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GENE5-9.咲き乱れる霧の中で

 

 回転して、斜線を引いて、地面に滑り込む。


 一つ花弁が落ちた。粉雪と変わらない。滑らかな速度である。

 欠けた花冠は無数にあって撒き散らされ、散り乱れ、地面を着色していった。


 桜色、薄桜、桜鼠、灰桜。透き通る硬質な色彩が積み重なって、斑模様の絨毯となっていた。


 ここは桜の満開の下である。そして、満たされていく桜の花びらの上である。

 風は全くないのに、花びらが舞っていった。


 むせ返るような冷気の中で、彼女達は息を吐いた。雪のように白くなる。


 ハルとベル。 

 二人は時計の真上にいた。調査拠点の中央にある学校の屋上に腰掛けて、脚をぶら下げリズミカルに動かす。

 赤と黒のツートーンの彼女達は浮き浮きと笑っていた。心の底からおかしそうな声である。広がった絶望の下、足下には兵舎のテントが立ち並ぶ。お互いの指を絡めあい、空いた方の手で彼女達はその数を数えていた。


 巨大な時計はどの生徒でも見える位置にある。つまりはこの調査拠点を見渡せる位置にあるのだ。時計は二時十分を示したまま、凍り付いたように動かない。


「何人いるのかしら?」

「何人いるかは知らないわ、でもたくさんだわ。数え切れないもの」

「これで私たちは長生きできる」

「ふふふ、そうね長生きできる。でもこれで足りるかしら」

「足りると思うわ。時間は限られているけれど」

「そうね、時間は大事。限りあるものは大切に使わなきゃ」

「彼らも一緒ね。大切にしなきゃ」


 円状に広がった調査拠点のゲートは四ヶ所あって、そこ以外に出入すれば警報が鳴る仕組みになっていた。鉄条網が貼られ、警戒は厳重である。


 しかし、緊急事態を知らせる音は鳴らない。

 それはここが先までいた場所とは全く異なる環境であることを示していた。


「そろそろね」

「そうね、まだ誰も気付いていないわ」


 兵達の巣を迎え入れるように桜が囲む。桜の樹で覆われた背の高い建築物は、彼女達の拠点を取り囲む。空間が区画ごと置き換わり、彼女達は「大開花」した都市の中へ引き込まれてしまっていた。


 それが桜のせいかはわからない。ハッキリしているのは、彼女達は桜の森の胃の中にいる。

 あとは消化されるのを待つだけだった。


「上手くいったわ。これで私たちは近づけた」

「そうね、上手くいった。これで手が届く」

「でも、もっとうまくやらないと」

「仕方ないの。わかってもらうのに苦労したわ」

「仕方ないわ。でも、暗くなったのは運がいいわ」


 桜の森のせいだろう。魔導灯の明かりも消えてしまった。今夜は月も出ていないので、光は一筋さえもなかった。


「あら、天使がやってきたわ。みんな寝ているのに残念ね」

「きっと天国は良いところね」

「ふふ」

「ふふふっ」


 侵入者だ。拠点に近づく黒い影は数百はある。蠢きながらその群れは忍び込む。

 蜘蛛のように柵を越え、草木と手脚が擦れ合う。ささめきが合わさって無音のざわめきとなっていた。寝ているものを起こすほどではない。


 がさごそと気味の悪い昆虫の動きに見えるが、脚は四本であった。


 敷地内に侵入したのは人型のシルエット。

 四本脚から立ち上がり二本脚になって、誰かを探すように蠢き始めた。足取りはおぼつかない。歩き方をすっかり忘れ、ぎこちなく前進する。もう人間の挙動ではなかった。


 数分して静かに火の手が上がった。


「始まったわ」

「ええ、始まった」


 燃えさかる細やかな炎を前に、彼女達は澄んだ声で歌い始めた。



 *******



「火事だー!!」


 僕は寝付けなかった。彼女達の瞳が妙に頭に焼き付いていたせいだった。いい加減寝なければと思った矢先である。やけに小さな悲鳴だった。

 テントの内側は暗闇で、外の様子はおろか明るささえわからない。


「神様-!!」


 次に聞えたのは、かすかな絶叫だった。きっと目が覚めていた僕にしか届いていない。腕時計の秒針を追っていた僕は、すぐさま飛び起きた。

 音の方向に振り向いた。布越しの声の発信源は遠くなのか近くなのかわからない。小さすぎたのだ。

 空耳だと思ったが、次の叫びで確信に変わる。


「うわあああああ!!――」


 もう一人。先ほどの声の持ち主とは別。

 まるで電源プラグを抜いたラジオのように、ぶちりと音声が途切れた。深夜未明の目覚まし時計にしては過激すぎだ。

 すぐさま隣のベットで寝ていた先輩を揺すった。


 口をあんぐりと開けたケニーは頼りになるかはわからなかったが、僕が気軽に叩き起こせるのは彼しかいなかった。


「ケニー! 起きて!」

「どうした……」

「いいから! 早く!」

「……んだよ」

「しっ、黙って」


 僕は寝起きのケニーの口を片手で塞ぐ。

 自分でも乱暴だと思ったが緊急事態だ。耳を澄ますとまた悲鳴声が聞えて、途切れてしまった。


「おいおいおいおい!! みんな起きろって!!」


 ケニーの微睡んだ瞳がくっきりとなり、目が覚めた彼は大声を出す。僕が精一杯出せる声よりも数倍の大音量。僕たちのテント内で寝ている十数人が起きた気配がした。


「起きろ!! 起きろって!! 敵襲だ!!」


 その単語を聞いて、慌てて僕たちは立ち上がる。磨き上げた銃と装備を拾い上げて、十秒前まで寝ていた僕達は勢いよく外へ飛び出した。

 飛び出して、息を呑む。出迎えた外の世界を誰も予想できなかった。


 パリンと足音が鳴り続いた。薄いガラスが散らばっていると思ったがそうじゃない。 

 頭上には桃色、足下には桜の花びらがみっちりと敷き詰められている。目が回りそうな光景だった。


 仄暗い桜色は美しかった。


 灯りも消えて、遠くのテントに火の手が上がっている。唯一花を照らす光源である。


「どうして森の中にいるんだ!?」

「知るか!」

「おい! あそこ! 火事だー!!」


 皆が口々に疑問を叫ぶが、誰も答えられる者はいない。遠くの方でテントがいくつか燃えさかるが、僕たち以外の人の声はない。大半はまだ寝静まっているようだ。


 騒ぎを聞きつけたのだろう。

 周囲のテントからもワラワラと兵士達が出て、僕らと同じように驚いていく。この変化を見て、戸惑わない者はいなかった。



 パリリリン。

 僕は一つだけ異なる足音を聞きつけて、目を向けるとそこにはおかしな影があった。


 手脚は映えているが、人間とは言いがたい影である。


 鋭い二歩か三歩を進んで止まる。痙攣しながら歩いているように、急発進と急停止を繰り返していた。

 全体像が闇に呑み込まれて見えない。

 一般の人が迷い込んだのだろうか。見慣れた軍服と軍靴ではない。


 パリリリン。


 周囲の皆もその不規則な足音に気づき、恐る恐る注視していった。

 彼、または彼女は寝間着を着ていた。おそらく青色の。シルエットが次第に明確になっていく。


 膝小僧には枝が突き出ていた。

 腹部から肩に掛けては、何かを隠したいように枝が発達していく。花や葉はついていない。


 だから首がないことを、その場にいる全員が即座に理解した。


「一体なんだよ!! おい逃げろ!」


 歩く首なしは四足歩行に切り替わる。タンタンタンと細かなジャンプを繰返して、僕たちと距離を詰めた。


 急に奇怪な木偶人形が飛び上がった恐怖は大半を硬直させた。僕の頭上でケニーが叫ぶけれど、その警告も空しかった。


 二つ隣のテントから出てきた不運な男は、そいつと目が合うことが無かった。いやそもそも目が合ってもそいつに目なんてものはない。


 ともかくそいつに彼は首を切り落とされた。

 頭部ははたき落とされたように地面に落下し、噴水のように血が噴き出した。

 あんなに遠かったのに血の飛沫が飛んで来た。顔に掛った甘い液体は温度を失っていく。


「ああああああああ!!」


 一振りの刀のような手であった。一刀両断して前のめりになった人形に反射的に銃弾が飛んでいく。

 襲われていることにその場に居る全員がようやく自覚したのだ。


 数十発の弾丸に当たり、そいつはひび割れて瓦解していく。その身体はもろい。まるでガラスの人形だった。一匹を駆除しても蠢く黒はまだ見えた。不気味な跳躍で近くの兵士をもぎとっていった。


「まだまだいるじゃねえか!」

「撃て! 撃てー!! 殺せー!!」


 銃撃で基地全体が共振するように、警戒態勢が広がっていた。

 騒ぎが伝搬して、兵士達が一つの生き物となったように組織として動いていく。


 基地全体を照らす照明弾が打ち上がり、緊急事態を知らせる音が頭上から振って、司令部が起動したことを知らせる。どこからか応戦せよと指示が伝わってきたが遅すぎる。


 檻の様に広がった枝に囲まれて、拠点が森に呑み込まれていた。しかし、驚いている暇はない。


 明るくなって、拠点の外側へ続く道に三十余りの人型が露わになる。彼等の動きは害虫を彷彿とさせ、拒絶するように銃弾が放たれていく。


 奴等に囲まれたテントからは悲痛な泣声が聞えた気がした。

 寝床から飛び出て、果実がはじけるように首をもぎ取られたものもいた。

 僕たちは必死に反撃の手を止めない。誰に向けたかわからない独り言を怒鳴りながら、ほぼ全員が戦闘態勢に移行した。


「夜襲だ-! 死にたくないなら起きろ!」

「襲撃ー!! 襲撃だ-!! 」

「ひ、ひぃ」

「近づけなれけばいい!!」


 銃の衝撃で首なしの化物は数歩のけぞる。すかさず数発打ち込むと、四肢だけの身体にヒビが入って、石化した組織が散らばっていく。

 僕とケニーも出来たての隊列に加わりながら発砲する。近くの標的はほとんどが砕け散ったが、奥から小刻みなジャンプをしながら近づいて来る怪物は後を絶たない。


「クソ! クソ! クソ!! 何匹いるんだよ」

「知らないよ! ねえ、ケニー!」

「だからさんを付けやがれ! なんだよ!? おしゃべりしてると死ぬぞ!?」

「あれよく見てよ」

「化物がどうかしたってのかよ」

「あれ、人間だって」

「ああそうかよ。俺の知ってるのは頭があるやつだ」


 一息飲んで、僕は数十メートル先に着地した四つ脚を破壊する。これで三匹目だ。今度はスーツ姿だった。どこかへ出勤する途中なのだろうか。


「レークヴィエムの住人って十万人は越えてたよね」

「ああそうだ」

「死体は一つも見つかってないんだよね」

「……」

「あと何体倒せばいいと思う?」

「笑えない。聞きたくなかった話だ」


 抵抗も安定して、動く的も少なくなってきている。何度か小さく前進をして、外へ外へと押し返せてはいた。ただ、その後から押し寄せてくる勢いが止まらない。


「弾! 弾をくれ-!」


 誰だって死にたくない。一丸となって一つの生き物として、防衛機能が働いていく。目の前で首が切り飛ばされてから、犠牲者はもう見ていなかった。


「いけるぞ!」


 そして、初めて希望を含んだ声が上がった。

 蠢く首なしは後数匹。それも身体に亀裂が入って崩れ落ちる。彼等はもろく、数発で壊れる者もいたのだ。耳元で安堵の息が聞える。


「……いつもこんな感じなの?」

「いつもこんなでたまるか!」


 僕の問いにケニーは投げ捨てるように答えた。

 戦闘状態から冷め、恐怖を目に浮かべている兵士もいた。安全だとは思っていないが、ここまでの危険があることを僕も始めて自覚した。

 倒れきった頭部無き遺体が折り重なってる。敵味方関係ない。敵はもともと頭部がないが、味方は新しく頭が取れたばかりである。


 怒濤の発砲音がついになくなり、もう襲ってくる敵はいない。


 僕は嵐が本当に過ぎ去ったのか信じられなかった。体の震えが消えなかった。ケニーだって同じに見える。誰だって完全に追い払えたとは思っていない。


 後頭部に視線が刺さり、振り返って時計を見ると、僕たちを見下ろしていた、例の赤と黒の二人と目が合った。


 一瞬口角を上げた。口を動かしているが何を話しているのかは聞えない。

 はっと息を呑むと、立ち上がる花びらが視界に入る。


 巻き起こった異変によって、空気がさらに不穏になっていった。

 無風の中で大量の花の破片が舞い始める。息もつかせてくれなかった。


 これで終わりではないらしい。


「噓だろ――」


 ケニーはそう言ったが噓じゃなかった。僕も勘弁して欲しかったが、やはり噓ではない。桜の花弁がおびただしい量になって、僕たちの視界を奪っていく。


 全てが桜吹雪でリセットされた。

 世界は何もなかったようだった。そして、奇妙な浮遊感に襲われる。

 砂嵐に巻き込まれたように、皆の声がノイズ混じりになって、声も汗の臭いも怒鳴り声も消えた。


 視界が完全な一色となる。

 吹雪が過ぎ去ると別の景色になっていた。


「どこ?」


 流石に僕も独り言を漏らしてしまった。


 僕は森のどこかへいた。正面には有名なレークヴィエムの城が構え、前に進めというように広い車道が続く。

 乗用車は全て寸断されていた。ビルディングが乱暴に切り刻まれ、桜の樹が無造作に突き刺さる。外からは桜で見なかった惨劇の痕である。まるで台風が通り過ぎた後だった。


「さっき目が合いましたね」


 またこの視線に串刺しにされた。

 僕は声を失った。まさかここで会うとは思ってもいなかったのだ。強制移動させられて、さらに不意を突かれた僕は、彼女のセリフにまた返答できない。


 すぐ背後にはハルと呼ばれていた彼女がいた。相変わらずの悪気のない笑顔である。


「私たちも一緒に飛ばされてしまったみたい。これは予想できなかったわ」

「……」

「ねえ、いい加減貴方の名前を教えて欲しいわ」

「君たちは本当に……」

「貴方と同じ人間よ」


 彼女は僕の問いにいち早く答えてしまう。 


「みんなどこか知ってる? 私もベルとはぐれちゃったみたい。ほら私が答えたのだから、貴方も私の質問に答えて欲しいわ。名前は何て言うの? まさかこんなことになるなんてね。早くベルと合流しなきゃ」

「……さっき笑いました?」

「ええ。そうよ」

「ど――どうして……」


 笑えるんですか、と僕は言いそうになって口をつぐんでします。彼女はそれも読み取ったかどうかわからないが、僕に息が掛るまで近づいた。

 彼女の大きな瞳に僕はまた呼吸負荷になる。空気を求めて目を背けてしまった。


「そうしたいから。他には何にも無いわ。考えたって無駄よ。どうして立ち止まってるの。貴方も着いてきなさい」

「着いていくってどこに?」

「あのお城よ。ベルもきっとそこへ向かってるわ。遅れては駄目よ、急がなきゃいけないの。じゃないと」

「じゃないと?」

「全員殺されてしまうわ」

「……」


 僕は彼女に着いていくしかないようだ。


「ちょっとおしゃべりしましょうか。そうね、自己紹介をしましょう。人に聞くのなら私から名乗るのが筋だわ。ハル。短いでしょう。それだけよ」


 そして、僕はハルに自分の名前を教えてあげた。

 彼女の瞳は近くで見ても、生気が灯っていなかった。



 ******



「静かになった?」

「終わったみたいですよ」

「反対側で何が起きているのやら。これだけ邪魔されると腹が立つよ。新兵器のボール君も使えなくなっちゃった」

「この森、能力が阻害されます」

「そうね、身を隠すくらいで精一杯だよ」


 神をも騙せるランの力。リサの師匠である彼女の能力、蝴蝶之夢ドリームズカムトルゥーに例外はない。

 桜の森に入ったことを気付かれてはいない。この桜の森自体にも、森を彷徨う首なしの木偶人形にもである。


「あれ生きてると思います?」

「死んでるよ、体が操られてるだけ。枝が刺さってるでしょ。あれがアンテナなんだよ」

「よくわかるね」

「まあこの前食べたからね。おっと、フィン君。そんなゲテモノを食べたような顔をしないでよ」


 桜の森の下は、普遍的な日常が一辺に切断されて別世界になった様子が窺える。


「見て。綺麗に切断されている。断面が滑らかだ」


 交通標識の断面をなぞって、建物を見ると同じ角度で切断されている。世界が斜めの一太刀でカットされていた。

 都市全体がミキサーにかけられたように、見るも無惨な光景である。


「うわー、おっかないねー」

「お姉様どうしますか?」

「あの首なしには手を出さないで、刺激しない。こっちから手を出さない限りごまかせる。あれは手を出すと群がってくるよ。中央へ向かおうか。ほら、立派なお城が見えてきたよ」

「誰が住んでるんだろう」

「フィン君。やっぱり気になる? 私もね、気になってしょうがない」


 禍々しい城である。花が咲きすぎて、入道雲が立ち上っているように見えてしまった。


「あれどうします?」

「雑魚やっても無駄だね。親を狩れば全部枯れるよ。こりゃ例の御神木あたりが怪しいかな」


 事前の調べで宗教のシンボルとなっている大樹が桜の樹だと聞いている。今回の対象はそれではないかという考えは、森に踏み言ってほとんど確信へと変わっていた。


 リサは神様の樹をさっさと枯らして、煙草を吸いたかった。

 足早に森の奥へ歩を進めていった。


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