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ソーシャルウィンドウ  作者: 小林大輔
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彼女のメモリー

名前もプロフィール写真も美夏だ。間違いない。いつ頃撮った写真かまでは判断出来ない。知り合いのフリをして、友達追加依頼をしてくる詐欺を聞いた事がある。現金に換えられるカードをコンビニで購入させられ、その暗証番号をメッセージするという手口だ。ただ、わざわざ死んだ人間の個人情報を使って詐欺を働く事は不自然だ。最も、あの時代にはSNSの類はなかったので、個人情報を入手する事は困難なはずだ。もしかすると、美夏は生きていたのかもしれない。いや、そんなはずはない。

 誰にも相談せず、家と会社と客先訪問だけの三日間だった。

 今日もいつもの様に朝がくる。七時二十分に起床、少し朝方冷える様になってきた。最近ではクールビズで夏場にネクタイを締めないのが一般的になってきたが、九月にもなると、ネクタイを締め、上着を着るサラリーマンが増え始める。でも、僕はどうしてもネクタイを締めないのは変な気がして、夏場でもネクタイをして、薄手のスーツを着用している。顔を洗い、簡単に歯を磨き終わると、パンをトースターへ放り込む。焼きたてのパンにジャムを塗り、冷蔵庫から缶コーヒーを一本取り出した。そろそろ、冷たい缶コーヒーではなく、ホットのインスタントコーヒーに変えようかと考えながら、スマホで今日のニュースを見ていた。たまに仕事で疲れていると、寝ぼけてパンをトースターへ入れていた事を忘れ、コーヒーだけ飲のみ、パンをそのまま放置して出社してしまう。そんな時は決まって次の日の朝に気がついて、新しいパンを入れる時に放置された前日のパンをゴミ箱へ捨てる。こんな簡単な事を忘れてしまうならいっそ、別の事を忘れられれば良いのにと切ない気持ちになりながら、ゴミ箱に捨てられたパンを見つめる。夏用スーツに着替え、簡単だからという理由で愛用しているワンタッチの結ぶ必要がないネクタイをつけて会社へと向かう。

 三鷹駅から中央線に乗り、秋葉原で京浜東北線に乗り換え、御徒町駅でおりて、会社の事務所が入ったビルのある上野までは徒歩で向かう。家を出て約一時間で到着するこの道のりが、ここ三日間はやけに長く感じる。誰かが彼女になりすましているなら、見張られているのかもしれない。もしかすると彼女が実は生きているのかもしれない。或いは天国から彼女がアクセスしている、既に自分が死んでいてずっと長い夢をみている。現実ではない事まで想像してしまう。絶対に何か理由があるはずだ。

 会社の事務所が入ったビルに到着し、エレベーターで五階のボタンを押す。自分のデスクに到着するや否や、木曽課長がいかにも機嫌が悪そうに近づいて来た。

「おい浦名、昨日のお前の報告書の意味が理解出来ないから直ぐに会議室に来い」

 そう言って、鼻息を荒立てながら立ち去った。既に出社していた同僚達はこちらを見る訳でもなく、ただ、自分にとばっちりがこない事を祈っている様だった。会議室に行くと、高梨課長が電子タバコを吹かしながら座っており、その足はドラマーかと思う程激しく上下運動をして、カタカタと不快なビートを奏でていた。

「遅くなりました。」

 そう言って軽く会釈をした。

「昨日の客先訪問で先方にコストダウン出来ないなら、サプライアの変更をすると提案されたんだろ。お前はどうしたいんだ」

 と質問をされた、そして僕の意見を話そうとする前に課長は続けた。

「お客さんに逃げられるかもしれないんだろ。そうしたら会社の利益がなくなるだろ。ただでさえ他の製品でも海外の安い製品へシフトしているのに、俺の先輩方が丁寧に客先訪問を続けてきたからここまで続けてこれた。こんな安泰な案件を、お前のミスで棒に振るかもしれないんだぞ。それを簡単に報告書で済ませて、お前は悔しくないのか。お前は何を感じて、行動をして、お客さんの考えを変えるんだ。そして、一年後、五年後、十年後、どうやって会社に貢献していくんだ。いったい、どんな計画をしており、その計画はどの様に進んで、事前に何をすれば計画通りに進み、二度とこんな報告をする必要がないのか、解りやすく説明をしてくれ」

 まずは質問を解りやすくしてくれと思ったが、いつもの事だ。黙っていよう。続けざまに質問をして回答する隙も与えない。むしろ、回答を望んでいるのではなく、相手を黙らせる事に優越感を感じている。いつものクソみたいな説教に嫌気が指した。誰が対応をしていてもこの問題は絶対に避けられなかったはずだ。それは木曽課長も解っているはずだ。だから自分で対応したくないので、僕にこの案件をなすりつけた。自分の立場を守る為に。言いたい事を言ってすっきりしたのか、貧乏ゆすりが無くなり、表情も落ち着ちついていた。

「話は以上だ。通常業務に戻ってくれ」

 そう言われ、

「失礼します」

 と言って会議室を出た。

僕は結局、遅くなりました、と、失礼します、しか発していない。さぞ満足する打合せになったのだろう。自分のデスクに戻る途中、

【報・連・相 で業務効率改善】と、少し曲がって壁に貼られた会社のスローガンを見て、妙に虚しく思えた。

「浦さん」

 振り返ると、声の主は同僚の尾沢郷だった。尾沢は年下だが、入社が一緒だったので、特に敬語を使ってくるわけでもなく、生意気だが、仕事も出来るし、社内でもお客さんにも好かれている。気が利くし、素直だし、僕も彼に対して好意的に思い、唯一会社で気を許せる仲間だった。

 八年前、自分は中途採用、彼は新卒で、確か十人程度の新入社員がいたが、結局今残っているのは僕たち二人だけだ。六年前、不況のあおりを受けて人員カットが必要になった際、皆快く辞めたのを覚えている。二百人程度の正社員は、いまや半分以下になった。仕事がなく暇という事もあり、その頃は、平日でもよく尾沢と飲みに行っていた。

「今日仕事終わったら飲みにいこうよ」

 と、誘って来た。自分も丁度、美夏の事を誰かに聞いてほしくて、誘われたのがうれしかった。仕事の愚痴を誰かに聞いてほしいのもあった。「ああ、行こう」

と言うと、「じゃあ、目標七時で」そう言って、尾沢は長めの髪をかきあげながらその場を後にした。午前中に事務処理を終わらせ、午後から昨日のお客さんの所へ足を運んだ。

 僕の仕事はルート営業だ。量産されている製品の問題を定期的に情報交換する事だ。ハードディスクに使われる、アクチュエーターという、ディスクの読み書きに必要なパーツを筐体と固定する為のピンを収めているのが、昨日も訪問したテクノニック工業だ。今後三ヶ月の生産数量推移、材料の定期調査と報告などが主である。グローバル社会と言われている中で、日本生産をしている製品を購入して、海外でアッセンブリするなど、現地調達出来ていない事が大きな問題という日本の風潮は毎年強くなっている。もう限界がきているのは解っていた。それでも未だに注文が取れているのは、二〇一一年、タイで洪水があった際に大量にピンの追加注文に休日返上、製造設備や仮工場でどのメーカーよりも迅速に対応したからだ。その借しがあったからこそ今がある。だが、これ以上は無理だろう。ピンを納入しているのはタイだが、日本の本社が発注権を持っている。今後は発注権もタイに移る様で、そうなればこの製品は終わりだ。相手が外人では恩や人情は通らない。必要なのは徹底的なコストダウンのみだ。それがグローバル化だ。僕の会社は社長の方針で、生産はあくまで日本に拘ると言い続けていた。それでも最近では少し考えを改め始めているという噂が会社に広がっている程だ。タイでピンを組付けると、そこから次の客先であるシンガポールに製品が出荷され、完成品の半分をアメリカへ、残りは日本へ販売している。日本に収めている分は全てがくじらへ納入している。日本向けサービスに特化したIT企業だ。一時は個人情報の扱いで避難を浴びていたが、全ての情報がアメリカのシリコンバレーに奪われる恐怖を感じた政府からのサポートもあり、国内最大のIT企業へと成長した。完成したハードディスクはそこのクラウド情報を記憶するサーバーとして駆動している。その情報の一部が死んだはずの美夏であり、今、僕にアクセスをしてきている。

三千万人以上が自分と同じ「セレベス」というSNSを使い、コミュニケーションを楽しんでいる。どれだけの人が本当に実在しているのだろう、どれだけの人が途中で死んでしまったのだろう、皆に忘れられてもハードディスクがその人の人生を保存し続け、また、存在しない人間をも生み続けている。まるで生きているかの様に。

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