魚にくわしい漁師さん
8
ミジガの家を後にしてから何件か留守の家を配達し、メルルーサは改めてメモを確認した。
「次はメジさんか……ってあれメジさんかな?」
メジの家に届けようと思ったが、桟橋の途中で彼らしき姿を見つけた。
壺やら木箱をたくさん積んだ小舟を漕ぐ屈強な男。この島で漁師の仕事に就くメジである。どうやら今は小舟に乗せた魚をそれぞれの家に売りに出ているところのようだ。
「メージさ~ん」
大きな声で呼ぶとメジは反応し、オールで漕いで寄ってきた。
所々白い毛の混じる濃い灰色の髪に無精髭。酒の飲み過ぎで若干中年太り気味だが、毎日の力仕事のおかげで腕を中心に筋肉がついている。
メジは豪快に「がはは」と笑うとメルルーサに挨拶した。
「よう、メルちゃんじゃねぇか。学校はどうしたんだ?」
「もう卒業して今日からお仕事だよ」
「あんな小せかったメルがもう仕事かぁ。くぅ涙が出てきちまう」
メジはわざとらしく目尻の当たりを擦った。
「えへへ、やめてよメジさん。メジさんの方は魚を売ってるところ?」
「ああ、そうさ」
メルルーサがしゃがみ込んでメジの小舟を覗き込むと、縦向きに半分に切られた樽の中に色とりどり、大小さまざまな形の魚が入れられていた。
中でも彼女が目を留めたのは、青緑のサンゴ礁のような色の大きな魚だった。メルルーサの腕ほどの長さがあるその魚を指差して問う。
「これすごく綺麗な魚だね。何て言う名前なの?」
「イアガってやつだ。煮て食べると抜群なんだぜ」
「へえ」
「お、買うかい?」
「ううん、今お仕事中だからまたにするよ」
「がははは、そうか!」
メジは快活な笑い声を上げ、ふと気になったころを訊ねる。
「ところでメルちゃん、仕事は何に就いたんだ?」
「郵便局だよ」
「へえ郵便局か! 大変だと思うけど頑張れよ。そんでパルトネは?」
「パルトネはトリトンって人」
「ん、トリーか。そいやあいつ、前のパルトネが長期休暇に入るとか言っていたな」
「メジさん知ってるの? トリトンのこと」
「がははは、この島の漁師だかんな。大抵のやつとはほぼ毎日顔合わしてらぁ」
毎日会うといってもトリトンのように不愛想な人と親しくなるのはなかなか困難だ。
それでもメジは誰にでもフランクに接するため、この島で一番顔が広い人間と言っても過言ではないだろう。
メジは腕組みをして難しい顔になった。
「あいつはちょっと気難しいところがあるやつだが、決して悪いやつじゃねぇ。まあ、そっちも頑張んな」
メルルーサはトリトンの性格のことを気難しいの一言では言い表せないほど性悪だと認識していたが、メジが悪い奴じゃないと言う以上その言葉を信じていいのだろう。
彼女はにやりと笑った。
「言われなくてももちろん頑張るよ! 頑張ったら大陸に行けるかもだし!」
「何かよく分からねぇがその意気だ! 頑張んな!」
そう言って親指を突き立ててきたメジにメルルーサも同じように返す。
それから彼に声を掛けた理由を思い出して肩掛け鞄を探った。
「あ、メジさん。はいこれ」
鞄から出した手紙をメジに差し出す。
「おう、あんがとよ」
「あでも、お家の方がよかった?」
「いんや、直接で助かったぜ。まあ普段は家の方でいいんだがな、がははは」
メジはニッと歯を見せて笑い、小舟を漕いで桟橋を離れていった。
◆◇◆◇◆
その後もメルルーサは駆け足で配達を行い、夕方になる前に郵便局に戻ることができた。
「ただいまー」
「メルルーサ!」
彼女を出迎えたのは眉を吊り上げ、鬼のような形相のトリトンだった。
「わぁ! な、なにトリトン!?」
メルルーサは驚いて一歩退いた。
「いや、あの……えっとな」
しかし、メルルーサをその目に捉えたトリトンも動揺。
なぜなら、その彼女の恰好は外出前とは違ってかなりの薄着姿だったからである。上着を脱いで肩が露わになり、ズボンもぎりぎりまで折って短くしている。
配達中暑く、走るのにもわずらわしいため上着を脱いでしまったのだ。その上、流れ出る汗を乾かすため、服をパタパタと仰いでいる。
服が持ち上げられるたびに胸元の際どいところまで見えてしまいそうになり、思わずトリトンは目を逸らした。
しかしすぐに彼は、たった今自分が言おうとしていたことを思い出し、改めて怒りの表情を作ってメルルーサを睨む。
今日一番の怖さを誇る彼の表情と怒気に、思わずメルルーサは身を竦ませた。
「お前が配った手紙、別の人宛のものが届いたってそこかしこから報告が届いてる! というより合ってるのが一個もなかったぞ! 逆にどうやったんだよ!」
「どうって……普通に……」
「手紙の仕分けも配達もできない……お前それでよく郵便局員になろうと思ったなっ!」
「べ、別になりたくてなったわけじゃ……」
言ってから、しまったと思った。
トリトンの目が一気に激しい怒りに包まれたのである。
「なりたくなかったからって適当にやっていい理由になるわけないだろ」
「そう……だけど」
「メルルーサ、間違いなくお前は最悪のパルトネだ!」
最悪のパルトネだ、という言葉にメルルーサはちくりと胸が痛んだ。
また失敗をしてしまった自分が憎い。失敗続きで悔しい。
怒られたショックよりも、何もまともにできない自分に腹が立った。
「メルルーサ、今すぐ急いで正してこい!」
「う、うん……っ!」
トリトンの怒鳴り声にメルルーサは考えるのをやめ、郵便局を飛び出していく。
その背中に付け加えるようにして彼は叫んだ。
「あと! 少しは人の目を気にしろっ!」
その後は郵便局総動員で取り掛かったため、どうにか暗くなる頃にはすべてを修正し終えることができた。
けれども、配達し直している間もそれからの仕事中も、メルルーサはずっと涙が出そうな想いだった。