GENE5-12.夜明け
「やっと自由に動けます」
爆破された教会の入口に、ベルは目を奪われる。その隙にスーは僅かな動作でナイフを投擲し、脚に結びついた鉄の錠を、どす黒い匕首で切り落とした。リサの血肉といってもいい、彼女が精製した特注の武器である。
能力生成物は、注ぎ込まれた世界の断片の総量で硬度が決まる。頑丈に見えた足枷はいとも簡単に切れて、スーは音もなくで着地する。
時間差で鎖が地面に落ちる。
不意打ちを食らってベルは倒れてしまう。幾本かのナイフが突き刺さりながらも、彼女はスーが吊されていた場所に目を戻す。
しかし、そこには切れた鉄枷が落ちているだけである。
「こっちです」
振り返ろうとする前に、ベルは背中を蹴り飛ばされ、リサの足下までバウンドしながら転がっていった。
スーの全力戦闘である。その速さも脅威だが、さらに恐ろしいのはその戦闘技術。
制限された環境下では満足に身体能力が発揮できなかった。しかし、それ以上に能力を全開で使えないことが、スーにとっては非常に歯がゆかった。
彼女の能力である「拡張視」は、リサの身内の中でも対人戦に秀でた力である。
「ベルっ!?」
スーは相手に一切の余裕も与えない。
「すばしっこいっ!!」
離れた場所で一連のスーの動きを見ていたハルは、走り出しながらスーに向かって指を振る。
ギロチンの刃が空中で生成され、スーを目掛けて落下する。ワンステップ、ツーステップで軽やかに避けて、反撃のため一気に距離を詰める。
数秒後、「きゃっ」と叫んだのはハルである。回転しながら弧を描き、起き上がろうとするベルに直撃した。
そして、間髪入れずにスーは大きく右腕を引いた。
一連の流れを感心しながらリサは、足下の双子を見ながら吞気に煙草を吸うだけである。しかし、そうのんびり煙を楽しむことはできなかった。
「……ん?」
スーの右腕から出た鉄線は、今にも崩れそうな教会の柱に絡まっていた。リサが見上げると巨大な屋根が前のめりに倒れ、大量の石材や飾られていた像が雪崩れ込み、驚く間もなくリサを含めた三人は、瓦礫の波に呑み込まれてしまう。
その姿が巻き上がった土煙で完全に見えなくなり、下敷きになったかも確認できない。その様子を置いてけぼりにされたフィンはボンヤリとした声をあげ、横に着地した、若干息を切らしていたスーを見上げる。
「……やりすぎじゃない?」
「大丈夫です。うちのお姉様はあれくらいへっちゃらです」
「そうよ、フィン君」
「お姉様っ!」
「スー、よく頑張ったね。フィン君も頑張った。ふふふ、そう驚いてはいけない。これくらい眠っていてもできる。特に私と師匠はね」
巻き込まれたように見えたリサは二人の背後に突然現れる。フィンはなにも言わずに、教会の惨状とリサを交互に見つめた。スーを抱き寄せながら撫でるリサは、フィンに向かってニヤリと微笑む。
黒髪を撫でられたスーは、くすぐったそうに肩を竦める。感無量の表情である。
「……お姉様、なんだか師匠と似てきましたね」
「うーん、それは噓だと言って欲しいな」
「どんなお姉様も素敵だとは思いますよ」
「そう、なら嬉しい。有難う、スー。それであの子達はどう? 見える?」
「もちろんです」
土埃が落ち着いて、国のシンボルとも言える建物の残骸が露わになる。観光や巡礼で訪れる人が多い名所は跡形もない。繊細な像も装飾も、粗雑な石片となっている。
双子の姿は確認できないが、乱暴に破壊された痕から激しい殺気が噴き出していた。
スーは大きく頷いた。リサが背中を軽く叩く。完全にやる気のスイッチが入った彼女は、嬉しそうに口元を綻ばせる。
ごとりと巨大な石壁の欠片が裏返り、笑いながら例の双子が立ち上がる。スーはこれ以上ない笑顔で出迎えた。
数分が経過して、満開だった周囲の景色は時期相応のものになる。リサが打ち込んだ毒――正確にはウイルスに類似したプログラムが凍結状態に追い込んでいた。
春爛漫だった街の様子とは裏腹に季節は冬であったことを思い出させる。忘れようとしていた冷気が、リサの肌に突き刺さる。夜はまだ明けない。気温は低下し続けていた。息の白色も深くなった。
周囲の森の桜達はさらに花を散らし、簡素な枝だけになる。花びらは全て地に落ちて、見渡す限り都市の地面を覆っていた。妖艶な薄紅色ではない。色が消えかかっている。透明な硝子の欠片に見える。まるで雪景色だった。
桜の花びらは脱色した脱け殻のようでもある。中には、弱々しい光を帯びている花弁もあった。しかし、そこにはもう何も力は残ってないように見える。
広場で停止していた木偶人形達も崩壊が開始した。自壊し崩れ落ちる人形も現れる。
壮大な祭りが終わった後に似た静けさが、都市一帯を包み込んでいた。あの桜の森が咲き乱れることはもうないのだ。
「スー、どうしたの?」
「……あの刀持ちの男、あれからどうしたんでしょう。気配が感じ取れなくてしまいました。ああ、でも気になるだけですよ。きっとここの人形達と同じようにもう動かないと思います。崩れ去ってしまったのかもしれません」
「気にするだけ強かった?」
「単調でしたが強いですよ。私の方が強いですけど」
「張り合わなくていいよ。わかってるからさ」
「お姉様!!」
「……ねえ、リサ。この人達どうするの?」
「待ってね、この森もどうするか考えなきゃいけないの」
桜の森は息も絶え絶えで、リサは真っ先にトドメを刺したい。しかし、まだ生かしている理由はある。貴重な研究材料をランと一緒に磨り潰して、一辺残らずその中身を分析したいのだ。
「どうせなら全部もって帰りたいけどね。花も魔物も全部ね……そしてこの子達もどうしよっか」
リサ達の目の前に横たわるのは、指一本動かせなくなった双子である。今はもうリサとスーに遊ばれて満身創痍になっていた
流血なしには戦えない。だから傷を付けずに闘った。単純である。綺麗に切り傷を治されて、自傷しようとも邪魔される。すると簡単にスタミナ切れになり、外見通りの華奢な美人なだけである。ただの一般人にリサはもう脅威は感じない。
痛々しい制約のある二人の戦い方をすぐに見抜いたのはスーだった。
苦痛を伴う能力である。能力すなわち願いの形であり、能力は人の生き様である。リサはふっと小さなため息をついた。
「こっちも悩みどころだね、一応帰る場所があるみたいだし」
彼女達の首に掛けられている傭兵の証は黒く、リサが初めて見る色であった。この世界では殺生石と呼ばれる石で有り、リサはここまで純度が高いものを見るのは久しぶりだ。
「ねえ……ねえ……」
起き上がれないハルの瞳孔は小さな点の様になり、目の前にいるリサを見上げて語り掛ける。しかし、リサはお願いされると絶対に叶えたくないと思ってしまう。天邪鬼なところは誰に似たのかと自分自身でも疑問だった。
瓜二つの双子でも性格は異なるらしい。一見、狂気じみているように見えるベルは可愛らしい寝顔である。暴れ続けて、真っ先に力を使い果たして寝てしまった。もう一人のハルは会話はできるが、その節々で読み取れる異常性を考えると、ベルよりも数段ネジが外れているようだった。
「……傷つけて……傷つけてよ」
「あー、うるさい。ちょっと考え事してるから騒がないで」
片方が力尽きて意識を失ってからこの調子である。三本目の煙草に火をつけた。
懇願する彼女も次第に気が遠くなっていくようで、リサが無視し続けると声が途切れ途切れになっていた。
ようやく疲れて眠ってくれた。
目を閉じて、意識を失った。ハルも可愛らしい寝顔である。眠ってくれたと安心するが、彼女の首に掛けられている首輪が、代わりにとばかりに起動する。まばゆい白色光が激しい点滅を繰り返す。
「お姉様、何かしました?」
「何もしてないよ」
寝転んでいる二人は幸せそうに寝ている。しかし、その真っ黒なドックタグは光り続ける。それだけじゃない。携帯電話が着信を知らせるような、ぶーんと重い振動が鳴り続け、4コール目で鳴り止んだ。
「……『リサ』」
音が出るのは意識を失ったはずのハルの口からだった。本来の彼女の声ではない。別人のものだった。咥えていた煙草が落ちてしまった。ノイズ溢れる機械音声が響き続ける。
『リサちゃ……ん? も……しもし? ああ! 繋がった! 繋がったよう!! こんな所で会えるだなんて奇遇だね』
「……本当に奇遇ですね。レーナさん。一年ぶり?」
一年以上前に初めて会った頃と何も変わっていない、甘ったるい声だった。
『わお! 感激だね! 名前どころか呼び方まで! 僕は感動で涙が止まらないよ!』
まるでロボットのように喋り出すハルは横たわったまま。
彼女の奇妙な声に、ベルは瞼を薄く開く。数十分寝て僅かに回復してしまったらしい。不幸なことに目が覚めてしまったようだ。奇妙なハルの様子を見た瞬間、ベルが震えて叫び出す。リサが会って始めて、ベルの素の表情を見た気がする。曇りのない悲鳴だった。
「……ハル? ハルっ!?」
『はいはい。君の出番はもう終わり。僕の人形は黙ってて』
「ハっ――」
ぐるんと首を回した操り人形のハルは、ベルに向かって片目を閉じる。それはウインクとは呼べない感情表現だった。まるで自動ドアのように右目は開閉し、ベルはそのまま目を見開いたまま、強制的に身体の自由が奪われてしまう。
「レーナさん……」
『ねぇ、リサちゃん、僕の玩具が何か悪いことしてないかな? 大丈夫? ともかく久しぶり! レーナお姉さんだよ。元気してた? やっと会えたね。ずっと探してたんだよ? もう随分会ってなかったね、私の話、覚えてる? こっちに来ない?』
「……」
『なんだか楽しそうにやってるみたいじゃない。でも、あんまり暴れられても困るんだ。僕たちには段取りっていうものがあるからさ。協力関係を……うそ。なんで君がそこにいるの? 君はマー君の分身体? どうして』
「そうですよー」
『……なんでリサちゃんが答えるの? どうして一緒にいるの?』
「拾ったんです」
『……』
「レーナさん、ごめんなさい。今のこの子の飼い主は私なの」
スピーカー越しでもわかる。彼女のおどけた調子が消えた。音声を発していたハルは、口を開いたままフリーズしてしまった。口を開けたまま、カタカタと震え出す。疲労で立つこともできないのに、無理に腕を立てては、地面に突っ伏す。機械的にその動作を繰り返した。
「さないい!! ぜっ――」
音声が潰れて、聞き取れなくなってしまった。騒音からは怒りが滲み、リサの横にいたスーは一歩後ずさりをしてしまう。
『……さない。許さない! 狡い狡い狡い!! 私だって! 私だって!! 私だってほしいのに!! 我慢してたのに!! ……もうお願いだからさ! それも僕のものなんだから!』
スピーカーであるハルの喉から出ているとは信じられないほどの、大音量の音声である。溜め込んだ怒りを一気に噴き出して、一端落ち着いたヴラドレーナの声は冷酷さを増していく。倒れたまま、横目でリサを見上げたまま、彼女の話は止まらない。
荒れた音声は、負の感情を押し込めた、静かな声に変わっていた。
『あー、僕の願いも捨てたもんじゃないよね。本当はお礼が言いたかったんだ。誘いに来たのに。もう後は全部私達がもらうから。それと、最後に一つだけ』
彼女の声と共に街全体が震えだした。リサ達を包むのは花が落ち始め、枯れ木になっていく森の中。その森をすっぽりと取り込んだ規模で共振が起こる。地震ではない。枝も建物もすべてが一定の周波数で震えているのだ。
『……これ以上新参者は出しゃばらないでくれるかな?』
桜の森が終わろうとしていた。リサは寒気を感じて空を見上げる。
『――それじゃあまたね。もう会えないかもしれないけれど、これくらい生き残れるよね?』
ブチリと音声が断絶した。
ノイズが走って、周囲の透き通った桜の吹雪が舞い上がる。
「おねえさまっ」
桜の花弁はほとんど散った。城と教会の真上には、真っ白な球体が浮かんでいた。巨大すぎるそれは船艦なのだろうか。大きすぎてわからない。リサは巨大な星が落下してくるのかと思ってしまった。
それから空の上で光が瞬いて、膨れあがって、不気味な淡紅色の世界は白一色に飲まれてしまった。
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無人の建物群が残されて、桜は跡形もなく消え去っていた。新品の廃墟である。
あれだけ生えていた桜の樹も枝一本、花びら一枚無くなってしまった。もちろん木偶人形の指一本残っていない。
空にあった船艦は消えて、要らないとばかりに吐き出された残骸が振ってくる。数え切れないほどの衣服だった。あの木偶人形が着ていたものだろう。ヒラヒラと舞う中に、一直線で落下する物体もあった。傭兵が道に付けていたものと思われる、頑丈なブーツやジャケットである。
血肉となるものは、全て取り込んだということなのだろう。
教会広場と対面する公園は殺風景である。入口から遊歩道を進むと開けた空間に出る。その中心にぽつんと噴水が配置されていた。まわりには人一人いない。それまで桜に囲まれて目立たなかった噴水は、今度はその寂しさが増していく。その水面は鏡のように周囲の風景を映し出していた。
止まっていた噴水は、桜の存在がなくなったからか、いつも通り機能し始めた。噴き出した水が落ちて、その鏡面を乱そうとする。水滴があと数センチで水面に触れようとするその瞬間、一本の腕が突きだした。
「……ちょっとやばかった」
水辺から身体を引き釣り出し、噴水の縁に両手をしがみつかせて一息ついたのはリサである。温泉に浸かっているようにも見えるが、凍えるほど寒い中で、冷やされた液体が頭の上から降りかかる。身体が縮むほど冷たいが、ヴラドレーナの攻撃を回避できたことに安堵してしまう。
光が広がるよりも早くリサは動き出し、スーとフィンを拾ったまま、公園の噴水に飛び込んだのだ。
「最後くらいは動いてくれて良かったよ」
ザブリと噴水から出て、リサは手元に浮かぶ球体を撫でる。紅いランプが点滅して、自動でリサの身体を乾かす温風が生成した。リサの生命力を書き込んだ術式を解して、自動変換するこの機能が、ようやく最後になって動き出したのだ。
「これで動かなかったらゴミ箱行きだったのにー」
ランの実験成果が役に立つとは思わなかった。
妨害をされていたのはスーやリサ達だけじゃない。ようやく動き出した機器を叩き起こし、補助演算機能を作動させ、リサは一目散に鏡面世界へ移動できたのだ。
リサが伸びをして背筋を伸ばすと、影から飛び出したのはスーとフィンである。乱暴に影から放り出されてしまうが、そのまま二人とも器用に着地する。
「すいません、助かりました」
「怒らせたの私だから謝らなくていいよ」
「お姉様。怒らせたのは自覚してるんですね」
「もちろん。わざとだし」
頭を抱えるスーと憮然としたフィン。フィンは自分の話もあったのに、特に変わった様子は見られない。リサは思うままに手を伸ばすと、二人ともなすがままに撫でられる。
「私、あの人嫌いなんだ。一回しか会ったことないけど」
無人となった街は桜が消えて、切り刻まれた痕だけが残っていた。そのままリサ達が教会広場まで進む。見事に桜の樹が消えて、リサは貴重な拷問相手が消えているのに、頭を抱えてしまう。
「あー、何に使うんだろう。あの人」
ヴラドレーナが吸収した桜たちは処理されたのか不明である。しかし、全て吸収していった訳ではないようだ。
さらに歩みを進めると、悲痛な叫びが聞えてくる。生き残ってるのはリサ達だけではないようだ。
泣き喚くベルがそこにはいた。
目が覚めたベルは発狂しながら大声で泣いていたのだ。
そして、教会広場は真っ赤に染まっていた。
彼女はゼリー状のハルを抱えようとしている。修復が追いつかないのだろう。凝固しかけた血液のようでもある。抱きしめようにもその状態の彼女は簡単にベルの両腕をすり抜けてしまう。
「ハルが――ハルがっ!!?」
「彼女が一人で守ったんでしょうか…」
広場一面には真っ赤な血が同心円状に散布されて、大量の出血をしたのだろう。何度も何度も自分を傷をつけて、先ほどの攻撃を乗り切ったのだろう。
「ねぇ! 起きてっ! ハル! 起きて!」
「馬鹿ね。泣かないの」
リサはスーからナイフを受け取って、指先をナイフで切って血をぽたりと垂らす。ハルはその一滴を取り込んむと、次第に鮮明に形づくられていく。
見上げるベルは呆気にとられている。もう片方はそんなに素直な目で見つめてはくれないだろう。何しろここまで彼女を追い込んだのも、半分はリサ達なのだ。
「連れて帰るよ。彼女達も帰るところがないようだから。ああもう面倒くさい。身体の隅々まで調べなきゃ。絶対、変な虫が付いている」
ため息を付くリサに、スーが疲れをいたわるように背中を撫でる。今後のことを考えると倦怠感を感じてしまう。喧嘩を売って不味かったのではと、今更になってリサに頭痛がやって来た。
「なんだかひどく疲れたよ――うん?」
「どうしました?」
「気のせいかな。なんだかね。ほら、場所がバレてる。さっさと撤収。そして、師匠に急いで報告。直接ね。あー、もうのんびりはできなさそう。あの人達が動き出した。暇をもてあましていた師匠はきっと喜ぶよ」
リサが柏手をうつと、蜃気楼に上書きされたように、その場にいた全員の姿が消え去った。
スーです。あんまり久しぶりな感じはしませんね。それでは能力を説明します。
「満開の桜の下で」
ついに分身体も三人目。その能力です。三人目は、信仰の象徴である桜に取り憑いたようですね。
この能力には段階があります。屍体を吸収するにつれ、桜がレベルアップするんですね。その規模で可能なことが増えていく能力です。最終的には迷路のようにまで成長していました。能力阻害、強制転移、取り込んだものを強化、操作等ですね。私達は御姉様の能力で、師匠の能力を使用して、全くもってばれませんでした。相性が良かった――と言い切れるのかは疑問ですが。運が良かったとだけで済ませていいのでしょうか。
屍体を吸収するのは遠隔でもできるみたいです。