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GENE4-12.人形達の舞踏会

 自壊する人形となったアルルはすすり泣くように『タスケテ』と叫んでいる。断続的に伝達される彼女の心情。救済を求め続け、自己を滅し続けた結果だった。


 リサも泣きたくなってしまう。その能力の性質上、生命を感じとってしまうから。


 アルルの魂魄は、あの身体に拘束されたままである。自分の肉体なのに縛られて、半ば幽体離脱したように、半透明な少女が能面の背後に浮かんでいる。湯気のようにすぐに消えてしまいそうだ。

 その姿は今よりもずっと幼い、子供の彼女の姿だった。きっと彼女は今の自分をイメージできないのだろう。それは帝国に囚われる前からずっと。

 彼女の時間は止まっていた。


 どうして見えなかったのだろう

 いや、見えるようになったのだ。


 リサの能力が一段階成長した――のかもしれない。

 能力とは願望であり、形のない不安定なものである。だからこそ、恒常性はなく戦闘に用いるのは難しい。足かせになることだってある。

 例えば、毎日大事にしている些細な約束(ジンクス)がある。靴を履いて玄関を出るときに、右足から踏出すことをいつもかかさず行っていた。そんな取るに足らない小さなルール。


 そんなちっぽけな、どうでも良いものを破るだけで、心に小さなささくれができるだけで、力が乱れる、最悪使用不可になることがあるのだ。


 しかし、その逆もまたある。

 下らない気持の変化一つで能力が研ぎ澄まされる。


 そんな戦いに用いるには余りにもピーキーな「武器」を使って、リサ達は闘っていたのだ。


(ねぇ、どうして? 私はナニヲシタノ? どうしてコウナッテシマッタの? 何モ、何もシテナイノニ)


「哀しいけど、そういうものなの」


 彼女の声を少しづつ聞き慣れていく。

 魂の叫びにリサはぼそりと返答して、踏み込んだ。


 体組織が崩れかかったアルルは、リサがつきだした拳を崩れるように躱す。彼女の筋肉や腱がブチリと切れる。触れるほど近くにいるリサにも聞えた。その体は酸っぱい匂いを発しはじめ、もう死んでいるのか生きているのかわからない。しかし、彼女は生きている。辛うじて。リサはそれを繋ぎ止めたかった。


「アハっ、アハハハハハ。チョーダイ!! ホシイ!! チョーダイ!!」


 アルルはお構いなしに、リサの頭蓋にヘッドバッド。

 リサも、その渾身の一撃をおでこで受けとめた。視界いっぱいに広がる真っ白な能面。


 鈍い音が屋上に響く。リサの頭から血がべっとりと流れ、たらたらと滴って口元まで垂れる。リサはソレをぺろりと舌で舐めた。


「こんばんは、そして――」


 この取り憑いたくそ野郎を血祭りに上げてやる。もうリサは腹が立って、腹が立ってどうしようもなかった。


「さようなら」


 殺気の蛇口を全開にして、噴き出した黒々とした気持を面の一点に集中させる。殺気なんて記号が、ソレに伝わっているかは分からなかった。


「アア???」


 アルルの動きが遅れる。身体を伝播して、それを操るアバターの大きな疑問を感じとれた。


 蠅が止まるような速度の、アルルの蹴りは当たらない。もう彼女の体は接近戦を行えるほどの強度はなかった。


 リサはバックステップ。数十メートルの距離をとる。


「……?」


 見上げると、奴は首をかしげていた。


 ふふん、不思議でしょう。どうしてだろうねと、リサは微笑む。


 そう、リサにはアルルの能力が効いていないのだ。あそこまで接触して、能力に飲まれない。感染しない。犯されない。リサは万全の策を講じている。遅れをとる気はもうない。何故通じなかったのか。それは指についている漆黒の指輪だった。


「バーカ」


 誰が手品の種を教えるか。あんな吐き気がする能力なんてもう二度と受けてやらない。


「はぎ取ったお面の上でダンスを踊ってやる」


 リサは師匠から教わったのは、単純な戦い方だけではない。そのつぶし方も教わっている。完膚なきまでに叩き潰し、的の手も足もひねり潰して、一方的な戦いをする方法を。

 この指輪は、あの能面の能力に合わせて、クリエイトした「仮想防壁」である。その構造は血液を元に、リサの模擬的な肉体と相手に認知させる。

 あのお面野郎は能力をこの指輪に行使している。この指輪が壊れない限り、リサは侵食されることはない。


 あの能力は強力だが、単純すぎた。


 指輪はピシリと音を立てる。

 この指輪の機能もそんなに長くは持たないだろう。


「あと三百秒かな……」


 もう負けない。これは殺し合いなどでは決してない。圧倒的なワンサイドゲーム。もうリサが遅れを取ることなど一つもない。


「アアアアああアアあああアあ!!!!」


 彼女は絶叫をあげた。

 自分の窮地を悟ったのだろう。これで勝てる気なのか、リサは嘲笑しそうになってしまう。まだ切ってないカードをさっさと出せ、それからじゃないと嬲り殺しができないじゃないいか。


「アソビタイ……アソビタインダー!!」


 それが彼の本音なのだろう。あれだけ喋っていたのに、そんな一言しか言えなくなっていた。


 汚らしい男の声が、小さな少女の喉を通って、空に放たれた。

 取り憑いた身体はゴムまりのように膨らんで、手脚が二倍の太さになる。纏っている生命力が光の柱になって、闇夜を貫く。タワーの先端部の赤い光もソレに呼応して燃えさかるように波打ちし始める。まるで岩壁に押し寄せる白波のように破砕し、その都市のエネルギーは炎のように燃えさかる。

 都市のエネルギーを自らの体に注ぎ込ませているのだろう。少しはやり応えがありそうだ。


 リサは火炎の中で舞う気持になる。


 ああ、戦いだ。


「アアアア!!」

「当たるわけないでしょ」


 リサは戦いを求める自分に少しだけ気付けた。

 もちろん、確固たる意志として、鉄のように固い決意としてあるのは、この街を、目の前の泣き叫ぶ少女を救いたいという気持だった。


 自分は助けることが本分だ。

 そっちの方がしっくりくる。しかし、それ以外の自分もいる。それをこれまで知らなかった。


 その存在の未確認が悩みに繋がっていたのだ。


「アア!! アア!」

「ほら私が遊んであげる」


 視界がクリアに透き通っていく。そして彩度がまして、ばっしりとエッジの効いた視界になる。


 それまで認めなかった自分を認めることで、それまでの自分がさらに昇華する。


 もうどんなものにでも手が届く。

 自分に伸びた救いの手は全て掴む。全てだ。それが自分の願いなのだから。救いたいという気持が原動力なのだから。


 あの草原で、あの真っ赤な血が滴る草原で。

 死の淵へ沈もうとするスーを引っ張り出したときと何も変わらない。


 リサの願望は救済だった。生かすことだ。


菩薩が垂らした蜘蛛の糸のように、全ての者を地獄から救うことはできない。

 救いの手をさしのべるということは、見捨てるということ。


 だけど。

 だけど、それはリサが足を止める理由にはならないのだ。


「別に博愛主義ってわけじゃないの」


 何千という拳を躱し、要所要所で確実に相手の急所を突いていく。壊れかけた箇所に力を加えると子供でも折れる強度だった。

 命を失わないギリギリのレベルで、彼女の戦闘力を削いでいく。


 自覚したことでリサはどんなに楽になっただろう。

 身体の中にはいくつもの意志が溢れている。救った分だけ身体が侵されるのだ。


 小さな兎の喪失の記憶、孤独で哀れな人形として生きてきた無機質な感情、荒野で朽ちた大木のような虚無感、自分自身に殺意を向ける歪な存在。


 救いたいというリサも。殺したいというリサも、侵したいというリサも。穢したいというリサも、死にたいというリサも、諦めたいというリサも。


 全て全て全て、自分なのだ。


 視界がぼやけて、見えなくなって、その本質を忘れていた。

 救わなければならないのは、自分だったのだ。

 自己救済が必要なのだ。

 他人を愛し、自己を愛する。利己的な自分から利他的な自分が生まれる。


「だから! だから、私は!!」


 目の前では能面を着けた女の子が倒れそうになっている。もう叫んでいた元気はない。最後にあの面と彼女を切り離さなくてはならない。しかし、それが最も困難な問題だった。


 あの能面は彼女を道具として壊れるほどに闘わせているが、アルルの生命を維持しているのもあの能面である。彼女の生命を繋ぎ止めながら、あの面と肉体のリンクを断ち切る。それには特別な準備が必要だった。


 そう、最後の術式は時間と手間が掛りすぎる。だからこそ、「彼」の協力が必要不可欠だった。


 来るかどうかは、一か八かだったけど。

 別に来なくても手はあったが、やはりリサは「彼」が来てくれたことが嬉しかった。理由はきっと涙ぐましいモノじゃないから、聞かないでおこう。


「いや、私たちは貴方を救うんだ!」


 囮として使わせてもらおう。


 屋上へやってきたのは一人の黒い軍服の男。ずっと舞台に立てなかった彼を、無理矢理リサは引っ張り出した――半分は偶然であり、残りは必然だ。リサは彼に抱きつきたい気持ちを精一杯抑える。


「予想通り。交代して。時間稼ぎをよろしくね。貴方の戦争は私がもらう」


 すれ違いざまに小声で言い付けて、彼の頭にぽんと手を置く。小さな制約(プログラム)をインストールした。


 彼は大きく目を見開いて、何を言っているんだ、とでも言いたそうである。なし崩し的にリサの言うとおりにするしかない状況に、リサは追い込んだ。


 準備をするために、リサは彼等の視界から消えた。師匠の《蝴蝶之夢ドリームズカムトルゥー》で簡易素子遮断カーテンで体を覆う。もう誰も彼女の姿は捉えることができないのだ。


「まぁ、頑張ってね」

「な……!」


 主役は舞台袖に降りて、代わりに躍り出たヴァンだった。リサはそのことが嬉しかった。


 彼は今何を思っているだろう。

 何も分からずこれから闘わせる。そのことに対して、まだ気付いて居ないようだ。目を少しだけ開いて、彼はリサの意図を理解していない。


「おい! どこに行く!」


 リサは壮大な祭りを締めくくるため、舞台仕掛けを準備しはじめた。



 ******



 地上の広場、ぽつんと取り残されたように座るリル。その側にはリルが応急処置を施したアイゼンが横たわっている。


 都市の機能が停止して、あれだけ騒がしかった夜空が嘘のように静かである。夜風しか聞えない。ビルの赤い光は先端部に集まって、まるで蝋燭の灯りのようだった。しかし、その光は見ている人を恐ろしく不安げにさせた。


「ん……?」


 リルは怖い夢を見てしまったような気分だった。アイゼンは悪魔の群れに取り囲まれて、半殺しの目にあっていた。でも、二人とも何故かこうして生きている。


 あの光景は二度と忘れないものになるだろう。

 それだけではない。そのときに誰かと何か話していた気がするのだ。脳味噌の神経回路は黒のクレヨンで塗りつぶされたように、上書きされている。


「いっつ!」


 思い出そうとすると、まるどドライアイスが頭の中に埋め込まれたような激痛が走る。

 リルはその記憶を追うのをやめてようとすると、アイゼンが鈍く呻いた。


 その声を聞いた途端、リルは飛び上がるほど驚いてしまう


「先輩っ!??」

「っうぐ!?」

「馬鹿! 動かないで下さい、絶対にです。応急処置はしましたから、助けが来るまでじっとして下さい」


 アイゼンは炎のようにギラギラした眼で、リルをジロリと見る。

 彼は闘わせろと言いたいのだろう。


「ほんと馬鹿じゃないですか。私にケンカ売ってるんですか」

「……」

「駄目です。先輩の負けです。あの変な生物に全くダメージを与えれませんでしたね。先輩の負けるとこはじめて見ました」

「なっ!?」

「はい、馬鹿はそのまま動かないで下さい。それ以上騒いだら、二度と戦えない身体にしてあげます――私が」

「あがっ!??」


 傷口をリルはぽんと叩くと、アイゼンは飛び跳ねて、苦しそうに悶えた。

 いっそ、このまま怪我を悪化させて、戦えないようにした方が、リルは今後心配することもないんじゃないかと思ってしまう。そんなことを考えてしまうのも、アイゼンの意識がハッキリとしていて、傷が完治すれば後遺症もなさそうだからだ。あんな目に会って、よくもまあ闘いたいなんて思えるもんだ。


 ボンヤリと明るい赤い光の中で、リルとアイゼンの二人だけ。周囲には誰もいない。そう思いたかったが、リルは自分が見つけたいものを見失いはじめていた。


「――誰っ!?」


 背後には底なし沼のように、摩天楼の影が伸びて何も見えない空間がある。そこは突き抜けた暗さに染まっていて、そこに隠しきれない気配が潜んでいたのだ。


 リルは警戒度を一段階、いや二段階あげて、腰にある自動拳銃に手を添える。


 本当は見えていない世界があるんじゃないか、あの化物に襲われているアイゼンを見て、そういった一種の考えが楔のように頭の中に打ち込まれて、消えなかった


「よく気付いたね」


 背中にナイフを突き立てられたような、痛みに似た悪寒が刺さる。

 震えながらも銃口をそこに向けた。これでは当たるモノも当たらない。でも、もう――もう私が闘うしかないのだ。


「動かないで! これ以上近づかないで!」


 もう驚き疲れてしまった。身が凍える。これ以上化物なんてごめんだった。会いたくない。逃げ出したかった。けれど、背中には先輩がいる。


「なんだ? 逃げないの? 君も見込みアリ! だね! 今日は収穫が多いや」


 甘ったるい声なのに、リルはそれから目が反らせない。歯がガチガチと震え、まるで真冬にでもなったようだ。鳥肌が止まらない。


「僕の話、聞いてみないかい。後悔させないぜ。……そんな物騒なもの向けないでよ。恐くて震えて身動きなんてできないよ」


 とことこと彼女は歩きながら、まるで豆鉄砲でも向けられたような反応だ。怖がっている素振りがまるでない。それでもリルは示した殺意を納めようともしない。


 暗闇の中の人型シルエットは止まらなかった。一歩、一歩とその姿が露わになる。


 夜を照らす真っ赤な光の真下に、足を踏み入れてそのぼやけていた全体像がくっきりとした。

 のほほんとした愛嬌を周囲一帯に振りまく、可愛らしい女の子だ。


 真っ青な髪は足下まで伸びて、華奢な体躯はヒラヒラとした洋服。白をテーマカラーにした、レースにフリルにリボン。甘美な装備に身を固め、スカートはプクリと膨らんで、靴は厚底のワンストラップシューズ。


 それを纏ってもなお埋もれぬ可愛らしさ。

 リルも気を許してしまいそうになるが、銃を固く握ったままである。すぐ彼女に発砲できるように、いつでも準備はできいた。


「もうこれはやり過ぎだって、修復する身にもなってよ。徹夜だよ徹夜。技術者の哀しい叫びを聞かせてあげたいね! 僕もマー君も計画の最終段階まで持ちこたえてきたのに。人員も欠けて涙目だよ。まさか使徒に裏切られるなんてねぇ」

「う、嘘よ! そんな!!」

「いやー、僕もそう思いたいんだけどねー」


 ハッと息を吐いて、彼女はウンザリとした顔から笑顔に変わる。


「でも嬉しいよ! 最近、暇だったし。ねぇ、聞いてよ、マー君、僕のこと太ったって言い始めたんだよ」


 なんとも気の抜けた呼び名である。

 リルはその一般的にはハムスターやリスのような小動物に例えられそうな、ぴょこりぴょこりと跳ねるように歩み寄る。

 そして、背中に腕を組んで、頼りない、ちびっ子探偵のような、安っぽい不敵な笑みを浮かべた。


 一瞬でも目を離せない。


「粋が良いね。地上に降りてきたかいがあるよ。出不精な自分も好きなんだけどね。かといって引きこもっているとマー君に怒られちまう」

「一体何を言ってるの!?」

「だからその無粋なモノをどけてくれない? 撃ってもいいけどさあ」


 外見で推定されるのは、十二歳ほどの少女であるということ。

 彼女は銃口の数センチ前まで足を進める、その小さなおでこにちょこんと銃口が触れるほど、リルに 近づいた。


 がしりと銃身を彼女は握る。

 ここを撃てよと、少女は眉間にコツンコツンと銃口をぶつける。能天気で、今にも腹を抱えて笑い出しそうだった。


「ねぇ、撃ってよ! ほら! 恐いでしょ。未知って恐怖でしょ。貴方達ってこの世界の人にしては強いけど、それでもこの世界の住人であることは変わらない。だって、貴方達と蠅の区別なんか、私たちはつかないから」


 リルとの腕の筋肉は緩んで、その場にはたりと拳銃を持った両手は落ちた。

 意気消沈したリルが何か言おうとしたが、それを遮るように一人の男の声が響く。


「――与えろ」


 グダグダと喋る華やかな少女に向かって、アイゼンは切り裂くような一言を投げつけた。


「ふふ」


 死神の微笑とでも言うような、見たら飛ぶ鳥が絶句して落ちてしまいそうな、洋菓子のように甘く、毒を含んだ微笑みを、少女は返す。


「いいよ」


 リルはその場にその場にへたり込んで、見ているしかなかった。


「ものすっごい偉い僕が、今世界を統べる《アンダーテール》の一員のこの僕が、君たちに痺れるような世界へ連れて行ってあげよう」


 彼女のはしゃぎ方は、まるで新品の玩具を手に入れた、無邪気な五歳児のよう。

 アイゼンは無理に傷ついた身体を起こして、その少女を睨み付けた。


「先輩っ!? 動いちゃ駄目です」

「おおっ、いい目だねえ。僕は君みたいなモルモットを見るとゾクゾクしちゃうよ。何しろウチは人員募集中、先日の一件で人手が不足していてね。今すぐにでも猫の手でも借りたいくらい。君たちが子猫よりも役に立つのか分からないけれども――」


 彼女は手をアイゼンとリルに向かって、伸ばした。


「このビックチャンスを取り逃がすな。この船に乗り遅れるな。そうしないと、君たちは凄いもの見逃しちゃうぜ。ともかく――君たちに拒否権はないよ」


 彼女は小さくて、華奢な腕を腰に当て、前屈みになって、リル達を見下ろした。


「僕の名前はヴラドレーナ。レーナさんって呼びなさい。もう二度と名乗ることはないだろうから、その貧相な脳味噌に書き込んでおいて。二百年前のゲームのプレイヤーって言っても、君たちは分からないよね。だって、その事実を消したのも、私たち、『アンダーテール』なんだから」


 その言葉の意味することは、彼女の言うとおり、見当もつかない。ただリル達は為す術もなく、彼女についていくしかなかった。


 彼女は神様の一人であると言った。リルはそれが嘘のように思えない。そして、アイゼンが言った「与えろ」という言葉は間違っている。そう思えて仕方なかった。


「貴方たちを使徒にしてあげる」と、彼女は笑った。



 ******



 津波が去った後のように、コアルームには瓦礫が散乱していた。それは彼女達の奮闘の証である。そして、苦戦している証拠でもあった。

 コアルームの真ん中で踊る肌色の肉塊。だるだるとした贅肉から人の手脚が無数に生えてきた。


 その中には巨大な手脚もあって、関節が四、五箇所にあり、もう人間の手脚と呼べる形状ではない。


 人の部位が無造作に凝縮し、リオンは触手のようにだらりと巨大な触手のような腕を振ると鞭のように動く。


「あの野郎……ぶっつぶす」

「……厳しいですね」


 スー達はこれを人間と呼ぶのには躊躇してしまう。巨大な蛸と闘っている気分だった。直径一メートル、長さが二十メートルはくだらない、二の腕の触手が地面に叩きつけられる。


 コンクリートで固められた床はひび割れて、その破片がメンコのように吹き飛ぶ。間一髪でスー達は彼女の攻撃を避けて、触手の届く範囲外まで下がる。


 幸いちゃんとした「足」のないリオンは、あの自分のいた場所から一歩も動けない。だるだるとした自らの肉で、その場から一ミリさえも移動できそうもないのだ。玩具を求めるだだっ子のように、腕を無我夢中で振り回すだけだった。


 その体皮は分厚く、ナイフや銃弾は致命傷にならなかった。


「……もう倒さなくて良いんじゃない」

「駄目です! あの存在はこの街の核。そしてこれから起こる大災害の種火。なんとしてでも今のうちに倒すんです」

「もう……ああもう! こんな街どうなってもいいのに」

「それは賛成ですが、お姉様の戦いに支障が出ます。止めるんです。泣き言は駄目ですよ」


 軍の兵器も肉壁に阻まれて致命傷にならない。スーも対人戦なら誰にも負けない強さを誇るが、これはもうヒトじゃない。憎悪とアミノ酸の固まりだ。


 肉団子の真ん中にある美しい寝顔。その顔にはもう温かな生気は戻ってこない。


「メア、高威力の攻撃が――来ますっ!」

「やばっ」


 スーが強力な攻撃を予見した。肉の天辺がパカリと空いて、がま口財布のように口が大開になる。

 ドスンと転がるように肌色の固まりは倒れ、その口をスー達の方へ向ける。


 口先に吐息のように小さな粒子がチリチリと流れる。ぽんとまるでワインボトルのコルクを抜いたような音が鳴って、小さなサッカーボールほどの光球が現れて、消えて、


 光線が放たれた。


 照射されたのは幾筋もの高密度エネルギー。光のこん棒を振り回すように、コアルーム全体を破壊していく。

 積み上がっていた瓦礫の上に、ガラガラと壁が、天井が崩れ、さらに山積みになる。


 帝都リオンに住んでいる、帝国民を支えるエネルギーを、全て攻撃に集約、その威力はすさまじかった。


 コアルームは崩落こそしないが、その壁は剥がれ落ち、コンクリートや鉄骨が部屋中に溢れかえる。

 スーとメアは衝撃で吹き飛ばされてしまった。


「ああ! くそ! あの肉ダルマ、明日のシチューにぶち込んでやる!」


 二人は出入り口近くの瓦礫の下で、メアは悪態をつく。なんとか形状を変えて這い出した。彼女のワンピースは汚れ、それに比例して怒りも絶頂に達していた。


「……ぶっ殺してやる」

「奇遇ですね。私も少しイラついてきました。でも、シチューは止めて下さい」


 スーもスカートについた汚れを叩いて、ため息をついてしまう。踊る肉塊の動きは全く衰えず、呆れるほどに頑丈だった。


「ちょっとアンタ手伝いなさい」

「え?」

「私が人肌脱いであげるっていうのよ。手伝いなさい!!」



 咆吼、悲鳴、土煙が舞う。

 まるで彼女の巣のように、金属片や数メートルのコンクリート塊が、周囲に輪状にゴロゴロと散らばっている。


 とげとげとした人工物の残骸。ちかちかと点滅し始めたフロアのライト。土煙もようやく落ち着いて、鋭利な瓦礫がさらに露わになっていく。


 彼女は吹き飛ばしたメアとスーを見失ったようで、半狂乱になったように身体を弾ませて、腕や足を振り回し、叩きつける。地震でも起きたかのような振動が、コアルームを揺らす。


「ほんともう、いい加減にしてほしいです。一人で倒したかったのですが――」


 スーが瓦礫の山の一つに降り立った。そして、ゆるりと天井を見上げる。


 天井の方から落ちてくるのは何種類ものグレネード。スモークグレネード、チャフグレネード。全て攪乱に用いられる手榴弾だ。それに狙いを付けていく。


「こういった戦い方も悪くありませんね」


 スーは袖からいくつもの投げナイフを投擲する。数え切れないほどある榴弾に突き刺さり、爆発。


 数多もの爆発がコアルームを埋め尽くす。


「美味しいところを持っていかれるのが癪ですが……」


 色とりどりの煙幕や、魔力波欺瞞紙(チャフ)が撒き散らされて、煙が充満していく。


「アアアアアアア!!!」


 リオンは手の届く範囲にいるスーに大木のような腕を叩きつけるが、ひらりと躱されてしまう。

 さらに、もう一本の巨大な腕を振り下ろす。しかし、そこにいたスーは投影された幻影である。積み上がっていた構造物の残骸が崩れ落ちるが、そのイメージは空中に立ち続ける。リサが与えたネックレスの機能であり、術式が不自由なスーを助けるための起動補助用具でもあったのだ。


 スーはネックレスのモチーフに軽くキスをした。

 残ったのは強烈な吹雪に巻き込まれたような白。何も見えなくなる。そして、世界の断片(コード)を感知することはできない。


 化物となった彼女はさらに暴れるしかなかった。

 取り乱したように腕を振り回しても、リオンは煙を掻き分けるだけだった。その彼女の上空から近づく一人の影。


「ねぇ、こっち。こっちにいるわよ」


 メアはリオンの上にいた。煙に紛れて、いつの間にか宙の上。

 何か仕掛けようとメアは右手を伸ばす。小さな彼女は次第に落下速度を増していき、触れるかどうかまで近づいたときだった。


 リオンがメアに気付いてしまった。


「アアアアアアアガアガガガアア!!」


 それは無我夢中で敵を排除する番犬のようだった。その大きな口が一瞬で開閉する。


「あぐっ!!?」


 メアの伸ばした腕は綺麗に切り取られた。彼女に食いちぎられ、リオンはアゴをしゃくるように口を振って、片腕になったメアは弧を描いて宙に投げ出される。


「メア!!」


 腕を失った幼女は床を何回かバウンドして、スーががっちりと受け止めた。

 リオンは肉塊の天辺にある歯をガチガチと打楽器のように歯ぎしりをする。その咀嚼音はいかにも美味しそうに、メアの腕を咀嚼していた。


 何度も大きな口をもぐもぐと動かしていたが、歯の間に小骨が挟まったようにぎこちなくなっていく。そして、吐き気を催したのか食べた物を吐き出そうと苦悶し始めた。


「ははははははっ!!」


 スーの小さな腕の中で、メアは高笑いが止まらない。白い煙は徐々に晴れて、室内では何か異物を呑み込んだように、じっと固まる化物の姿があった。

 メアは気が狂ったように笑い続ける。気違いになったのかとスーは一瞬眉をひそめた。


「喰った! 喰ったな!? テメエが喰ったものは劇薬だ!! ははははっ!!」


 この怪物はまだ状況を理解してない。

 メアは嬉しそうに、無くなった右手のあった所を手で押さえながら、スーの腕からするりと立ち上がる。


「ねぇ、まだ理解してないの? じゃあ、ヒントをあげる」


 メアは周囲をグルリと見渡した。


「ヒント一、私は体中でモノの出し入れができる」


 それが彼女の能力、魔法の胃袋(パッケージ)だった。


「ヒント二、これを言ったらもう分かるでしょう――」


 メアは教えるのが残念だった。しかし、この化物にはもう意志は残っていない。話していることはきっと伝わっていないだろう。

 でも、笑いたくて笑いたくて、どうしようもなかった。

 馬鹿にしたくてしたくて、我慢できなかった。


「ここにあった瓦礫はどこにいったでしょう」


 白い煙は消失して、塵一つ落ちていないコアルームがはっきりと現れた。

 鉄骨がむき出しの鉄筋コンクリートが、数メートルのコンクリート片が、転がっていた直径二メートルほどの金属パイプ、その全てが綺麗になくなっている。片付けられている。コアルームに落ちている瓦礫は一つもない


「ギギギギ!!」

「あらあらあら!! そんな声もでるのね」


 肉塊の内側がズンという鈍い音で、拡張する。内側から何本も鉄の塊が突き出て、まるで風船のように膨らんでいく。


「もうお腹いっぱい? 半分も出してないのだけど」


 メアは小さく微笑んだ。自分の胃袋の中には、まだ残り半分の瓦礫が残っていた。なんだ楽しみがいがないじゃないと思ってしまう。


 まるでポップコーンを調理するみたいな破裂音がして、ようやく戦い終わった。

 べちゃべちゃと彼女の身体が飛び散った。


「綺麗に死ねたじゃない。羨ましいわ」


 メアが皮肉を言っても、そこに相手はもういなかった。


 流石にもう動かないだろう。小さくなったリオン達は沈黙した。もう動かない。メア達は動き出して欲しくなかった、相性の悪い相手だった。協力な物理攻撃に耐性がある彼女に、メアが物量で押し切った形だった。ああいった特殊な相手は、絶対的な力か、特殊な力を持った者が向いている。


「……しかし、ほんと汚いわね」

「メア、頑張りましたね」

「うるさいわね、八つ当たりよ、八つ当たり」

「……いえ、本当に助かりました……」


 お礼を言われる筋合いなんてない。スーから逃げるように、メアは愚痴を言いながら、自分の腕を回収しに残骸に向かう。


「ああ、あったあった」


 道端に十円玉が落ちていたような感覚で、メアは落ちていた自分の右腕を拾うと、それを肩口まで持っていく。肩と腕の付け根は数秒で繋がり、自分の指先が稼働するのをチェックしていく。


 腕の動きも問題は無いようだ。スライムの身体だからできる芸当だと、メアはしみじみ思ってしまう。


 それにしても今すぐシャワーを浴びたい。

 身体に纏わりついている、ドロドロの体液を振り払う。本当に嫌だった。彼女はどうして自分がこんなことをしているのかと不思議でしょうがなかった。


「駄目ね。流石に疲れたわ」


 足下がふらついてしまう。あんな大技をする元気は残ってなかった。今日はさっさと帰りたいと、メアがきびすを返したときだった。


「!??」


 遠目で見ているスーの耳がぴくりと動いた。


 リオンの身体は破片となって飛び散った。ばらばらになった、もうメアの周りには残骸しかない。


 それでも。

 それでもである。

 彼女を倒したわけじゃなかった。


 歩くメアの横にある、一メートルの肌色の肉の固まりに、一輪の花がさくように、整った女性の仮面のような顔が現れた。


「くそっ、まだくたばってなかったの!?」


 トドメを刺そうとするメアよりも早く、そこから複数の腕が生じた。メアはそれに掴まれて、まるで底なし沼のように、肉の中へ飲まれていく。


 自分の力を酷使して、メアの力はそこまで残っていない。押しのけようとした腕も、まるで粘り気のある液体のような人肌に飲まれてしまう。


 スーは助けようと走り出したが、視界の隅で黒い煙が通ったのを見て、立ち止まってしまった


「なんだか今回は助けられてばかりですね」


 黒いモヤが走って、捕食されそうなメアの元まで一直線。


 メアと呑み込もうとする小さなリオンに、どす黒いつむじ風が吹いて、一瞬で黒い竜巻が立ち上る。


 肉の粉砕器と化したそれは、メアを食べようとするそれを抹殺する。ごりごりと骨を砕き、肉に浮かび上がったリオンの仮面のような顔が、パリンと割れた。


 漆黒の渦潮は速度を次第に緩め、その動きが止まっていく。


 すぐにその黒い煙は形をなして、現れたのはメアを抱えたレイだった。

 メアは不機嫌全開の顔をしている。


「離しなさいよ」

「フン」

「離せって言ってるのよ! 離しなさい! もう!!」


 レイに鼻で笑われてしまった。メアは屈辱を爆発させて、ただ暴れるしかなかった。


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