GENE7-5.touch off
彼女は今日も生首で遊びます。色鮮やかな秋の頃で、窓辺からは陽に当たった、肺の底から人を落ち着かせてくれる空気が流れ込みます。一緒に華やかな音楽が室内を満たします。
ロワナシア大陸の内陸部は、湿気のない安定した気候でした。空の青さも極まって、一年で一番、陽気な、お昼過ぎの時刻です。窓の外のメインストリートでは、黄色の紙吹雪が舞い散って、今日が特別な日であることを知らせます。
ここはゴルド帝国の首都リオンです。晴れの日にピッタリの、年に一度のお祭りの日でもありました。通りのパレードが更に彼女をつまらなくさせました。
「私、気に入ってるんです。ここのお祭り。だって皮肉だと思いませんか?」
それは生者のための精霊祭と呼ばれる伝統的なお祭りでした。家族の、親友の、大切な人の死を悼む、盛大に騒ぐ三日間なのでした。
「なんでそんなこと言うのかって?」
そこは街の中心部にある雑居ビル。中央駅から徒歩15分の、歴史ある石造りの建物が並ぶ通りにありました。四階のフロアは、足の踏み場がないほどに、血で真っ赤に染まっておりました。彼女はそのまま、誰かに話しかけるような独り言を続けます。頬には血飛沫がこびり付いています。シルエラは拭わずに彼を見つめました。
「知らないほうがいいですよ」
天井から血が一滴垂れました。
足元には6体の死体と5つの頭が転がっていて、皆、軍服を着ておりました。全て首元から頭部がちぎり取られています。そして、彼らは、腐りかけの菜っ葉のように、しなびておりました。大人六人分の血液で室内は赤く染まっておりました。まるで彼女が血を搾り取って、几帳面に塗りたくったようでした。
部屋一番豪華な机の上に、シルエラは腰かけていました。真っ赤なマフラーが似合っています。元から赤くなったのか、惨劇の後に赤くなったのかは分かりません。
膝の上には、口元に白髪交じりの髭を蓄えた、壮年の男性の頭部を乗せておりました。彼女はまるでぬいぐるみのように、彼の髪を撫でています。
「……」
「あらあらあらあら、もう終わりですか」
男の頭部は白目を向いておりました。口が半開きになって、喋りようがありません。舌がダラリと垂れて、部屋には外の軽快なリズムが流れ込んで残るだけでした。
シルエラは片手を頭部に置いたまま、残念そうに頬を膨らませます。どうやら彼は充電切れのようで、一言も喋りません。しかし、彼女は諦めません。常日頃から、自分が欲しいと思うものがなければ、自分で創造するしかないと、自給自足を心がけています。彼女は、実は至ってまじめな性格なのです。
「ふふっ」
彼女が両手を掲げると、電気状のエネルギーが手のひらから放出を開始します。ストロボライトが連写されたかのように瞬いて、彼女はその両手を膝上の頭部の、耳から数センチ離れた位置にまで近づけました。
数百の静電気が炸裂したような、連続音が繰り返されます。
その真っ白な力を注ぎ込み、彼女は生き返って欲しいと、精一杯の気持ちを込めました。しかし、返ってきた反応は全く真逆の拒絶反応でした。
「やめてくれえええ、くぉろして! 殺してくへ!」
「ええ!? だーめですよ、どこまで話しましたっけ? あ、聞きたいことまだ全部答えてもらってないですよ。 ね? 話してよ。ねぇ話して? 機関〈アナタタチ〉は何がしたいの?」
「すらない! ほんとに知らないいん!!」
「またそんなこと言ってー」
「知らぬいんだよ!!」
男性は眼球から白い蒸気をあげて、辿々しい言葉で力の限り叫びます。街の騒ぎに掻き消されて、誰も気づくことはありません。ヒューヒューという空気音を切断面の空洞から鳴らし、一見彼がどうして生きているのか全くもってわかりません。事実その男もわかっていないようでした。そもそも生きているかどうかさえ、不確かです。
沸騰しかけている血流が抑えきれなかったのでしょう、彼の右目がポンと、シャンパンのコルクのように飛び出します。
「おっと、危ない」
シルエラは慌てて右手を突き出して、眼球をジグソーパズルのように嵌め込みます。視界を失うことも許されませんでした。彼女が念じたように、目玉は元通りに修復されました。
「あっぎゃっ――なにがっ」
「楽しいですね楽しいですね」
無邪気な声に対して、男性に生じたのは快楽とは全く反対の感情でした。
エネルギーを注がれて生き返る前から、彼女に耳元で囁かれる言葉は、聞きたくないものばかりでした。彼女は身じろぎ一つできない男の前で、彼の部下を一人一人に「お願い」をしました。
彼女の言葉を聞いた結果が、この赤く染まった部屋なのです。
しかし、腕も、その体すら切り離されているのですから、耳を塞ぐことすら出来ません。
「ああそうだ、ねぇおじさん――娘さん。名前は確か、アンナ――だったかな?」
男の息が止まります。恐怖心が固まって、一瞬だけ遅れて、大量の疑問が吹き出します。彼女の口から自分の娘の名前が飛び出すことを、全くもって予想していませんでした。
「うふふふっ」
彼女は押し黙って男の後頭部を眺めていました。口を閉じている時間に比例して、彼の怒りと殺意が高まります。口を開けて噛みつくように吠えました。
「あああああああああ!!!!?」
「明日会う予定だったんでしょう? 毎年恒例なんだってネ」
「なんでだ!? だからっなんでお前がっ名前を知ってるんだ!!?」
「だってあの子にここを教えてもらったんだから。お医者さんになりたいんですってね」
「やめろっ!! 聞きたくない!! やめてくれ!!」
「やめると思います?」
シルエラは男の首を持ち上げて、頬をずるりと舐めました。
「可愛らしい子だったよーとても――美味しかった」
「ああがっ!??」
彼の耳元で、シルエラの楽天的な声がナイフのように冷たくなります。切れ味のある言葉を聞いた瞬間に、彼の瞳孔が拡縮して、再度目玉が飛び出しそうになりました。振り返って睨みつけようにも、彼には首がありません。
「あああがっ!?? なんで!!? お前!! 何をした!!?? ふざけっるんあ!? ころっ――ころろ――」
「あーあ、もう充電切れ? 持ちが悪いね、不良品だ。もうさよならだ。あははっははっ」
「ころっ――ろ!?」
そして、彼はまた電池が切れてしまいました。そして、今日一番の満足した表情を浮かべます。シルエラは顔をあげて、そのしなだれた髪を指先で整えました。感情のない岩のような表情でした。
もう食事の時間は終わりです。食べかすを乱暴に部屋に投げ捨てました。
彼女は憂鬱気に、顔をぐるりと動かして、近づいてくる足音に次の狙いを定めました。自分勝手な瞳でした。近付いてくるもの全て、余すところなく、骨までしゃぶりつくしてしまうような、貪欲な笑顔です。ただ、どこかしら、作り笑いのように見えました。
そこに現れたのは保存食のルカでした。彼は使える金銭や食料、武器をパックパックに詰め込んで、シルエラの元に帰って来たのです。真っ赤になった部屋と、足元に落ちている、両目が孔になっている頭を見ても、顔色ひとつ変えませんでした。
目玉が飛び出した眼窩には、冷ややかな暗闇が広がっています。
「何羨ましそうに見てるの? 変態さん」
「えっと、僕そんな顔だった?」
「ええ、とってもね。でも貴方は最後。最後なの。ねぇ、ルカ。ミスターは?」
「彼はずっとそこにいるじゃないか」
「あらほんと」
シルエラが振り返ると指を咥えた子猿が、窓枠に座っておりました。その体毛は黒く、ところどころ剥げております。その存在は不安定で、通りの一般人が窓ガラスに付着した汚れかと思ってしまうほどでした。
よし、と彼女は一息ついて机の上から飛び降りました。血だまりはねっとりと波打ちます。
「ねぇ、ミスター。待たせたね。全部燃やしていいよ。それが貴方の願いなんだから」
シルエラが言い終わるよりも前に、小猿の体毛から真っ黒な炎が吹き出します。火の粉が壁に、カーテンに天井に燃え移り、10秒足らずで室内は黒い炎の海になりました。二人と一匹は燃えるアパートから外に出ます。真昼間の火事は隣接するビルに燃え移り、ストリートのパレードをさらに大きく騒ぎ立てます。
子猿が外をずっと見ていたのは、誰を燃やそうか悩んでいたからなのでしょう、パレードが導火線のように燃えていきます。
「もっと燃やしたいでしょ? 私がとても素敵な舞台を用意してあげるから」
黒目がちな瞳が彼女を見上げ、シルエラは首を小さくかしげてウインクをしました。
「楽しみにしてね。でもそのためには準備が大切なの」
散っていく灰を尻目に、彼女は火炎と共に駅に向かいます。人混みが少ないのは、凄まじい火力で一瞬でヒトがボロボロと崩れていくからでした。彼女たちは、二人と一匹の隙間を通り抜けて、中央駅の改札を通り列車に乗りました。
彼女達が向かうのは帝国の東の端、雨のとして有名なレーゲンが終着駅でした。彼女の旅はもうそろそろ終わりでし。そして、その列車はその日の最終列車となってしまいました。
列車も先ほどの生首と同様に、何故動いているのか不思議な有様でした。天井は剥がれ、乗客は焼失して、彼女達以外に乗っている人間はいません。黒煙と黒い火炎をまき散らしています。使用したマッチ棒のほうがまだ形を維持しています。
しかし、車輪は駆動します。
絶叫のような汽笛が鳴りました。
「ミスター、もう大丈夫」
シルエラが自分たち以外に誰もいないことを確認すると、列車の炎が薄まって、元の形状に修復されていきます。二人と一匹は4人掛けのボックス席に座っていて、ルカは窓側の席でした。ほとんど無人の列車は彼女たちを乗せて東進します。
ルカは車窓から帝国の都市から黒煙が立ち上がってるのが見えました。帝都は、時間が巻き戻されることなく、炎に飲み込まれています。また物欲しそうな瞳になっているのを、ガラスの反射で気づきました。
久しぶりです。生きてます。