とりあえず鹿児島弁が通じるようです。
「……ん」
いつもの朝。
どうやら天気は良いようで、太陽がこれでもかってくらいカーテン越しに照っているが、これから仕事に行く身としては関係ない。どうせいつも通りのデスクワーク。エアコンの下で働けば、太陽に照らされて暑い思いをせずに済むのだ。
それに、今は朝だからそこまで暑くないが、日が昇り始めるとここは蒸し暑くなる。そうなる前にと手早く朝食を取り、スーツに着替えてバックを手に取り、さっさと車に乗り込んで、エアコンの聞いてる会社に行くに限る。
ドアを開けると相変わらずの田園風景が目の前に広がっているが、見慣れたものなので手早く車のところへ。
「おっと…」
車に乗る時、ついいつもの癖で携帯を助手席に放り投げたのだが、どうやら投げた勢いが良すぎたらしい。そのまま助手席の隙間まで滑り落ちてしまった。
面倒だなぁと思いつつも、隙間に落ちた携帯があるところを漁るが、なかなか見つからない。
いったん降りて助手席側から探すか?なんて思ったが、しばらくして探っていた手の先に携帯の感触があったので、それを掴んで引っ張り出す。
さて、携帯も救助できた。ちょっと時間をロスしたが、携帯をちらりと見てみたところ、まだ会社の出勤時間には影響はない。いつもどおりシートベルトを着けてエンジンをかけて。
「は?」
エンジンをかけるための手が思わず止まる。
そりゃそうだ。
さっきまで、車は確かに駐車場にあったし、何より車の目の前はいつもの田園風景だった。ちょっと遠くにポツポツと家が見えるくらいの田舎ななのに今じゃ一面草原になってる。意味が分からない。
思わず右を見てみたが、駐車場の傍にあったはずの、さっきまで寝起きをして朝飯食ってた安アパートが消えてる。というか、そこも目の前の草原よろしく、一面野原になってる。
助手席側も野原になってるが、遠くに薄っすら森があるのだろうか、一部濃い緑が見えるが、ここからは遠いのか、ほんの少ししか見えない。
バックミラー越しに後ろも確認してみたが、そこも周り同様一面草原の綺麗な風景。テレビで見るだけなら綺麗だなぁと思えるが、実際に身に降りかかるとたまったもんじゃねぇ。
呆然とするしかないなこりゃ…
※※※※※※※※※※
周囲を確認しても風景に変化はない。一面の草原と青い空だ。とりあえず車から降りてみるが、地面はあの慣れたアスファルトじゃなく、草と土の感触だ。革靴越しには固い感触ではなく幾分か柔らかい感触が返ってくるが、それがますますここはどこだと思わせてしまう。
ちょっと不注意だったが、一応ここでは息は吸えるようだ。というか、それを確認せずに降りるってのは危機管理が低かったか。
気を取り直して、落ち着くためにタバコでも一本。
「…ふぅ」
一服してちょっとは落ち着いたが、いかんせん状況が全くわからん。
まず、朝起きて飯食って着替えたところまではよかった。で、出勤だということで車に乗り込んで、携帯を放り投げて…
「あっ」
そうだ、携帯があったじゃないか。今のご時世、GPSが搭載されてるんだから、それで現在地を確認すりゃよかったんだ。
ということで、ポケットを漁って携帯を取り出してみるが、画面には無情にも『圏外』の2文字。ダメだ、終わったなこりゃ。
「…よし。」
タバコを吸いながら頭上の空を見ていたが、雲が流れていくだけで何の変化もない。
ここはひとまず動いてみるとしよう。タバコを消して携帯灰皿に入れたら、早速車に乗り込みエンジンをかける。どうやら車を動かす分には問題ないようだ。が、これガソリン切れたらマズいよなぁ。とりあえず燃料の消費を極力抑えるように動くか。
四方が草原だが、一か所だけ森が見える左のほう。そっちにいってみるか。草原だけで目立つ者がないし、それなら何かある森のほうが何かしらあるかもしれない。
「あっちか。」
エンジンをかけるが、これコンパクトカーだからオフロードあまり走らせたくないんだよな。が、そうも言ってられないか。
ちょっと躊躇したが、とりあえず車を動かす。頼むから石とかそういうのは無しにしてくれよ。
※※※※※※※※※※
なんとか森の近くまで来れたか。幸い、石とか無くて来やすかったが、流石にこうも荒れ地を走らせると車にも俺にも良くない。こっちはアスファルトしか走り慣れていない車とドライバーなのだ。なるべく事故は避けたい。
「ん?」
もうすぐ森というところで、森の手前に何かがいた。自分以外の初めての生物じゃないのか、これは。
森だから鹿とか狐の類かとも思ったが、なんだかそれらしき様子ではない。まだ近づいて見てみるか。
「あれは…」
近づいたことでようやく双方見えてきた。
人らしきものが1つ、それを追い立てる犬っぽいものが3つ。
森の中から出てきたのか、人のほうがこちらに向かって走ってきている。というか、逃げてきてるのかこれは。その後ろからは犬っぽいものが追い立てるようについてきているが。
「あら。」
逃げてきている人は必死に後ろの犬と距離を取ろうとしてるのか、ちらちらと後ろを振り返りながら全速力で走ってる。こっちに気づかないくらいの必死さだ。
あー、これは追い払ったほうがいいのかもしれんな。
徐々にこっちに近づいてきているんだ、ならこちらも動物に絡まれないようにしないといかん。
「なら…」
こちとら田舎の道路を走りなれているのだ。よく道端から動物が出てきて道路上に立ち往生することだってある。そんなときにやることなんて決まってる。クラクションを長めに鳴らせばビックリするだろ。
とりあえず1回鳴らしてみるが。
「おいおい…」
動物がビックリして止まるのはわかる。が、人のほうも止まっちゃいかんだろ。折角後ろの犬が止まったんだから逃げなきゃ。
人のほうに気づかれるよう今度は短く2回クラクションを鳴らしてみるが、それでも双方止まったままだ。
これは声かけないといかんのかなぁと思ったら、人のほうがなんか犬のほうに振り返った。
え、なんでそこで振り返るんだよ。こっちに来れば車あるから逃げられるのに。と思っていたら、その人が腰から何かを引き抜いた。
「なんだ?」
ここからじゃちょっとよく見えないな。近づいて、何が起こっているのか確認してみるか。それに、目の前で野生動物に襲われているんだから、助けられるなら助けたほうがいいだろう。
車を無理しない程度に加速させている間にも、その人と犬の距離がだいぶ近づいてきている。これはもうちょっと飛ばすか。
「剣?」
ここまで来て、流石にブレーキを踏んだ。
近づいたことでわかった、その人、というか女性か?が持っていたもの。
どう素人目に見ても銃刀法違反に引っかかってるだろってくらいの剣っぽいものだ。なんで鉈とか鋸とかじゃなくてあんな剣なんて持ってるんだ。警察に職質されたら完全お縄につくぞ。てか、犬にそんなケガさせたりしたら、動物愛護団体が黙ってないだろ。
そして格好も格好だ。なんなんだあの服装は。どう見てもそこら辺の女性の恰好じゃないし、見た感じ学生っぽい恰好でもないし、なんかゴテゴテしたものが体に着いてるしで、よくわからない格好だ。
「んー…」
どうするべきか。
このまま車で近くまで行って助けたほうがいいのか。あまり関わりにならないほうがいいのか迷うな。
いっそのこと、危ない人ってことにして離れたいが、いかんせん初めてここで会った人だ。なんかしらの事情を知っているだろうから情報が欲しい。
「なら…」
ちょっと悩んだが、もっと近づいて様子を見よう。
アクセルを踏んで近づいてみるが、どうも女性のほうが分が悪いらしい。1匹に対処してたら他の2匹からぶつかられたり、噛みつかれたりされそうになってる。
こんな大自然の中の野犬ってことは、狂犬病とかも持ってそうだから危ないよな。アクセルを踏んでいた足に力を籠め、もっと女性へと近づく。
やがて犬も女性のほうもこっちのエンジン音に気づいたのか、どちらもこちらを振り向いた。流石に時速60キロほどの車が迫ってきてるってのは迫力あるんだろうな、驚いた顔してるぞ。安心してくれ、こっちは轢く気ないからちゃんと減速するから。
「よし。」
どっちもおっかなびっくり手が止まっているところで、ようやく女性の傍まで近づけた。ここまで来たらハイビームで驚かせれるだろ。
ハイビームでパッシングしてみたところ、犬が嫌がるように若干下がった。よし、この隙に窓を開けてっと。
「…◆?」
え、何語喋ってんのこの人。
って、そりゃそうか。なんか髪の色が金髪だし肌の色も真っ白、どう見ても外国人だ。参った、こちとら英語とか全然できないんだぞ。
そもそも、発音が全然英語っぽくないから尚更わからん。
どうするかと思っていたら、さっきのパッシングにビビっていた犬たちが気を取り直したのか、吠え始めた。しかもそのうちの1匹がなんか遠吠えっぽい吠え方してるような。
「■…▲★!…■…!!」
女性もその声に気づき、こっちに必死になって声をかけるが。すまんな、全くわからん。
女性が必死にこっちに声をかけてくるが、その間にも今の犬の声を聞いたのか、森から続々と犬が出来てないか。気づけば20匹くらいがゾロゾロと出てきているんだが。
そしてその集まってきた犬たちも吠えるものだから、ますます女性の声が聞こえないし、何よりうるさい。
「あー、もう…せからしか!!」
思わず頭に来て、犬に向かって声を張り上げた。その時。
轟ッ!!
「…はい?」
なんか、吹っ飛んだ。
そりゃもう豪快に吹っ飛んだ。
目の前の地面と、そこに群れてた犬が、盛大に吹っ飛んでいった。とんでもない轟音と共に。
その余波なのか、土が捲りあがるわ草が飛び散るわで、目の前がすごいことになってる。その衝撃も若干こっちに来て車揺れているくらいだし、開けてた窓からは風がバンバン入ってきて目も満足に開けられない。
「うおぉ!!」
なんだこれなんだこれ!!
って、こんな衝撃だと外にいた女性大丈夫か!?
「…▲……●!!」
衝撃から手をかざしつつ横を見やると、やはり女性のほうにも衝撃が多少流れているのか、衝撃を真正面から食らって転倒していたが、吹き飛ぶほどではなかったらしい。まあ、犬のほうに向かった衝撃よりはマシか。
巻き上げられた土による砂ぼこりと突如飛ばされた草が舞い散っているが、とりあえずコレが落ち着くのを待つしかないな。
おっと、窓は閉めとこ。
※※※※※※※※※※
犬と地面、ついでにちょっと女性を吹っ飛ばした衝撃がようやく収まった。
いつまでもエンジンをかけていたらガソリンがもったいないということでエンジンを切ってみると、あたりは先ほどとは打って変わって静かだ。
が、目の前の光景、これは酷い。
「うわぁ…」
車のフロントガラスにも少し土が被さっているが、それは大した問題じゃない。
問題は車の前だ。
ちょっと見づらいから車から降りたが、そこの景色がさっきとはだいぶ変わっていた。
車の前方の地面が捲りあがり、ちょっとした穴になってる。というか、穴よりもクレーターだな、これは。結構な範囲が巻き上げられてるし。
そして巻き上げられた先には大量の土と、先ほどまで森から出てきた20匹くらいの犬が横たわっている。そりゃこんだけの土を食らったら無事じゃすまないよな。それに、さっき衝撃が犬たちのほうに向かってたし。
一旦目の前の光景から目を離し、車の傍にいた女性のほうを見ると、なんか呆然としてる。
まあ、ビックリするよな。こんだけの衝撃もろに食らったんだ。逆によく無事だったな。
って、服はいいけど腕とか足なんかところどころ怪我して血を流してるじゃん!
「だ、だいじょっじゃか!?」
流石にあちこちから血を流している人を見たら若干焦って、訛ってしまった。
が、次の瞬間。
「…へ?」
なんか、この人光初めてないか。
薄っすらと女性の全身が光った。と思ったら、さっきまで血が流れていたところの傷が徐々に塞がっていってる。
なんだこの状況。
「◆、◆?」
ただ、女性のほうも焦っているところを見るに、どうやらあっちにも見慣れた光景じゃないらしい。それに、全身の傷が塞がっているのにも驚いているようだ。そら、いきなり光って傷が治るなんてビビるよな。
「………」
女性の全身の傷が塞がって大丈夫のように見えるが、当の本人は今起きた現象に呆然としてる。こっちも呆然としたいが、このままじゃ埒が明かない。
「えっと、大丈夫か?」
「■、■▲◆★…?」
ダメだ、やっぱり言葉が通じないのか、向こうの言葉が聞き取れん。
「◆★■▲★▲●!?」
「な、なんちね?」
向こうがビックリしたような表情でこっちに詰め寄ったから反射的に訛っちまった。やっぱり色々不可思議な現象が起きてるからか、頭がうまく回ってくれない。
「これ、あなたが治してくれたんですか!?」
「…は?」
ちょっと待ってくれ、どういうことだ。
いきなり女性の言ってることが分かったぞ。さっきまで全然意味が分からない事ばかり話してたのに、急に標準語を話してきた。
思わぬことで困惑してしまうが、これで会話ができるようになったということでいいのか?向こうの言葉が標準語なら、こっちも標準語で通じるだろうか。
「えぇっと、ちょっと落ち着いてくれ。とりあえず、俺の言ってることがわかるか?」
「…え、あれ?あなたさっきまで違う言葉を話してなかった?」
どうやら通じるらしい。なんだか知らんが、言葉が通じるなら好都合だ。
ひとまず、このよくわからん状況だ。特に俺なんて出勤しようと思ったが矢先にこれで、何がなんだかさっぱりだ。
けど、向こうもいきなり吹っ飛ばされるわ、いきなり怪我が治るわとよくわかっていないことだろう。
色々お互い状況を整理したいだろうが、こんな草原のど真ん中、人に襲い掛かるような動物が近くにいるところでは不安だ。どっか場所を移したいが。
「よくわからんが、言葉が通じるようだな。ただ、ちょっと俺自身もよくわからない状況だから、一旦落ち着けるところに行かないか?
流石にこんなところじゃ落ち着かないだろ。」
「…そうね。さっきもウルフに襲われたくらいだし、何より群れが近くにいるかもしれないわ。
早く移動したほうがいいんでしょうけど…」
え、ウルフってことはさっきの狼かよ。日本って狼絶滅したんじゃなかったっけかな。野生じゃないにしろ、動物園の狼が逃げ出したにしては、あの数は多すぎるしな。
しかも、襲い掛かるってことは人に慣れていないってことだ。ならとっとと逃げるに限る。
「なら、車で行くか。案内してくれるなら送っていけるけど。」
「えっと、く…るま?って何?」
「は?」
ちょっと待て、車を知らないだと?
あまりにもおかしい。自動車大国とも言われていた日本で車を知らないはないだろ。都会じゃ知らないが、田舎じゃ一家に一台ないとどこにも行けないから必需品って言われてるくらいだぞ。
それを知らないってことは、この娘どんな所に住んでるんだ?
「車は車だけど…え、これ知らない?」
10年落ちの我が愛車を指さすが、首を横に振られた。この様子じゃ知らないようだが、マジか。
とんだ田舎に来てしまったものだが、仕方ない。詳しく説明するよりも、さっさとここを離れてしまったほうがいいだろう。
「えっと…これが車だ。小さいから5人までしか乗れないが、これに乗ったほうが歩くより早く移動できるぞ。」
「は、はぁ…」
訝し気に頷かれたが、これ以上ここで説明するには時間が惜しい。
ひとまず車に近づくのもおっかなびっくりな女性を助手席に乗せて、彼女に案内してもらうことになった。
出勤するはずが、見知らぬ土地が広がり、不思議な人がいるところに来たが、俺は果たしてどうなっていくのかやら。不思議な現象ばっか起こってるから、先行きが不安でしょうがないが、車をさっさと出すとしよう。
エンジンかけただけで驚いてる隣の娘をなだめつつ、俺はさっさと車を動かす。
まったく、こんなときでもいつもと変わらない我が愛車は頼もしいもんだ。