅れになった。
「もう行くぞ!」
「いや待っ……しょうがねえなぁ」
「いいのか、影山」
「いやこのままここでうだついてても仕方ないっしょ」
影山と誘子がストッパーになっていたらしいが、集団が歩き始めた。
さて、どうなるか。
何の変哲もない一軒家、その門の上に胡坐をかくようにして上半身が乗っかっていた。肌は赤く剥げているタコのような人間の霊が、目を剥きだしにして家の前を通るものを見張っている。
「ちょっと、怖いね」
「ちょっとで済むなら、やはり大したものだよ、夜行星」
相当な悪霊だ。悪意が透けて見えるほどの憎悪。あんなのを放置していいのか、神崎家。
四人が恐る恐る足を運ぶ。先頭の柴木の足が、門の前を通る。
何も起きない。
「……な、なんもねえじゃん。影山が変に止めるからだぞ!」
「あははっ、いやすまんすまん。なんか変な感じがして……」
四人がめいめい喋っているが、まずい。
見ている、門を、家を、霊を。
変な警戒をしているせいで悪霊の家を凝視している。あれでは見えていなくとも、見えていると思われる。
無差別で襲う悪霊が、自分が認知されているかもしれないなどと気付けば。
「いてぇっ!」
飛来、小石が飛んできて立石の頭を打った。突然投げつけられたようだが、ポルターガイストによるものだ。念動力と呼ばれる力で触れずして物を動かしたのだ。
今度はブロック塀が飛来した。これはもう止めないとダメだろう。
影山が鞄を盾に攻撃を防いだが、勢いは思いのほか強く、鞄に穴が空いてしまった。ガラガラと中に入っていたものが落ちていく。
「走れっ!」
私が声を発するより先に、小路の向こう側から貴田の声がした。
やはり貴田には霊の存在が見えている、知っている。
走ってきた貴田は頭を打った立石の腕を取って、来た方向にと走る。
いや残された三人もその後を追ってようやく走り始めた。けれど悪霊はそれを見過ごすわけがない。ブロック塀の一つや二つが飛び交う。
背中や後頭部にあれをぶつけられたら最悪死ぬ、となると。
「行くぞ、星」
「え、行くの!?」
幸い、霊の注意は走って逃げた彼らに向いている。貴田らもまっすぐ前を向いている。
こっちを向いているのは、影山だけだ。あいつだけ背後を警戒している。目が合った、かどうかは変なゴーグルつけているからわからないが。
「星、小路の向こう側で合流する。私は突っ走るからお前はあの霊の目前で高く高く飛び上がれ」
「それ意味ある!?」
「ちょっとでも分散したい」
的を増やす、というのは単純だが効果的だ。何もできない以上、的になるしかない。
悪い方法ではない。
視線を散らす。霊がどの物体を操って攻撃してくるか分からない以上、霊だけを見ても意味がない。
地面には小石やブロック塀、影山の鞄から落ちたものなどがある。気をつけないと致命傷になるものに視線をやって、むしろ霊を警戒しないくらいがいいかもしれない。
――だが、落ちているものを見て、思わず我が目を疑った。
「星、……いや、なんでもない」
「え、なに!? 上行くよ!!」
飛び出した時から覚悟はしていたのだ。現にあの四人は逃げられそうである。
しかし予想できなかった。
何故、影山の鞄から――クナイなんて刃物が。
地面に落ちていたそれが、刃先を私の方に向けてピンと立った。
悪霊の強い殺意に、敗北を確信した。
「あっ! クナイだ! 私ナルトも読んでたよ!」
強風が天から降り注いだようだった。気持ちの悪い生暖かさが体をすり抜けて地面に吹き付けるような。
その温風に当たったクナイは減速し、私はなんとかそれを掴んだ。
他に怪しいものは落ちていない。
「いいぞ星、そのまま私を守ってくれ」
「ね、ね、それ後で見せて! 凄い、本物?」
「知らんが、後でだ。これは隠す」
私はまっすぐ前を走る。後ろに気配はあるが、悪霊よりも強い気配が私を守ってくれている確信があった。
―――――――――――――――――――
「な、なんだったんだ……ってか、なんで二人はいるんだ?」
柴木が震えながらつぶやく。貴田は立石の顔に持参しただろう消毒液をかけているが、その目は私の方を見ていた。立石の顔はびちゃびちゃになっている。
「……だからやめろって言ったのに」
「ああ、貴田も注意のライン送ってたな」
「神崎、アンタは送ってなかった」
「気付いたのが遅かったから参加表明できなかっただけだ。しかしドキドキするような出来事だったな」
「ドキドキ!? お前……俺は怪我したんだぞ!」
「それは自業自得だろ……」
貴田が呆れたように吐き捨てると、立石はばつが悪そうに黙り込んだ。
私が薄い嘘を吐いても貴田は見抜いているような感じだ。
霊が見えるなんて知られても一つの得もないから、私も貴田も黙っていたんだろうけど。
緊張感のある静寂が続いた。
それは私と彼らで性質が異なる緊張。
影山たちは超常現象の恐怖。そして私と貴田は、腹の探り合い。
「……ここは安全なのか?」
「さあ」
「あっちは危険だよなぁ」
影山は頭をかきながら言って、すくっと立ち上がる。
貴田に抱くのと同じくらいの不信感が影山にもある。変な凶器を持っていたのは当然だが、あの逃げ方、不良で喧嘩慣れしているのだろうか。
その場を離れるようにゆっくり歩きだした私は、そのまま影山に耳打ちした。
「……変な凶器、拾ったけど」
「後でな」
二人きりで渡した方がいいだろうけど、こいつと二人になるのも嫌だ。
何より、貴田が私を睨んでいる。何も言わないのならいいけれど。
通り過ぎようとしたとき、私が影山にしたみたいに、貴田がそっと呟いた。
「神崎家のことは知ってる」
「あ、じゃあもう隠すことはないか」
「他の奴には黙っててやるよ」
「ん」
足早に通り過ぎようとしたら、普通に貴田は声を出してきた。
「後でラインすっから」
「あー……はいはい」
死ぬほど面倒臭そうなことに色々巻き込まれる予感がする中、星の能天気な声だけが響き渡る。
「ね! あの人やっぱり忍者なのかな!? すごいね! すごい!」
「いや忍者とかいるわけないだろ」
今回の総括
夜行星は未練が減ると薄まる。
神崎家は先祖代々の霊を祓う家系だった。
悪霊小路は学校の近くにある。




