さよなら青春
1
数々の島を抱えるナルタ諸島。
その一部であるネイコ群島の西側にぽつり、西ネイコ島という小さな島がある。
長く尾を引いた彗星のような形をし、徒歩でも一周あたり一時間足らず。その島の中央には熱帯性植物に囲まれて小さな学校が建っている。
全校生徒は九学年すべてを合わせても約90人、かろうじて二階建てながらも教室は三つしかない。一つの教室に三学年が入れられ、順番に授業を行うような本当に小規模の学校だ。
そして本日、その学校の最上級生が卒業を迎える。
故に、二階東側の教室の中は浮ついた空気に満ちていた。
普段生徒は、白いシャツに灰色のリボン、緑色の無地のプリーツスカートという西ネイコ島学校の制服姿だが、今日だけは卒業式のため胸に鮮やかな羽飾りが付けてある。
「はぁ……」
しかし、十名の生徒の中で唯一、どんよりとした雰囲気と共に机にへたり込む女の子がいた。
その子の名前はメルルーサ・オルヴェリ。生まれながらこの小島に住む15歳だ。ぴょんと両サイドに結んだ明るい色のツーサイドアップが特徴的で――この地域では珍しく真っ白の肌をしている。
「こら、メル。今日で卒業なんだから、そんな辛気臭いため息吐かないの」
メルルーサの正面に立ってお姉さん口調で叱ったのは、ローズアイランド・ジュメイラ。メルルーサと親友の女の子である。健康的に焼けた肌をしており、黒い髪を編み込んで片側に垂らしている。スレンダーなメルルーサとは対照的にメリハリのある体付きだ。
「だってぇ~ロゼ~」
メルルーサは少しだけ顔を起こしてローズアイランドに駄々をこねるように声を漏らした。
「まだ結果が出たわけじゃないんでしょ?」
「そうだけど……絶対に無理だもん。卒業試験はネイコ地区73人中32位だったし……」
その順位を聞いた途端、ローズアイランドの顔が目に見えて青ざめた。
ナルタ諸島では、学校卒業と同時に仕事に就く決まり事となっている。卒業より少し前に試験を受け、地域ごとその成績順に従って仕事を選ぶ権利が与えられる仕組みだ。それは古くからずっと続けられてきたことであり、誰もが通ってきた道である。
そして今日は自分がどの仕事に就くことになるのか分かる日で、卒業生は順番に担任に呼び出されて結果を聞かされているところだった。
「えーと……いつも最下位付近のメルにしては快挙な成績だけど、なりたい職業って外交人か貿易商だったっけ?」
「うん……」
「人気で言えばどっちも五本の指に入るくらいだし……これはもうシトゥ神様にお祈りするしかないわね……」
「うぅ……」
メルルーサがまたも力なく机に突っ伏した。
それを見たローズアイランドは、しまったと言わんばかりに苦い顔をし、どうにか彼女を元気づけようとする。
「で、でもよく頑張ったじゃない。一学年の時からずっと成績底辺だったメルが32位だなんて。真ん中より上よ。快挙よ!」
「でもそれじゃ意味ないもん……」
「ああえと、あの夢が叶わないから?」
「うん、そう。昔からずっと叶えたいと思ってたあの夢――大陸に行きたいって夢」
メルルーサという少女は、小さい頃から少し変わっていた。
浜に流れ着いたコルクを集めたり、道端に落ちていたネジを何種類も拾ってきたり、どこかのヨットに忍び込んだかと思えば捨てられていた食品包装紙を盗んだり。普通の子どもがするような遊びもしつつ、ちょっと変わった物を収集していた。
けれども収集物には一つの共通点があった。
――それは、どれも“大陸渡り“だということである。
大陸はこの島とは比べものにならないほど発展し、魔法のような道具に囲まれて大勢の人が生活しているという。そのことは時々貿易船が積んでくる物資の美しさや便利さから誰もが容易に伺えた。そのような品のことを“大陸渡り”と呼んでいる。
しかし、大陸は遥か遠くにあり、行くには費用も時間もがかかりすぎるため並の人では足を踏み入れたことすらない。それゆえ本当にあるのか怪しむ人まで少数ながらいるほどだ。
メルルーサは幼い頃からその地に憧れていた。取りつかれたように大陸由来のものを集めて調べるほどに。
「メルったら一年に一度近くまで来る大陸船に乗り込んでちょっとした騒ぎにもなってたもんね~。あ、ねえ、大陸に行きたいってだけなら他の仕事じゃダメなの?」
「もちろん先生に訊いてみたけど、遠いところに行って仕事するのはその二つだけで、他にはたぶんないって……」
「そっか……」
二人は暗い顔でため息を吐いた。
「次、メルの番だぜー!」
そこに教室に入ってきた褐色の肌の男子生徒から呼び出しがかかる。
「ほら次メルの番だよ。何はともあれ気合入れて行ってき、な!」
「いたっ」
言葉の最後にローズアイランドはメルルーサの背中をバシッと叩いた。
その勢いで思わずメルルーサは椅子から立ち上がる。
「もうわかったよぉ……」
猫背で陰気な顔付きのままメルルーサはのろのろと教室を後にした。それから階段を下りてすぐにある教員室に入る。
「失礼しまーす」
教員室は教室に比べると手狭だった。教員用のやや大きめの机が四つ突き合わせてあるだけでもういっぱいといった具合だ。四つの机はそれぞれ誰かが暴れたのかのように本や書類が散らかっているものから、誰も使っていないと思わせるほど整理されたものまで個性がよく表れていた。
その中でもひときわ散らかった机の隣に二十代の女性が座っていた。褐色の肌で眼鏡をかけており、黒い髪をお団子にまとめている。少し頼りなさげな目が印象的だ。
それはメルルーサの担当教師だった。
どうやら他の教員は出払っているようである。
「メルさん、ここ座って」
先生に指示され、メルルーサは彼女の目の前に置かれた椅子に腰かける。
そんなメルルーサの挙動は、これから仕事が決められる人間にしては異様に落ち着いていた。
「あれ、緊張してないんですね?」
先生に訊ねられ、メルルーサが拗ねたような目で返した。
「緊張する理由がどこにあるの」
「そうですよね……」
先生はもちろんメルルーサの希望職種や卒業試験の成績について知っている。初めてメルルーサが夢について打ち明けた日からずっと一緒に勉強を頑張ってきただけに、この結果は先生にとっても後悔が残るものとなってしまった。
「ごほん……それでも、結果は出てしまったのでもう変えられません。心して聞いてください」
先生は涙が出そうになるのを堪え、気丈に振舞って見せた。そして告げる。メルルーサが何の仕事に就くことになるのかを。
「メルルーサさん、あなたに与えられたお仕事は――」
無意識にメルルーサはシャツの胸口から懐中時計を取り出して握った。くすんだ金色のそれは、彼女がいつも身に着けているお守りのようなものである。
メルルーサは自らの順位も希望の職の人気度も知っている。だからどう考えても絶望的なのだが、どうしても祈らずにはいられなかった。
今年だけ、あの二つの職業が人気がなかったかもしれない。もしくは偶然、成績上位者が皆辞退したかもしれない。そんな希望的観測さえ抱いてしまった。
そしてぎゅっと目を瞑り、先生からの言葉を待つ。
「――あなたのお仕事は、この西ネイコ島における郵便局員です」