GENE5-4.神様の庭の小池の中で
「長かった」
「ええ、お姉様。こんなに長くなるとは思っていませんでした」
「早く師匠に文句が言いたい」
「私は――いいえ、何でも無いです。早く帰りたいです」とアルルは俯いた。
現在、酷い上司と先輩に小型艦から高層ビルの屋上に強制的に下ろされて、下りに下って五つ交差点を過ぎたところである。
目が覚めてすぐだった。半ば強制的に空中に放り出された。アルルが思うに、きっとみんな阿呆なのだ。なんでもできるからって、なんでもやるのは間違っている。彼女は一緒に旅をしていて、いつも思うのだ。
小さくまとまった機能的な市街地であった。行き交う人は皆大人、これから会社に行くのだろうか。リサ達とは正反対の生活をしている彼等を、フィンは物珍しそうに眺めていた。
ここはレイトと言う名前の街。看板を見てその名前をようやく思い出した。それほど特徴の無い街だった。
季節外れの桜が咲いた観光地から一晩で辿り着く。念願の総代会本部、アルル達が「ホーム」と呼ぶ憩いの場。ランが偽装と虚偽を何層にも重ね合わせて成立している総代会。その入口は、いたって地味な街にある。
盆地にコンクリートを敷き詰めて、格子状に通り道が交差している。人が住むという機能しか満たしていない。普通すぎて、つまらない。ぱっとしない。しかし、アルルは、この灰色の街にいるだけで、胸が弾んでしまうのだ。
「街の裏側に私達が潜んでいるなんて、誰も予想できないよね」
「よく隠しきれますよね」
「だって、私と師匠だもん。二人いれば黒を白にだってできるさ」
総代会にかつての宗教団体の面影はない。
今はリサとラン、二人の目的のためにある組織である。リサは世界を巡り、ランは本部を守る。二人で決めた役割だった。
ランの守るこの場所は、アルルにとっては、「家」だった。自然と足取りも軽くなる。
そういう人は多いのだ。自分の生きる隙間がなくて、強制的に拾われて、結果的に居着く。そんなもの達がサポーターとしてリサ達を手伝っている。
リサやランには勝手に出てって良いと言われていた。アルルも出て行った方が平穏な日常を過ごせると思う。身の安全は保証されないのだ。ランやリサの遊び場は、余りにも危険な「ホーム」であった。
だけど、会の一員となった者達がそう呼んで住んで残るのは、居心地の良さを感じてしまうからかもしれない。
「――おばあちゃん! 早く会いたいです」
「……師匠のことをおばあちゃんと呼べるのはアルルくらいだよ。ねぇ、スー」
スーは首を縦に振って、即答した。
「師匠はアルルに甘いですから」
「そう思うよね! 私、あんなに優しくされたことないよ?」
「それは噓ですって! リサさん達と扱い変わらないですよ?」
「わかりづらいけど、そうなんだって」
リサは煙を噴かしながら苦笑いをした。そう言えば事実上の孫であるヴァンも呼んでいるところを、アルルは見たことがなかった。
ともかく、アルルは高鳴る鼓動を抑えられなかった。
アルルが生まれ変わって、生まれ育った家はあと少し。生まれたと言っても一年ちょっと前であり、それ以前の記憶はないが、アルルは別段構わなかった。あそこで沢山の人に育てられた。自分に構ってくれる家族が居て、家がある。理由はわからない。しかし、そのことが身が震えるほど嬉しいのだ。
生前に何があったのか気にならない訳じゃない。考えないことにしている。きっと過去のアルルはアルルで幸せだったのだろうと思っていた。
「どの入り口を使いますか? この先にポイントはありましたっけ?」
「知らない? この先にあるんだよ」
「また新しいのができたんですか!?」
「ううん、昔師匠と悪ふざけして創ったの」
自分の家に知らない通り道があったのか、アルルが頬を膨らませてしまう。我が家のことは隅から隅まで知っていると思ってた。
「もしかしたらアルルなら知っているかもしれないと思ったけど、案外気づかないものね」
「一体どこに?」
「ふふん、着いてからのお楽しみ」
先頭を歩くリサが振り返る。歩き煙草で、おなじみの煙が漂っている。小綺麗で無機質なビジネス街を進んでいた。
本部はランが創造した空間にある。街中にある特定の「鏡」を使って入ることができるのだ。カーブミラー、試着室や小汚いトイレの鏡、閉店した古道具にある鏡など、数多くの出入り口があり町中に散らばっている。
「入り口は鏡なんですよね?」
「お、アルル。当てたらご褒美をあげよう。そう、古来より伝わる伝統的な鏡です。でも、意外と入るタイミングが難しい。そして、一番大きな入口です。今日は風もない。使うには絶好の機会なんだよね。さてどこでしょう? だいぶヒントは言ったよ」
「うーん……わかんないですよ」
「僕はわかった」
「ええ!?」
「フィン君、たぶん当たってるけれど。ときにはわからないフリをするのも大事だからね」
一行はビジネス街を抜けて、ショッピングモールに入る。案内板の前を通り過ぎ、買い物客はまだ居ない。店員は慌ただしく準備をしていた。
アルルは残りの二人の様子を伺うが、スーはもちろん知っている。
あと一人、死人同然の目で歩くモアがいた。スーに手を引っ張られて、ただ呆然と脚を進めていた。
(……あの人は知らないだろうし)
あれは何も考えたくない目をしていた。アルルは聞かないでおこうと、力強く頷いた。
リサは身も心もガリガリにやせ細った人を、捨て猫を拾うかのようにお構いなしに迎え入れる癖がある。アルルはその光景を見ることは多々あったが、二つのパターンに分かれる。怒り狂うか、無反応である。今回は後者であった。
「スー、今何人くらい居るんだっけ?」
「八八人です」
「ええ!? 私が出て行ったときより倍増してる!?」
正解がわからないアルルを置いてけぼりにして、また知らない我が家の新情報が飛び込んできた。こんなに近くまでに来たのに、懐かしさも何もなくなってしまう。
「文句ならお姉さまに行ってください。犬からホームレスまで見境なしなんですから」
「まあ、旅団くらいの人数は欲しいよね」
ニヤニヤした顔で、リサは煙草をふかしている。嘘だかまじめだか煙に巻いた話し方だ。
「そんな顔しないでアルル。仲良しの二人も丁度帰るタイミングが合ったんだから」
「レイとメアちゃんですか!?」
「偶然か必然かわかりませんが、今日到着するそうですよ」
「やった! もっと早く言って下さいよ! ふふっ」
生まれてからずっと一緒だった二人が帰ってくる。生まれてからずっと一緒だったのだ。旅路は飽きないがどこか心細いのは、あの二人がいなかったからかもしれない。
「なんだかアルルは見てて飽きないね」
「フィン君、それはどういうこと! ねぇ、リサさん。話は戻りますけど――答えを教えてもらっても?」
今いる場所はのどかな公園である。都会の中にある、ぽっかりと現れる空白に気持ばかりの緑が配置されている。ショッピングモールに隣接する休憩スペースだ。案内板にもそう書いてあった。
リサ達は広場の噴水の前に立ち止まった。
「だって鏡なんてどこにも――」
「やっと気付きましたね」
「ほら、アルル行くよ。帰るよ」
リサに腕を掴まれて、乱暴に投げられる。本日二度目だった。
噴水が途切れて、水面が止まる。
束の間の、滑らかな鏡面に、アルルはドボンと飛び込んだ。
小さな水柱が上がり、身体が全て上下反転するような感覚をアルルは味わった。
水の薄い膜を通過して、鏡面の世界に侵入したように上下が反転、重力がひっくり返った。水中を通過したのに濡れていない。
家の玄関口である、広場に置かれた巨大な鏡からアルルは飛び出した。上手く着地できなくて、二、三回転して、空を見上げるように大の字になる。
真っ赤な鳥居の上は、同じように空は青く、太陽が昇っている。しかし、全く別の次元に来た実感がある。
吸い込む空気が途端に力強くなる。灰色の街が、原色に近い鮮明な世界に変わる。
ココをアルルは知っている。自分が連れ出されて、与えられた居場所。一年も居なかったのに、胸を張って家と呼べる。
「ただいま!」
自分の知っている場所に、知らない人がいたらどうしようと思っていた。
しかし、アルルの心配事はまるっきり方向違いである。自分の家は自分の家だった。
次に鏡の門から飛び出してきたリサとフィンが難なく着地する。フィンはこの光景を見て、眼を見開いた。
「なんだかでっかいお屋敷みたいのを想像してた」
「ふふふ、フィン君。違うんです」
土埃をはらってアルルは立ち上がり、嬉々として本部の構造を説明し始めた。
この施設、リサ達の総代会の基地としての機能が近い。水面の上に浮かぶ五つの正方形のブロックから構成されている。
入口としてそびえ立つ巨大な鏡の前に鳥居がそびえ立ち、そこから赤いアーチ構造の木橋が延びる。その先には一際大きい正方形の庭園が広がる。情緒溢れる池がある。涼やかな水音が鳴っていた。
橋の下は淡淡とした水面が広がる。ランやリサ曰く、何も創っていない場所らしい。
四角い庭園から四方に橋が架かっている。アルル達が経つ玄関口の、庭園を挟んで反対側にあるブロックに、一本の巨塔が突き出ている。振り子時計のような外見の時計塔だった。魔女――いや師匠が住む城である。
右と左の区画には木造ビルが建ち並ぶ。今の人数では使い切れないほどの、広大な居住区域だ。
「リサさん、出発したときよりも建物が増えていません?」
「まだまだ大きくなるよ。じゃあ、あの人に会いに行こうか」
「ねぇ、リサ。何かいっぱい近づいて来る」
「お。出迎えだね。もう暑苦しいんだから」
リサは迷惑そうに嘆息をつく。目元は笑っていた。
真っ黒な衣服を着た軍団が、リサ達目がけて一目散に集まってくるのだ。人だけじゃない、獣人から雄か雌かもわからない人外まで、その容姿は多彩である。一般人が見れば、現実か幻影かわからなくなってしまいそうになるだろう。
彼等の顔はアルルも知っている。リサが拾ってきて居着いた連中だ。
まるで軍隊ようにきびきびとした洗練された佇まいである。そこいらのチンピラには出せない風格があった。アルルはその理由を知っている。鬼のような指導者が二人も居るからなのだろう。
「お帰りなさい。お待ちしておりました」
「この人が連絡で聞いていた方ですね。こちらへ」
子供が見た瞬間泣き出してしまうほど怖い人相の男達が、リサやスーに頭を下げる。うつろな目をしたモアは女性の黒服に引きずられるように連れてかれた。
「はーい、みんなただいま。出迎えご苦労様」
リサの言葉に、モンスター集団が全員頭を深く下げた。みんな元気そうである。活気があった。そして、鍛練を積んだ猛者の眼をしている。
「アルル、なんか凄いね」
「そう? いつも通りだよ! ああ、帰ってきた! 帰ってきたよー! フィン君、みんないい人達だよ。ちょっと血の気が多いけど」
「あなたがそれを言いますか、アルル。一番血の気が多いのは貴方でしょう」
「先輩。そんなことないですって……」
「アルルの能力って一番危険だよね。私もほとんど使わないもん。手に余る」
「僕もそう思う」
黒服達も肯定こそしないが、否定はしない。
「みんなして! もう!」
庭園の盛り上がりは笑い声で増幅して、アルルも笑顔になってしまう。
しかし、一般常識の欠片も知らないような人達にここまで言われると、アルルも流石に納得いかない。その気持を察したリサに励まされながら、お帰りなさいの嵐にもまれ、一行はこの庭の主であるランに挨拶するために、時計塔の最上階へと向かった。
******
時計塔の荘厳な廊下を見ると、リサはあの屋敷を思い出してしまう。制作者が同一人物なのだ。雰囲気がとても似ている。スーがひらりと振り返り、後を歩くフィーに問いかけた。意地悪そうな、あどけない微笑だ。
「フィン君。それでは問題です」
「いいよ、スー。僕、そういうの好きだ」
「総代会が再設立して二年が経ちました。これまでに壊滅の危機が何回あったでしょう?」
その瞬間、リサとアルルの表情が凍結した。頬の筋肉が引きつって、まるで二人ともロボットのようにギクシャクした歩き方になってしまう。
「え、一回も起きてないんじゃないの?」
「七回です」
「ええ!?」
「ふふふ、フィン君が驚くなんて貴重ですね。二回はお姉様と師匠の下らない喧嘩、一回は師匠のお遊びで、あと一回はお姉様の酒癖、残り三回はアルルです」
リサは笑うことしかできなかった。思わず頬を掻いてしまう。アルルは顔を背けて、窓の外を見つめていた。
「耳が痛い話だよねー」
「お姉様! 笑い事じゃありません! アルルも! 一体どれだけ大変だったと思っているんですか。襲撃されて壊滅の危機が訪れるのなら、まあわかります」
「わかるんだ」とフィンがぼそりと呟いた。
「七回って何ですか? 身内で死にかけるのは幾ら何でも馬鹿馬鹿しい。どれだけ苦労したと思ったんですか? ねぇ、聞いてます? お姉様!」
「ごめんって、そんなに怒らないでよ」
スーの怒りたい気持ちもリサはわかる。壊滅騒動の後、リサは大抵動けないほど消耗し、師匠もまた同様に指一本動かせなくなる。必然的に後片付けを動ける者が行わなければならない。特に責任感が強いスーやヴァンが押しつけられるのだ。
その苦しみをリサはわかってあげたいが、あいにく一度も手伝えたことはない。
スーの説教をどう切り抜けようかと悩んでいると、曲がり角から一人と一匹の影が現れた。
「ああ! メアにレイちゃんじゃない!」
輝かしい金髪の女の子と、艶やかな黒い毛皮の狼。メアとレイである。リサとアルルに取っては絶妙のタイミングだ。
この状況から逃げ出すように、アルルも二人の元へ全力疾走して飛びついた。
「アルル姉っ!」
「メア-! 元気だった? ちゃんと御飯食べてる?」
「うん!」
「子供」の方のメアも随分と成長した。背も伸びて、使える言語量も圧倒的に増えた。もう一人でおつかいだってできる。もう一人の「大人」の彼女も健在だ。リサに妖美な笑顔をちらりと見せる。
「レイちゃんは相変わらずね。四足歩行には慣れた?」
狼の姿をしたレイは力強い目でリサを見る。獣の姿の方が喋らなくて気楽なんだそうだ。口数が少ないレイは、獣になっても支障はほとんど無かった。
「レイ-!」
アルルは二人に飛びつくように抱きつく。
生まれ変わった後からしか記憶の無いアルルは、獣のレイしか知らなかった。まるで愛犬のようにレイが扱われているのを見ていると、リサはレイもだいぶ丸くなったと思ってしまう。
「ちっ、逃げられた」
「逃げた」
背後でスーとフィンの声。リサは聞かなかったことにした。
コホンとスーは咳を着く。ランのいる最上階の部屋の前なのだ。リサの従者達がこうして集まることは滅多にない。気を引き締めようとしているのだろう。
「良いですか、部屋の中には師匠とヴァンが待っているはずです。ヴァンも大変ですよ。私がお姉様の、ヴァンが師匠のお目付役ですから。効率良く組織として動けているのは、彼がこうしてここで師匠を管理しているからで――」
目的を掲げるが、自らも行動するリサやランは、正直チームプレーに向いていないのだ。
廊下の突き当たり、やっぱり見覚えのあるドアを押す。ここにヴァン、そして師匠が居る。
そのはずだった。
街を見渡せる最上階。天井からつり下がる振り子の駆動音。三メートルほどの時計盤が内部にも設置されている。机が二つ。部屋の真ん中にあるランの机には当然のように誰もいない。
「な!?」
スーの悲鳴。入り口の近くに配置された机には、書類や機材で埋もれて、過労死しかけているヴァンがいた。顔は見事な土気色である。
彼は、メンバーの中で一番の苦労人である。
中間管理職であり、下からのささやかな突き上げなど物ともせず、上からの指示に胃に穴が開くほど心労を抱えた姿がそこにはあった。
目の下には隈があり、美しい癖のある銀髪はくすみ、立派な無精髭が生えている。大量の資料に囲まれて、死んだように瞼を閉じていた。
「ヴァンさん!?」
急いでリサは応急処置を試みる。首元に手を当てて、生命力を分け与える。肌に暖かみのある色が戻る。ほとんど死に顔だったが、安らかな寝顔になっていった。
「それでどこに行ったの? あの馬鹿師匠」
リサが毒づくと、スーが震える手で師匠の机から書き置きを持ってきた。
『ちょっどどっか行ってくる』と紙に書いてある字の信憑性は限りなくない。ほぼゼロである。師匠の言葉に信用なんてなかった。
「噓でしょ!? 何回目? もしものことがあったらどうするの! あれほど持ち場から勝手に離れるなって、あれほど――」
「ねぇ、リサあれ」
「フィン君? どうしたの?」
そこには煌々と輝く浮遊生物がいた。緑色の怪しげな光を放ち続ける海月。傘を開閉し、リサ達の頭上二メートル上で上下運動を繰り返してた。
太陽のようにまばゆい光を発している。
「各自警戒して。緊急事態。あれは味方じゃなさそうね」
師匠が居ない中で、敵襲だったら本当に笑えない。襲撃だとしたら最悪のタイミングである。ランは離れていれば迷惑だが、近くにいればさらに迷惑な存在なのだと、リサは思い出した。
悪い予感しかしない。
武器を持つものは構え、リサは海月に手を伸ばした。