GENE5-1.無口な少年
雪原と僕と髑髏。
この光景を綺麗だと言うのだろうか。
ここは久しぶりだった。吐く息は全部真っ白になって、埃っぽいフードとマフラーの隙間から外へ漏れ出していく。
雪降る早朝である。この場所はいつ来ても雪が降っている。きっと僕は雪男なんだろう。晴れ男よりは性に合っていると思った。
「久しぶり。姉さん」
固い石になったみたいに、彼女は動かない。彼女が帯びる体温は雪の結晶と同じだった。
「ねぇ、姉さん。起きて」
曇天には幾筋の光の筋が交差する。
姉さんとは生まれたときから一緒だった。同時に生まれて、逃げだして、共に生きて、二人で闘って。両親がいない僕たちはお互い助け合う肉親だった。血のつながりのある姉弟だったのだ。
姉の上にしんしんと雪が積もっていた。
また冬になってしまった。一人で生きてきてから三度目の冬。会いに来たのも三度目。肌寒い時期に訪れてしまうのは、偶然か必然か、どっちなのだろう。
姉の姿は真っ白になって、降り積もる雪と同化していた。頭しか残っていない。土くれに半ば埋もれて、僕はじっと見つめていた。
「あれからね……」
僕はまだ死んだとは思えない。愛おしく姉さんに語りかける。当然、彼女は答えてくれた。
「そう? 僕は死んでないよ」
姉が死んだのは、高速で撃ち出された弾丸に貫かれたせいだ。心臓に直撃だった。止血なんてする間もなかった。即死だ。
あのとき、ここは戦場だった。逃げ回ったあげくに巻き込まれた・広々とした雪原は一色しかない。あのときの思い出は見る影もない。
雑草がはびこって、枯れて、雪が積もって、それを数回繰り返すだけで、辺境の地から殺し合いの匂いはなくなってしまう。
「また一緒にどこか行く?」
姉さんはこくりと頷いた。
「……そう、それが良いかもね」
僕は自分という存在が生きているのは、きっと僕が生きたいからなのだろう。事実から類推することでしか、僕は自分の気持に気づけない。
やっぱり哀しくなんてなかった。
姉が殺されても、それを事実と受けとめられた。
「今度はこっち?」
姉が教えてくれた方向を当てもなく歩くのも三回目である。丁度一年経つ頃に、いつもここに戻ってきてしまう。真っ直ぐ歩いているはずなのに。どこで正反対の方向へ進んでしまったのだろう。
答えを探してふらついても、僕の人間らしい部分は落ちていなかった。
僕が拾われたのは、この三度目の墓参りから四ヶ月後のことである。
真っ白な彼女と僕は旅をした。
******
陽気な音楽が似合う街である。
ここは港街――ヘクルティア。世界有数の観光都市である。
この世界の二大大陸。北大陸ではなく、もう一方の南大陸の小国ビルドの北西の街、緯度が低く、刺々しい日差しが特徴的だった。
淡く華やかな色彩の街。
暑い暑い空気の中で白い外套のリサと、赤いマフラーを着けた男の子が闊歩していた。
少年は黒いパーカーを着て、フードを被っていた。茶色の短髪、青の瞳、彼の周囲は体感温度が五度低くなる。リサがそう思うのは、彼の冬服のせいだろう。
首に巻く布が熱を吹くんだ海風にたなびていた。
今下っている緩やかな坂道は、正面の海へ一直線に伸びて、僕は彼女達二人に着いていき、道沿いにはパステルカラーの家が続いて、コバルトブルーの海を縁取っている。
今二人が歩く場所からは、湾に沿って形成された、弧状の市街地が一望できた。
「フィン君、海を見るのは初めてでしょう?」
「うん、聞いていたよりは広い」
「ほんと? 予想は越えなかった?」
「まあまあだね」
海の風が強く吹く。隣に歩く少年に、人生初の海を見せることができて、リサはご機嫌だった。彼の表情はムスッとしていることだけが気がかりだった。
燦々と太陽光が地面へと突き刺さり、リサたちの身体を照らす。
今は夏。赤道を越えて、季節は正反対になっていた。
色白い彼は淡淡としている。その呼吸音を聞いて、生きているのをやっと確信できるほどだった。まるで空白を、人間の表皮でかたどったような生き物だった。
ここまで喋るようになったのも、リサに懐いたおかげかもしれない。数ヶ月前の戦場で拾ったころと比べると、会話の量が格段に増えていた。
嬉しくてリサは彼にとりとめも無い話題を投げかけてしまう。
「フィン君。どうして暑いのにマフラーをしているの?」
「……暑いから。リサだってコート着てる」
「そっそれは……! そうだけど……あれ――今、リサって呼んでくれた!?」
「呼んでないよ」
名前を呼んでくれて、リサの機嫌にさらに拍車が掛る。ここまで来るのにどれだけリサは気にかけていたことか。
嬉しくなって、脚を進める速度も気持早くなってしまう。フィン君の腕を掴んで、彼の歩速を無理やり自分に合わせる。
「ほら! 一、二! 一、二! 目的の教会は近いよ! 早く早く! 町外れにあるのは難儀だよねー」
リサに腕を掴まれて、フィンは嬉しさも悲しさも表情には表われていなかった。
「フィン君、もっと名前を呼んでも良いんだよ?」
「だから呼んでないって」
「フーン、そう? 見え透いた噓はねぇ、感心しないよ? それよりももっと海に感動しなさい! お姉さんは素直な心が大事だと思う! 大人になると言いたいことも言えなくなるの」
「大人になんて僕はならないよ」
リサと手を繋いだフィンは下を向いたままだった。
「そう設計されてない。ずっと子供のままなんだ」
リサも視線をフィンから外して下を向いてしまう。
彼は変わったようにリサは思えるけれど、その主張はずっと変わらなかった。
「取扱説明書があるかどうかは知らないけれど」
ちっぽけな男の子は呟いた。リサにはその言葉が噓に聞えた。噓にしか思えなかった。人とは突っぱねて仮初めのセリフを吐き出す物なのだ。そう思って仕様がないのだ。
潮の香りが温もりを含んでいた。
「そっか」
彼の言葉にリサは何も返さない。答えないこともまた正解である。リサが答えても意味がない。
「じゃあ、仕事を続けよっか。ロボット君」
リサがこの世界に訪れて二年が経過した。
二回戦に勝利して、分身体は残り五体になった。
幾度目かの未曾有の世界の危機が通り過ぎ、この世界は辛うじてその形態を維持している。幸いにして、小さな戦争が起きてはいるけど、まだ大戦は起きていない。
大半の一般の人々は、世界がまだ平和だと信じていた。
******
ようやくビルドに辿り着いた。ここからランのいる本部まであと少しだった。
パステルカラーの町並みは一日の間、いつも美しい。師匠であるランが新しい組織の隠れ蓑としてこの国を選んだのも案外そんな理由かもしれない。
高級ホテルのスイートルームで、盛り合わせの特産の柑橘類を食べながら、リサはそんなことを考えていた。
リサがフィンと街を探索する数時間前のことである。
「はぁ……いい加減帰りたい」
帰れない原因はハッキリしていた。星の数ほど雑務を押しつられている。帰りたいと思う場所に、リサに溺れるほどの雑務を押しつけた張本人――師匠が居るのは皮肉かもしれない。
リサは椅子を抱えるようにどっかりと座り、背もたれに顎を乗せていた。先の戦い――二回戦が終わって、二人目の分身を削除して数ヶ月経過した。なのに休暇も休息も取ってない。一回も本部に帰れていない。帰ろう帰ろうと思って、結局帰れない。
世界で唯一安心して、腰を落ち着けられる場所だった。もちろん、師匠がいるという心配事があった。
しかし、枕を高くして寝られる。それだけでリサは帰りたかった。こう外で旅を続けていると、警戒しすぎても不足することはないのだ。
「出発してから四ヶ月。今回の旅は最長記録を更新中ですね」
「もうそんなに経つの?」
「まあ、残った仕事もあと一つですから。何事もなければ数日で帰れますよ」
「何事もなければねー」
励ますスーの背はここ二年で二十センチは伸びた。さらに伸びたメアも大概だが、あれは中身が大人なので印象は大きくは変化していない。
スーは大人っぽくなって、この世界に連れてこられる前の自分よりもしっかりしていると、リサは自信を持って言える。
スイートルームにはリサの他に三人。スーとフィンとそれからアルルがいた。皆、悠々自適に過ごしている。野宿を繰り返していたリサ達にとって、久々の高級ホテルだった。
「私はまだ帰らなくても良いですけど……」とアルルは呟いている。
赤みがかった黒髪のおさげ、セーラ服と巫女服を組み合わせたような黒い服装を着ていた。長い足を組んで、窓辺の椅子に腰かけて本を読んでいる。街で買った流行の恋愛小説らしい。
「あの人が喜びますよ」
「先輩、お祖母ちゃんが喜んでも、私は素直に喜べないですよー」
「でもいいじゃないですか。後輩もいるんだから」
「そうですけどー」
「ちょっと無口ですけどね」
スーはやれやれと言わんばかりに、窓の外の青空を見つめているフィンを見た。机を挟んで、アルルの向かい側の椅子の上で、体育座りをしている。植物のように動いていなかった。
彼も立派な戦力だった。
この街では、フィンを含めて四人組で仕事をするのだ。
「よし!うだうだ言ってもどうしようもないね! みんな注目! 始めよっか。スー、説明お願いしてもいい?」
「はい、もちろんです」
「今回」の仕事は調査である。この街で起きている「異変」の原因を調べなければならない。
総代会を成り立たせる上で必要な小遣い稼ぎ、リサが帰るための分身探し、他の神の代理人の妨害、隠密、工作、その他諸々のやるべきことのうちの一つであった。
仕事で携わった怪奇事件はこれで何件目だろう。
世界にはゲームがスタートしてから、つまり、リサがこの世界に訪れてきてから「おかしなこと」が頻発するようになったのだ。
異常な生命をもった魔物が生じたり、天変地異が起きたり、確率変化だって起きたこともある。
世界の管理特権を与えられたリサ達プレイヤーや分身が存在することで生じる厄災というものがあるのだ。
「――最初の事件があったのは八週間前。教会で一人の少年が全裸の屍体となって発見されました。蝋人形のように全身が硬直していたそうです。場所はヘクルティア四大教会の一つカナル教会。室内は真っ赤に塗りつぶされていたそうですよ」
「真っ赤に?」
「ええ、そうですお姉様。血液で壁は隙間無く塗り潰されていたそうです」
「うええ」
なんとも気色悪い話である。
「過剰な生体反応ってことですか?」と優等生のアルルも顔をしかめる。彼女は本を読むのを止めて、頬杖をついていた。
「そう! おなじみの異常な量の有機物。異変には必ず原因があります、今回の私たちの任務はその原因解明とその対処。興味深いことにこの事件は、一件では終わりませんでした。二件目はこの街の南西の教会で、二件目は北東、三件目は南東。わかりやすいですよね。残った事件の起きていない四大教会はあと一つだけ。そして、一連の事件は周期性を帯びています。満月の夜にしか行われていないんです。月夜は生物の生命活性が一番高くなります。そして、今日は? フィン君」
「今日は満月だよ」
「ふふん、正解です」
フィンの返答にスーは満足そうな顔をする。
リサ達が異変を調べるのには理由がある。
一つは分身に出会える可能性があること。世界の片隅の異変が、回天に結びつく。多くはないが、ゼロではなかった。先月はそのおかげで分身に出会うことができたのだ。
もう一つは収穫があること。異変の原因には、強大な力が原因であることも多々あった。それをリサが有効活用するのだ。便利な装飾具に精製する場合やフィンのような少年を拾う場合もある。
もちろん空振りになりこともあったが、根気よく一つずつ潰しながら、リサは世界中を旅していた。
「今回は当たりだといいね。噂話や都市伝説でしたなんてこともあるし」
「お姉様、期待しすぎるのも良くないですよ。最近外れ続きで期待したくなる気持もわかりますが」
「そうですよ、リサさん。どうせ下らない理由で、どうでもいい人が騒いでるだけです。私も先輩と同じ意見です。煮ても焼いても食えない事件な気がします」
「アルルもそう思いますか」
「伊達に一緒に回ってないですからね!」
和気藹々と喋るスーとアルル、感情を一切含まない眼のフィンは、外を見たまま、一ミリも動かないままである。
「あの……リサさん?」
「どうしたのアルル? 調子良くない?」
「いや、あのその――」
アルルも窓の外へ一瞬瞳を向けた。それをリサは見逃さなかった。
「そうだね。もし早期解明して時間が余ったら――」
「余ったら?」とフィンが淡泊な疑問符を浮かべた。
「観光地に来たんだし、のんびりバカンスでもしよっか。師匠には黙っておくから」
アルルが余りにも哀しげ顔をしたので、一言付け加えてしまった。
アルルとスーの眼光が三倍になる。アルルも海を見るのは初めてだったのは知っていたが、スーまでも食いつくのは予想だにしていなかった。
フィンの目の光は、相変わらず宿っていなかった。