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GENE5-2.名無しの屍体に、笑顔の聖母

 この時期は観光客が最もいる時期だ。しかし、閑散とした観光地には、現地の住民しかいない。不気味な事件の噂のせいである。

 晴れ晴れとした街に滞留する雰囲気は重い。


 スーはアルルと二人、街の南東にある路地を歩く。こんな事件がなかったら、とても活気があったのだろう。そう思わせる町並みだった。乱雑とした鮮やかな建物の群れが溢れかえっていた。


「血生臭さが、これほど似合わない街も珍しいですね」


 スーは鋭い目付きで横の後輩を見つめる。アルルは鼻歌交じりである。陽の光があるうちの調査は随分と久方ぶりであったのだ。


「アルル?」

「世界有数の観光地ですから! おかげでこの街は大打撃らしいです。だからこそ、私たちがバカンスするのに最適になってしまうのだなんて皮肉ですけどねー」

「まだ休息だなんて決まってないです。気を抜くとまたエラい目にあいます」

「先輩、そんな気を抜いているわけないじゃないですか! 私はもう後輩は卒業ですから! 新人が入りましたし」


 アルルは喜びを隠しきれないようである。いや、隠すつもりは最初から無いようである。スーも無理に止めることはなかった。


 まるで修学旅行で訪れた女子高生のように、アルルの足取りは軽かった。何度も甘い香りが漂う。果物や菓子売りの屋台の前に立ち止まり、流石にスーに注意されてしまう。


「先輩、ダメですか?」

「はあ……後悔しても知りませんよ?」


 戦いが一段落して、気が抜けてしまうのもわかるが、それではダメなのだ。

 古株であるスーは、自分で自分を引き締めながら、アルルと一緒にクレープを食べながら、半ば観光を楽しんでいた。


 彼女も甘い物には弱かった。罪があるとすれば甘いクレープにあるのだと、彼女は自分に言い聞かせる。


「早く終わらせましょ! せっかく観光地に来たのに勿体ないです」

「ま、同感です」


 スーの目に映る危険に特筆すべき所はない。強いて言うならば、街に言いようのない暗い雰囲気が満ち満ちている。街の住人達は息苦しそうであった。一番気楽なのはスーとアルルを含む、リサ達ご一行だ。


 覇気も無い、活気もない、まるで陰湿なジャングルのような歓楽街を抜けて、スーとアルルはさらに移動し、華やかさの欠片もない街の端に辿り着いた。


「ああ、終わっちゃった」


 アルルは残念そうに、大事そうに二個目のクレープを食べきってしまった。


「それで私たちはどこへ向かっているんですか? ずっと秘密にして。先輩? 先輩-?」

「じゃあ、調べて見ましょうか」

「……ここに入るんですか?」

「そうですよ、何か問題が?」

「聞いてないですよ!?」

「だって言ってませんもん」

「……そりゃ、予想してなかったわけじゃないですけど」


 彼女達の目的地に辿り着いたようである。その場所を見て、アルルの歩速は十分の一になる。甘い誘惑に負けなければよかった。苺味の後悔が瞬間最大風速を記録して吹き荒れる。


「二個は食い過ぎたな」


 観光地にはふさわしくない白色の建造物。公共的な外見は病院のようでもある。


「屍体漁りは趣味じゃありませんが――何をそんなに落ち込んでいるんですか。慣れているでしょ。忍び込みますよ」

「……最近の若い娘は甘い物食べたら、可愛い服を漁るそうですよ」

「服を買いたかったんですか? なら、コレが終わったら行きます?」

「絶対嫌です!」


 甘い物(クレープ)の後に漁るのは屍体である。

 仕事じゃないとこんなところに忍び込むわけがない。観光気分で見るものでもない。そこは事件の被害者が保管されている屍体安置所(モルグ)だった。



 ******



 リサとフィンは今夜事件が起きるかもしれないアーリフィア教会に辿り着いた。


 この場所は四大教会の中でも一番街の外れにある場所だ。少し小高い丘の上にある、海が見える教会である。


「だいぶ歩いたねー、疲れたよ。私は」

「見え透いた噓はダメだ」

「フィン君は厳しいねー、それじゃあ私は喋れなくなっちゃうね」


 この世界には宗教がある。それは元の世界以上に捻くれている。それをリサが知ったのはつい最近のこと。


 本来、この世界には宗教は一つしかなかった。大昔にランが宗教を根絶やしにして、新たな一つの宗教を作った。しかし、師匠が歴史の表舞台から消えてから、話はもっとややこしくなる。


 背骨が消えた宗教は、多数のコミュニティに分裂して、世界各地で分散、統合を繰り返した。


「神様が話に絡むと、どうも仕事が上手くいかない気がする」

「日頃の行いが悪いからじゃない?」

「だから厳しいなあ、この正直者め……」


 リサは教会へ入る前に立ち止まってしまう。内ポケットに手が伸びるのを慌てて止めた。


「フィン君、中で煙草吸っちゃあダメだよね?」

「僕に聞かないでよ」

「隠れて吸ってもダメだよね?」

「だから聞かないで」


 本来は師匠が千年前に創立した総代会から分岐したせいか、一神教という体裁は変わらない――がそれだけだ。宗教に政治的な利害も複雑に絡み、深刻な争いに結びつく。そんなありふれた話はどこにでもある。


 リサに言わせればバカバカしいとしか思えない。そもそも祭られている対象が「師匠」なのだ。

 聖母という概念の対極にあるランを神と崇めている国はまだ多い。名前が変わっていても全て同じ人を奉っている。なのに意見が食い違い争うだなんてアホみたいに思えてしまう。


 高潔な堂内に入ると、始めに目に映るのは微笑を浮かべた聖母様だった。リサは思わず苦笑いをしてしまった。


「ねぇ、聖母様が慈しみに溢れた顔してる。入信している人はあの本当の意味を知らないよ? あれはきっと弱い者いじめをしている顔だから」

「リサは神様を信じないの?」

「神様はいるかもしれない。けど、あの人じゃないってだけ。フィン君はまだ本部(ホーム)に帰ってなかったよね」

「うん」

「それもこれも、その『神様』とやらに頼まれた雑務が多すぎるせいなんだけどねー。早く帰りたいな-」


 普段祈りを捧げる教会はがらんと空いている。神を崇める場も、例の凄惨な事件が続く現場となれば、誰も寄りたがるはずがない。


 埃が漂う空間には、所々傷ついた木製の長椅子が敷き詰められている。夏だというのに、空気はヒンヤリとしていて、分厚いコートを着ているリサには好都合だ。

 一番前の椅子、三メートルはあろうか石の「聖母」様の真ん前に佇んで、リサはそれを見上げた。


 師匠に答えを求めようとする気は全くもって起きない。そもそも迷ってなんていない。事件がなければ教会だなんて、リサは訪れることはないのだ。リサが苦手な場所の一つでもあった。


「重い、リサ。ここが一番空気が重い」

「やっぱりフィン君は勘が鋭い」


 リサは嬉しそうに笑ってしまう。


 室内は静寂に包まれて、重苦しい空気で満たされていた。マイナスの感情の吹きだまりとなっている。


 強い生命力を纏うプレイヤーのリサでも感じる閉塞感。一般人なら訪れようとすら思わないだろう。

 悪い意志は伝染し、風通りの悪いとこに溜まるのだ。事件が始まってから一ヶ月以上で、この場所は大きく様変わりしてしまったのだろう。教会が示すシンボルが『神様』から『不吉な事件』になっていた。


 こういった意志もエネルギーの糧となる。触媒となるのだ。式に組み込むだけで強大な力を発生させるきっかけとなりうる。


 まるで誰かが作ったような鬱々としたスポットである。


「フィン君」


 フィンが機関の兵士専用である自動拳銃を取り出した。強烈な眼光で背後の出入り口を突き刺すように見ている。勘が鋭すぎるのも問題だった。


「――仕舞いなさい」


 どうやら他にも人は居たらしい。背後から教会の両開きのドアを押し開けて、入ってくる一人の気配。足音は静かである。女性のものだ。リサは椅子に座ったまま、後を仰ぎ見る。どうしても師匠の前だと気が抜けてしまう、どうしようもなかった。


「珍しいですね。人が居るなんて。お祈りですか?」


 背後から入ってきた人は紺色の制服を着ていた。若い女性のシスターである。銀縁の眼鏡に穏和な目付き。視線はリサの何倍も柔らかい。

 赤毛の髪に、透き通るような白い肌。しかし、枯れ木のように痩せていた。首を傾げて、折れてしまいそうだ。


 社交辞令の笑顔を引っ張り出して、リサは椅子から立ち上がり背筋を伸ばす。初対面の人に合わせて、佇まいをガラリと変える。


「ふふ、そんなところです。せっかくこの街に来たのに観光する雰囲気じゃあないですね」

「それもそうですね」


 フィンがリサの白々しい姿に無言の眼差しを向けていた。薄幸そうなシスターもリサの返答に苦笑いである。


「しかし、本当に誰もいないんですね。今、ここにいるのは貴方だけですか?」

「今居るのは私だけです。妙な噂も広がって住民も寄りつかなくなってしまいました。たった数ヶ月でこんなにも寂しい場所になるだなんて――」


 談笑するリサの傍らにフィンは地蔵のように突っ立ている。リサが視線を落すと、彼は彼女に興味を持ったのか、穴が開くほど見つめていた。


「……君? どうしたのかな?」


 彼女はぎゅっとロケットペンダントを握りしめて、小さくしゃがむ。フィンと同じ目の高さになって、恐る恐る彼女は笑顔を浮かべた。フィンは相も変わらずの無表情で、彼女と目を合わせている。彼からは微塵も話すつもりは感じられなかった。


「ああ、気にしないで下さい」

「弟さんですか?」

「ええ。では、私たちはそろそろ、ほらフィン君行くよ」


 リサは逃げるように教会を出て行く。しかし、立ち止まって振り返った。シスターの彼女は聖母様の前に佇んでずっとこちらに視線を向けていた。


 彼女の縋るような瞳を見てしまうと、どうしても気にせずにはいられなくなってしまう。


 旅の道中、何度も苦い思いをしてしまったのに。止めておけば良いのにと、自分でもわかってはいるのだ。無闇に手を出してはいけない事柄が、世の中には溢れていた。


「……名前を聞いても良いですか?」

「? ええ、良いですが。モア――モア=ローランドです。貴方は」

「リサです。またご縁があれば会うかもしれませんね。くれぐれも怪奇な事件が起きていますから気をつけて」

「ええ、貴方も」


 教会の扉を押し開けて、急いで外に出た。酸素が恋しくて、リサは何度も深呼吸してしまう。横にいるフィンの頭に手を乗せて、わしわしとなで始める。フィンがやめて欲しいと目で訴えてもお構いなしである。


「会わない方が幸せだと思うけれど……ああ、息苦しかった。あんなに長く居座る所ではないよね。やっぱりああいう場所は苦手だね」

「そんなに? 全然気付かなかった」

「そりゃ、伊達にいろいろ経験はしてませんから。慣れだよ慣れ。苦手なものは苦手だよ」


 未だに図書館で息が詰まってしまう。入れる時間は長くなったが、辛いことに変わりは無い。


「それと、リサ、気付いた? あの人殺気が――」

「ふふ、フィン君惚れちゃった? ダメだよ、あのお姉さんも美人だけど」

「そういうこと言ってるんじゃない。いつもみたいに頭を除かなかったの?」

「あれは喧嘩売ってきた人達だからいいの。赤の他人には誰もココを覗かれたくないでしょう」


 リサは人差し指で自らのこめかみを小突いて示す。


「それに見てる方もあんまり気分の良い物でもないしね」


 ポケットからタバコを取り出して、煙と一緒にリサ達は丘から消えた。



 ******



「――教会の権限が強すぎて、警察がなかなか介入できないってやきもきしてました」


 夕食時には全員集まる。リサ達は一つのテーブルを囲んで、今日の一連報告をしている最中だ。有名なホテルのレストランも閑古鳥が鳴いていた。ここにも事件の影響はあるらしい。


「収穫はあった?」

「はい。これまでの事件について調べてきました。食事中にする話ではないと思いますが……」

「いいよ、別に」

「じゃあ、アルルよろしくお願いします」

「そんなあ、スー先輩。わかりました。わかりましたよ! 屍体安置所(モルグ)まで忍び込んだんですから、説明しないわけじゃないですか」


 はぁとアルルはため息をついた。どうやら気乗りしないみたいである。しかし、先輩の言うことには逆らえないみたいだ。力関係の差がよく現れていた。


「実はですね、今回の一連の事件の被害者は身元不明の屍体(ジョン・ドゥ)のままなんです。それもそのはず、実は屍体はみんな同一人物でした。何言っているかわからないでしょう? 瓜二つの屍体ですよ。もうビックリです。同じ身体が三つもあるんですから。しかもですね、その肉体もただの人間ではないんです――ではでは、ここに運良くミートパイがありますね」


 右手にもったナイフでギコギコとパイを真っ二つにして、中の挽肉が露わになる。それをアルルはフォークで書き出して、そこにはからっぽのパイ生地が残った。


「これがこれまでの『被害者』の体ですね。どの事件も一致しているのですが、全員ですね。見た目だけは人間なんです。中身は何だと思います?」


 アルルは、フォークでサラダのトマトをぽっかりと空いたパイの隙間に差込んだ。


「植物に近い細胞構造です。トマトではなく、木材に近いですが。魔物(フリッカー)と同じ過剰な生命力(コード)を帯びた細胞で構成されていました。しかし、立派な身体(ハード)を持っているのに、ソフトが無ければ動かない」


 フォークで串刺しにして、アルルはぱくりと一口で食べた。


「先ほど同一人物と言いましたが、実験材料はどこから来たのかはわかっていません。この街では、事件の前後で行方不明者や不審死も起きていない。こういったものはどこからか材料を調達しているはずだと思うのですが……」

「ねぇ、食事中にそんな話しないでよ」

「あー! フィン君に怒られた。でも、遅い! それを言うのは遅いよ、フィン君!? 私だってこの話。先輩からね、聞きたくなかったんだから」

「アルル、うるさいですよ」

「先輩!?」


 スー達の報告を聞いて、リサは今日の現場検証を擦り合わせる。なんとなく察しはつき始めた。


「説明しろって言われたからしたのに……」

「あーもう、泣かない泣かない」

「泣いてないですから! リサさん! もう! いいです! やけ食いです」


 後数時間で潮の満ち引きが最大になる。犯行予想時刻までにあの教会に向かわなければならなかった。


 答えはそこに行けばわかるはずだった。

 苦汁は舐めても舐めても、甘くなることはない。リサは重い腰を上げた。



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