GENE5-3.落ち穂拾い
夜のべたついた潮風は、なだらかな丘の傾斜を滑るように駆け上がり、教会の窓を揺らす。
室内は蝋燭の光だけである。怪しげに聖母様の顔が照らされていた。床には木槌や杭やスコップ、薬品など、実験でもしているかのような用具が散らばっている。
大木のような聖母像、朽ちた枝みたいな屍が横たわっている。一人の聖職者が丁寧に丁寧に崩れそうな死体を整えていた。別に葬式の準備ではなさそうだ。土から掘り出したのか、死体の腐臭が教会を埋め尽くしている。
冷え切った石材の床の上で、少年ミイラはおなかの上で両の手を祈るように重ね合わせられていた。死後数か月経過して、骨はむき出しになり、周囲には死臭が漂う。頭部は半ば禿げ、目玉は既に抜け落ちていた。
ぽっかりと開いた眼窩が、聖母を見つめていた。
リサが見るに、生ものと言うより干物に近かった。
報告に聞いていた被害者の肉体は、今にも動きそうなほど生きているような外見だと聞いている。しかし、これじゃあ腕を持ち上げるだけで切れてしまいそうだ。余りにももろい。
準備をしていた彼女の腕が止まる。おもむろに立ち上がった。半開きの口のまま、濁った瞳に蝋燭の火が反射している。
「こんばんは」
自分の吐く息に粘り気がある。これだから夏は嫌いなんだ。締め切られた教会内も外と余り変わらない。海風が消えて、死体があるせいで快適指数は著しく下がる。
「また会ったね」
そう、そこにはリサと面識ができたばかりである彼女の姿があった。
リサの声が反響する。
蝋燭の下で作業を続けていた彼女は、ゆっくりと顔を傾げる。日中とは逆の立場になっていた。コツコツと固いブーツの足音が鳴り響く。
「お邪魔しちゃったかな。でも、作業は終わったんでしょう? ねぇ、モアさん。埋葬する場所なら素材を集めるのも楽だよね」
「貴方は……お昼の?」
「そう。別に止めに来たわけじゃない。言いたいことを言いに来ただけ。気にしなくていい」
リサは昼と同じ椅子にどっかりと腰掛けた。懐から取り出した煙草に火を着ける。聖なる空間なので吸うかどうか迷ってしまうが、責任者が死者と戯れているから問題はないだろう。
一連の動作をモアに見つめられて、気まずい空気になってしまった。
「これから言うことも聞かないでね。そこまで責任もっていってる言葉じゃないんだから」
リサが彼女の瞳孔をじっと見つめると、彼女も見つめ返していた。覚悟を決めたのか、そこには一切の迷いがない。リサは煙を上へ向かって高らかに吐き出した。
「――ねぇ、モアさん。無理だよ。止めた方がいい」
彼女は微動だにしない。顔は笑っても泣いてもいない。
「なにしに来たの? それが言いたかっただけなんですか?」
「半分は正解」
「ここまでやってきて、あと少しなの。止めるわけないのはわかっているでしょう?」
「知ってる。でもね、ハイそうですかと言うわけにもいかないの」
暗い室内で微細な点の煙草の火と、それの何倍も明るい蝋燭の火が揺らめいていた。
「モアさん――死人を生返らせようとしているでしょう。それはできない……できないことなの。無理だよ」
「噓!!」
粛然とした彼女が激高した。無味無臭、悲しさも感じさせない立ち姿が、みるみる怒りに染まっていく。首元のロケットを彼女は握りしめた。まるで溺れる手で藁を掴むようだった。
「貴方に! 貴方に何がわかるの!?」
「そんなことは知らないよ。貴方とは私は違う。でも、何度でも言ってあげる。それは無理」
「うるさい!!」
モアはリサへ数歩詰め寄る。リサの言葉を否定して、拒絶して、今にも泣き出しそうだった。リサはそれで彼女は止まるとは思えなかった。しかし、言わなければならないことなのだ。
「……うるさい」
モアの脚が止まる。
彼女は振り返って、屍体の元へじりじりと近づいていく。火が着けば後は灰になるまで焼かれるしかない。リサは助言だけで、手を出すつもりは毛頭無かった。
「……私は、私はもう戻れない。あの頃には戻れない。でも、縋るしかないんだ」
モアは床に跪いた。置いてあった木槌と杭を拾い上げる。いかにも年季の入った道具である。
右手に木の槌を、左手に木の杭を持って、彼女は泣くように叫ぶしかなかった。頭上の聖母様の許しを請うように見上げて、手前の朽ちた屍体を凝視する。一連の動作は手慣れていた。何度も何度もイメージトレーニングをして、実験をしたのだろう。
「……アレンとはね、喧嘩別れしたままなの」
モアは右手首を見つめる。金色のチェーンが巻き付けられて、ロケットペンダントは天高々と掲げられる。木槌を大きく振りかぶったのだ。
「ここまでできたんだ。成功しないわけないじゃない!」
絶叫と共に、モアは木の杭を少年の屍体に胸元に突きつける。木槌で勢いよく叩きつけた。
少年の遺骸の胸が穿たれた。これは当たりかもしれない。リサの吐く息が白くなった。
屍体からまばゆい光が放たれて、世界は全く別の形態へ移り変わっていく。室温が急激に低下したのだ。それに反して重苦しい雰囲気がからりと晴れる。ココに溜まった負の重圧は全て無くなった。
過去数回の事件で蓄積された、街の負の力の吹きだまりが、全て力に変わっていく。全てはあの木の槌と杭が元凶であるようだ。苦しさが完全に、鮮烈に変化する。
リサは複雑な心境になってしまう。
モアが突き刺した木の杭は著しく伸長し、屍体は肥大していく木の幹に呑み込まれた。天井すれすれまで木は生長し、不気味に枝が発達していく。
「あれは……」
リサはその木に見覚えがあった。春の季節に咲く馴染みある植物である。
枝の先端に一つだけ花弁が生じて、それまで祈り続けたモアは本当に安心しきった顔になる。次々と桃色の花びらが開花していった。五分咲きから八分咲き、九分咲きと刻々と移り変わる。
それは桜の樹であった。そして、満開になったのだ。輝きが最高潮に達した。
満開になったのを見計らうかのように、膨らみきった風船が破裂するかのように、桜の花は一気に落ちる。桜の花火のようでもある。生長した木の枝や幹さえも、桜の花びらになって散っていく。
舞う花弁は、地面に着地するとシャボン玉みたいに消えていった。
微細な硝子状の破片が飛び散っては、熱された鉄板の上に乗った氷のように熔けていく。
淡いピンクの吹雪は熔けて、そこに立っているのは一人の少年である。神々しい光を放っていた。きっと知らない人は神の子が生まれたのだと勘違いしてしまうだろう。
「アレン!!」
モアは力を振り絞って声を上げてひしりとアレンを抱き寄せる。優しく頬を寄せる。髪を撫でた少年は嬉しそうに目を細めた。
「ごめんね。ごめんね! 私がいけなかったんだ。あのときちゃんと――」
一瞬だった。モアの動きが止まる。手に巻き付けていたロケットペンダントは金の鎖が引きちぎれて、リサの足下まで転がる。
「ア……レン?」
二人の姉弟の写真はにこやかに笑い、赤い血がべっとりと着いていた。
煙草をくわえたまま、リサはそのペンダントを眺める。
聖母の足下へ目を移すと、モアがアレンの腹部から棘のように生じた枯れ枝に串刺しになっていた。木の枝のような触手に貫かれて、まるで百舌のはやにえのよう。硬質な枝は根元からぽっきりと折れて、モアは地面にドサリと落ちた。
少年の発する光は止まり、教会は暗闇に満ちていく。照らされていた聖母像も見えなくなっていく。
「神様に縋った結果がこれ?」
リサは加えたタバコを床にたたき付けた。目の前の長いすを勢いよく蹴り上げた。強烈なシュートとして、重厚な長いすがアレンに直撃する。
椅子は粉々になって、アレンはゆっくりとリサの方を見る。その瞳は猫の目のように、暗闇の中で光っていた。外見だけは人間だった、しかし中身は化物である。リサと同じであるが、全く別の生物だった。
アレンはニヤリと顔を歪める。醜悪な笑顔は人の物ではなかった。口を開閉するが、声の出し方はわからないみたいだ。
「だからダメだって言ったのに」
リサは言葉を投げ捨てた。
いつものパターンである。もう空しさなんて感じない。
「全員、戦闘開始。一歩も外に出さないでよ。私の御飯の時間だ」
闇の中で枝の擦れ合う音、折れる音が鳴り響く。アレンからは硬質な木の枝が皮膚から絶え間なく生み出されていく。
リサに向かって剣山のように迫り来る。
――それを二人の影が裁断した。
「リサさん、危ないです」
「お姉様に触れさせる訳がないでしょう」
スーとアルルがリサの背後の影から現れた。スーの片手には黒色柄の匕首。銀色の刃がきらめいていた。アルルは両腕に生命力である世界の断片を集中させて、斬撃を繰り出していた。
二人はいとも容易く枝状の両腕を切り刻んだ。
リサが対応する間もなかった。
「――私はお姫様か」
「お姉様、指示を」
「その調子で弱らせろ。アルルは本気出さないで。後が大変だから」
「またですか!」
目を反らしたアルルをスーが蹴り飛ばす。二人の頭上から降り注いだのは刃状の花びらだった。石畳が細切れになっていく。
「有難うございます。でも、できればもっと優しく……」
空中で体勢を変えて、壁に着地したアルルは腕を振り上げる。
ピンポン球ほどの光球が浮かび上がり、室内の照度を上げていく。戦闘がやりやすくなるように補助神子術式を紡いでいった。
アレンの張り付いたような、歪んだ満面の笑みは変わらない。しかし、身体は戦闘用に作り変わっていく。
その姿は写真の中のあどけない少年ではない。皮膚という皮膚から枯れ木が生えて、およそ四メートルのハリネズミのようになっていた。
増大した影の中にフィンが隠れていた。アレンの頭上へ飛び上がり、身体を反転させながらその頭部へ発砲する。
撃ち出された黒色銃弾は全段命中し、アレンの頭がスイカのように吹き飛んだ。
それでも生物としての機能を失ったわけではない。
腕を振ると、しなるように枝が伸長して、滞空中のフィンに鞭のように襲い掛かる。
「隙だらけです」
しかし、スーから目を外したのは悪手だった。
化物は鞭を根元から一本の刃物でカットされる。アレンの身体から離れた枝は、その形態を維持できずに、花びらになって霧散していく。
スーの動きが速すぎたのか、アレンの行動が遅すぎたのか、その両方かもしれない。
アレンがスーへ攻撃する素振りをスル前に、四肢は切り取られた。スーの早業によって、桜の花が飛び散っていく。
首なし胴体だけになった彼は、陸に上がった魚のように跳ねる。所々から枝を出すが、伸びきる前にスーにカットされていく。
その光景は明らかに人外な――どちらかというと植物型の魔物に近い少年を、スーがいたぶっているようにも見えなくはない。
「フィン君、先輩を怒らすとあんな風になるんだよ……」
「覚えておく」
短刀一本で魔物の叩きのめすスーを見て、アルルは身震いした。
そろそろ十分だろうとリサは少年の元へ歩み寄る。まだ抵抗するようで、反撃しようと枝を伸ばす度に、スーに刈り取られていた。痛覚もないのか、怯む様子は全くない。
「スー、ご苦労様。もういいよ、食べられそうだ」
リサの足下の影が蠢いた。まるで望んでいるかのように盛り上がって、溢れ出していく。生きているかのようだった。
影から生じた、泥のような液体はアレンの身体を包み込んでいく。
氷水に浸されているかのように、アレンの動きは鈍くなる。最後に大きく跳ねようとしたが、リサのブーツに踏みしめられて、沼のような影にアレンは押し込まれていく。
「そう慌てない。これから調べ尽くしてあげるから」
リサがもう一度脚で踏みにじる。アレンの胴体は影に全て呑み込まれてしまった。
教会の戦闘は終了し、全員のダメージは皆無である。リサは周囲を見回すと、こっちへ手を伸ばすモアと目が合った。
「……ア…れ……」
リサが首を傾ける。息も絶え絶えのモアが声を吐き出していた。腹部からは血が止まることなく流れ出して、虫の息だ。
「残念でした。これで無理なことは身に染みてわかったでしょう。これから貴方をどうするかという話をしたいんだけど――」
「私も……そこに入れて」
「入れるわけないでしょう」
モアはリサの影へ手を伸ばし続けている。がっくりと首を項垂れて、彼女は意識を失った。リサはホッとして、長く息を吐いてしまう。
「ああ、終わった終わった。今回はエラいもの見ちゃったねえ」
「リサ、この人どうするの?」
「何? フィン君やっぱりこの人気になるの? そりゃ、美人だけどさ、嫉妬しちゃうよねー」
リサが指を振ると彼女の傷が治っていく。彼女の血色も回復生気を取り戻していった。
「連れて帰る。どうせ聞かなきゃいけないことあるんだし」
モアの身体を抱きかかえて、リサは立ち上がった。今回の重要な証拠品である木槌に杭はアルルに回収するように指示を出した。
「そして、遠慮無くこき使ってあげる」
スーはまたですかと頭を抱え、アルルはリサの言葉に苦笑いをしていた。フィンはモアをただじっと、じっと見ていた。
*****
事件の翌日の夜である。
その日は街で優雅な一日を過ごし、リサ達はゆったりとした空の旅に出ていた。高度も低く、デッキに出れるほどの速度である。
不可視な状態で飛ぶ、総代会が保有する工作用小型艦。温暖な観光地から飛び立って、ひんやりとした風があたる。
リサはフィンと一緒に、デッキの上にいた。
背後から抱きつかれているフィンは無言のままである。リサはそれが丁度良かった。
「――あの子達。結局、休日なのにホテルから一歩も出なかったね。一緒に外回りたかったのになー」
リサの配慮も空しく、みんなホテルから一歩も出なかった。確かにここ最近は野宿が多くて、久しぶりの市街地だったこともある。そんなにベットが恋しいのかと、リサは哀しくなってしまう。せっかく徹夜して、午後数時間だけ余裕を作ったのにとぼやきたくもなるものだ。あのスイートルームが居心地が良いのは認める。
「みんな情報収集してまわったからね」
「違う! 違うの! 仕事で見る街と、観光で見る街は違うの!」
フィンは抱えられていた。リサはそれが心地良かった。
まるでお地蔵さんに話しかけるような心持ちで、リサはグダグダと言葉を続けてしまう。せっかく調べた事柄を話しながらまとめるのに、このロボット君は格好の相手だったのだ。
「――それでね、どうやらあの教会が真っ赤に染まっていたのはね、実験が失敗した結果だよ。人形の中身にも相当の情報量が必要なんだ。血染めの教会ができるほどにね。桜が咲かなければきっと私たちは血まみれになってただろう」
「何で四回目は成功したの?」
「コレの精度が上がっていたこと、街の負の蓄積が四度目にして最高値に達していたこと、あとあの子の気合い……とかかな」
リサが手に持っている「コレ」は、木製の槌と杭。一見、木と構造は変わらない。しかし、帯びている情報量――世界の断片量は著しかった。
禍々しい力を垂れ流している。
「また何かの手がかりが見つかっちゃった」
「あの人は?」
「ああ、モアさんは大人しくしている。放心したまま、船室から一歩も出てきていないみたい」
リサは抱きかかえたフィンを、勢いよく見る。彼は相変わらずの無表情だった。
「フィン君どうしたの? お姉ちゃんのこと思い出しちゃった?」
「リサはどうしてあの人を連れて行くの? 最初っからそうだ。いつも捨て猫を拾うみたいに人を拾ってる。僕だって。何がしたいの?」
「ふふふ、私の質問にはノーコメンですか、そうですか。それはね、フィン君。陽の当たる場所にいる人達を連れて行ってもつまらんない。それだけだよ」
リサはフィンを強く抱きしめる。彼は血の通った人だった。
「ねぇ、フィン君。私たちの目的って知ってたっけ?」
「聞いた気がする」
「それじゃあ困る。私は貴方たちを連れて世界を見たい。そして、決めたいんだ。だから何度でも言ってあげる。そんな嫌な顔しないでよ」
「決めるって何を?」
「それを教えたら面白くない」
フィンは静かにリサを見つめ返していた。飛行船の駆動音が鈍くなる。デッキを魔導灯が照らす。眼下には無数の人工光が散らばっていた。地上の建物の光だ。
元の世界から離れて一年半。最初世界に抱いた印象は、戦いを通して間違いではなかったのだと改めて気付かされた。リサの「願い事」も少しだけだが見えてきた。
世界はリサ達神の代理人には窮屈すぎるのだ。神様が遊ぶ場所ではないのだ。
「私が元の世界に戻るには、この世界には心配事が多すぎる。ゲームボードは間に合っている。存在がそもそも不自然なの。私たちが異質なんだ。この世界に私たちは必要ないの」
リサは遠い目になってしまう。
「私はこの世界からゲームをなくす。神様を殺すんだ。何があってもね。そのためには、残り五人をなんとしてでも倒さなきゃならない。自分が帰るのはそっからだね」
「それで、リサは僕にどうして欲しいの? なんでそうやって何度も聞かせるんだ」
「私が貴方に見て欲しいから。願い事を持たない人形兵器だった君に。それだけでいいの」
「……よくわかんないけど、覚えておくよ。でもやっぱり何度も言わないで」
「ありがと。でもたぶんまた言うからね、覚悟してね」
無表情だったフィンが顔をしかめる。それを見て笑ってしまう。彼には申し訳ないが、自分に言い聞かせるために必要なのだからどうしようもない。鏡に向かって話すのも良いが、それでは味気ないしつまらない。
「さ、そろそろ寝よっか」
船の行く先は久方ぶりの本部である。リサ達をサポートする総代会の拠点で有り、リサの師であるランの居る場所。ああ早く会えないかなと、胸が膨らんでしまう、
会えばきっとウンザリするのは確実だろう。
次の手がかりも先日の一件で掴めそうである。それも報告しなければならなかった。
ゲーム終了のために、討伐しなければならない管理人の分身体は残り五人。
リサ達はまだ先の見えない道半ばにいた。