GENE7-3.長閑な前日 part2 と華やかな当日part1
「うわっ、すっごい」とベルは唖然としてしまった。サッカー場がすっぽりと収まりそうな倉庫に訪れた率直な感想である。大量のコンテナ、装甲車、銃や砲塔、爆薬、弾薬が、人や荷物の動線だけ確保して、みっちりと詰め込まれていた。
紛失物を回収したり、大戦時代の遺物を拝借したり、自分達で作って持て余したりなどして貯め込まれた兵器や武器は、国と戦争できるほどの量である。
しかし、箱庭世界の住民は、火薬よりも素手で戦う変質者が多い。世界には武器を持って弱くなる存在も少なからずいて、なおかつ彼等は直接的な触れ合いを大事にしていた。事実、この武器倉庫への来客は滅多にない。
だからこそ、彼はここを住処にしたのだ。燻ぶった銀髪に帝国軍服の男、ヴァンは作業机と向き合ったまま嘆息をつく。
――かちゃん。
灰色の|混凝土〈コンクリート〉で囲まれた、奥行きが20メートルの隠れ部屋である。黄色い薄暗い光がドアノブに反射する。入口の扉が閉じて、ヴァンは双子と密室に閉じ込められた状況になってしまった。
「能力があるのだろう。武器なんて必要はないんじゃないか?」と背後の双子に振り向きもせず問いかける。
ヴァンは自身の自動拳銃のメンテナンスが終わり、十秒足らずで組み立て直しチェックをおこなった。正常に作動したことを示すように、トリガーを弾くとカチャンと金属音が鳴る。
紙棒つきの飴玉を咥えていて、言葉を発することすら抵抗しているようだった。
「そして、どうしてこの場所を知っている? 言わなくても大方予想はつくが」
入口の傍にあるコンテナの一つは改造されており、観音開きの扉を開けると、ヴァンの家へと繋がる。彼がここにひっそりと籠っていることを知っているのは、ヴァンの知る限り箱庭を遊び尽くした彼女くらいだった。
「そう、あの子。私達の友達」
「ここにいることはアルルが教えてくれたの」
「やっぱりか。あのっ馬鹿」
強面のヴァンの表情にさらに皺が加わった。紳士然とした振る舞いを崩さずに、手元の掃除道具を片付け、重い腰をゆっくりと木椅子からあげる。人の認知から外れる彼の能力の影響か、瞬きをすると消える影法師のような、気配の薄さであった。
「ここの管理責任者は気持ち悪いね」
「そうねベル、きっと掃除でストレスを発散するタイプだよ」
「ほっとけ。それで用件は?」
「いつも眠たそうな目をしてるよね、ハル」
「箱庭で一番仕事をしている人だからね」
上司が管理を放棄しているため、箱庭での面倒ごとはすべて彼に集中するせいであり、箱庭一の働き者であることは、皆が認めていた。
「頼むから会話する気くらい持ってくれ。なんだ? 頼み事か?」と、ヴァンは双子を睨みつける。モジャモジャンの髪の隙間から垣間見える眼光は鋭い。
「それもある」とベルは不敵な笑みを浮かべて、ベルは「話を聞いた時から気になっていたのです」と瓜二つの笑顔になる。
双子は悠然と立ち、自分達を見下ろす癖毛の男に自問させるようにゆっくりと問いかけた。彼女の会話は特徴的で、ベルの短い言葉をハルの言葉が補足する。
「ねぇ、どうして?」
「どうして、裏切り者の使徒がここにいるんですか?」
「幽霊のおじさん」
「聞いていた人物とはだいぶ違いますね」
そう呼ばれた彼は眉を動かしただけだけで、二人を見下ろしたまま飴玉を噛み砕いた。冷めきった深呼吸をして、部屋隅の黒のごみ箱に、紙棒を指で弾いて投げ入れた。
「俺は最初からこっち側だ。お前達に言われたくない。どうしてうちに残ってるんだ? そっち側なら出ていけばいい。なぁ、双子」
会話の今度は会話のベクトルが自分達に向いて、双子は一緒に少しだけ目を見開く。
双子は互いの顔を見つめ合って、鏡で反射するように同一の速度で、二人揃って首を傾げた。機械で動いているかのような動作に、ヴァンは反射的に僅かに身構えてしまう。
「質問を返されちゃった。どうしてだろ。なんだか抜けられなくなっちゃった」
「ね、ベル。どうしてこうなっちゃったんだろう。さっさと抜けだそうと思ってたんだけど」
「ご飯美味しいから? あと気楽だし」
「そうね。それと、あの子から逃げられないってこともあるけれど」
災難だなとヴァンは表情を崩さず鼻で笑った。嘲る意味ではなく、少しだけ同情する気持ちが含まれているようだった。
「あ、勘違いしないでね」
「アルルは悪い子ではないんですよ? しかし、ここではよくみんな集まってますね。私たちよりヤバイのがいて、まとまってるのが信じられない」
「上が一番可笑しいからな。それにまとまっているわけじゃない。お前達、俺への用事は挨拶だけか? 他にもあるんだろう、単刀直入に伝えてくれ。」
ハルは苦い顔をして頷いた。ベルは恥ずかしそうに目を伏せてしまった。彼女達の外見は20代前後であり、その年頃の女性らしい反応にヴァンは対応を間違えてしまったかと考えてしまう。
それまでの双子の雰囲気は不気味さと無邪気さを混ぜ合わせたもので、事実彼女達は若い女性の対極にある中身であるが、一変して会話し易い素顔を見せたのだ。
「あの」
「そろそろ。私達、お腹が減ってきたのです。どうしようかなと、思いまして」
「ねぇ、ヴァン。みんな、どうしてるの? 共食い? 共食いしてるの? 」
「なっ!?」
続けて返ってきたヴァンの答えは低い笑い声だった。口元を手で隠そうとするが間に合わなかった。耐えきれずに吹き出したようである。
「お前たちがそんなことを聞くのかっ!? はっはっは!!」
「なにやる気?」
「殺されたいのですか?」
「あー! 待て待て! わかった。ああ、わかった。聞いた噂と随分と違ってな。すまん、悪かった。気にしないでくれ。必要なのは贄か? それならストックがある、出どころは聞かない方がいい」
「違う、そっちじゃない」
「この前、リサからもらったので十分です」
「なら、適当な仕事を用意する、ここにいるやつはそうやって処理してる。だが、やり過ぎるな。片付ける側の身にもなってくれると嬉しい」
「まだ顔が笑ってる」
「貴方で処理してもいいんだよ?」
しかし、崩れた表情はもとのように戻らなかった。思い出し笑いをしそうになって、ヴァンは何度か口を押さえる。双子のじっとりした目線がヴァンの口元に突き刺さる。今度はヴァンが目線を反らす番だった。
「悪かった。許してくれ。しかしなあ、双子の使徒様がお腹減ったんだなんてな。お前らは本当に殺したかったら殺すんだろう。余りにも可笑しくてな。そんなに変わっちまったのは何が原因で――」
「あー! いたーっ、二人とも! ヴァンさんも!」
ヴァンの笑っていた表情が凍り付いて、一瞬で元の無表情に戻る。その声が聞こえて双子は、不敵で不気味な笑顔に戻る。ベルとハルが居続ける理由の一つである彼女が扉を勢い良く開けて
「実は手伝って欲しいことがあって!! 先輩と話したんです。こんなに集まったのってはじめてじゃないですか!」と彼女の声はまさに天真爛漫で、ヴァンは複雑な表情になった。さらにヴァンは寒気を感じて、横目で双子を見ると意地の悪い笑い方をしていた。
「あれ? なに? なにかあった? まさか! ヴァンさん、二人を虐めたりなんかしてないですよね?」
「大丈夫」
「なにもないよ、アルル。了解、参加するからよろしくね」
「私も、あとヴァンも」
「あーー……ああ」
ヴァンは頷くしかなかった。そして三人の参加表明に、ただでさえ嬉しそうな彼女が満面の笑顔になる。誰にも文句を言わせないように、止めを刺すような振舞である
集合時間と場所を簡潔に伝えて、まだ周知が終わっていないのだろう、アルルの姿は瞬時に消えた。箱庭で唯一そそっかしい彼女は見ていて微笑ましくもあり、ハラハラしてしまう。猛烈な台風が過ぎた後、ヴァンは難を逃れてほっと息をついた。
「貸し一つだよ」
「ちゃんと返してくださいね。今のは高くつきますよ?」
「……ははっ」
しかし、問題がさらに広がった気がして、ヴァンは乾いた笑いをする。ハルが見上げると彼の瞳は虚ろで笑っていなかった。
「お前達が変わった理由がわかったよ。それと朗報だったな。仕事を用意する必要は無くなったぞ」
彼は二つのことを思い出した。一つはアルルが彼の秘密基地をばらしたこと、もう一つはこれから巻き起こるであろう未来に対する苦悩である。悩みすぎて彼は取り留めもないことを考えてしまった。アルルの部屋を出ていく速度は異常であり、戦闘中よりも速かったもしれない。
******
夕暮れが過ぎると街路に灯籠が浮かび上がる。頭を押し付ける夜闇に負けじと足元に温かな光が照らされる。灯の点を辿りつつ、箱庭の中央区画へと続く水路を二人は歩いていた。
真っ赤なマフラーを装備した少年兵と黒々とした毛並みの大型犬である。せせらぎの音に沿って水が流れていく先に、アルルに指定された会場があった。巨大ゲートが構えている、箱庭の正面玄関の庭園である。箱庭の有象無象が一堂に集える場所はあそこしかない。
「全員集合って言われたけど、一体何をするか知ってる?」
「いや。だが前と同じだろう」
犬の姿に化けたレイが本来の人間の言葉を話す。フィンとは不思議と会話することが多かった。普段は口を出すと、煩わしい女性達にああだこうだと言われるので、彼は極力犬の振る舞いをしていたし、おそらくそれは正解だった。
「覚えてる? 前回は新しく来た二人の歓迎会だよ。でも、ランが殺し合いを始めますって突然」
「ああ」
「前々回はアルルがかくれんぼだと言って」
「……ああ」
「アレはみんな大変そうだったね」
それは箱庭が創造されて以来の悪夢と呼ばれる日だった。感情のあるものは体の底から凍り付き、感情が消え去ってからは底なしの虚無に呑み込まれた。後日、決してアルルにお酒を飲ませてはいけないという、新しい不文律ができたのだ。
それだけ絶望の淵に突き落とされるのに、全員参加するのはなぜだろうと、フィンは思考を巡らせる。
彼等がここにいる理由、飯が美味い、姿形でとやかく言われることもない、それ以上に、箱庭を住処とする怪物達の共通認識があるように思える。ここは怪物達にとって、どれだけ振り回しても壊れることない人形が沢山入った玩具箱。そう、皆、血の気だけは多いことこそが理由なのかもしれない。
「みんな好きだよねー、それでも行く僕らもだけど」
「……」
とぼとぼと彼等は前へ進むだけだった。
どうせ争いごとになるのだろうと、フィンは装備の確認を事前に終わらせていた。心なしか会場への距離が近づくにつれて、鈍い地響きが強まり身を震わせる。
「お前は捜し物は見つけたのか?」
「うん? 僕はまだ見つからないよ。レイは?」
「この前見つかった」
「見つかったのはいいことだと思うよ」
レイは何か言いたげだったが、結局押し黙ってしまった。哀しいのか、喜んでいるのか、箱庭の中でも勘が鋭いフィンでも彼の感情は読み取れなかった。路地の細道を抜け最後の交差点を曲がり、会場まで下り坂一直線のルートになった。遂に地響きの正体が明らかになる。
「今日も凄そうだ」
照らされた道の先に、鮮血をまぶしたような紅葉の森が広がっていた。何もない地面の上に、光の爆発が連続すると、数十秒で無数の大樹が生い茂った。葉の色が早いテンポで移り変わり、成長速度が緩やかになって紅一色になり止まる。
むせかえるほどの秋の匂い。入り口には紅葉狩りにようこそと、可愛らしいアルルの手書きの文字が並んでいる。彼女の術式によって空中に刻まれて、ネオンの看板のように輝いていた。森の奥深くからは賑やかなパーティーの喧騒が聞こえてくる。
フィンは狩られるのが自分なのか、紅葉なのか、分らなかった
「みんな久しぶりだからね。きっと怪我じゃ済まないよ」とフィンがつぶやくと、隣のレイは深く頷いた。