05話
私が幼児相手に怖がっていることなど気に留めた様子もないツバサくんは、軽く咳払いをした後、改めて告げる。
「リンゴ、お前は俺様が幸せにしてやる」
「……は?」
いや、そんな真面目な顔して突然プロポーズみたいなセリフ言われても。
――プロポーズ?
一瞬で顔が赤くなるのが分かった。
ちょっと待って、どういう状況。なんでいきなり、プロポーズ?!
「えっ、ちょっ、待っ!」
「落ち着け、いいから、落ち着け」
ワタワタとし始めた私を、ツバサくんがなだめる。
いやいやいやいや、だって無理だよ、事件だよ!
だって。
「私、幼児に手は出せない!!」
しーーーーーーん。
へ? 私なにか間違った?
きょろきょろと辺りを見回す私。
盛大なため息を吐くツバサくん。
なにを考えているか分からないけど、ふわふわ浮遊しているまぁちゃん。
この構図、なに?
「ちょっと待て、俺に手は出すな。そして、リンゴを幸せにするのは俺の方だ」
「は、はぁ…」
と、言われましても。
まったく意味が分からないんですけど。
「はーい! まぁちゃんもお手伝いするですー!」
まぁちゃんは持っている黄色い物体を振り回しながら、もう片方の手を挙げる。
「お前は黙ってろ、ぬいぐるみ」
「ムキーッ! おこですよー!」
ぶしつけな態度のツバサくんに対して、まぁちゃんは柔らかそうな手で、ツバサくんの頭をポカポカ殴り始めた。
でも、全然痛くなさそう。
というか、この子が混ざると、話が余計ややこしくなって、混乱が増す。
私としても、少し黙っててほしい――とは言えず。
「私を、幸せにするってどういうこと?」
とにかく冷静に、確認しなくてはいけないことを、ツバサくんに尋ねる。
どうにか話を本題に戻そうとする質問に、あらためてツバサくんは私に向き直る。
「リンゴ、お前はその本に選ばれた。お前には、幸せになる権利が与えられた」
その本、と言って指差したのは、私が図書館から持って来てしまった白紙の絵本。
この本は、ただの本じゃないのだろうか。
「その手伝いをするのが、俺の役目だ」
「ツバサくんは、この本の精霊…?」
その発想は、本の読みすぎだろうか。
よくある物語のテンプレートのような展開に、咄嗟にそんな言葉が頭をよぎって、そのまま声に出していた。
「少し違うが…まぁ、リンゴがそう思うのなら、そう捉えてもらっても構わない」
構わない、とかじゃなくて。
本当はなんなのか、その説明が欲しいんだけど。
上手く伝わらないな、どう伝えたらいいんだろう。そう思った時。
『――林檎には、僕の気持ちは分からないよ』
そう言ったのは、誰だったっけ?
ふと、頭の中に過去の残像がよぎった。
以前、付き合った人の気持ちが分からなくて、そう言われたことがある。
――でも、説明してくれなきゃ、一生分からないままだよ。
なにも話してくれないのに、人の気持ちを推し量るなんて、私には無理だ。
経験値が足りなさすぎる。
思わず下を向いて考え込んでしまう。
なんで私は、上手く立ち回れないのだろう、人の気持ちが分からないのだろう。
「…ゴ、リンゴ」
なるべく気にしないように気を付けていても、ふとした瞬間に落ち込みやすいこの性格は、年齢を重ねるごとに酷くなって行ってる気がする。
名前を呼ばれてハッとして前を向くと、ツバサくんが私の顔を覗き込んでいた。
「へ? あ、私…」
「大丈夫だ、そういう意味じゃない」
分かったような口調で、ツバサくんは言った。
大丈夫って、なにが?
「リンゴの好きなように考えていい、という意味で、お前のことを俺が見捨てた訳じゃない」
ツバサくんは、私のなにを知っているのだろうか。初めて会ったのに。
きょとんとする私を見て、弱ったな、とツバサくんは頭を掻いた。
「すまない、こういうのは苦手なんだ」
こういうの、というのは女性の扱い、ってこと?
あぁ、この人は言葉はきついけれど、そんなに怖い人ではないのかもしれない。
なんとなくそんな気がして、そう思ったら嬉しくなって自然と涙がこぼれた。
「……ありがとう、ツバサくん」
「ちょっ、泣くなよ、おい」
人と深く関わるのは苦手だ。私には向いていない作業なのだ。
いつからかそう思って、線引きして生きてきた。
人の気持ちが分からないのなら、最初から関わらなければいい。
その方が楽で。本を読むことでその世界に入り込めば入り込むほど、そっちの方が楽なことに気づいて。
だって、本の世界の人達は、私のことを悪く言ったりしないもの。だから逆に、私がその人達を傷つける心配もない。
でもその線を超えてこようとしている人が、今、目の前にいる。
泣くとは思ってなかったのだろう、ツバサくんは明らかに動揺している。
「ツバサくん、泣かしたのですかー? 悪い子は、まぁちゃんが減点しますですよー!」
「いや、これは俺のせいじゃないだろ?!」
しばらく黙って宙をふわふわ飛んでいたまぁちゃんが突然会話に入ってきて、思わず笑ってしまう。
「まぁちゃん、ありがとう。大丈夫だよ」
私は二人にそう答えると、涙を拭いて立ち上がった。