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GENE5-7.接ぎ木の王国

 

 男は王国に仕えている軍人でした。唯一の守人(モリビト)です。大都会を守る最強の武人でした。


 守人(モリビト)とは、この国を守る兵隊の長です。しかし、彼は孤独でした。守人(モリビト)の候補生となる兵隊はいるのですが、男と比べると戦力と呼ぶことはできません。

 彼には一振りの名刀が与えられています。たった一人の男が使徒のいる他国に劣らない抑止力となっているのです。


 刀は神の右腕の骨から創られたものだといわれています。その刃は王都の隅から隅まで届きます。使いこなせる男の腕も相当なものでした。


 彼は城を守ります。その城を中心に広がる王都を守ります。世界有数の大都市が、彼の右腕によって守られているのです。


 男には一つ悩みがありました。どうしてか夜になると、いつも同じ夢を見るのです。


 夢の始まりは夜更けでした。



 男は時たま窮屈になって、こっそりと抜け出して、息抜きをすることがあります。この国に欠けてはならない需要人物だからこそ、王様も細心の注意を払うので、うんざりすることは何度もありました。

 男は王様に恩義を感じてはいません。しかし、彼がこの国に仕えているのは、姫様がいるからでした。


 都会は男の生まれ故郷である山とは、全く異なった世界でした。

 暗い路地裏を彼の軍靴の音が響きます。世界は混凝土(コンクリート)でできています。土くれなんぞは一切目につきません。

 その代わりにゴミ溜めの匂いが鼻につきます。

 建物の谷の奥では、暴漢に襲われてしまうかもしれません。男はそれでも構いませんでした。何しろこの国最強の男。襲撃者がいたら喜んで腕を切り落としますので、心配は不要です。


 街灯は途切れ、男は腰にぶら下げた普通の刀に手をかけます。神の刀は光という光を吸い込んでしまうほど黒いのです。今持っている刀ではありません。王様の下で厳重に管理され、有事の際しか持つことを許されないのです。


 しかし、ありふれた刀でも男には十分すぎるほどでした。

 鋭い金属音が走りました。男はいつの間にか抜き身の刀を右手に持っていました。


 空き缶が舞い上がり、真っ二つになります。それから何分割もされ、目に見えない粒子になるまで切り刻まれていきます。


 男の腕は研ぎ澄まされていました。

 この国を守るに足る、最強の武力でした。


「こんばんは」


 男が刀を鞘へ収めると、闇の中から問いかけられました。


 そして、あまりの美しさに、背筋が凍りました。


 呼び止めたのは女でした。真っ赤な瞳をしていました。その整いすぎた顔立ちは、暗がりの中でよく目立ちます。滑らかな黒髪は、暗澹たる影と同じくらい黒いのに、髪の毛一本一本の動きまではっきりとわかります。


 男は首筋にべったりと汗が浮き出るのを感じました。思わず刀に手をかけます。


「ねぇ貴方。私会いたい人がいるの。会わせてくれない?」


 男は生まれてきて初めて逃げたいと思いました。足がすくみます。怯えるという感情を覚えました。

 何事もなかったかのように来た道を引き返そうとしました。男の背中に、彼女の鋭い言葉が突き刺さります。


「こんな所に一人で置いていかないで。寂しい思いをさせるなら、舌をかみ切って死んでやるんだから」


 男は命の危険を感じました。話を聞いてやらなければならないという、強迫観念が生まれました。


 哀しいことに振り返って話を聞いてしまいました。


 我が儘な女でした。どうやら彼女はこの国に祭られている神様に会いたいとのことでした。この国で信仰されている御神木のことでしょう。

 始めは嫌だと断りました。彼は大変勇気のある男でした。幸か不幸か、男の身分があれば、その御願いを叶えることは不可能ではありません。しかし、会わせてはいけない気がするのです。彼女は引き下がりません。会わせろ、会わせなければ死んでやるとの一点張りです。


 彼女の瞳を見ていると、命が吸い込まれて行くようでした。

 男は目を合わせたくありません。今すぐ立ち去りたいのですが、彼女は許してくれません。凶器とも言える吸引力を持っていました。火に引き寄せられる羽虫の気分でした。彼女が消えてくれるまで、男は離れられない気がしました。


 男は生き残りたい一心で、彼女の「お願い」に頷いてしまいました。


 御神木は男の帰り道にありました。さっさと見せて、満足してもらおう。男はそう思っていました。


 礼拝堂の中で厳しく警備されていますが、男が顔を見せればすんなりと入れました。

 世界中の信者が御神木に触れるために集まります。生命力溢れる神様の象徴でしたが、男は森に生えている木と何も変わらないと思っていました。


「貴方達はこれをなんて呼んでいるの?」


 女は見たがっていた大木を見て、喜ぶわけではありません。男は不思議でしたが、何も問いかけませんでした。

 それは神様であるとだけ、男は答えます。女は腹がよじれるほど笑いました。身体を折り曲げて、小刻みに震えるほど笑いました。


「神様の木だって!? なかなかいいこと言うじゃない。悪くない宗教ね」


 女はその木に触れました。毎日信者達に撫でられて、木の幹は一部皮が剥がれています。人の手ですり減らされたのでしょう、滑らかな木部がむき出しになっています。


「あなたがうらやましいわ。こんないい依り代で」


 女の口角がわずかに上がりました。男は彼女が何を言っているのかわかりませんでした。木と話しているように見えました。

 礼拝堂から出ると、女はパッと目を離した隙に消えました。男はようやく逃げ出すことができました。自分が生きている実感を噛み締めました。



 ******



 この国は宗教によって成り立つ王国です。王家は神に仕える唯一の家系だといわれています。男の住んでいる城は礼拝堂のすぐ近くです。

 あの後すぐに自室に戻り、三時間寝て、男は朝早く起きました。毎日欠かさずこの時間に起きるのは、大切な習慣があったからでした。深夜に出歩いてもそれは変わりません。身だしなみを整えて、朝の鍛錬へ向かいます。


「青鬼さん、こっそり抜け出してはダメですよ? また散歩に出かけたでしょう? 貴女ばっかり狡いです」


 男が毎日最初に見る人は、この国のお姫様でした。鍛錬場で会うのが、男の一日の始まりでした。

 姫様は二人で会ったときは男のことをあだ名で呼びます。その名前で呼ぶ者は他にいません。何故なら男が口を聞けなくなるほどに殴るからです。


 姫様は頬を膨らませて、素振りを繰り返す男に向かって呟きました。


「私も一緒に連れ出してほしいです」


 それは無理だと、男は首を振ります。そもそも姫様が鍛錬場へ来ること自体が余り褒められたことでありません。


「私は話したいからここに来ているんです。それでいいじゃないですか」


 以前来ないで下さいといった男に対して、彼女はこう答えました。早朝の鍛錬場は二人が唯一会話できる場所でした。

 男は由緒正しい家系ではありません。それどころか罪人でした。殺すことしか能のない男でした。刀の腕がめっぽう強いだけでした。ここまで出世できたのは姫様がいたからでした。


 男は彼女に一生着いていこうと思っています。


 自分の命を救ってくれたのは彼女だからでした。

 今では、王に仕える存在になってしまい、姫様と話す時間もめっきり減ってしまったことが、男の唯一の不満でした。


「青鬼さん。次は朝食の後でね」


 早朝の習慣は終わりです。これからそれぞれ部屋に戻り、朝食を食べ、仕事の時間です。

 男は気持を切り替えるために、シャワールームに向かいました。




 これは思い出したくない夢でした。ここで終わるなら良かったのにと、男は毎朝思います。




 広間は朝食の後でした。男は深紅の軍服に体を押し込めるように来て、王様に朝の挨拶を行います。そこには姫様も王女様もいました。


 国を守るために男は生きていません。姫様がいるから男は生きていました。


 壇上の王様へ、男は跪いて敬意を示します。


「ああ、いたいた」


 そこに一人の女が現れました。昨晩出会った女でした。男は驚きで目を見開きます。王様や警備兵はその美しさに目を見開きます。思わず、王様は誰だと問いかけましたが、女は五月蠅そうに顔をしかめました。


 よく見ると、女は厳重に保管されている神の刀を持っていました。王様の許可がなければ、触れることすら許されません。


 広間にいる者は言葉を失いました。持ち出されたこと自体が信じられませんでした。女は男へ刀を投げて、男はパシリと受け取ります。


 彼女は男へ笑いかけました。女は自分の首を切る様な仕草をしました。


「ねぇ、貴方。お願いがあるの。この都市にいる人間全員切り殺してくれない?――そうね、まずはあの男から」


 彼女はしとやかな指で王様を示します。

 固く結ばれた男の口から呻きが出ます。飛び上がるように躍り出て、王様の首を切り落とししまいました。


「ひっ――」


 姫様の口から声にならない悲鳴が漏れます。


 これで終わりではありませんでした。ゆっくり息をつく暇もありませんでした。


「次はその隣のよ」


 それは王女様でした。男の腕が自分のものではないように動きます。男の叫び声が大きくなって、周囲にいる警備兵も散り散りに逃げていきます。


 女は容赦がありませんでした。


「一人でも逃がしてはダメよ。この女よ、今度は」


 王女様の首が転がって止まらない間に、彼女は残ったお姫様を示しました。


 男の心が拒否しても、身体は止まりません。


 まるで煮えたぎった油を飲み干したように、喉が焼けるように熱くなります。刀の切っ先が震え、太刀はピタリと止まりました。男の心が身体に勝ったのです。


「逃げて――ください」


 男は言葉を絞り出すように吐き出しました。


 王様や王女様を切った後悔はありません。男は殺しに慣れていました。しかし、切りたくない人が一人だけいたのです。


 姫様は座り込んでしまいました。男は震える手を別の方向へ向けます。


 女は嬉しそうに笑いました。男は指示された通り、城にいた姫様以外の全ての人を斬りました。逃げ惑う警備兵、朝食を終わった料理人、城には沢山の人が勤めていました。息をするように男は殺し続けました。


 目視せずとも人の居る場所は気配でわかります。

 男の刀は不幸にも、端から端まで届きました。


 血刀を振り回し、丁寧に丁寧に切り落としていきます。倒れていた屍体は皆、頭がありません。転がり落ちた頭は数えきれませんでした。


 城が真っ赤に染め上げるまで三十分も掛かりませんでした。そして、男は城の外へ出ていきました。


 目につく人を全員斬りました。目につかない人も全員斬りました。男はどこにいるのかわかってしまうのです。そう鍛えてきましたから。この街を守るために彼は一時も欠かさず鍛錬を積み重ねてきたのです。


 彼の刃は無慈悲に降り注ぎます。


 それは朝のことでした。

 一日が動き出して間もないころでした。


 道路で渋滞していた自動車が細切れになります。ビルの窓ガラスが格子状に切り刻まれ、列車は輪切りになりました。首なしの屍体が山積みになりました。


 男はどうして自分が刀を振るっているのかわかりません。その刀は本当に特別でした。この世界で一番の名刀と称されるだけのことはありました。


 この都市にいる人は、たった一人を残して、全て斬り殺しました。


 しかし、まだ終わりではありません。彼女に頼まれたお願いは成し遂げられていませんでした。


 真っ赤な路地を通って、真っ赤な公園を通って、真っ赤な信号樹の下をくぐって、血みどろのお城に戻ります。


 最後の一人は姫様でした。絶対に斬りたくない人でした。



 ******



 姫様は朝の鍛錬場で男を心配します。彼女の首はしっかりとありました。


「どうしたのですか? 随分、顔色が青いようです。本当に青鬼になってますよ?」


 そうです、あれはきっと幻覚なのでしょう。夢は城に帰ったところでいつも終わります。


 姫様が首を傾げます。もちろん頭は落ちません。


 しかし、男はあの夢が本当だと思うことがあるのです。それは自分の身体が乗っ取られたような感覚があるからでした。意識がなくなることも何度かありました。あの夜を境に身体が思い通り動かなくなるのです。


 ただ姫様の笑顔を見ると、そんなことを考えている自分が馬鹿馬鹿しくなるのです。何を思っているのだと叱責したくなるのです。彼女はちゃんと生きてますから。


 日常に狂いは全くありません。男が見る大都会は大都会のままでした。人々は毎日毎日朝起きて、そそくさと仕事へ向かいます。男もその一人でした。

 男は日課の鍛錬を一心不乱に続けます。悪い知らせも良い知らせもありません。平凡な日常はずっとそのままです。しかし、夜の散歩はあれ以来していませんでした。外へ一歩も出る気にはなりませんでした。


「また朝食の後で会いましょう」


 ドアをパタリと締めて、姫様は不敵な笑みになりました。





 姫様は自分の部屋へトタトタと戻ります。背が小さいので、歩幅も短く。脚を忙しなく動かします。


 自室に戻り、鍵を固くしめます。もう誰の視線もありませんでした。


 姫様が白いカーテンを開くとそこには満開の桜が咲いています。窓枠一杯に収まりきらないほど咲いています。乱切りになった無人のビルは桜の森に浮かぶように建っています。生きている人は誰もいませんでした。


 姫様は振り返って、大きな棚を眺めます。そこにはトロフィーのように何個も何個も、お気に入りの生首が飾られていました。


「ああ、お化粧しなくちゃ」


 一番のお気に入りの首に手を伸ばします。

 それは姫様にそっくりの顔をしていました。女は姫様を抱えて、大切そうに撫でました。




煙草休憩。次は本編に戻ります。

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