GENE6-11.Please, be gone
檸檬色の密室。密閉された円筒は、昇降機のように上昇して、目標が待つ最上階を目指していた。
小柄な幼女は手の平を、塗り潰された隔壁に当てる。神様の力で形成された、空間と空間を繋げるバイパスである。ぶうんと重低音が伝達する。メアが手を離すとピタリと止まった。
ランの能力、蝴蝶之夢で形成した、異空間と異空間を繋げる異空間である。
メアは自分が現実世界のどこに存在するのか見当もつかない。リサやランの、神様の代理人達の、本当に神様みたいな能力は、客観的に見ていても理解しようもない代物だった。
「ふぅ」
小休憩をして、とりとめもないことを考えてしまう。張り巡らされたワイヤートラップや、襲い掛かるフリーク達と隔離された。確かにメアという少女は、一般人と呼ぶには余りにも飛び抜けた戦闘力を有している。しかし、それでも疲れるものは疲れるのである。
直立していた幼女は背中を壁に預け、地べたに座り込み、足を八の字に広げる。円筒の反対側で、黒犬も地べたに伏せて、目を閉じ寝息を立てている。完全に昼寝をしている彼を見て、メアも気が抜けてしまった。
落ち着いてくると顔も上がってくる。ランは円の中央で天井を見上げている。彼女達が目指す先を見ているのかもしれない。その瞳には憂鬱な色が混ざっていて、意地悪なメアは反射的に呟いてしまった。
「なに? 驚いた。アンタでもそんな顔するの?」
「私だって思うところはあるのさ」
「ああ、そう……これから会う人って、大事なお友達なんだっけ?」
「そうね。拾って、育てて。喧嘩もして、国も滅ぼして、つくった。友達と呼んでいいのか正直なところわからない。五百年以上の付き合いだなんて想像できる?」
「そうね。私はそんなに長生きしない」
「一緒にしないで」と辛辣な言葉を投げつける。
「でもね――いや、なんでもない」とメアは半開きにした口を閉じた。彼女は何かを思いだして、苦いブラックコーヒーを一気飲みした心持ちになる。
「メアはどんどんふてぶてしくなるね。ああ、褒めてる。褒めてるから」
「は! いい加減ね! 馴れるわよ! 変に縮こまってもしょうがないの! 私は私の好きなようにやるの!」
横になっている犬と目が合って、寝てなさいよ、と威嚇した。ちんまりとした腕を組んでいる彼女は見上げると、心底うんざりしてしまう。目の前のランの瞳孔に生気が戻り、暗い表情が完全に消え去ったのだ。
「そうね。私も見習おう」
非常に不味いことを言ってしまったのかもしれないと、燃え上がるような不安がメアを襲う。悪びれない笑顔は、何か悪巧みをしている兆候だ。そうに違いない。メアは勘ぐってしまう。
重力の加算が止まり減衰し、浮遊感に置き換わる。戦場のど真ん中での休憩が、終わることを知らせた。メアが腰を上げて柔軟を始めると、「ああ、忘れていた!」とランの声。
「貴方達にご褒美をあげなきゃ。よく頑張って切り抜けた! この過酷な試練を!」
「嫌! 絶対に嫌、いらない!! 絶対に! 絶対に嫌!」
過酷な試練そのものの彼女に向かって、メアは悲鳴をあげた。
この地での試練が過酷だったことは疑いもしない。しかし、ランの「ご褒美」という言葉には疑いしかない。
数々の彼女の仕打ちで素直に信じ切れない。信じれるわけがない。この鬼に褒美をやると言われて、信じる者は馬鹿か狂信者か、または更なる馬鹿だ。メアは勢いよく立ち上がり、密封された狭い空間で、可能な限りランから距離をとる。
三歩、四歩と駆け足で離れ、背中が壁に当たってしまい、これ以上距離は取れない。メアは精一杯顔を反らした。
「酷い言われようね。私は哀しくなってしまうよ」
「そんなの全く思ってないでしょ! 知ってるわよ! どうせ! どうせまた酷いことをやらせる気なんでしょう!? 私知ってるんだから!」
「違う違う! 今回はそんなんじゃない」
「今回!? 今までは自覚あったの!?」
「あー……」
「あったの!? あったんでしょ!!」
「まあまあ、聞いて聞いて。メアに得のある話なんだから。得しかないよ。ご褒美は噓じゃない。これからメアを宝物庫に送り込む。そこには大量の遺物があるはずだから、全部奪い取りなさい。ここまでよく頑張った。私の想像以上だ。やればできるじゃない。よく死ななかった」
メアの心理的外傷は当分消えることはない。しかし、気になるキーワードを聞き取って、彼女の瞳は少しだけ生気を取り戻した。彼女の悪逆非道の振る舞いについて、自覚があるのかについては、ともかく置いておくことにした。本当に死の境を彷徨っていたことにも触れないことにした。いざとなったらランは助けてくれるという希望は、いくら信じ切れなくても、心の中に残しておきたかった。
「……何よ! 楽しそうな話じゃない。そうね、勘違いさせないでよ。最初にいってたことをやろうってだけね! 貴方も良いところあるじゃない」
「そうそう! そんな酷いことしないよ。したこともない」
「突っ込みたいことは沢山あるけど。で? どこ! それってどこにあるのよ? もったいぶらないで! さっさと教えなさい! 早く早く!」
「やる気になってくれてよかった。場所はね――どれかなはず。目的地の近くには送り込むよ」
「どれかって――ふぇ!?」
革靴の足先で床をタップすると、メアの足下がぽっかりと穴が空いた。放り出された先は暗闇で塗りつぶされていて、メアはバランスを崩して壁に手をつくが、その壁も消え去った。
檸檬色の床と壁に墨汁を垂らした様な巨大な一点へ、メアは為す術もなく落ちてしまう。
「無事いったかな?」
ランがのぞき込むと小さな腕が飛び出してきて、彼女の脚を握ろうとした。スライムである彼女が精一杯腕を伸ばしているのだろう。しかし、ランは容赦なく足蹴にした。幼女の手の平は虚空を掴むように藻掻いて、終いには中指を立てて消えていった。
「ま、ご褒美だけじゃないんだけどね。レイも心配だから着いて――」
そのまま振り返り、寝そべっているレイを睨みつけようとする。しかし、彼はいなかった。すでに穴の中へ入った後で、乱暴に扱われる前に、動き出そうという懸命な判断である。
「攪乱因子の排除も任せたよ。こっからは私も助ける余裕がない。久しぶりの同窓会でね」
置き換わっていた浮遊感が絶え、最後に緊張感が箱を満たす。一面の檸檬色が左右に開き、待ちきれないランは小走りで扉の外へ飛び出した。
*******
太陽の光が眩しかった。踏みしめると草の感触である。脚が生命力で押し返されて、ランは驚きの声を上げる。
雪降り積もる賭博の街の最上階に着くはずだった。そんなものは消えて閉まった。全くの別世界で、郷愁が溢れる湖畔の風景が現われた。胸が締め付けられてしまう。既視感のある情景だったからだ。
「ふふっ」
遠方に雪化粧した山脈が連なって、頭上には青空が澄み切っていた。風は緩やかで心地よく、湖面は一枚の巨大な鏡と化していた。視界は上下の青に挟まれて、その間には名前を忘れてしまった紫の花が咲き乱れていた。水際線からランの足下を通り過ぎて、背後の石造りの廃屋まで続いている。
ここはランとエアが始めて出会った場所だった。透き通った水で有名で、この世界で最も綺麗な湖と呼ばれていた。
しかし、ランにはわかっている。全て虚構なのだ。現実を着色して、もっともらしく噓を真実のように仕組む。この照明代わりの日光も、頬を撫でるそよ風も、鼻腔に入る水の香りも、その全てが、ランを迎える為の演出なのだ。
湖の水際に伸びる、もう使われていなかった木製の桟橋の先端のさらに先に、今回のパーティを開催した彼女がいた。エア=フォルシェンの立ち姿に、ランは思わず溜息をつく。
木箱ではない、過去の彼女の姿を完璧に再現していた。まだ生きてる頃の、それもランと出会って間もない頃の、初々しい姿である。鉄紺色のコートを羽織り、背丈はランより一回り小さい百六十センチ。肩まで伸びる髪は黄金色で、碧い色の瞳は真っ直ぐとランを見つめていた。
ランはなだらかな斜面を降りて、桟橋にさしかかる。古くなった木板は踏出す度に軋み、ゆらゆらと水面に振動が伝播する。
揺らぎは満面の笑みの彼女の足下まで伝わった。五月蠅いほどに良く通る声である。ランの姿には豆粒ほどの大きさだがはっきりと聞えた。
「やっと二人っきりだね」と微笑みかけられて、「そうだね」とらランは笑って返した。
「思ったより、早かったじゃない。ビックリしちゃった」
「私も驚いてる。貴方、こんなことができるようになったのね。エア」
「私だって何もしてなかったわけじゃなんだ。それでどう? 私と遊んでくれるの? ランちゃん」
「もちろん。そのつもりで急いで来たんだ」
彼女がこの世界に巻き込まれて、迷い込んで、辿り着いたこの湖畔は、彼女の原風景であり、そして、かつての「死の大地」である。二人が大喧嘩して、今は木々や湖、そして山脈までが更地となってしまった。この世界でなくなってしまった風景だった。
「やった! でもね、その前に私は知りたいの。ランちゃんはどこまで知ってる?」
「私は――何も知らないよ。エアが一番わかるでしょ。貴方はなんでも知ってる。その能力は本当に羨ましいよ。どうせ、私の行動も最初からずっと見てたんでしょ」
「そうなんだけど……途中で見失っちゃった。本当に人を誤魔化すの上手いよね。今回はどうやったの? 別の空間でも創造した? ねぇ、教えてよ」
微笑みだけを返されて、エアは残念そうに髪を一つ摘まんで弄り出す。
「教えてよー……それにね。この力はそんなに良いものじゃない。力なんて、願いなんて、あってもなくても変わらないって、知ってるでしょ?」
場所も、彼女達の姿も変わらない。二人の距離の間には、客観的には読み取れない、ただ余りにも膨大な時間が過ぎていた。
「そんなことないよ」
「あはははー、噓ばっかり。本当に噓ばっかり。でも、能力を褒めてくれたのは嬉しいよ。まるで私自体を褒めてくれたみたい」
エアの能力、「解読書」は、世界を読み取る力であった。
読み取れば、再現することもできる。理を導く力であり、ランの知っている中で最も全能的な、柔軟な力だった。世界を言葉にして、操れるようにした術式も、彼女がいたから生まれた技術である。
「この風景は部分的に記憶で補完してる。完璧に実体化できないよ。ランちゃんの能力の原理はわかる。仮想現実? 拡張現実? いや、この力はその間。そして、その本質は戯曲の中の人物を具現化し、観客に影響を与える! この世界に来てからも役者なんだね-。でも私の模倣もまだまだだよ。ランちゃんの本気には及ばない」
桟橋を渡りきり、ランの通った後には枯れた木々から若芽が伸びて、つぼみが形づくられ、一秒足らずで開花した。ランは咲いた真っ赤な花を一つ摘み取って、空気の流れに乗せると、花弁が散り散りになっていく。巻かれた花弁が起点となって、草原の紫が赤に浸食されて、湖を囲むように開花前線が拡大する。
「ふふん、私もこの力はよく知らないんだ。でも、貴方より付き合いは長い。元の世界も今の世界もやってることは変わらない。エアだってそうでしょ?」
「……そうだね。私も。翻訳家業は変わらない。できることは増えたんだ」
彼女の呼吸音が止まった。エアは次第に下を向いていき、眼が隠れてしまう。風が吹くたびに金の髪がたなびいた。
「――でも、意味はないんだよ? 色んなことができるけど、意味はないの。無理なんだ。助けることも、生きることさえも。こっちに来た私達に意味はあるの? ないじゃない。不思議な世界に迷い込んでそれで終わり。ランちゃんは知ってた?」
ランは桟橋を渡りきり、湖面に脚を踏み入れる。水面に着地した瞬間に氷が張って足場となる。足を進めると凍り付く速度が加速していく。
「本当は最初から帰ることはできないんだって」
エアの瞳は虚空を見ていた。
「私達は現実より箱庭が居心地が良かったから残った。他の子だって一緒。でもランちゃんの時代から誰も帰った人はいない事実。ゲームの間隔だって延びている。本当はもう戻れないって、ランちゃんだって薄々感づいているんじゃない? 私はわかる。この世界は遊び過ぎて疲弊している。壊れながらも遊戯版の役割を果たしてる。ここ数百年で私ははっきりわかった。確信した。今回のプレイヤー――リサちゃんって言うんだっけ? あの子はこのこと知ってるの?」
エアは話を止めなかった。
「そしたら何? 私達は選択できるって思ってたけど違ったの? ランちゃんはどこまで知ってたの!? 私達はこっちの方が良いって自分に言い聞かせてただけなの!? この世界に選ばせる気なんて最初からなかったの!? ねぇ、知ってるなら教えてよ! 私の方が知ってるだなんて噓言わないでよ。考え始めたら苦しいの。失って、疑って、ずっとずっと考えてた。こっちに来て楽しかったことはなんなの? 思っていたことは本当なの? できた家族は幻なの? それに得ても得なくても一緒だよ。変わらないよ。結局、みんな、みんな、死んだんだ。殺されたんだ。貴方は知ってるの? それとも何もわかってないの? 教えてよ、ランちゃん。貴方は本当にそこに居るの?」
風が吹いて、水面が揺らぎ始める。エアの足下から、さざ波が連動して、岸辺まで届く。ランの足下まで辿り着くと一瞬で凍結した。深呼吸して、エアは語るペースを落ち着かせる。
「そう、私は悔しかったの。昔から運動は苦手で、まわりのみんなよりできることが少なかった。こっちに来て、楽しくて、できるって勘違いしてた。でも力を得ても変わらないの。何も変わりはしないんだ。家族も、国も、私達の存在さえも、全部噓かもしれない。こんな世界、私は本当に嫌いだ。この世界の存在自体が間違いだった。なんだか苦しいの。私達は最初から得たつもりだったけど、最初から何もないものなんじゃないかって。結局全部失ったんじゃないかって。最初から全部失ったままなんだって」
息もしなくって、苦し気に胸元を掴む彼女は、眼に涙をため込んでいた。彼女は泣きながら、笑顔の表情でいて、感情がかき乱されていた状態だった。
口元を固く結び、無表情のランは何も返さなかった。拳に力が入り、凍結する速度がさらに加速する。湖の四分の一を覆っていた。
「私は全てを知っている。あの木々が何でできているか。どうして柳が風で舞うのかも知っている。それが私の能力だから」
すると、強い風が吹いて、二人の間に数枚の葉が通り抜ける。
「殺される男を知っている。殺された女も知っている。全うされずに死んだ命も知ってる。自分がやって来たことも知っているし、自分がどうなるかも知ってるの。知ってたの! でもね。それでも意味はあるの? 最初から全部、全部、全部噓だったじゃないの?」
「エア」
「なに? 言わなくても私わかるよ。ランちゃんの言うことなんて。受けとめるんでしょ!? 背負うんでしょ!? そんなこと! なんて言うのかもわかるよ! いつだってそう! いつだってそう! いつだって! 背負った気になって! 知りもしないで! ランちゃんなんて嫌い! だいっ嫌いだ! もし生きることが知ることなら、私はもう知りたいことなんてない。知りたくなんてない。私は生きてすらいない! こんなにも息が苦しいのに、貴方はそうやって! いつも! いつもいつも!!」
耳を塞いで、彼女は膝をガクリと落してへたり込んでしまった。粘り気を含んだ波が、放射状に広がって、ランの足下まで辿りついて凍り付く。
それからのエアの行動は早かった。予備動作もなく、一瞬だった。首元から、紫の渦が生じて、そこから勢いよく刀が射出する。当然のように切っ先を、ランに向けてである。緩やかな風の流れを鋭い殺意が切り裂いた。ランは首を反らして避けると、頬に一直線の切り傷ができた。赤い血が滲んで垂れる。
「……私にだって、言いたいことは一杯あるんだ。聞きたいことだって一杯ある。そんなに遊びたいなら殺す気できて」
「あははは!! そもそも生きてないじゃない! 変わってない! 変わってないよ! そう! 遊ぼうよ! 生きることもできずに! 死にもできずに彷徨って! 行き着いた先で、始めてあったこの場所で! 全部全部全部全部!」
意味がないと言いたげに、エアは高笑いを続けた。身を反らして空を見上げると、自重に耐え切れずに涙が頬をつたって流れた。
「終わってしまえばいいんだ」
歓喜の声とともに、エアが両手を空に伸ばして、空気を掴んで引っ張り、力強く引き釣り落した。そして、空から流星群のように落下するのは、明確な殺意に溢れた神の遺物達である。
最初の一本をかいくぐって、ランは左手を伸ばして、雨よりも速い速度の柄を掴んだ。幸いにも、剣を打ち払いやすい、両手持ちの大剣であった。
片手で掴んで、飛来する無数の雨を、虫を払うかのように軽々とはじき飛ばす。火花が散らして、ランはエアに向かって飛びかかる。無数の刃が止むことはない。武器は生成しなくても溢れている。
負傷した右手を伸ばして、飛んできた一本を同じ要領で掴み、目標に投擲した。
満面の笑みの彼女は、右手に現出させた処刑人の剣で、払いのける。しかし、次撃のランの降りおろしを振り払うことはできなかった。
まるで湖が両断されるかのように衝撃が走るが、エアの表情は変わらず、焦りを見せることもなかった。
「この馬鹿エア! 私がどんな思いでここに来たのか! 骨の髄まで思い知らせてやる! 無駄か!? 無駄だと私は断じて言わせない」
次の剣撃で、エアを勢いよく横薙ぎに吹き飛ばした。
ランは足場をつくって、かけ上がる。水中から複数の煉瓦造りの塔が突きだして、彼女をさらに上空へとかけあげる。跳び跳ねる度に、彼女の周囲はきらきらと輝いてオーロラを形成する。光のカーテンは固形化して。望み通りの形になる。思い描く全ての者が実現する、彼女の能力だった。
「本当に乱暴! 殴って全部解決するわけないでしょ!! この脳筋女!!」
「ああ!? うるさい、バーカ!! いつもだって? 私と思ってること一緒じゃない! 勝手に落ち込んで! 勝手に知って! 勝手に暴れて! お前はいつもこうだ! 暴れる前に事前にいえ! これだから夢見がちな女なんて大っ嫌いだ!」
急降下したランはエアに追い打ちをかける。まるでどう猛な獣だった。
それをエアが両手を交差して、反撃対象に掲げる。水面から剣山のように刀剣や槍の大量の武具が突き出され、ランの三撃目はエアの正面に出た強固な盾で防がれる。
ランの勢いが止まり、そのまま大量の刃で串刺しとなる。そして、最後は肉体が水となって散らばった。
「噓っ!?」
彼女の能力、蝴蝶之夢の本領発揮だった。神様の力と力がぶつかり合いに、手加減する余地などない。盾の反対側に立つエアの四方から、クレイモアを持ったランが襲い掛かる。四つの剣が彼女の心臓を貫いて、小柄な体躯を空に掲げる。噴き出した血液は一瞬で水に変わった。
「……なにが「噓っ!?」だ。白々しいにもほどがある」
「ランちゃん、私を倒したんだからもっと喜びなよ」
「同じやり方で返されるの、私が一番腹立つの知ってるでしょ」
「もちろん。だからやったんだよ?」
ランが通った道筋から凍結が始まり、湖はその半分が凍り付いていた。白銀に乱立した鋭利な金属は、紫色の渦である、小さな転送門に収納されていく。
語り掛けるエアはランの十メートル後方に立っていた。
凍り付いた、透き通るような青の湖に立つ彼女は、右手に真っ黒な本を持っている。彼女の能力である、解読書がついに開いた。ぺらぺらとめくり、エアは溜息をついた。
「私は言いたいこといったけど。ランちゃんはどう?」
「私はアンタを殴ってからじゃないと気が済まない」
「そう? なら勝手にして」
本をパタンと閉じるとエアの姿が消えてなくなった。
まだ凍り付いていない湖面から、勢いよく浮上したのは巨大な船艦に思えた。ランが生やした塔なんて可愛らしく思えるほどの、巨大なサイズである。
それが腕の一本だとわかるのに数秒かかった。動く城壁であり、機械の蜘蛛。しかし、蜘蛛と呼ぶには余りにも大きすぎた。八本の腕を持ち、ランの立つ位置からは、その鋼鉄が空を覆うほど大きく、見上げる彼女の視界を埋め尽くした。
ランとエアが二人で完成させたのはいつのことだろう。ランは過去の悪ふざけをした自分に一言、言ってやりたかった。機械仕掛けの神様をつくろうと、二人で汗を流して製作した思い出がある。制作期間は数十年にも及んだ。実際に戦場に投入したことなかった。どこにしまったかランは忘れていた、神様の暇つぶしの結晶である。
「おい! エア! 狡いぞ! 巫山戯んな! それに半分は私のじゃない! 勝手に使うな!」
閃光が走り、図太いレーザーがランを呑み込もうとする。ランは横に跳躍して回避はしたが、体勢を整える前に、爆風で吹き飛ばされる。
機械仕掛けの神様の大きさは、五十メートルはある。大量の火器が搭載された八本足。それが支える胴体は体表が見えないほどの砲塔を取り付けた。
流石にどう倒そうか躊躇してしまう。何しろ自分達がつくったものだったからだ。ランは試しに左腕を掲げて雷を落してみた。巨大すぎる機体に辿り着く前に、表面上の透明なシールドが虹色に発光、反応してガードされてしまう。人を呑み込むほどの落雷も、あのサイズでは静電気と相違ない。
「くそっ」
迷っている間に、狙える砲は全てランに標準を合わせる。剣の雨の後は、弾丸の嵐であった。一撃でもあたられば、致命的であることを彼女が一番知っていた。躊躇する暇はない。
彼女に向けて放たれた砲撃の速度が減速する――ように見える。実際に遅くなっているわけではない。彼女から見る世界が変わっているだけだった。
出て行け。出て行け。出て行け。自分の殻の内側から、自分を取り出して、自分の望む形に造りかえて、またその形に入れ込んだ。思い浮かんでくる光景を必死に吐き出して、自分が神様であると信じ切る。没入するほど、世界がそれを臨むように雨が降り出した。
「こんなに堕ちるのは――五百年ぶりだ」
まるで深海の底に舞い降りた気分だった。水圧で心が押しつぶされそうになって、肺に冷水を注ぎ込まれて、頭はキンキンに冷やされて、自分は誰にだってなれると思い込める。
ランは柏手を打った。
そして、大量の砲撃が襲い掛かった。立っていた場所は跡形もなく破壊され、舞う氷の塊は、全て蒸発してしまう。砲塔から飛び出た閃光で、巨大な水柱が立ち上がった。
現実の世界は生きづらかった。だから作り物の世界に没入した。この世界に来る前から、自分は世界の中心だった。彼女は依り代。そうあれかしと臨むなら、世界はするりと裏返る。これが噓かどうかなんて知ったことか。舞台は自分が決めるものだった。