GENE4-14.もうちょっと頑張るね
そろそろ大騒動の夜が明けてきたのかもしれない。帝都最深部の施設内ではそんなことはわからなかった。
仄暗いコアルームでリサは集中力をひねり出す。額に汗が浮かんできた、後には見守るスーとヴァンの姿がある。
作業は五時間にも及んだ。見る方も大変だろう。
「おわった」
「お疲れ様です」
「今日は一番頑張った。人生で一番頑張った……さすが……私!!」
もう気力も体力も底をつき、生命力が枯渇したのか視界はぐるぐると回転していた。ここまで自身の世界の断片を使い切ったのは修行のとき以来だ。
余力も集中力も生命力も全て使い切った。やり過ぎて魂が抜けそうだ。
「ありがとうね。ヴァンさん……」
ヴァンは何も答えられそうにもない。リサの前ですやすやと横になっている彼女――新しい身体になったアルルに手を伸ばす。
鮮麗な白い肌。小さな小さな手をヴァンは掴もうとした。
その手は血が通って温かい。体温に触れて、ヴァンはまるで熱せられた鉄板を触ったように、反射的に手を引っ込めてしまう。
「大丈夫、触っても大丈夫だから」
「そうか……」
恐る恐る指でアルルの腕を撫でる。
その顔はとても懐かしそうだった。ヴァンの瞳に、ほのかで微小な炎が灯ったように見えてしまう。
それは母の体の一部であり、アルルの新しい体だった。
緊急措置だった。リサはアルルの精神を、リオンの細胞を素材にして創り上げた身体に移し替えたのだ。
その理由は二つある。
一つ目は、アルルは細胞レベルで傷つき、穢れ、摩耗していた。正常として機能しない、元に戻る見込みすら無い状態だった。
アバターの能力で汚染される前にもかなりの身体的疲労が蓄積してた。帝国の人体実験の傷跡は余りにもむごい。数え切れないほどの傷跡をリサは見てしまった。
もともと人の原型を辛うじて保っていたのだ。
二つ目は、アバターの能力に侵されて、彼女はその体をさらに酷使されたことである。
結果、生きていたのがおかしなくらい、アルルの体は壊れに壊れ、腐りかけていた。よく立っていられたと、リサは思う。まるで死人を強制的に生かしている。そんな印象を持ってしまった。
そこで必要になったのが、新しい組織である。リサの能力でも一人分の新しい体を創るとなると、相当の世界の断片を消費する。師匠の時は一人分丸々創造し意識を失った。メイとレアは素材に、リサの身体情報をミックス、素材を生かして効率良く再構築していた。
しかし、昨日、今日と連戦が続きのリサは、世界の断片が全回復していない。残された生命力でアルルを救うには、工夫が必要だった。
つまり、アルルの新しい体には、肉、皮、内臓などその材料となる素材がいるのだ。
幸いにしてと言うべきか――この地下のコアルームには、リオンの肉があった。この街を支え続けた彼女の体が。
最初この部屋の惨状を見て、メアとスーが如何に奮闘したのかを知って驚き、当てにしたリオンの体が使い物にならないのじゃないのかとリサは一瞬、懸念した。
しかし、アバターの能力で活性化され、肉質は新鮮で、素材にするには十分だった。心配していたアバターの能力の汚染も、肌身離さず仮面と接触していたアルルよりも軽微であり、なんとか活用することができた。不幸中の幸いだ。
そして、五時間にも及ぶ大手術である。集中しすぎて、頭が熱い熱を発している。一つ一つロボットを組み立てるように、肉体を形成する。効率良く能力を扱うには、必死に手と頭を動かすしかないのだ。
暴走したリオンの使える部分は全て使い、アルルの新しい体を構築していく。神経系、骨格、各種器官、腺細胞。細かい作業や調整を加えていると、結局徹夜してしまった。
最後に電気信号を共鳴、転移術式を起動。
あの屋敷の祠で師匠が使っていた術式はメアのときも応用し、今回も屋上の戦闘で、アルルの大手術にも用いた。まさか、こんなに役に立つとは思わなかった。
「なんとかなりましたね」
「スーも手伝ってくれて、有難う。やっぱり優秀な妹だよ。ヴァンさん、どうしたの?」
「大きな借りができたな」
「……うん」
ヴァンはアルルの指先を握ったままだ。サイズは違えど、リオンと同じものだった。
眠るアルルは、もう昔の獣人の体ではない。滑らかできめ細やかな柔肌であり、獣人特有の全身を覆う体毛はない。プレイヤーの血筋の肉体であり、滑らかな黒髪で背は百七十センチ、その身長も以前よりもかなり伸びて、もう体には傷一つもない。
無垢な寝顔だった。
「寝顔は可愛いね……どんな子かな。後は本人の心次第、目が覚めてからがきっと大変だ」
アルルが目を覚まして、事実を知って、生きたいと思うか、死にたいと思うかは彼女が決める。リサの管轄ではない。しかし、リサは余り悲観していなかった。
ここに彼女を見つめるヴァンがいて、心配していたレイもいた。うちの男メンバーはもしかしたら少女趣味なのかもと疑問を持ってしまうが、リサは気にしないことにする。苦笑いが漏れてしまった。
「ヴァンさん、じゃあ、お礼に私のお手伝いをしてもろうかな?」
「手伝い?」
「うん、今度ね。じっくり教えてあげる」
こき使ってやろうと意気込んで、外套の内ポケットから煙草を取り出す。本当は外で吸いたかったが、待っていられなかった。
「あらら?」
視界がぐらつく。足に力が入らず、その場に倒れてしまいそうになる。スーが倒れる方向に移動して、両手で支えてくれた。彼女のふくよかな胸が頬に当たる。
「……あれ?」
「もうお姉様、力の使いすぎです。煙草の火すら出せないじゃないですか」
「……着けてくれない?」
「駄目です。私、その煙苦手なんです」
「タバコ-!」
「もうあのお屋敷ではないのですから、少し危機感をですね……」
「……はい」
リサは小学生高学年ほどの体格のスーに背負われてしまう。もう威厳も何も発揮しようがなかった。
「ほら行きますよ」
そのまま引きずられるようにその場を引き上げて行く。もうここに用はなかった。タバコが吸いたいと目を潤ませて言っても、スーは断固として許してくれなかった。厳しい妹だった。
ヴァンはアルルをコートで包み、大事そうに抱えていた。彼等とも長い付き合いになりそうだ。
「……たばこ」
「…外に出たら吸わせてあげますから」
「ほんと!?」
「はい、もちろんです。それとお姉様。聞きたいことが」
「何?」
「あの魔導炉をどうして直したんですか?」
「この街の心臓ね。それはあの子と約束したから。修復はしたけど元に戻した訳じゃないよ、私あの機械嫌いだし」
能面の数センチの一欠片を、コアルームの貯魔力槽に放り込んで、片手間で接続した。帝都の魔力供給をリサは復旧させた。
アバターが憑依した依り代は、プレイヤーの肉体同様に、高濃度の世界の断片で構成されている。異様に高いエネルギー密度であるので、リオンの肉体の代用になる。
新しい魔導炉は既に起動している。心臓部に繋がるパイプから白い蒸気がモクモクと立ち上る。フロアライトも点灯して、街の回復を知らせてくれた。
「それで残りはこれ」
リサは懐から頬の部分が切り取られた能面をスーに見せる。脈絡無く出したので、スーは数秒間固まってしまった。
「……大丈夫ですか?」
「うん、もう何の変哲も無いお面。高エネルギーの塊だよ」
「あれ? お姉様もう怖くないんですか? それ。 昨日、一昨日はお面を見るのも嫌と言ってたのに」
「流石にもう慣れたよ」
あれだけ人形型の魔物をぶちのめしたら、なんとも思わなくなってしまった。それに怖がる暇もなかった。一種のショック療法みたいなものだった。
無愛想な笑顔の能面は、貴重な実験材料である。
その形は保っており、これほどの密に世界の断片が固まった物質を見たことがない。リサが胸を張って主張できる成果だった。それほど貴重なものなのだ。
「ふふふ!」
「お姉様。いやらしい笑い方してますね」
「そんなことないよ?」
スーに運ばれてくと、眠くなってきてしまう。こうやって運ばれるとあの屋敷を思い出してしまう。研究施設を出て、タワーの最下層から地上一階までのエレベーターに乗った。
静かな上昇音の中で、リサはまだ解決してない問題――いや、疑問がふと思い浮かんでしまった。
「結局、師匠の伝言はなんだったんだろうね」
密室でヴァンの頬がピクリと動いた。彼も自分の祖母の言っていたことが気になるのだろう。
「この街にいろ。好きにしろ。いればわかる」
「ずっとこの街にいて、何かわかりました?」
「全然――と言いたいけど、私がここにいることに意味があるんだろうね。この騒ぎのうちに、国一つ潰していても驚かないよ――師匠が」
「あり得そうで笑えませんよ」
アルルを抱えるヴァンが複雑そうな顔をしていた。それはそうだろう。しかし、哀しいことに、リサにと行動を共にするのなら、その機会はもっと多くなるだろう。ランの――あの人の手綱を握れる人は世界中を探してもどこにもいない。
リサも本音を言うと、ランに側にいて欲しいと思うことはなくはなかった。いや、それは少し語弊がある。目の届くところにいて欲しかった。彼女の影響は大きすぎるのだ。目の見えていない場所で、核弾頭がスキップしているようなものである。
そんな爆発物な彼女は、今はもう一人のリサの師匠であるエアの救出に向かっているだろう。そういえば、エアを救うことができたのか。
エアが存命なのであれば、アバターを倒すリサのゲームは非常に容易になる。しかし、非人道兵器が二人になると思うと、リサの胃がキリキリと痛む。
「お姉様?」
「いや、恐ろしいことを考えてしまって。聞きたい?」
「いえ全く」
笑顔で返答するスーはつれなかった。
タイミング良くエレベーターが鳴って、一階に到着したことを知らせる。そのまま、残骸が積み上がっているエントランスを抜け、自動ドアがけたたましく、金属音を響かせてぎこちなく開く。どこか引っ掛かっているのだろうか。やっと外の空気を吸えた。
「だって、絶対――っ!?」
むせ返るほど火薬の匂い。スーの返答が止まる。まるで劇場のカーテンが開けたように、外の光景が飛び込んできた。
殺害する対象を一人倒した。だからこれで終わり。そう思っていたが甘かった。甘かったのだ。
リサ達は目を疑った。
広場には再び魔導光が灯り、いくつもの街灯に照らされているのは、蠢く無数の人と機械の影だった。
蟻のように群がる機動蟲。近接強化装備を取り付けた兵隊達。
そのカラーリングは帝国軍を示す暗色ではない。眩しい白銀色で統一されて、赤く幅の短い、ある種の高貴さを含んだ赤いラインが装飾として、そのボディや装備に一直線に引かれている。
この世界を統べる八大国機関へ所属することを、それは示していた。
顔が引きつり始めたのが、リサは自分でもわかる。
先手を打たれた。最悪の状況に叫びたくなってしまう。
選択肢を脳内で提示しようにも、空っぽの頭と身体では空回りするだけだった。無駄に焦燥だけが駆け回る。
「メア! レイ!」
追い打ちをかえるように目に入ったのは、倒れている二人の姿だった。
タワーの正面にはレイとメアが転がっていて、まるで見せつけるようにゴミのように崩れ落ちていた。虫の息である。
辛うじて命を繋いでいた。すぐに治療しなければならない。世界の断片が枯渇した状態で、能力を使用するのは非常に危険である。精神でどうこうできる問題ではない。しかし、そんなことは言ってられなかった。
「申し訳ないね。僕の連れがやり過ぎたんだ」
イナゴのように群がる兵と兵器の中に、一人の男がいた。彼がリサに向かって語り掛ける。申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。
「こんばんは。君とはきっと初めまして、じゃないかな」
その男は、リサに微笑を投げかけた。
街の光がスポットライトのように彼を照らす。けれど目立たない脇役のような人だった。
紳士口調で語りかける黒い髪の青年は捉えどころがない。
清潔感のある白シャツに黒いネクタイ。記憶に残りづらい――形容しがたい、印象に全く残らない立ち姿だった。
どこにでもいるような平凡な彼は、リサと同じ年齢に見えてしまう。無味無臭と表現するのが近いのかもしれない。街ですれ違ってもきっと気づけない存在感である。
しかし、発せられる世界の断片の量は尋常じゃない。太陽のようにぎらついていた。アバター、いや、プレイヤーなのか。リサは感じてしまった畏怖の念を悟られないよう正視するしかない。
彼は小さくぺこりと頭を下げた。ゾッとする。リサへの配慮を示した行動は、まるで首元にナイフを当てられたように、リサの心臓を萎縮させた。
「お……おそいじゃない……」とメアがリサを縋るような目で見上げる。ここまで弱気な彼女声は聞いたことがない。
「馬鹿っ! 今、治すから、じっとしてて」
「駄目です! お姉様、動いちゃだめっ!!」
もがくようにスーの背中から彼等の元へ、半ば倒れ込むように駆け寄った。
リサは体に上手く力が入らず、上手く立てない。転倒して滑り込むように、メアとレイの横にへたり込む。
「こっち! メア、こっちだから――!?」
メアは弱々しくリサへ手を伸ばす。リサはそれを掴もうとした。しかし、出来なかった。リサの腕は突如現れたか弱い腕に阻まれた。
「ダーメ、今にもぶっ倒れそうじゃない。貴方が死んだら困るんだから」
「やめて! 離してっ!」
リサは宙に突如浮き出た手に固く手首を掴まれる。振りほどこうにもそれほどの力は、リサにはなかった。
「だからだめだって。やっと外に出てきた。待ちわびたよ。僕たちは君だけに用があるの。その前に魔力の消耗のしすぎで死ぬなんて困る! 大問題だよ! 頭がおかしいのか! いくら僕でも突っ込んじゃうよ」
いつの間に横にいたのか、リサにも分からなかった。
ゴシック調の服を着た彼女は、まるでリサと旧知の仲であるような口調で語り掛けてきたのだ。いくら記憶の片隅を探しても、彼女とは会った記憶がない。友達どころか知り合いでもない。
「お姉様から離れなさいっ!!」
「君は邪魔だね。ご退場願おう」
「ひゃっ」
「スー!」
青い髪をたなびかせて、彼女はスーを蹴り飛ばす。正確には、蹴りの風圧でスーを吹き飛ばした。その身体能力は明らかに神の代理人のものである。隠しきれない生命力を、リサは肌でピリピリと痛感した。
八大国機関の兵と神の代理人。リサの中で悪い予想が連なっていく。
「やめて……」
「やめて? 何を言ってるの? 僕達は君の先輩、今回のゲームを手伝おうとしただけなのに」
「私を……手伝う? 何を言ってるのっ!?」
リサは手を握られたまま力なく暴れるが、彼女を見上げるしかなかった。歯ぎしりをする体力も無い。もう抵抗できる力は残っていない。最悪のタイミングだった。
せめて、この子達だけでも治療できないか。
目の前のレイ達をちらりと見た。足下では、彼等の呼吸が小さくなっていく。
「残念でした。させないよ。言ったでしょう死んだら困るって!! 馬鹿なの!? とーもーかーく! 僕はヴラドレーナ。レーナさんって呼んでよ。本当の名前は忘れちゃったんだけどさ。ねぇ、マー君」
「そうだね」
顔がボンヤリとしている青年は、落ち着いた声で返答する。淡泊なのっぺりとした声だった。
「懐かしいな、二百年前を思い出すよ。大変だったな-。君は彼を知らないでしょ? 彼は四百年前の神の代理人だよ。彼の名前? 教えてあげない。僕だけが知ってるの。そうしたのは僕じゃなくてマー君なんだけど」
彼女はとびっきり甘いケーキを口に放り込んだように頬を緩ませた。その頬には真っ赤な苺を彷彿とさせる血痕が着いている。彼女がレイ達を弄んだのだろう。
「レーナ」
「ああ、ごめんごめん。いっけないいっけない。しゃべり過ぎちゃった」
彼女はぺろりと舌を出した。全く反省していない素振りだ。
しかし、リサでもなんとなく予想がつく。ここに居るプレイヤーは三人。リサと目の前の彼女が五番目。そして、そこに居るのは師匠を世界から退場させた四番目。
ついに遊戯板に別のプレイヤーが現れた。リサ、管理人ではない、もう一つの無視できない陣営。現在、世界の主導権を握っている側。
白シャツの男は、感情を一切感じさせない。ずっと張り付いた笑顔である。彼が四番目、四百年前にランを襲撃した。あいつが、あいつが師匠を殺そうとしたのか。睨みつけると、顎を掴まれて視界を強制的に動かされる。
「駄目だよ、こっちを向きなよ。マー君をなにじろじろ見てるのさ」
彼女はにっこりと微笑んで、手に世界の断片が集中していく。何か力を使う気なのか。リサができたのは、去勢を張るくらいだった。
「……離してよっ」
「声が小さすぎて聞えないよ。死にかけじゃない。何だよ何だよ。せっかく楽しみにしてたのに! もうボロボロじゃん! これじゃあ、僕の玩具にもなれないね。さっきの子達の方が、粋は良かった。これじゃあ、つまらな――」
遮るように、一線が引かれた。一本の投げナイフ。
研ぎ澄まされたその切れ味は、リサが一番知っていた。
ヴラドレーナは身体を反らして、最小動作でそれを躱す。余裕の表情だった。
「いるじゃんいるじゃん! やっぱりこうじゃないとさ!」
「お姉様から離れろ!!」
攻撃の後に、青髪の五番目へ一喝する、少女がいた。
スーだ。あの衝撃波くらいで気絶するような鍛え方をリサはしていなかった。リサはスーに度の間可能な限り、戦闘練習を行っていた。リサの従者では一番の実力者なのだ。
それが今は悔やんでしまう。
広場の隅で気を失っていて欲しかった。眠っていて欲しかった。リサを助けに来ないで欲しかった。
リサを掴んでいた手を離し、こっちに向かって距離を詰めるスーを、レーナは満面の笑みで受け入れる。
「馬鹿!! 逃げて!!」
リサは叫ぶ。心の中で何度も何度も念じても、体に力がは戻ってこない。余力を残していなかった自分を心底恨む。
力が足りなかった。力がまだ、まだ足りない。リサは自分の底知れぬ無力感を味わうしかなかった。
たった一人のスーにプレイヤー二人では分が悪すぎる。
彼女は賢い子だ。そんなことはリサよりも分かっているだろう。だけど、彼女は勇猛果敢に攻めに入る。
スーはその力を限界まで引き上げていた。その速度はプレイヤーと比較しても遜色はない。
衝撃波が三回、立て続けに生じる。
切り裂くようなレーナの蹴りを、スーは鋭い切り返しで避け続ける。
「えっ!??」
「あああ!!」
驚くレーナの懐にスーは入り込む。
袖から仕込みナイフを取り出して、首元に切りつけた。
しかし、後方に避けられてしまった。
「やるねー、見直した! 侮ってごめんね!」とヴラドレーナは遊び相手を発見して、喜びの声を上げていた。
スーは移動速度を落とさずに、何度も何度も切りつけた。その行動に隠されたいとも分かる。リサの前から彼女を遠ざけるように、ヴラドレーナを追い立ていくのだ。
ヴラドレーナの攻撃がかすり、リサの目の前に吹き飛ばされてきた。衣服が切れて、広場に数滴の血が垂れる。リサは声を投げつけるしかない。
「だから、逃げなさい!」
振り返らずにスーは即答した。
「逃げません! あの草原で貰った命、ここで使わずにどこで! どこで使うと言うのですか!」
「っ……」
そして、彼女は全速力で走りだす。
半ば機動蟲や兵士をなぎ倒しながら、スーはヴラドレーナへ何百回も切断を試みるが、届かない。
善戦はしているように見えた。スーの速度に対応仕切れていないのだ。ヴラドレーナはタイミングを計りながら、かろうじてスーの刃を防いでいる。
「ちょっとやばっ」
スカートをはためかせて飛び跳ねるヴラドレーナ。彼女の飄々とした雰囲気が崩れはじめた。
スーは投擲しようと五本のナイフを掲げた。扇のように広げて、一気に五方向へ、進路を防ぐために、投げ――ようとした。
しかし、それは妨げられてしまう。
ヴラドレーナは満面の笑みを見せた。それはきっと彼がついに戦いに介入したからだろう。
「遊びすぎだ。レーナ、君の悪い癖だ」
ナイフを投げた瞬間、ナイフが消えた。
スーの目の前には、のらりくらりとした四番目の姿。
「マー君、私を助けるために! なんて男らしい!」
「レーナ、わざとらしい」
「はーい。でも、女の子はあざといくらいで良いんだって」
リサはもう声が出なかった。ついに二人の両目がスーを見つめる。スーが生存する選択肢が出てこない。
スーに向かって、リサは手を伸ばすけれど、それは届かなかった。
そして、四番目がもう一度腕を振ると、スーも消えた。
「さっすが、僕のマー君」
信じられない、信じたくない。信じない。消えた。消えてしまった。最後の声すらも聞こえない。
まるで空間を丸ごと切り取ったように、スーの残影すらも何も残さずに、それまで戦闘なんて無かったように、スーはいなくなってしまった。
「う……そ……?」
「噓じゃないよー。これは哀しくも僕達が創った世界。いろいろ頑張ってきたみたいだけど、君には申し訳ないけれど、この世界の糧になってよ。でも安心して。君のゲームはもう終わり。元の世界に返してあげるからさ」
ヴラドレーナはリサの前へ舞い降りた。
今にも腹を抱えて笑いそうだった。助けてあげると言っているが、リサの事を考えている気持ちは一切伝わらない。
「ちょうど良かったじゃない。こっちで『しがらみ』なんてできても、帰るなら意味が無いでしょ? 良かった良かった。レーナさんはそう思うよ?」
「あ……あ……」
リサは声もでなくなってしまった。半身が千切られた気分だった。しゃがんだまま、時間が止まってしまった。息も、心臓も、停止する。
彼女の精神は八つ裂きになって、もう何もわからない。わからないのだ。自分が。自分が目の前で抹殺された。
ヴラドレーナは一つ吸い込んで、リサのすぐ側に歩み寄ってしゃがみ込む。自己を失ったリサの耳に囁いた。研ぎ澄まされた甘い小声。砂糖でコーティングされても、その残忍さが見え隠れしている。
「――だから、君も僕たちに協力してよ」
広場には重い空気が満ちていく。リサの精神も、体も満身創痍だった。自分のあまねく一切、髪の先端まで彼女の声から逃れることができない。彼女の声を聴くたびに身体が束縛され、自由が失われていく。
「ねぇ、聞いてる?」
青い艶やかな髪が頭上から垂れる、死神の鎌のようにリサの首筋に触れた。
「え……何? 泣いてるの?」
「……」
「やめてよー、困るよー。ねぇ、どうしよう。マー君」
話を振られた四番目は面倒くさそうに口を開ける。まるで問題児を眺めている先生のようである。やる気のなさが溢れ出ていた。。
「どうみてもレーナが悪い」
「ええ噓でしょ!?」
「いいや、噓じゃない」
「むむむ……」
「ほらさっさと――ッ!? レーナ! 避けろ!」
四番目がはじめて声を張り上げた。
「何っ!? まだなにかあるの?」
地上に稲光が走る。全てをなぎ払うような、強くて勇ましい雷だった。
彼女が驚くより前の刹那の時間で、見覚えのある雷が広場を一筆書きするように、兵器と兵士を消し炭にした。
鋼鉄の機械は電撃に触れて、風船を針で突いたように爆発していく。兵士達は悲鳴を上げる間も与えられず、ばたばたと倒れていった。
残雷がバチバチと空間を満たし、リサは誰かに襟首を掴まれた。
「ひぐっ!??」
そして、固い石畳の広場を、光の速さで引きずられる。この痛みには身に覚えがあった。
襟首を持っていた手はおもむろに離れ、慣性の法則でリサは転がり続けて、ようやく回転が止まった。
仁王立ちしている人の足下にいた。何度この人に見下ろされただろう。懐かしい無遠慮な彼女がそこには立っていた。
「……本当に乱暴な人ですね。お姉様をもう少し優しく扱って下さい」
「おい、スー。助けた人にはまずお礼じゃろう」
「遅いですよ。何してたんですか?」
「……お主くらいじゃよ。妾にそこまで強く出るのは」
「スー!! 師匠!!」
「おうおう、なんじゃ。顔が真っ赤じゃぞ。昔からか? やっぱりお主は泣き虫じゃのう」
「お姉様が泣くのは、だいたい師匠のせいですね」
「スー、話の腰を折るな!」
その栗色の髪を忘れたことなんてない。真っ赤な羽織は薄暗い中でもよく目立つ。
リサやスーを助けたのはラン=トラオラム。リサの師匠にして、この世界を牛耳ってきた最強で、最狂な、一千年前のプレイヤーである。
「……ヴァンさん」
ランの後にはいつの間にか姿を消していたヴァンがいた。彼の足下にはレイとメアがいた。彼があの場所から連れ出してくれたのだろう。
「ああ! 何!? ほんと誰!? もう! もう! もうもう!! せっかく連れてきたのに!!」
ヴラドレーナが髪を振り乱しながら、機械達の亡骸の前で頭を抱えて、体をねじる。連れてきた機械や兵を一瞬で失ったのがショックだったのだろう。金切り声をあげていた。
「ギャーギャー五月蠅いのう、あの餓鬼。妾が嫌いなタイプじゃ」
「はあ?」とレーナが怒りの声を発した。
ヴラドレーナの顔面に苛立ちが溢れる。その背後で小さく首を傾げる青年がいた。
ランをジットリと見つめる四番目。ランもそれを睨み返す。見つめられたら穴が開くほどの眼光だった。
「……久しぶりですね」
ぼそりと影の薄い四番目がランに向かって喋り出す。その表情は苦虫を噛み潰したようなものだった。リサは初めて彼の感情を見た気がした。愛想笑いをやめていたのだ。
「フン、お主のことなぞ、一片たりとも覚えてもいないのう」
「そうですか、ならきっと人違いでしたね」
「マー君! 手を出さないで!! 私がやる! 私がこいつをやる! ……ちょっと久しぶりに本気出すよ」
「レーナ……」
「絶対出さないで!!」
四番目を押しのけるように、ヴラドレーナは前に出た。
青い少女の人が変わる。彼女も可憐な外見でも、歴としたプレイヤーだった。彼女から大量の世界の断片が噴き出して、濁流のように流れ出した。
小さなバトルフィールドで、師匠の放つ炎のように燃えさかる世界の断片の爆風と、ヴラドレーナから噴き出した、どろりとした深緑の液状の世界の断片の津波が、彼女達の中間点で衝突する。
「用があるのは貴様じゃない! なぁ、マー君よ。自分の名前さえ消して、お主はもう自分は残っていないんじゃないか? 散々世話になったのう。この時を、この時間を、この瞬間を! 一体どれほど待ちわびたか」
「ねぇ、ちょっと黙りなよ。今僕と喋ってるんでしょ!? おばさん、うるさいよ」
「ああ!?」
ヴラドレーナは地雷を踏まれたのか、怒りを拳に凝縮させて、打ち込もうとする。ランも激高して、豪快な光の爆発を撃ち出し、夜明けの空を眩しく照らす。
リサがはじめて見るプレイヤー同士の戦いだった。
それを尻目にリサは這いずるように瀕死のレイ達に近づく。この場は師匠に任せて、リサは自分の半身達を、一刻も早く助けなければならなかった。
「お姉様? お姉様!!」
「ごめん、燃料切れ……」
「お姉様! 馬鹿! なにやってるんですか! 本当に馬鹿! お姉様-!!」
「ごめん、ヤバいかも……」
リサはメアとレイの最低限の治療を施した結果、生命力が枯渇して意識が途切れかけてきた。屋敷のときのように、生命力が補充される温泉みたいな便利なものはない。
充電の切れたパソコンのように、強制的にシャットダウンへ追い込まれていく。
掠れた視界の中で、ランとヴラドレーナの戦いの火花がカラフルにぼやけていく。
「死ねっ! 死んじゃえ!!」
「喚くな、黙れ!!」
師匠が五十メートル上空まで飛び上がり、地上に向かって両の拳を振り下ろす。
「ひっ!?」とヴラドレーナの子供っぽい悲鳴がリサの耳にも届いた。
まるで雲の切れ目から射し込んだ一筋の光。
その光は大きく拡大し、リサ達、広場、四番目、ヴラドレーナ、そして帝都の街を全て包み込む。
その光柱に呑み込まれたリサは、何も見えなくなった。けれど、太陽の光のように温かくて、安心してしまう。安堵して、リサは気を失った。
******
「どこ行ってたんですか! 馬鹿師匠!!」
目が覚めると、とんでもない言葉が口から出てしまった。
リサが寝ていたベットの横には、師匠が嬉々としてリサを見ていた。
「うっ噓でしょ――あぐっ……っつぅ」
青ざめる間もなく、当たり前のように頭部に激痛が与えられた。師匠の拳は金槌よりも硬く、殺人未遂であると声に出して言いたかった。懐かしい、殴られたのはだいぶ久しぶりだった。
意識を失うまでの記憶はハッキリしている。あれからどうなったのか聞きたいが、リサは頭が割れるほど痛くて、上手く思考がまとまらない。
「馬鹿とはなんじゃ、馬鹿とは。この馬鹿弟子」
「師匠……」
「少しは見れるようになったと思ったのじゃが、まだ子供――」
「師匠-!!」
それでも本当に彼女なのだ。嬉しくて抱きついてしまう。この痛みは知っている痛みだった。
この沸き立った安心感は、やはり師匠が近くにいるからだろう。
場所は不明だが、医務室に並べられたベットの上。師匠のことだから夢かもしれない。いや、リサは夢でも良かった。
「ああ! もう! いい加減離せ! うっとうしい」
「いいえ、離しません。もう本当に大変だったんですから。ここは船の上ですか……?」
懐かしい匂いを嗅ぎながら、リサは師匠を上目遣いで見つめる。師匠に顔を逸らされてしまった。
ガンガンと壁にくぐもって響く金属音。腹の底から巨大な機械の駆動が伝わる。この妙な浮遊感、おそらくは空の上だろう。
無骨な内装から軍用兵器であるのはわかる。一部屋の大きさから推察するに、飛行船艦である。
リサがいる医務室は八台のベットが敷き詰められていた。飛行戦艦にしてもかなり充実した設備。帝国の最大級バゼル級と同等か、それ以上だった。
「おお、そうじゃ」
「どうしたんですか。こんな大きな戦艦」
「もらった。ちょっと借りただけじゃよ」
「……師匠?」
「すまんかった。合流が遅れた。もっと早く来れば良かったのじゃが……」
「何言ってるんですか!」
師匠の思わぬカウンターでリサは恥ずかしくなって、抱きついていた彼女の体から離れてしまう。今度はリサの方から顔を逸らしてしまった。ランの謝罪の言葉は素直に気味が悪い。
「師匠はやることがあったのでしょう?」
「それは終わったことじゃよ」
「……エアさんはどうなったんですか?」
そう、師匠は彼女を救いに行ったはずだ。その用事が終わるまで、リサは師匠と会えるだなんて思ってもいなかった。
「死んでおったよ」
「……」
「……あそこの地下でお主も見たじゃろう。あれと同じじゃ。どうやら妾の身内はほとんど死んだらしい。残っていたのは一人だけ。もちろんまだいるかもしれんがのう。しかし、おかげでお主のところへ来れた」
リサは自分を優しそうに見つめるランと目が合った。彼女の高い体温を帯びた手の平が、リサの頬に添えられる。
「そう、暗い顔をするな。ちゃんとエアは盛大に弔った。世界の中心だとほざく、ちっぽけな街ごと火葬してやった。早速新聞記事に載ったぞ」
それは世界にとってはきっと嬉しいニュースではないだろう。
国一つ潰しているという、リサの予報は当たってはいなかったが、だいぶ近かった。
「それにしても。お主は寝過ぎじゃ。一週間じゃよ。そんなに長く寝ると、また鍛え直さなきゃならんぞ」
「ええ!? そんなに!?」
「ろくに休まず、能力の乱用。知っているのと、経験するのは違うじゃろう? さらに世界の断片の欠乏、さらにさらに、その状態で過度な力の行使。下手すると死んでおったぞ。あれほど修行で叩き込んだのにのう」
「いやぁ、自分では大丈夫だと思っていたんですが」
「馬鹿もん」
そこまで危険な状態だったのか。無我夢中で全く気にしていなかった、修行中で何度か彷徨った死の境。あれが当たり前ではないことは、自分に言い聞かせているつもりだった。
どこか甘く見ていたのかもしれない。
「やりすぎじゃ。もっと自分を制御しろ」
「はい……」
自分が抑えられていない。ランに核心を突かれて、素直に頷くしかなかった。まだまだ自分は自分に振り回されてばかりだった。
「じゃがのう。よくやったと妾は思っておる」
リサの頬に当てられた師匠の手は、リサの頭の上へ行き、そのままわしわしと撫でられる。リサは泣きそうになってきた。余りにも師匠らしくない。本当に幻覚でも見てるんじゃないのか。
「馬鹿なことを思っておるのう」
「……なんでわかるんですか」
「能力を防がれても、それぐらいわかるわい。ほら、外の空気でも吸ってこい。驚くぞ」
そうしようかな。
リサは治療着のような白い浴衣の上に、いつもの真っ白な外套を突っかけて、医務室を出た。廊かを進み、階段を上る。甲板の端の方、船の上からはその全体像が分からないほど大きい。
「でかっ」
見下ろした光景で足がすくむことはなかった。雲の海すれすれの高さだからだろう。飛行戦艦は全く揺れず滑るように青空を進む。太陽の位置から察するに進路は南だ。
眼下には雲、見渡す限りの水平線、後はリサ達が乗っている船だけだった。
船体には赤い三角形が組み合わさったような、家紋のような印が描かれている。屋敷でも見たことがあった、総代会のマークを連想させるが同一ではない。
師匠が過去に創設した総代会に似ているが、一致はしない。新しい組織のシンボルだろうか。
「いろいろ聞かなきゃいけないね」
独り言が出てしまった。リサの背中に柔らかい温もりがあたる。
「……ひっぐ」
「ごめんね」
背後から飛びついてきたのは、よく知った感触だった。
見なくても分かる。スーだ。彼女は涙目で、もう声も出ていない。
「迷惑かけたね」
「……はい」
「もうちょっと、賢く行動するからさ。許してよ。私、馬鹿だけどさ、もっともっと成長するから」
スーの抱きしめる力が強くなる。まだまだ自分は弱かった。
なんだかあのときと似てる。はじめて屋敷で起きた日だ。
あのときと何も変わってないんじゃないか。いや、違う。
あの日、自分を掴めたのだ。確かに、それを忘れてはいけない。前に進んでいないわけじゃない。
似ているけど、一緒ではない。その速度は遅いが、確実に成長しているのだ。リサがそう思わなければ、誰も思わない。
「スー、そろそろ泣き止んで。お願い」
「……はい」
「みんなに謝りたいから、案内してくれないかな」
「……喜んで…です!」
たゆたう船艦は空にぽつりと浮かんでいる。リサの新しい世界はまだ開けてもいない。
船艦のデッキでは、リサに殴りかかるもの、お礼を言う者、跪く者、様々である。リサはもう自分を見失うことはない。
彼女の仲間の体は、彼女の体。その意志は彼女の意志である。
「次はどこ行くのかな?」
「師匠に聞いてないんですか?」
「うん、まだね」
「ゴルディア大陸に向かうみたいです。それと嬉しいお話も……」
「今はまだいいよ。ちょっとのんびりしよっか。今日はゆっくりしたいかな」
「そうですね」
湿潤した空気は、カラッとした陽気さを帯びる。
リサはいつの間にか鼻歌を歌っていた。
五章 宝石の桜。