GENE4-13.ハッピーエンドにしたいんだ
ぽんと頭を撫でられた。隙を見せたわけでもないのに、ヴァンは気安く頭を触られてしまった。
「時間稼ぎ宜しく。ま、頑張って」
すれ違いざまにそう言って、追いかけていた女の子は消失してしまう。
ヴァンは何故か自分が育てた怪物と対峙している。思わず舌打ちがでた。噓みたいに静かな夜の闇に、能面の悶々とした喘ぎ声が聞える。
「……?」
何を言われたのか、わからなかった。怪物と対面したら逃げ一択である。ヴァンは、すぐさまきびすを返して、屋上への出入り口へ足を向けた。
ヴァンがここに来た理由は、アレと闘うためではないのだ。
あのリサという少女に一言だけ、何か言いたかっただけだった。ヴァンは話そうとした内容はまだ固まってなかった。彼女を見れば思い浮かびそうだと、胸の奥底にある熱く、融解した自我が固まりそうだと、思ったのだ。それだけだった。
「……おいおい、噓だろ」
出入り口まであと一メートルほどでヴァンは見えない壁に阻まれてしまう。パントマイムでもしているかのように、透明な隔壁がある――いや、あるものだと認知させられている。この屋上から出ることを体が拒否していた。逃げることができない。
「あの野郎っ……」
頭に何か仕込まれた。別に彼女の代わりに闘う義理などないし、手伝う気はさらにない。しかし、この状況に陥れば話は別である。
リサという少女の望むままになるのは腹立たしかった。彼女は何を企んでいる。自分の祖母に無理矢理仕事を押しつけられたことを思い出してしまう。やり口が非常に似ていたのだ。
頼まれたのは自分自身の後始末という、全くもって、最高に気乗りのしないモノだった。
彼女が街を壊してくれるのをあんなにも望んでいたのは彼自身である。
自分が育て上げた、怨念を自分に押しつけられるなんてバカみたいな話だ。
「おいっこっちだ」
拳銃を抜こうとするだけで、体が硬直してしまう。これも彼女によって制限された行動らしい。課せられた制限は余りにも厳しかった。
闘うことすらできないのか、いや、倒さなくて良い。時間を稼げれば良い。しかし、頼まれた時間稼ぎだって噓である可能性の方が高い。だが、ここで死ぬわけにはいかなかった。
「アーアーア―、アアア」
「そうだ、そのままこっちに来い」
猛獣の檻に放り込まれた生肉の気分である。
「アアーア―、アアーア」
「ちくしょう……」
話し合いで解決など不可能だ。
舞台の中央で、怪物の女王の彼女は頭をかきむしる。
その仮面を着ける前の姿は見たことがある、しかし、それと同一人物かわからない。
身体の全てを覆い隠すように、服が、仮面が、鬘が、傷つき破れながらも肌身を一切晒さないという機能を何とか保っていた。ぴっちりとその擬態を着ている彼女。
面に何度も何度も触れたのか、取ろうとしたのかは分からないが、その白い面には血の滴った指の痕が何十にも着いている。
叫び、気違いのようにただ身体をくねらせ、頭を抱えた彼女とヴァンは目が合った。仮面の向こう側から凝視された。
「なっ!?」
ヴァンが仰天するよりも早く彼女は踏み込む。
咄嗟に自分の能力、藪の中の真実を発動した。一切の加減もせずに、身を夜に同化させていく。
自分よりも彼女が強い、そんなことは分かっている。
しかし、負けない術は知っていた。この四百年余り、彼は何もしていないわけじゃなかった。
攻撃を避けて、何を持ってヴァンが認識されているのか探る。光、音、触覚いくつか考えられるが、最も想定されるのは、プレイヤー特有の世界の断片の波長。今の世界で言う魔力の波長。
その自身の波長を徐々に薄めていくと、彼女は見当違いの方向へ蹴りやパンチを繰り出していく。
「アアア!! アア!」
要所要所でヴァンは自分をちらつかせながら。彼女はそれを捕まえようと追いかけてくる。
虚構に真実を混ぜながら、その能力を最大限に生かす。ミスディレクション、視線誘導、既存の技術を駆使することで、能力の効果は倍増する。追いかける彼女の姿は、まるでヒラヒラと舞う幻の蝶を追いかけるようだった。
あの化物は、ヴァンの姿を捕らえきることができていない。息が切れてきたのか、彼女のまるで空気中で溺れるように腕を強ばらせていく。
ぴしゃりぴしゃりと血が、屋上に撒き散らされる。彼女の血だ。
彼女の表皮は耐えきれず、服に隠されて見えないが、裂けてそこから出血しているのだろう。たらたらと血が垂れて、もがく度に屋上のコンクリートには血の飛沫が飛ばされていく。
「アア!! アアーー」
彼女の動きは徐々に鈍くなっていく。
当たり前のことだった。
自分の体ではないのだから、その耐久力を知らないのだ。能面を着けた彼女はもう力なく腕を振ることしかできない。もうヴァンの姿は見えていない。
暴れようにも、ぶつける相手が居なかった。
ついに足は止まり、彼女は立ち尽くしていた。頭を下に向けて、重力にすら胸を張れないように、醜く背を丸くする。死にかけの老人のようだった。
彼女は暴れることをやめたらしい。抜け殻になったように膝をつく。
黒い人工毛の鬘がバサリと顔を覆って顔が見えない。ピクリとも動かない。
「……終わりか」
案外呆気ないものだった。ヴァンは遠目でそれが崩れ落ちる様を観察していた。
原因は明白で、体を酷使して動けなくなっただけである。本来なら感知できるはずの人間の感覚情報は、本体である能面に届いていたのだろうか。あの身体能力は脅威だが、もう燃え尽きる寸前だった。
低い、唸るような音が響き、タワーに灯る赤い光も薄くなっていく。
おそらくはリサの取り巻きだろう、彼女達がタワーの火を消し去ったのだ。全くもって面白くない。
火種は帝都に燃え移らなかった。
自分で計画したものは全て無意味になった。自分で壊す羽目になった。全てが水の泡。この赤い光は消えて欲しくなかったのだ。
ヴァンはまた取り残されたような気分になる。やってきたのは強烈な自我の喪失感だった。自分は何がしたかったのか。なんで生きてきたのか、どうしてここにいるのか。
「参ったな」
自分のことなんて、考えたことがなかった。
そんなことを考えてしまう時点でどうかしている。
そんな悩みを潰すように、小さな小さな笑い声。かろうじて聞き取れるほどの音量だった。
「――ヒヒッ」
ヴァンはまだ死んでいなかったソレを見る。笑っていた。仮面でその素顔は分からない。でも、ソレは笑っていたのだ。
「ツカマエタ」
しわがれた男の声が、媒介となった彼女の喉から発せられている。ずっと喚いていたのに、まだ喋れたのか。彼女の声帯が正常に機能しているのに驚いてしまう。
そして、ヴァンを襲ったのは――
「あはあ」
直立できないほどの立ちくらみだった。毒でも喰らったようにどくんと心臓が高鳴って、その場に四つん這いになってしまう。
突っ伏した指先には赤い血痕。彼女の血がヴァンの足下にも撒き散らされていた。そして、強い風がヴァンを呑み込む。ヴァンは彼女の風下にいた。
「あがっ!? くそっ」
「アッハアハ」
血だ。
彼女の血をヴァンは吸い込んでしまったのだ。
能力とは肉体が媒介となる。
血が力となるように、その力の根源は細胞一つ一つから成り立っている。この化物はただがむしゃらに暴れていたわけじゃなかった。
彼女から目に見えない微小な細胞、血の微粒子が散布されていた。ヴァンは知らず知らずのうちに汚染されていたのだ。
ゼロに近い量だが、無ではない。
能力を発動させるきっかけには十分すぎるほどの微量な血液を、ヴァンは摂取してしまった。
「ああ、クソったれ!」
こんなところで死んでたまるか。そう叫ぶヴァンは真っ暗闇に包まれていく。
まず最初に視神経が潰されて、聴覚が遮断され、触覚も奪われた。
「ねぇ、今日の晩ご飯は何?」
「っ!?」
聞きたくない。幻聴だ。幻がやって来た。何も感じないはずなのに、背後に子供が居るのがわかる。子供のころの自分だ。
ヴァンにとっての、まだ世界が終わる前、戦乱の時代が終わり、膨大な戦後処理として課された責務をこなして、みんなで前を向こう。そうだ、そんなそんな時期だった。思い焦がれても戻ってこない時間。
それが背後から戻ってきた。
絶対に振り返りたくない。振り返ってしまったら戻れなくなってしまう。
吐き気がする。決して戻れない「過去」が、背後に立っている。すぐ背後に迫ってきている。
目を閉じても、その姿は脳裏に刻まれたように、瞼の裏に浮かび上がってきてしまうのだ。
そこには自分がいる。自分が問いかけている対象も居る。それはきっと――
「もうさっきお昼を食べたばかりでしょう」
「やめろ――っ!?」
もう死んだのは分かっている。
もう戻ってこないのは分かっている。
ヴァンが一番分かっているのだ。
なのに、彼女が生きていると錯覚してしまう。その長いまつげが、何か食べたい物はある?と聞く、そのうっすらと桃色の唇が彼女は――母は――リオンは――。
「違う!!」
死んだのだ。
夜の夜の闇の中、破裂音が響いた。
過去と決別するようにヴァンの視界がひび割れて、現実が帰ってきた。
「ア?」
立ち上がったヴァンが掲げるのは、火を噴いた鋼鉄の銃。ヴァンは唇から血が出るほど噛みしめていた。その瞳は幻影の向こう側、操り人形のさらに向こう、全ての元凶である分身を貫くように、見つめていた。
弾丸は能面に当たり、ピシリとヒビが入った。
それが精一杯の抵抗で、ヴァンはその場に俯せに倒れてしまう。
静まり返った後に響いたのは拍手の音だった。
「ご苦労様」
ヴァンの暗闇を切り裂くように、真っ白な外套が現れたのだ。
制約でアルルの体を傷つけないようにしたが、アルルの体を傷つけずに撃つとは思わなかった。見せられた「なにか」を逃れたくて、本能で体を動かしたのだろうか。意地悪で適当な制約で彼を縛ったが、まさか何とかするとは思わなかった。
しかし、よく時間を稼いでくれた。予想では汚染されて随分前に倒れていたのに。半分は仕返しのつもりだったのに。囮役にしては上々。流石、彼女の孫と言うことか。
けれど、リサは正面の仮面に集中。念願の待ちわびた相手だった。
「ははっ、ようやく! ようやくだよ!」
笑いが止まらない。やっと、やっとこの瞬間が来た。
もう全て段取りは整えたのだ。
屋上に白色光が輝いて、真っ赤な文字の神子術式が浮かび上がる。まるで異界への扉が開いたようだった。直径十メートルの半径にぎっしりと、緻密な幾何学模様が書き込まれていた。文字は全てリサの血で描かれていた。
リサは脱兎の如く、能面女の懐に入り、その仮面を鷲掴みにして、乱暴に振り回し、その円のど真ん中に叩きつけた。
「……アっアア!」
「本当に胸くそ悪い能力だよね。今から貴方をぶっ壊してあげる。覚悟しなさい」
リサは叩きつけた彼女を押さえつけて、ぼそりとドスのきいた声で呟いた。
円に刻まれた文字術式が立体的に浮かび上がる。一行一行が立ち上がり、半円、楕円、弧を描き、絹糸で繭を造りなおすように、リサと彼女の身体を覆っていく。
「アガッ?」
「動けないでしょう。特別製なの。貴方ちょっとやり過ぎたね。大人しくすれば――」
真っ白な繭にリサ達は包まれた。パリンと指輪の砕ける音がした。制限時間ぎりぎりだった。
「もっとやさしくしてあげたのに」
******
久しぶりに来た。
半年ぶりくらいだろうか。いや、つい一時間前にも来た気がしてしまう。そんなはずないのに。やはり摩訶不思議の無限白色空間だった。
「変わってないなー」
見覚えのある白、白、白。どこか他人行儀な白色で埋め尽くされている。
そこには高さ三メートルの黒い塔があった。リサのよく知る黒い結晶のブロックが積み上がり、今にも崩れそうだった。脈を打ちながら、絶妙なバランスで傾いている。
「まさかとは思ってたけど、本当に来れるとは思わなかった」
元の世界を離れた後、この世界に訪れた前に来た空間だ。タワーがある代わりに、あの巫山戯たぬいぐるみはここには居ない。あったらバラバラにするつもりだったのに、リサは残念そうに肩をすくめた。
「さて……」
『何故ここまで来たのか』
「何? あんた喋れるの? それは予想してなかったな」
『どうしてここに来たのだ。まさか帰れると思っていたのか』
「答える義理があると思う?」
あの能面女が喋っていた男の声そのものである。しかし、淡淡とやけに落ち着いた音声だった。
本体である黒色物体の前面から、音声が伝わってくる。
彼は管理人。正確にはその分身。相変わらず気持ちがこれっぽっちもこもっていない、乗用車のナビゲーションのような声で、あのときと一緒だった。
「うーん、無理みたいね」
リサは手の平を、その黒い固体にピタリとくっつけた。その黒色物質は殺生石と同じ成分だが、触れてもその内容は読み取れない。本体の管理者のところへは繋がっていなかった。焼けた鉄板のように熱く、冷却された大理石より冷たかった。
『不可能だ。『始まりの部屋』と同じだが、同じではない。接続は完全に切れている』
「うーん、もしかしたらと思ってたけど駄目みたい」
『無理だ。プレイヤーは勝利条件を満たさないと、あの部屋に行くことはできない。その権限はプレイヤーには与えられていない。元の世界へと繋がるあの場所へは全てを終わらせてからでないといけないのだ』
「……煙草吸って良い?」
「……」
リサは懐から煙草を取り出して、火花を指先から一瞬出して、火を灯す。
意識だけだというのに、煙の香りがする。これは自分の知っているイメージなのだろう。
『随分と落ち着いている』
「それはこっちのセリフ。あんな能面みたいな、全身薬漬けにでもしたようなヤバいやつかと思ってたけど……なんか拍子抜けだよ」
煙草を捨てて、アバターの精神体と向き合う。その黒は光を全く反射しない。覗き込んでも自分の顔は鏡のように映り込まない。自分もその闇に飲まれてしまったように思えてしまう。
「それでこれを壊せば、向こうの仮面と貴方の接続は切れるの? 切れた貴方はどうなるの?」
『どうして? どうしてそのようなことを聞く? 疑問だ。そもそも君はどうしてここに来た?』
「質問に質問で返さないでよ」
『そもそも、それを答える義理があると思うかね?』
「……ないね」
『非効率的だ。あの娘ごと私を壊してしまえば良いのだろう? なぜそうしない?』
深層心理を勝手にベラベラと話されて、リサは歯を食いしばって睨み付けた。
プレイヤーとして経験を積んで、この部屋でも考えていることを隠せるようになった。しかし、この部屋の主である存在には筒抜けだったらしい。
『そうかそうか、娘を救うためか。だからここまで! わざわざ! 興味深い! 興味深いぞ!』
「……人の頭の中身をわざわざ喋らないでくれる?」
恥ずかしくて自分では口にしたくない。言うつもりもなかった。
ああ、もう来なきゃ良かったと、リサは嘆きたくなってしまう。
『面白い。お前達は本当に面白いな』
「ねえ、ケンカ売ってる?」
『いや、素直にそう感じたのだ。ああこれが面白いということなのか。無下になってしまうのに。さっさと倒せば良いものを。だから面白いのか。私にやっと理解できた。良い! 良いぞ!」
単調な抑揚で男の声は響くので、喜ばれている気が全くしない。
「そうか、君はまるで……」
ガラスが割れたような音がした。
右の手刀でアバターの本体である構造物を突き刺したのだ。
「ああ! 本当にむかつく」
「ア……アアアア……ア―――――――アアアーーーーーーーーー」
「さっさとこうすれば良かった」
壊すときの音と感触は全く異なっていた。ぶすりと柔らかいモノを刺したみたいだった。
リサが腕を引き抜くとガラガラとボックスの山が崩れていく。真っ白な床には黒い液体が飛び散った。
ブブブーーブーンンンン
分身体は傷を受けた箇所から崩壊していく。個々ではない元の場所、本体へその回収したデータが還元されるのだろう。傷口にむかって、散らばった黒色立方体が飛び込んでいく。その黒い固まりは自身を内側へ檻入れるように、消えていく。
白色空間も崩れだした。
元の世界に居たのが随分懐かしく思えてくる。
リサは思ったよりも怒っている自分に驚いた。
そして、元の世界に帰れる実感がはじめて湧いた。本当に帰ることができるのかもしれない。
しかし、残り六体。まだまだ時間は掛りそうだった。
それまでにスー達の世界を創らなきゃ。このままの世界ではいけない。リサはそう思っていた。
視界が白く塗りつぶされる。最初と来たときと同じ。二度目だった。
この世界から追い出される。聴覚も触覚も白く塗りつぶされる。感覚器官がさっきまでいた身体へ切り替わっていく。
リサは一人目の分身体を倒した。
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「お……え…ま。お姉様。お姉様」
スーの声が聞えてくる。。
意識が尖ったみたいな、甲殻類が脱皮して新品の身体を得た心持ちになる。意識体になって、肉体へ再定着して、新しい自分に再形成したのかもしれない。
「何も変わんないけどね」
「もう私の身にもなって下さい。いつもぼろぼろになって、来たら倒れてて、ビックリしました」
「うん、私もビックリ」
「……心配したんですから」
「ふふふ、ごめんね。ただいま」
「お帰りなさい」
空は真っ暗闇に包まれていて、人工光は一つもない。ただ風だけが聞える。静寂のまま、まだ都市機能は停止していた。リサは屋上に寝そべっていた。
そこにはヴァンも含めて全員いた。リサの側にみんな居たわけじゃないが。もし心配そうに囲まれていたらそれはそれでリサは気持ち悪いと言ってしまう。どこか他人行儀なくらいでリサは良かった。
メアは体育座りをしているし、ヴァンは街の様子を見ている。レイは寝ている別の女の子、おそらく能面に取り憑かれていた少女の側に立っていた。
感覚が正常に戻っていく。スーを撫でて、ああいつも通りだとリサは安心してしまう。
手脚の先まで電気信号がしっかりと伝達され、肉体の実体を感じ、リサは深呼吸する。横隔膜が伸縮し、肺が連動する。
「よし、ぶっつけ本番だけどなんとかなったみたい」
「なったみたいって……」
「今回はイレギュラーだったんだって、もっと楽に倒したいと私は思ってるよ。そう、私はいつも穏便でありたいと願ってるんだけどねえ」
しかし、なかなか上手くいかない。リサの願ったようには物事はなかなか進まなかった。
「スー、状況は?」
「みんな、無事です。メアが少し頑張りすぎたみたいです。それと……」
「それと?」
「能面に取り憑かれていた方は……」
「生きてる?」
「はい、酷い状態ですが」
「ああ、よかった……よいしょっと」
屋上の真ん中には彼女が横たわっている。苦しそうに息はしている。眼を閉じて悪夢にうなされているようだった。
服の裂け目からは痛々しい傷跡がちらりちらりと見えてしまう。しかし、それはどうやら戦闘の傷ではなく、かなり以前にできたものだった。
「ずっと前からだったんだね」
分身体に取り憑かれる前から、彼女はずっと、ずっと傷ついていたのだ。
それまで生きていたのが信じられないほど、破壊されていた。それを心配そうに見つめているのは、すぐ横でたたずんでいるレイだった。
「レイちゃん、この子の名前は?」
「アルル。アルル・リカード」
助けられそうかとレイはリサの瞳を見る。言葉は発しないが、ここまで雄弁な彼の姿をリサははじめて見た。
「大丈夫、これだけ生きたいと思っているんだから救えるよ。それに私が救うと決めたんだから安心して」
「治せますか?」
「うーん、この組織じゃあ、もう駄目だね。新しい肉体を創ろうにも、それだけの力は残ってない。でも、この子は持って一時間。私の力が回復するのを待つのでは間に合わない」
「おい」
「分かってるよ、レイちゃん。この子を私が救うと言ったらそうなるの――ヴァンさん」
リサはよしと息を吐いて、顔をあげてヴァンに声を投げかける。彼はまた頼み事かとため息をついた。
随分酷い扱いをしたとリサは自覚していたけれど、申し訳ないがまたお願いすることができてしまった。
「またあそこに行こっか。スー手伝って、最後のお仕事。レイとメアは帰りの準備。夜が明けるまでにこの街を出るよ。何しろ私たちはテロリストの仲間なんだから」
リサはふふんと鼻を鳴らす。
横たわるアルルを慎重に抱き上げた。
「街の後始末もしなきゃ。それについでに慈善事業もやらなくちゃいけない」
ちゃんと綺麗に締めくくろう。こういうものは最後が大事なのだ。リサは腕まくりをして、地下へ向かった。