GENE7-4.華やかな当日part2
宴会場に一人と一匹が辿り着くと、誰よりも先に彼女が飛びかかるように現れた。普段の何倍よりも素早い体さばきで、背後に一瞬で移動した彼女に、フィンは抱きつかれ、そのまま地面に倒されてしまった。
「うぐっ!?」
「フィン君にレイちゃんも! こっちこっち! 遅いよー」
「アルル、まさかお酒飲んでないよね?」
「飲んでない、飲んでないよー! ジュースしか飲んでないから! なんでかな。みんなに止められるんだよね」
「あー、ならいいんだ」
今の彼女には全くもって勝てる気がしなかった。フィンは会話を続けた状態でアルルに引っ張られる。まるで犬が投げた棒を加えて飼い主の元に走るようだった。レイの哀れみの視線が注がれて、彼は勝てる気がしないよと首を振った。
「私こんなこともできたの!」
鼻先を血のように紅い葉が掠める。それに目を奪われたフィンを見て、アルルは自慢げだった。この噎せ返るような秋の香りは彼女が生み出した世界なのだろう。フィンは不思議と寒気を感じなかった。
真っ赤な紅葉覆われて、空は一欠片すら見れない。紅蓮の絨毯の上に呉座が敷かれ、まるで花見でもしているようだ。落下する紅葉が臼緑の網目の上に滑り落ちる。隣接するテーブルの上に、豪勢な食事が敷き詰められ、数枚の紅葉が飾り付けられていた。宴会の会場の中心には、顔馴染みの面子が自由気ままに座り込んでいる。もちろん、そこにリサがいた。
「リサさん来ましたよ、最後の二人が」
「ふふん、ようやくこれで揃ったね!」
「リサ、とても機嫌が良さそうじゃない」と、うつ伏せに寝っ転がっているメアが呟く。収納能力がある彼女はイベントがある度に酷使され、今回も疲弊していた。顔を上げはしないが、うんざりとした表情なのが伺える。
「そりゃそうだよー! アルルがサプライズで準備してくれたんだよ。喜ばないわけないじゃない!」
敷物の上にフィンを呼び寄せ、リサは彼の腕をとって自らの膝の上に抱き寄せる。傍らにいるスーがジーっと見つめているが、リサは特段気にしていない。
「よくこんなところでご飯を食べれるね」
飲食するにしては少々五月蠅い環境である。日常的な光景でフィン達も慣れてはいたが、箱庭の怪物の小競り合いは全くもっておさまらない。悲鳴と共に生じた爆発で枝葉や丸太、飛んできた人形の破片を片手で払いのけ、流れ弾を弾き返しても、リサは涼しい顔をしたままだった。
「ふふふ、帰って来たって実感がわくよ」
木々が揺らいで、フィンに垂れかかるリサの髪の毛が火炎と爆風で横になびいた。大量の葉の濁流が舞い上がり、真っ赤な視界の中で宴会にふさわしい戦闘音。擦れる火花、散る葉の吹雪。この怪物達が騒ぐ光景を通りすがりの一般人が見たら戦場だと信じて疑わないだろう。言葉が通じても、通じなくても、暴力という肉体言語で血と歓喜が飛び交う、とても賑やかなお祭りの会場であった。
「でも騒がしさはいつも以上! 結構結構! でもみんな、じゃれあうのもほどほどにしてね! それにしても血気盛んね」
「集めたお姉様がいいますか」
湯飲みを置いて彼女は周囲を見回した。これまでリサやランが世界中から集めてきた魑魅魍魎どもが集結しているのだ。過去最大級の戦力が箱庭に集中し、その喧騒も過去最大であった。
どうしてこんなに数がいるのかと、スーは少し不満げに緑茶をすすっている。最後に視線はリサのぬいぐるみと化しているフィンに向いて、フィンはその羨望と殺気に気づかないようにしていた。
「ははは、なんかねー拾っちゃうんだよね」
「そんな野良猫みたいな!」
「あはは! 猫だなんて! みんな見ててハラハラしちゃうよ。どっきどきだね。私はこんなにも平和を願ってやまないのに」
「はははっ! 面白いのう。口にもないことを」
「師匠という反面教師がいますからね」
「ああ?」
「あーじゃれあわないでください。二人とも余り変わりませんよ」
それはひどいと、リサはフィンに抱きつくと、僕もそう思うと追い打ちを受ける。リサは口をへの字にして、真っ赤な頭上を見上げるしかなかった。
「それにしてもよく集まりましたねー」
「ほんとね、スー。みんな元気そうで良かったよ」
神の代理人に血を分け与えられた者も勢ぞろいである。
リサとフィンの正面で、黒犬のレイは前足に顎をのせてふて寝をしている。メアは彼をクッションにして食事を無心で食べていた。今の彼女はメガネが掛かっていないので、子供の彼女が表層に出ているのだろう。その眼鏡を今はアルルが掛けていた。
「ねぇねぇねぇねぇ、その眼鏡」
「どうしたの? アルル」
「メアちゃんから借りたの」
双子から問いかけられて、アルルは鼻を膨らませる。傍らにいたヴァンは呪いの眼鏡だと瞬時にさとって、元の持ち主であるランに視線を移す。彼女は似合うじゃないかと独り言を呟いて深く頷いていた。
「そもそも師匠とスーとこうしてご飯を食べるのは久しぶりじゃない?」
「あの屋敷以来じゃないですか? 師匠はこうして一緒にご飯を食べることはありませんから」
「屋敷?」と、フィンが疑問を浮かべると、リサは美しき過去の記憶を呼び覚ます。「そう! あの――」と、フィンの小さな問いかけようとして、リサの口角が上がって表情が凍り付いた。彼女は反射的に手元にいるフィンを力強く抱き締めてしまった。
「――私の地獄」
「あー! お姉さまの心的外傷が!」
「……死にたくないっ死にたくないよっ!」
「大丈夫! 大丈夫ですから!!」
「懐かしいのう。あの時は、妾も人と会うのは四百年ぶりでのー、鬱憤が貯まっておったからのー、だいぶ厳しく叩き込んだからのー」
「師匠、呑気に飲んでるんですか! やっぱり! あんな過酷な修行必要なかったじゃないんですか?」
「いやいや、スー。こうして酒が飲めるのもリサの、いや鍛えた妾のおかげじゃよ――おい、どうした、みんなこっちを見て」
もう!と、スーは頬を膨らませた。リサは過去の苦い記憶を頭の奥底に力の限り押し込めて、いつもの自分に強制的に再起動した。それまでどんな会話をしたのか無理やり忘れて、「師匠が姿を見せてるからです。珍しいんですよ」と微笑みながら師の疑問に回答する。
リサに解放された後も極度の引きこもり癖は治らず、突発的な脱走を繰り返すものの、ランはいつもは時計台に閉じこもっていた。時計台に入れる者もリサを含めて数人であり、箱庭の住民にとってはランは雲の上の存在であった。
リサもこうしてゆっくり、ランと会話するのは随分と久しぶりだった。当の本人は全く気にせず手元の熱燗を飲み干した。
「そんなことを言われてものう。姿はいつだって出せるわけじゃない。維持するのに精一杯で」
「それは信じられませんが。でも、姿を見せてくれた理由はおおよそわかります――ありがとうね! アルル」
「え、いや! そんな! 全然――」
突然のリサの感謝に戸惑いながら返事をする。アルルは引き籠りのランを引っ張り出しただけでなく、箱庭に集う人々を集め、会場のセッティングまで行ったのだ。黒々とした木々を僅かに残して中央の庭には見上げるほどの紅葉が溢れていた。彼女の能力、少女地獄は、自身の記憶を他人に刻み込ませる願いであったが、まさか外の季節を中に持ち込むとは、リサは予想していなかった。
「アルルに能力の使い方仕込んだのは、師匠ですか?」
「そうじゃよ。最もアルルから教えて欲しいと頼まれた。アイツの願いの根幹は、妾と同じ幻惑することじゃからのう。見せたいものが変わると、こうも変わる」
「こんな日もたまにはいいかもしれませんね」
「そうじゃのう」
それからの一時間は、アルル以外全員の予想を裏切って、本当に何もなかった。
台風の目のなかにいるように、いくつかの偶然が奇跡的に組合わさった時間なのかもしれない。
全体の総意として一致した結果ではないのに、ここまで一息をつけたのは、幾つかの者にとっては現場の不本意であったが、こんな時間もいいかもとリサは思ってしまった。どうせ殴り合いたいんでしょうと、思っていた自分を反省して、甘んじて今の幸福を味わってしまう。ランと目が合って苦笑いしてしまった。彼女も同じ気持ちなのだろう。
そして、一時間も経ったころだろうか。
とめどない肉の量も尽きてきて、一部甘噛みしあっていた怪物たちもリサに治療されて休憩中である。あれだけ連続していた爆発も途切れて戦闘が一度小休止したタイミングだった。
「リサさん、今日はですね。何かできればって先輩と相談したんです。ここは不必要な場所かもしれないけど、意味のある場所だって」
アルルが立ち上がると、会場が少しだけ静まった。興も乗って彼女リサに話し始めた。ランに似た、凛とした声が森の下に響き渡る。彼女は頬を恥ずかしそうに赤らめていた。周囲の者も耳を傾けながら彼女の挙動に注目する。
「私が生まれて今日が一番嬉しい日なんです。みんながいるから――って恥ずかしいですね。今日は――」
一面の赤が消えると、光の雪が降りだした。白色光の粒子がはらりはらりと落下する。幻想的な分解光が森一面に広がって、重力に沿ってゆっくりと落ちると共に小さな粒に分解されると、今度は霧散しながら上空へ吸い込まれるように消滅した。燃えるような秋の香りが収まって、黒々とした冬の夜空に切り替わった。
「記念日にしたかったんです」
そして、言葉を掻き消すように轟いたのは、強烈な光の爆発だった。リサは子供の頃、家族と観た花火を思い出してしまう。凍てついた空気を切り裂いたのは、彩りのある光だった。
「素敵ね、アルル。こんな落ち着いたのも、たまには良いかもしれない。ごめんね、私はまた馬鹿騒ぎするんだと思ってた」
彼女が準備していたのは紅葉だけではなかったのだ。この世界に潜む者は全て見たのだろう。会場の温度が最高潮に達して、仲の良い双子を先頭に、箱庭の面々がアルルに向かって飛びかかる。今度はアルルが驚かされる番だった。
「ねぇ、スー」
「なに? フィン君」
「アルル、酔ってない?」
「……でもジュースのボトルを持ってました――」
「あああああああああああああああああああ!!!」
アルルを囲んでいた面々がスー達の目の前まで吹き飛ばされてきた。俯いていたアルルの肩がピクリと動いて、一度止まったかと思うと顔をあげる。顔にピッチリと嵌め込まれた能面を見て、誰もが言葉を失った。
「ばっ!! 誰だ! 飲ませたのは!!」
「だってこっちの方が面白いじゃない!!!」
「今回はメアか!」
「こっちか!」
「みんな! 私が連れ出されてどんなに辛かったかしらないんでしょ!!! 同じ苦しみを味あえばいい!! 死ね!! みんな死ね!!」
酔っぱらいの金髪少女の叫びにスーは頭を抱えてしまった。状況を把握しようと目を走らせていた。常に注意を走らせていたのだ、傍らにいたヴァンも同様にである。原因を探っていた彼と目があって、メアがアルルに飲ませていたボトルに同時に見る。ワインのラベルにはランからの「頑張りなさい」と添え書きが刻まれていた。
「気づかせないように|偽装〈カモフラージュ〉してたのかっ! あの馬鹿やろうっ」とヴァンの嘆くがもう遅い。元凶であるランの姿は紅葉と共に消え去っていたのだ。
「またせたなああああああ!!」
「おい! 逃げろっ!!」
花火の挙動が変化して、打ち上がった光球がそのままアルルの周囲に降り注いだ。爆撃はそれまでの喧嘩と比べ物にならないほどの破壊力である。参加者はすっかりと忘れていたのだ。狩られるのが自分たちであったことを。先手を打たれ、火の海に囲まれて逃げ道はない。
「一体誰が生き残るのかなあああっあっはっーはーはー!」
能力を発動したアルルは常に上機嫌である。スーはどうしていつもこうなるのかとぼやきたくなってしまう。治療係のリサがまだ酔っていないことが幸いだった。
「ああ結局、こうなるんですね、お姉様?」
「そうねー? えへへへええええ」
「うそっ! お姉さま、いつの間に飲んでたんですか? ダメー! それ以上飲んだらダメー!」
ランがアルコールを飲ませていたのはアルルだけではなかったのだ。リサが抱えていた瓶の度数を見てスーが飛び上がる。人の目を盗み、誤魔化し、惑わし、幻惑するランの能力、|胡蝶之夢〈ドリームズカムトルゥー〉の真骨頂である。こんなタイミングで本領を発揮するなと、スーは強く物申したかった。
火炎の海原に怪物一人。そして立ち上がる神様の代理人、みんなが望んでやまない、時間がやってきてしまった。
「あんたらー! いい? かかって来なさい? 刺身にしてあげる。私に負けた人、罰ゲームね」と叫ぶ彼女は人よりも獣に近かった。火の爆撃に負けない透き通った声だった。
「おい、もっとやべえやつきたぞ!」「誰だ、酒飲ませたのは」「みんな! みんな!! 死んじゃえ!」「またメアか!?」「違う! 勝手に酔ったんだ!」「めんどくせえ!」と、口々に怒号が飛び交う。しかし、名前のない怪物達も、自制する側のスーでさえも、目は不思議と輝いているのだった。
「うふふ逃がさないんだから。みんな! 絶対に! ほら、人間花火だ!」
嘲るように笑っていたリサが手元のフィンの頭を鷲掴みにして、そらに向かって大きくフルスイングする。開幕の犠牲者は不運にもリサのすぐ側にいたフィンだった。
「フィン君!?」
黒焦げになったフィンが無表情で落下する。その惨劇を見て、今日の暴走は気を抜いたら命はないと、まだ理性が残っているものは確信した。
「私達も!!」
「ちょうどお腹が減ってたの!!」
「アルルが悪いんだ! 真っ赤なものを見せるから!! ほんとたまんない」
「ねえ誰かちょっと削らせてよ! ほんのちょっとでいいからさ!」
双子が手をつないで指を絡めると、黒光りする刃が地面から吹き出して、近くに立っている者たちを手当たり次第に串刺しにする。
そして、触発されて怪奇めいた笑い声をあげるのは双子達だけではない。ふて寝していたレイもぎらついた獣の瞳をちらつかせた。お酒に酔ったメアも袖の中から大量の爆発物を取り出して、あたり一面に愛想いい笑顔と一緒に振りまいた。鹿の角を持った老兵も、肉切包丁を取り出した食堂長も、裁縫道具を取り出した店長も、半身の双子も、怪奇な彼も、猟奇な彼女も皆、すべて、この時間を待っていたのだ。
「モア! 子供達も!」と叫ぶヴァンが、少数派である非戦闘員を集めて、能力藪の中を発動し、集まった彼らごとヴァン達はその場にいる怪物達の認識の外へ対比する。
結果、パーティー会場には騒ぎたいだけの者が残るのだ。
しかし、どんな法則にも当てはまらない例外は少なからずいた。
「ねぇ、スー」
「どうしました? フィン君?」
「どうしていつもこうなるの?」
「みんな息抜きがしたいんです。アルルも災難ですね。あとで励ましてあげないと」
「まぁ、そのアルルが一番楽しそうなんだけどね」
アルルの悪魔の絶叫で立ち上る火柱がなぎ倒された。覚醒した彼女の攻撃で、想像された空間である箱庭世界の硝子の空に、一筋の亀裂が入った。
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祭りの後である。毎度のことだが死人は奇跡的に出なかった。ストッパーがいない祭りは一人になるまで続けられ、今回最後まで立ち続けたのはリサだった。
「あなた達はまだまだねー。人にお願いされて、素直に頷くやつはいないでしょう!! だから、てめえら、私の言うことを聞けー!! ああ、たのしー。やっぱり私無理だよ。こんなのなかったことにできないよ」
再起不能の山を前にリサはしゃがみこんだ。
必要なのはスクラップアンドビルドだった。愛のある破壊であり、生きやすいように、創造をする。死屍累々の箱庭を眺め、彼女は煙草に火をつける。
「やっぱりたまらなく貴方達のこと好きなんだ」
躍り続けた夜が終わり空に朝日が突き抜ける。その空はノイズが走り、照射されている雲の映像が乱れていた。箱庭はその形を、何とか維持しているような状態だった。いつ崩れてもおかしくはない。
「お……お姉様」
「どうしたの? スー?」
「誰も……聞いてないかと。ああ、もうまだ酔ってますね」
「大丈夫。私、あの人に言ったの」
突然立ち上がったかと思うと、透明な空気を掴み、彼女の姿を引きずり出したのだ。右手に乱暴にランの腕をつかんで引き寄せる。懐に深く入り込み、どこにも逃がさないように腰回りに腕を回して抱きしめる。
「ししょー! やっぱり見てるじゃないですか!! この変態!!」
「馬鹿! やめろこっちくるな! 離せ!」
「私の考え、聞いてくれますか!?」
「ああ聞く! 聞くからやめろ! これ以上! 壊すな! 負けじゃ! 維持できなくなる! 飲ませたのが悪かったから!」
「うふふふ、私やっぱりこのまま帰る気はありません。そりゃ帰れる保証はないけれど、それでもなかったことにはできないですよ」
身も心もかじかむような冬が来るのはわかってる。だからこそ彼女は決意した。自分が帰ることよりも前に、幻想かもしれないこの世界でやりたいことができたのだ。愛のある破壊と創造を求めたのだ。嘘を嘘だと言わせない。
「みんな壊して、つくりかえましょう」
私と世界、狂っているのはどっちなのだろう。