GENE5-13.接ぎ木のお姫様
夜のとばりの中で、花のカーテンが蛍光を帯び、怪しく頭上と足下を照らします。
青鬼は自分がどこにいるのか、目が暗がりに慣れるまでよくわかりませんでした。
顔を覆っていた枝葉が崩れ、見ていたものとは全く異なる世界が現れたのです。それまで見ていた幻影は。全て葉の裏側で見せられていた景色なのでした。
視界が戻った途端、体中の感覚が息を吹き替えします。
そして、脳味噌に小枝が入り込んだような激痛が走りました。
立ち眩みをしてしまいますが、強靭な精神力を持つ彼は何とか踏みとどまりました。
次に自分が現実の世界に戻ってきたことを自覚します。
それまで夢の世界にいたことを、痛みがあって初めて認識したのです。ずっと呼吸をしていなかったのでしょうか、身体が酸素を求めます。肺の空気を丸ごと入れ替えるように、大きな呼吸を繰り返しました。
夢から覚めない方が彼にとって幸せだった――のかもしれません。
ぼやけた視界が戻ってきます。ボンヤリとした灯り以外、周囲に何があるのか鮮明になっていきます。
青鬼は桜の森の中にいました。見覚えのある看板が目に付きます。毎日歩いていたストリートであることに気付きます。桜が黴のように立ち並び、以前の景色とは程遠いものとなっていました。
桜は何か不具合があるようにぎこちなく、一つ一つ数えるように散ってしまいます。
「……姫様はっ!!」
彼を囲む景色は満開の桜でした。それだけではありません。
自らの使命を第一声として溢した彼を、立ち尽くす首なしの住民が出迎えてくれました。
彼らは指一本動かしません。彼等を見て、青鬼の刀を持つ手が震えます。
「あーー」
そして、一口分の息を吸い込みます。
「ああああああああああ!!」
吐き出したのは、叫びでした。
彼は発狂しかけました。むせび泣きました。あれはきっと夢ではありませんでした。世界は細切れになっていたのです。全て彼が切ったのです。街灯も、ベンチも、車も、この都市に住む人々も全て、全て切断したのです。
桜で覆い隠されそうになっていますが、刃の傷が付いていないものはありません。
「ああああ!! あああああ!!!」
地面に崩れ落ちました。自分の真上の桜は散る量を増していきます。この土砂降りの中で、持っていた刀を見つめます。自分も花として散ってしまえばどんなに楽なことか――。
しかし、自刃することはできませんでした。彼は正気を保つことができたのです。それは、男に一つだけ確かめなければならないことがあったからです。
唯一切った記憶がない彼女の、姫様の生死でした。姫様を切ろうと刀を振り上げた瞬間まで記憶はありました。そこから先が思い出せません。
「青鬼さん」
幻聴か、と彼は耳を疑いました。彼女の声が聞こえたのです。
顔をあげると桜の花びらで前が見えません。視界は一色に塗りつぶされています。風も吹いていないのに、ごうごうと大気の唸る音がします。
彼は立ち上がりました。慎重に声の聞えた方向へ進みます。もがくように腕を前に突き出しました。
足を一歩進みます。
「青鬼さん、こっちですよ」
やはり、幻聴ではありませんでした。それは姫様の声でした。
さらに三歩、足を進めると淡い紅色は薄れ、視界が明けます。
乱立する桜の木は迷路のように入り組んで、人の住んでいた気配が消えました。建物が消え、頭のない住民達が消え、本当の満開の桜の下に彼は立っていました。
前には彼女がいました。
一際大きな桜の木に寄りかかり、青鬼を見ています。
驚くことにそこにいる姫様は一人ではなかったのです。そこには、こちらを見る目が二人分ありました。
「……」
彼はまた絶句してしまいます。
「彼女」を持っている、「彼女」を見て、言葉を失ってしまいました。
姫様が、見知った淡い桜の花弁が積もった球体を、仮面のように顔の前に掲げていました。
最初、青鬼は仮面かと思いました。ガラスのような目をしていたからです。しかし、それは違いました。
それは仮面ではなく生首でした。彼女の死がそこにありました。しかし、持っているのもまた彼女でした。青鬼の唇がわなわなと引きつります。
「そっそれは――それは!! お前は一体誰なんだ!?」
「私じゃないですか。青鬼さん、何を言っているんですか?」
「俺になにをした!?」
青鬼を見つめる顔は切り離された姫様の顔でした。
彼女の顔がそこにあったのです。うつろな眼をしていました。それを持っている彼女もまた、曇りガラスのような眼をしていました。
青鬼は自分が自分でなくなった感覚がぬぐえませんでした。自分の見ていた景色が噓で、夢だったものが現実だったのです。何を間違ってしまって、こんな現実と向き合わなければならなくなったのか、彼は理由無き後悔に溺れそうになりました。
「それに私は何もしてません。お願いしただけですよ。私が願えば、そうなるものなんです」
彼女のみずみずしい黒髪を、彼女は愛おしそうに撫でました。
すらりとした指先で、冷たく上品な彼女の唇の端を押し上げます。首だけの姫様の口は堅く、なかなか口角はあがりません。
「青鬼さん? あら笑い方を忘れたの? こうするの」
やはり、彼女の唇はピクリとも動きません。けれども生首を持った彼女は満面の笑みでした。
笑い声に連鎖して青鬼の絶叫が轟きます。
彼女は青鬼の知っている彼女ではありませんでした。
彼女がこんなことをするはずがありませんでした。
脱力していた右腕が動きます。久方ぶりの彼の意志が伝わります。
「ははっはっはは!! あは――」
青鬼は女の首を切り飛ばしてしまいました。
地面に二つの球体がごろんと転がります。生温かい液体が男に掛ります。
全てが終わりと言うように、桜の強烈な竜巻が舞い上がります。男と首二つと体一つを守るようにドームを形成します。
青鬼は桜の竜巻の中にいました。淡い赤の世界は減衰していきます。力尽きたように色がなくなり、青鬼は白色光で塗りつぶされてしまいました。そこでまた彼の記憶は途切れました。
再び瞼を開けると、朝の光に照らされていました。
桜が一切消えて、くすんだ街が残ります。太陽は上がっていました。澄み切った蒼でした。乱雑とした桜が消えて、彼は城の中庭に倒れていました。何故自分がここにいるのか全く理解できません。
男は全て夢だったのだと信じたいのですが、城は切り刻まれていました。
ただ、あのむせ返るほどの桜の花は一変たりとも残っていませんでした。
「こっ……ちに」
姫様の声でした。男は僅かな希望を持って振り返ろうとします。しかし、力が全く湧いてきませんでした。生命力を失った身体では、顔を向けるので精一杯でした。
喋っていたのは、背後に転がっていた二つの頭のうちの一つでした。
どちらが切り落としたものか、もうわかりませんでした。
青鬼は唖然としたまま、目の前の喋る生首を見つめました。生首は目が合った途端、満面の笑みになりました。
「こっ……ちよ、……こっちに来なさい。拾って繋げるの」
呼ばれると背後から足音が近づいて来ます。一人の青年が歩いてきました。
青鬼は顔を持ち上げて、その光景を見るので精一杯でした。青年は声を出している方の頭を拾って、首を失った体の側へ持っていきます。
「そう、ゆっくり、ゆっくりよ」
「さっきの光は何?」と少年は生首に聞きました。声は小さく、ボンヤリとして、青鬼は半ば聞き取るので精一杯でした。
「知らないわ。私の姉妹が消えちゃった。綺麗だったのに。使い勝手が良かったのに」
姫様の声で話す、姫様そっくりの生首は、凜とした声でした。
「酷い言い草だね。ずいぶんとお願いをしたんでしょ」
「姉妹なんだから、お願いくらい聞いてもらってもいいでしょう――あら、何を信じられないって顔をしているの。おかしな顔ね」
新しい体と繋がって、天真爛漫に彼女は一回転します。青鬼に自分の姿を見せびらかしたいようでした。青鬼は彼女たちが何を言っているのかわかりませんでした。
「いいわ、貴方に教えてあげる。女って噓が上手なのよ。そっちの彼女はあげるわ。貴方の為に噓をついてもらったんですもの」
男のすぐ側には彼女の首が転がっていました。
力を振り絞って、彼女の頭にはいずりながら青鬼に近づきます。
「あら、どっちがどっちだかわからない?――なら、ヒントを教えてあげましょう」
言うなと、青鬼は大声で言いたかったのです。
しかし、もう力尽きて、出す声もありませんでした。
「私がお願いすれば、みんな言うことを聞いてくれる。誰だって。家族だって。例えお姫様だって」
女はクルリと振り返って、軽快な足取りで、彼を背にして進みます。
「ああ、生きてるって感じがします」
「これからどうするの」
「そうね、また姉妹を探すのもいいかもしれません――ちょっと、つなぎ目が雑よ。後でもっと丁寧に繋げてくれないかしら?」
口調の上品さは身体に影響されたのでしょうか。一つ一つの可愛らしい動作に、気品が含まれています。
「ねぇ、ルカ。この国のお姫様の名前って何?」
「知らなかったの?」
ぐらついた頭を、彼女はそっと押さえました。
「確かシルエラ――なんだったかな。長かったから全部は覚えてないよ」
「シルエラ。いいじゃない。今の私の名前にするわ」
少年から受け取った、真っ赤なマフラーを巻くシルエラは、横にいるルカに微笑みを投げかけました。
「今日が私の誕生日」
シルエラは小さく飛び跳ねます。誕生した喜びを噛みしめます。次の玩具を探す旅を、また始めました。
ヴェルドレーナ「ヘイYO! 今度はこっち! この回終わり! こっちのお話! 巫山戯ずお聞き!」
リル「YOYO!!」
アイゼン「……」
ヴェルドレーナ「yeah!!」
リル「yeah!! yeah!!」
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5章がやっと終わりました。
もうちょっと達成感に浸りたい。そして、ようやく次のステージへ、長かった。
6章ですね!キャラも沢山増えてきました。やっと三陣営!これからも、楽しい楽しい戦いです。いったん日常回?挟むかもしれませんが、先のことはよくわかりません。
最近寒くなってきましたね。皆様風をひかないように。
to be continued