GENE6-13.Daydream
静寂だった湖畔に砲撃音が轟いて、山脈に反響して、大地をぶるりと震わせる。
湖の中心には巨大な城を連想させる戦略兵器。八本の歩脚が生え、シルエットは蜘蛛に近い。歩行要塞でもあるそれは、その直下の水面を爆撃した。目標はたった一人の女性である。
彼女が立っていた水面は、一瞬で蒸発してしまう。
そして、水蒸気の爆発と乱立した大木のような水柱に呑み込まれる。
大蜘蛛から繰り出される砲撃音と、雨のような光刃の量は、本来人間一人に向けるものではない。街、もしくは都市に向けて放たれてるべき攻撃である。戦略兵器の容赦のない破壊によって、津波のような大波が生じた。
しかし、それでも殺せないのが彼女である。人ではない。人よりも神に近い。事実、この箱庭世界で神様と祭られた存在だった。
爆撃の嵐が止んで、空に巻き上がった水塊が湖の表面に降り注ぐ。
湖面の揺らぎが落ち着いて、白煙が風で流された。
爆心地に仁王立ちしている影がある。
ラン=トラオラム、その人だった。彼女が一睨みすると風がピタリと停止して、凪が訪れる。足を踏出すと景色が、彼女を際立たせるようにさらに静まり返った。
目標の生存を確認し、戦略兵器の機械蜘蛛は最火力の砲撃の準備に入る。悲鳴のような、猛々しい、力を充填する機械音。
大蜘蛛は頭を下げて、照準を豆粒の大きさのランに向ける。
突きつけたのは最大サイズの主砲である。巨大な砲の先端に、深呼吸するように光の粒子が掻き集められていく。ランは様子を伺っているのか、腕組みをしていた。そして、顎をしゃくって、視線でさっさと撃ってこいと煽ったのだった。
漸く息を吸い込む動作が終わり、一呼吸おいて、凝縮したエネルギーが吐き出された。
怪物の口から、射出された光の塊は、ランからすると線と呼ぶには余りにも太すぎる。
「ふんっ」
まるで子猫を撫でるような手の動きで、ランは照射された光を反射した。
ランの代わりに、遠方の山脈が一つ消し飛ばされる。赤く鮮血に染まって、頂が半円状に切り取られてしまった。真っ先に閃光が過ぎ去って、遅れて衝撃の波がやって来る。
次は彼女が反撃をする番であった。
おもむろに人差し指を頭上の金属塊に向ける。世界の断片を腹一杯に溜め込んだ、どす黒い球体だ。今にもはち切れそうである。
手を拳銃の形にし、弾を撃ち込むフリをする。最初に狙われたのは、彼女に嚙み付いた主砲だった。
「お返しだ」
砲塔から光彩ではなく火炎のくしゃみが漏れた後、轟音が鳴り響く。空気を衝撃が振動して、絹糸のような黒髪が揺れて、頬がほんのりと朱く照らされる。
大爆発に蜘蛛の要塞は堪らずバランスを崩した。二の足で体勢を立て直した。しかし、主砲がぽっきりと折れてしまい、間抜けな姿になってしまう。折れた鋼鉄は、真下のランを目がけて落下した。
大量の水が舞う中で、ランのいる場所だけが切り取られたように別世界だった。彼女に触れる前に金属は霧散していく。
鉄が降ろうとも、氷が跳ねようとも、水飛沫が当たろうとも、彼女に触れる前に全て橙色の綿毛の固まりに置き換わる。轟音と、衝撃と、地響が重なるなかで、ランの足元には綿毛がゆらゆらと揺蕩った。
小さな敵を目の前にして、要塞は前足で横凪ぎに襲い掛かった。
一撃で高層ビルを数本刈り取れる凄まじい威力である。しかし、直撃した瞬間に、ランに触れた箇所が綿毛となって、ふわりと散った。前足の先端は千切れて、湖畔の岸辺に突き刺さった。
触れた場所からゆっくりと綿毛化が進み、蜘蛛は前足をパージする。
その間に、ランは次々に自身を狙った砲を狙撃する。
一本、また一本と砲塔が千切り取られ、強烈な爆音が連続し、大量の残骸が着水する。砲撃と比べると、緩慢な速度で無数の水柱が並び立つ。
「ほら? ほらほら? どうした? どうした?」
腰に手を当てて一息ついて、ランは軋み始める兵器に微笑みかけた。
機械蜘蛛の胴体は数多の砲塔が取り付けられて、海胆のような外見だった。しかし、今は無残な球体となって立ち尽くしてる。
攻撃手段がもぎ取られても、彼女の打つ手に許しはない。
余った部位を啄むように八本の歩脚が集中放火された。
「いいからさっさと跪け」
彼女は狙撃する動作をやめて、嬉しそうに疲弊していく様を見上げていた。朱と黒煙の花火大会である。降り注ぐのはランに放たれた攻撃と全く同一のものだった。ドラムロームのように光弾が叩きつけられる。
四方八方からの爆撃が脚に当たって、支えきれない胴体が激しい音を立てて着水した。
水面を浮かんで機能しなくなった屍にも、容赦なく降り注ぐ光の刃と爆撃の嵐。
ランが右手の人差し指を振ると、現れたのは全く同型の歩行要塞が八体出現する。湖の端から前進しながら、標的の一匹を取り囲むように配置されている。
「ふふふっ。あははははっっ! 凄い!! 凄いよ!! 本当にっ。ねぇ、こんなにどうしたの?」
水上にエアの立体映像が投影された。ランの嘲笑に対して、怒っているのか喜んでいるのか不明瞭な笑顔である。
「つくった」
「嘘! そんな時間はなかったでしょう!」
「時間? 時間ならたっぷりとあった――」
完全に形成が逆転し、エアは立体映像から肉体にすぐさま置換して、近接戦闘に移行した。距離を詰めれば砲撃も止まるはずだ。次段が装填される前に水面を蹴る。
走った軌道に真っ直ぐに水飛沫が発生する。瞬く間に彼女はランの手の届く位置にいた。
右手を紫色渦に突っ込んで、別空間からサーベルを取り出した。
飛び掛かる方向と対照的に、ランの背後から刀剣類が突き出て串刺しにする。
さらに、同時に複数の渦からスローイングナイフが射出された。
重なり合う刃に退避ルートはすべて潰される。
「なっ!?」
エアはランの心臓に力強くサーベルを突き立てられ、背後から串刺しにされ、最後に眉間にスローイングナイフが突き刺さる。
攻撃が全て受け入れられるとは思わなかった。驚きで罠と気が付くことに一息遅れてしまう。
「ひっががっだな」
ランの皮膚はみるみる土気色になって、傷口から身体が縦にひび割れた。
陶器製の人形が風化して、崩れ落ちるのと、巨大な八匹の蜘蛛の主砲が装填、発射されるタイミングは、ほとんど同時だった。
彼女目掛けて、八本の図太い光線が襲いかかる。湖全域が太陽のように神々しい光で満たされる。圧倒的な力の熱量に湖の水が消え去った。畔の草木が焼失する。全てが蒸発して更地になって、衝突して乱反射した光が周囲一帯にまき散らされる。
光が徐々に途切れて、地平線から地平線まで炎の下に呑み込まれた。その海を上空から見下ろす彼女が、高度を下げるにつれて、燃えさかる火炎の勢いが止まっていく。彼女が降り立つころには、燃え尽きた大地が残った。
「あら? まだ形が?」
草木は灰に置き換わり、湖は断崖絶壁の渓谷となる。谷底には一つの巨大な桜の蕾も落ちていた。
衝撃に耐え切れず、硝子のように亀裂が入り、耐え切れずに割れて、中に入っていたエアが耐え切れずに膝をつく。ダメージを全て打ち消せたわけではないようだった。
膝元から桜桃色の香炉が転がって、パキリと真っ二つに割れてしまい、防壁となっていた花弁も粉々に砕け散ってしまう
「それは私があげた品じゃないか」
ランは両手を挙げて高笑いする。そして、エアは横殴りにされる。まるで見えない何かに殴り付けられたように、真横に吹き飛ばされた。それを見て、「これでよく私に勝てると思ったわね」にこりと笑った。
エアは着地して紫色渦を出現させるも。空白を掴み、殴りつける存在を斬り付けることができない。疑問が生じる前に、再び透明な拳に力強く殴られてしまう。
「あら、やるじゃない」と姿も見えないランの声が聞こえてきた。
「はぐっ」
「別に貴方のことじゃないの。うちの子たちのこと。もう見つけたのね」
エアは何度も紫色渦を発生させるが、そこからは何も出てこない。渦が空回りする度に殴打される頻度が上がる。
遠くの禿山がボロボロと風化して、青空に一筋の亀裂が入った。
エアが創造した空間が維持できずに、崩壊が始まったのだ。空の絵柄の硝子の欠片が次々に崩落して、継ぎはぎの白が空に現れる。虚像の世界の一部が欠け、真っ白な、何も創り出していない空間が見えてしまう。
静かな湖畔の風景だった。ここにあったのは思い出の、郷愁漂う大切な記憶だった。
残っているのは剥き出しの地面と、燻る草木を踏みしめる八つの要塞と、横たわったエア、それを見下ろすランである。
「ねぇ、降参する? 一対一で貴方が私に勝てるわけないでしょう」
「……はっ! 降参! 降参する!? 嫌だ! 嫌だよ、ランちゃん! 冗談でもそんなこと言わないで! 私は貴方に勝ちたいんだ。そうじゃなきゃ! 私は、私が――」
脚を震わせて起き上がった彼女が口から発したのは、ランには聞き取れない言葉だった。この世界の、元の世界の言語でもない。始めて聞く文字列であった。第六感で危機を察知して、バックステップをランは反射的に踏んでしまう。
エアが文字列を唱え終えると、囲んでいた蜘蛛達が、消しゴムで擦られたように消し去った。
「クソっ! これだから同類は嫌い!」
ランは手で小さな輪をつくり、そこに強く息を吹き込むと、目が眩むほどの神々しさのレーザーが生成される。横凪ぎに世界を寸断する。燃えさかる山脈がカットされ、エアの首もとまで達する前に、不可解な単語を一言呟くだけで消え去った。
「あーあ、彼の力を見せたくなかったんだけどな……とっておきだったのに」
そう、使える神の力が一つだけだとは限らないのだ。エアは解読書で、ランの能力を復元した。しかし、それだけじゃなかった。
本領を発揮できないとはいえ、部分的にも使えるだけでも、戦いを大きく左右する。今、彼女が使っている力は、ランが推測するに四番目の能力である。全貌を知らない彼の願いは、ランへの切り札として最も効果的なものだった。
「あがっ」
エアは真正面からランに襲い掛かり、その顔面を鷲掴みにして硬い地面に叩きつける。
ランの回避速度は遅かった。指を動かして、反撃の術式を描いたが、何も事象が生じない。ランは為す術なく倒される。そのままエアに馬乗りにされ、両手で首を絞められた。息ができなくなって、脳への血流が遮断される。
「もう禁止。もう力は使わせない」
土に押しつけて、エアは優しく語り掛けた。
何もできない、ただの人間に成り下がる。立った一言で、能力も身体能力も、神様の代理人として与えられた権利は全て剥奪されてしまったのだ。
「ごめんね、ランちゃん。最後は――最後は私の勝ちなんだ」
「あ。かはっ――」
藻掻く両手の爪の先が、エアの頬に当たってひっかき傷になる。うっすらと赤い血が滲み、硬直するランの頬にぽたりと落ちた。頸動脈を締め付ける手の平に込められた力は緩められない。両腕を振るわせたままランの瞳を覗きこむ。
「ねぇ、大丈夫? 聞こえるかな? 何から……話せば良いのかな…どうしよう、ランちゃん」
「あ――……あアッ」
数十秒経過して、ランの両腕が遂に脱力した。
息をしなくなった彼女はもう動かなくない。エアがえづくだけだった。抜け殻を前にしても彼女の語りは止まらない。涙声になって、動かなくなった女性の胸にエアは崩れ落ちた。
「どうしてこうなっちゃったんだろう。どうして。ねぇ、どうして」
「……」
この湖畔の風景が死の大地となったのは、ここで彼女達が喧嘩したのは二度目である。一度目の喧嘩は些細なことがきっかけだった。朝食の好みで言い争いになって、最終的にどちらが強いのかハッキリさせようとしたのだった。
思い出の湖畔を戦場にしてしまって、彼女たちは後悔した。今回の舞台も復元したあの場所だった。繰り返そうとして、再現した結果は前回とは異なるものだった。しかし、同じ後悔は残った。
「これで全部失っちゃった」
「……」
「なんで? ねぇ、教えてよ」
涙が溢れ、こぼれて、彼女の開ききった瞳孔に落下した。
すると、「――私にもわからない」と彼女の口から声が漏れた。
「そっか……勝ちたかったな。今までどこに隠れてたの?」
止まることはないと思っていた涙が止まる。その代わりに、倒れているランの顔に、血の飛沫が飛んだ。血がポタリポタリと滴り落ちるのは、エアの身体を貫通した、真っ白な肌の腕だった。
横たわっている屍体は土塊となり、身体を貫いた腕をエアは力なく握り直す。
最後に背後を振り返ると、感情を消し去った女の瞳孔が目に映る。彼女の瞳は鏡のようにエアの表情を反射していた。その時、自分が笑っていることに、エアは始めて気がついた。
「最初からずっと」
「出会ったときから? そりゃ気付かないや……」
ランは垂れ掛る髪の毛を気にせずに、後からエアを力強く抱きしめた。地面が波打って、地響きに呼応して、創出された異空間が現実に移り変わっていく。
「あったかい……ね……」
死の大地が消滅して、二人は司令室にいた。街を見下ろす窓硝子は割れていて、夜風に乗って賭博場の喧噪が届く。彼等は別世界で起きてた戦いを知らないのだろう。創り出した空間は消え去って、一つの密室の悲劇になってしまう。神様同士の戦いは遂に終わった。