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ようこそ西ネイコ島郵便局へ  作者: 烏川さいか
第一章 間違いなくお前は最悪のパルトネだ
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今日からおしごと


4



 窓から朝日が差し込む木造りの小さな部屋。


 そこは微かな波の音と、ゆっくりとテンポを刻む寝息以外は何も聞こえないほど静かな部屋だった。


 目立つ家具といえば本棚と衣装箪笥、姿見、勉強机、窓際のベッド。あとは部屋の至る所にガラクタのようなものが散乱している。


 本棚の半分は本ではなく、砂や種の入った小瓶が並ぶ。箪笥の上や床にも空の酒瓶や錆びた鎖など、どう見てもゴミばかりが転がっていた。それらはすべて、この部屋に暮らす少女が幼い頃から集めた大陸にまつわるものたちである。


 ベッドの上では、ブランケットにくるまってメルルーサが穏やかな表情でよだれを垂らして眠っていた。


「メルー、起きなさーい!」


 隣の部屋から響いてきたメルルーサの母の叫び声。


 しかし、彼女は寝返りを打っただけで一向に起きる気配を見せない。


「メル、下の2人はもう学校に行ったわよ! 早く起きないと遅刻しちゃうわよーっ!」


 二度目の声はもっと大きかった。


「あうっ、そうだった!?」


 メルルーサはお尻を叩かれたような勢いで飛び起きた。


 声の大きさというよりも、遅刻というワードが彼女を叩き起こしたようである。


 急いで姿見の前で学校の制服に着替え、居間で母親が用意した朝食を口の中に押し込み、玄関の戸に手を掛ける。


「ちょっと待ちなさい」


 後ろから母に呼び止められた。


 彼女は娘と目鼻のつくりがそっくりで、少し恰幅のよい初老の夫人だ。


 なぜ呼び止められたのかメルルーサにはすぐに分かった。だから急いでいながらも笑顔で母に振り向く。


「お母さん、行ってきます!」


「うん、行ってらっしゃい!」


 気合を注入するようにバシッと肩を叩く母。


「うぐっ」


 愛の込められた一撃に、詰め込んだ朝食が飛び出るかとも思われたが、ぎりぎりのところで耐え、メルルーサは外に出た。


 その瞬間、潮の香りと温かな陽光が彼女を包み込む。


 扉を開けた先には桟橋があり、そのすぐ向こう側には海が広がっている。


 メルルーサは深呼吸をして「よし!」と言うと、大きく一歩を踏み出した。


 遅刻寸前の彼女は桟橋を足早に駆けていく。すると、褐色の肌をした島民たちがすれ違いざまに挨拶をしてくれた。


「おはようメルちゃん!」「今日も元気だな、メルちゃん」「おはようさん」


「みんなおはよー!」


 メルルーサは挨拶を返しながら、ペースを落とさず走り切り、ヴィラが立ち並ぶ区域の中央へと到着。そこには、ある二階建ての建物があった。


 周囲の他の建物よりも二回りも三回りも大きな木造建築。


 この島の子どもたち皆が通う学校だ。


「セーフ! ……って、ん?」


 しかし、直後メルルーサは強い違和感を覚えた。


 自分が今日来るべき場所はここだったのか? 自分はつい先日ここを卒業しなかったか? 自分は今日から仕事だったのでないか?


 寝ぼけていた頭がゆっくりと覚醒していく。そしてメルルーサは冷たい井戸水を掛けられたように肩を震わせた。


「違うじゃん!」


 彼女は青ざめた顔で再度猛進し、来た道を戻った。


 走ったことで汗を掻いたが、それとは別の汗も額から吹き出てくる。


「えっと……郵便局は、たぶんこっち!」


 普段利用することのない郵便局の場所に戸惑う。その上、朝で人の往来が激しく、通り抜けづらくあった。


 しかし、一度道を間違えて引き返しながらも、どうにか辿り着くことができた。


 郵便局は、島から一番遠いところにあり、他の建物とほとんど同じデザインの建物だった。木造で、草や葉を被せた屋根。正面のドア横にはポストが置いてある。


 メルルーサはドアを開けて声を張り上げる。


「おはようございます! 今日から働くことになったメルルーサで……って、あれ?」


 挨拶が虚しく響いた。郵便局内には誰の姿も見えず静まり返っていたのだ。


 カウンターとその奥の書類棚。右側にはもう一つ部屋があるようだが、そこにも人の気配はなし。


 遅刻を覚悟していたが、案外そうでもなかったのかとメルルーサが思い始めた時――


「遅刻だ!」


 ――そんな声とともに彼女の頭に衝撃が走った。瞼の裏側で星がチカチカする。


 メルルーサは頭を庇うようにして振り返った。


 そこには制服姿の青年が立っていた。恐らく彼がチョップしたのだろう。


 身長はメルルーサより頭一つ分大きく、細くて筋肉質な体形をしている。褐色の肌で灰色のボサボサ髪。群青色の少し鋭い瞳が特徴的だった。年齢は19歳か20歳くらいだろうか。紺色のシャツに青いズボン、首には赤いスカーフ巻いている制服姿だ。


 その服装から察して、恐らくここの郵便局員だとメルルーサは思った。


 彼女は頭を摩りながらすぐさま謝る。


「あ、えっと、ごめんなさい」


 けれども青年は特に反応することもなく、無表情のまま彼女の肌を見つめて独り言のように呟いた。


「ん、白い肌……ラーロルか」


「むぅ、久しぶりにそう呼ばれた」


 青年の言葉に、メルルーサは不快感を露わにした。


 ラーロルとはこの地域で“死んで白化したサンゴ“を意味するが、この時ばかりはそういう意味で使われていない。


 この辺りの人々は、赤ん坊の時はある程度肌が白いのだが、日光を遮るものが少ないため日焼けしてすぐに褐色の肌になる。しかしどういうわけか、ごく一部の人は――メルルーサも含め――どんなに日光を浴びても白い肌のままという特質をもって生まれることがある。


 そのような人々はラーロルと呼ばれ、今では少なくなったものの差別的扱いを受けることがあるのだ。


 なぜ日焼けをしないのか原因は不明だが、一説には大陸の方の血が関係しているのではないかと言われている。


 メルルーサは足を踏まんばかりに青年との距離を詰め、眉を吊り上げて激昂した。


「言っておきますけどね、ラーロルだろうとちゃんと文字書けるし舟漕ぎだってできるんだからねっ! ヨットの操縦とか得意だし! あとラーロルは確かに少し肌が弱いけど、だからって特別扱いとかやめてよねっ! そういうの、すっごく腹が立つから!!」


「俺の友人にもラーロルがいるからそれは知ってる。それよりなんだその恰好は?」


 青年は表情一つ変えずにそう言って、彼女の服装を上から下まで見つめた。


「え、なんだって……」


 突然の話題転換に、怒りの表情のままメルルーサは自分自身を見下ろす。


 誰がどう見ても学校の制服。といっても、ついさっきまで彼女は今日が学校だと誤解していたのだから仕方あるまい。


「あ、これ間違えちゃって……あははは~」


 メルルーサは恥ずかしさのあまり怒りを忘れ、頭の後ろを掻いて苦笑する。

 けれども青年はそれを無視して郵便局内に入り、カウンターの上に置かれた服をメルルーサに投げてきた。


「うおわっ」


 落としかけてなんとかキャッチ。


「急いでこれに着替えろ。屋根裏を使っていいから五分以内に戻ってこい。そうしたらすぐに仕事だ」


 それだけ言い残し、青年は書類棚の向こう側へと消えてしまった。


 取り残されたメルルーサは呆然と立ち尽くしたまま、青年がいた場所を見つめた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。


「なんか冷たそうな人……」


 ぼやきつつメルルーサは、ぎしぎしと一歩一歩音を鳴らしながら階段を上り、薄暗い屋根裏へと上がった。



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