GENE4-11.リベンジゲーム
リサ達が忍び込んだ昨夜には誰も居なかった。
そんな真っ白なタワーの通路は、今夜は魔物の群れで溢れていた。
白い壁は、彼等の爪痕や、身体を擦りつけた痕、青色の粘液がくっきりと残っている。
そんな魔窟のビルの地下を、突き進む二人の少女がいた。
「馬鹿な子……」
「お姉様は昔からです」
どうせ泣くことになるのに、意味のないことにどうしてあんなに執着するのか。そもそも助ける、助けないの問題にする方がおかしいのだ、とメアは思ってしまう
「さっさと全部壊せば良いのに……」
「きっとお姉様はそれができるでしょう。でも、きっとそうしないし、そうすることも許しません。まぁ、私もそう思うところもないわけじゃあないですよ」
「ねぇ、だから腹が立つ」
「でもですね。お姉様はそうすることを望んでいます。それが全てですよ。だから――」
研究施設を突き進むメアとスー、小柄な二人の少女は化物である。
彼女達の通路に積み上がっている魔物の残骸を、この外見から予想できる人はほとんどいないだろう。
「私たちもやる気が無いわけじゃない。そうでしょう、メア。弾下さい」
「ほら」
前方に二人。獣人型の魔物。呂律が回っておらず、意味不明の怨念の固まりだった。
メアの手の平から飛び出た弾倉は弧を描いて、ゆっくりと落下していく。
スーは壁を走りながら受け取って、カシャンと無駄のない動きで装填。
タンタンタンタンと頭蓋に二発づつ命中して、スーは宙を二回転してトンと着地した。
セントラルタワーから、さらにその地下の研究施設に移動して、魔物の数自体はは減ってきた。
しかし、その強さは反比例して強くなっていく。この先に何か守るものがあるのだろう。それはおそらく彼女達が目的とするコアなのだろう。
魔物の纏う世界の断片も、一階でリサが倒したモノよりも二倍から三倍の量になっていた。
それは大した問題ではない。彼女達はこの世界では決して弱くない。リサのプレイヤーの血筋を半分受け継ぐ彼女達は、魔物とは強さの次元が違ったのだ。
「ああ、いない、いない、いない――いた!」
メアの嬉しそうな声。
二人は隠れん坊の鬼のように魔物を探す。一匹も逃す気はなかった。
時たま現れる十字路や、通路に積み重なった研究に用いるのだろう、ケージや用具のコンテナの裏。障害物の影には当然のように魔物が潜んでいる。
三十メートル先のストレッチャーの横にはゾンビのように身体を強ばらせて、振り向く人形型の魔物、二人。
メアが右手をかざすと、手の平からロケットランチャーの発射口が生え、対戦車榴弾が一直線に向かう。
ドカンと障害物ごと爆散した。
爆発の後に、金属片の散乱する音がにわか雨のようにパラパラと降ってくる。
高熱の風が、メアの金色の髪を揺らした。
「あのー」
「どうしたの? さっさと終わらしましょうよ」
「なんだかメア、私が思ったよりもやる気ですね」
「うるさいわね。ほら、さっさと行くよ」
スーはまじまじとメアを見つめる。
お昼頃のあのモチベーションが微塵もなかった彼女はいない。スーの目からは嬉々として、魔物を狩っていく。何故なのか。
何か転機があったのかしらとスーは首をひねる。自分の目的が固まったのかもしれない。複数の可能性を思案しながら、彼女は一つの結論に至った。
「ま……け……から」
「え?」
「まけませんから!! 負けませんから!!」
「は!?」
「お姉様にキスして貰うのは私です!」
「……いや、えっと……」
メアが否定するよりも早く、スーは走り出した。
銃なんて銃弾がなくなれば、鈍器にしかならない。もっと良いものがある。
まばゆい銀色光。現れたのお気に入りのコンバットナイフ。それを振り抜くと、ヒュンと空気を切り裂いて、スーは全神経を眼球に集中させる。
彼女はどこの身体の部位を切断すれば、どの指示部分を壊せば良いか、どこを刺せば絶命するのか一目で分かる。
そして、武器は永遠にその切れ味を保つ。それが損傷しない剣筋を見極めることなど造作も無かった。
上品な白と黒の服装を着た彼女は、ビルの地下へ地下へと駆け下りながら、ネズミ一匹逃さない。
前方に人形型魔物が二人いて、スーのトッと小さな着地音。ガランガランと二人の魔物が死んだ。
魔物の断末魔の叫びさえ言わせない。その目は決して逃さなかった。
彼女の本来の願望、全てはお姉様の為にという気持に準じたこの行動は、彼女の性能を十二分に発揮していく。
「どけ!! どきなさい!!」
魔物達が行く手を阻むように現れるが、スーは速度を一切落とさずに、文字通り八つ裂きにする。
いくつものフロアの魔物を、なぎ払い、すりつぶすように駆逐していく。おそらくリサでさえも予想できないほどのスピードで、恐ろしく正確で的確な攻撃で、倒していく。
それは彼女の拡張視があるからこそだった。数秒先の事象さえも予測できたのかもしれない。
振り返らなくても、倒したことなど分かってしまう。おぞましいほど無駄のない、ロボットとのような身体の動きを、その眼が可能にした。
すでに研究所の最後のフロアに入り、最下層へのエレベーターまであと少しで辿り着く。ここに来るまでに、魔物の吹きだまりとなっている箇所がいくつかあった。
これもきっとそうだろう。
スーの前にはがっちりと壁のように聳えるオートスライドドア。施設が正常に機能しているとき、自動で開くそれは全く稼働していない。
この先に二桁はいる。スーはそう確信して、重厚なドアを蹴り飛ばす。本来はスライドして開くドアは、千切れるように吹き飛んだ。
ガランガランと金属片が転がる。その部屋はバスケットコートほどの広さ。スーは入り口付近に着地して、一目で状況を把握する。
数は十八。魔物達の視線がスーに集中する。
「ウガアアアアア!!」
雄叫びを上げた一人の雑魚。すかさず頭部にナイフが突き刺さる。
騒々しい室内が静まり返った。ドサリとした音がだけが響いた。
「私はお姉様ほど甘くはありません」
スーのメイド服は戦闘服である。もちろん、本来の家事をするための衣服であるが、制作者が師匠である。
その時点で、その服がただの一般的な、可愛らしい服であるはずがない。
ゆったりとした服の内側には、リサが頭を抱えるほどの大量の暗器が仕込まれていた。
袖からクナイのような投擲武器が現れて、スーはそれを天井に向かって放つ。
パリン。
照らしてた魔導灯が次々と破壊され、その空間は暗闇に包まれた。
バチリと天井から火花が散った。暗黒に光が一瞬瞬く。
群れの中央にぽつりと彼女が立っていた。
何度も光がカメラのフラッシュのように闇を照らす。魔物達は暴れるスーに反応さえできない。
獣の特性を研ぎ澄ましたスーは、もう草食動物なんてものではない。確固たる捕食者である。放つ殺気はレーザービームのように照射され、敵を貫く。
視線を向けられた対象は、無音で瞬殺されるだけだった。
「えげつないわねー」
後から小さな脚を精一杯パタつかせて、メアはようやくスーに追いついた。
あの子、私より良い性格してるんじゃないか。メアはそう思いながら、点滅する暗闇を見る。そこには魔物はもういない
「お姉様の唇は私のモノ!」
「……」
もう否定するのも面倒だった。そして、このまま全ての敵を倒してくれれば楽である。メアは黙ることにした。
あれだけ暴れ回ったのにスーのメイド服に汚れ一つなかった。
そして、予想通りメアは一切活躍する機会はなく、目標へのエレベーターに辿り着いた。
「うわー、誰がこんなに無茶苦茶にしたのかしら。恐いわね」
「……これ動くんですか?」
エレベーターという小さな小部屋は、天井は半ば剥がれ、壁はひび割れている。
先日、逃げるように突っ込んだエレベーターは傷だらけだ。戦闘車両が駆け込みで入ってくることは想定していないので、当然だろう。
メアが背伸びをして、コアルームのある最下層のボタンを押すと、辛うじて点灯した。幸い動くようだ。
エレベーターが閉まり、そのまま目標のあるフロアまでゆっくりと降りていく。
閉鎖空間の中で、スーがぼそりと口を開いた。
「……メアはこれが終わった後、どうするんですか?」
「どうするって、何も考えてないわよ」
「お姉様はメアがきっと元の生活に戻りたいと言ったら、そうしてくれると思います」
「……」
「あの人は優しいですから、おねだりしたらきっといいよと言うでしょう」
「ねぇ、スー」
唐突に名前で呼ばれてスーは眼を白黒させてしまう。
「え!?」
「そういう話は終わってからにしなさい」
「ああ……はい、そうですね」
メアにとってもその質問はすぐに答えが出て来ない難問だった。
休憩を終わらせる合図のように、エレベータの儚げな電子音が鳴って、ドアが開く。コアの階へ辿り着いた。ここに破壊目標がある。
「なんだか、気が抜けそう」
「空気が変わりましたね」
それまでの魔窟のような雰囲気が消えた。のっぺりとした白が広がり、恐いくらい静かだった。生きているものの気配はない。
「そうね、変な奴らもいな――」
肌に無数の針が突き刺さるような痛みが全身に広がった。メアとスーは勢いよく、その方向を見る。
通路には前回、メアが機動蟲で走行した跡がくっきりと残っている。
その刺激的な気配は、その走行跡の先へ先へと続いていく。
そう、あの部屋だ。あのコアのある部屋から、おぞましいほどの生命力が漏れ出している。
「あのコアのところに巨大な生体反応。それ以外はいません」
その言葉通り、その部屋まで一人の魔物とも遭遇しなかった。
不気味である。
不穏である。
コアルームを覗くと、そこには彼女がいた。もう人とは呼べない。巨大なミートボールがコアルームのど真ん中にぽつんと転がっている。
「あれ生きてるの?」
「……はい。一筋縄じゃいかなそうです」
スーはもう一本取り出して、二本のナイフをクルクルとジャグリングするように宙を回転させて、パシリとキャッチして、構える。もう身体は温まっていた。
「はあ……」
メアはため息をついて、それをだるそうな眼で見る。
彼女とは、この街を支えてきた彼女である。
いくつものパイプは、まるで入院して取り付けられた生命維持装置だった。
重そうなその身体はもう人型をなしていない。
見上げるほど大きな肉団子。
手と脚と腕と肩と、各部位が適当に取って付けられたような肉塊だった。
生前の美しい顔は、その肉界の中に半ば埋もれながら、まるで眠っているかのようだった。綺麗な寝顔だった。
肉塊の頂点がぱくりと開いて、もう一つの口が現れる。そこには白い犬歯がずらりと、何重にも並ぶ。
暴走した街の核、リオンが咆吼をあげた。
******
地下から上昇して、タワー正面の広場である。
どす黒い、一見、重油が固まった海の生物が広場を埋め尽くし、ウネウネと揺れていた。まるで磯巾着の草原のようだ。
まるで腐った海底の楽園である。触手は広場を埋め尽くし、その中心にはアイゼンが苦い顔をしながら闘っていた。
迫り来る黒い触手を切りつけている。
黒くて長いモノが叩ききられ、ぼたりと落ちる。崩れて灰になって、そのまま夜風に残骸が飛ばされる。
「ははっ!!」
戦闘状態になったアイゼンは笑っていた。笑わなければならないほど、この状況は歪だった。
広場の端、よく磨かれた球体のモニュメント。磯巾着にもみくちゃにされるアイゼンを遠くから心配そうに見つめている、一人の影。
彼女は何もできない自分を恨みたかった。
そこには奮闘するアイゼンを、悔しそうに見つめるリルの姿があった。その光景は悪夢だった。嘘だと思いたかった。アイゼンが絡みつく、黒い触手を切っても切っても切っても切っても、それは生えてくる。アイゼンの攻撃に意味があるのか不明だった。しかし、手を休めれば、アイゼンは確実に喰われてしまう。
彼が底なし沼に飲まれていく様を見せつけられるようだった。
これは虚構じゃない。
その光景は事実だった。夢のような現実だった。
リルの主武器である銃火器では、撃ってもまるで焼け落ちる家を水鉄砲で消化するような、全く効果の無い攻撃になるだろう。アレを倒せる気がしない。状況がさらに悪くなるだけだ。
広場でなびいていた触手が縮んでいく。
気色悪い草原が形を変えた。
それぞれ十、二十の水たまりを形成する。そして、ニョッキと持ち上がり、その中から新しい生物が立ち上がった。
真っ黒に塗りつぶされた百鬼夜行の如く、悪魔の群れが、防虫灯にたかる蛾のようにアイゼンに集まっていく。
「嘘でしょ……」
もう逃げ出したい。アイゼンを引っ張り出して、リルはこの場から逃げ出したかった、しかし、どうしたら。
黒色の生物たちもそれぞれ特徴が現れ始めた。ずきんを被って鎌を持つモノ、獣足の沙蚕のようなモノもいる。全て黒。全くもって色がない。
黒い「それ」は、ゴムのように弾力のあるシルエットのように見えてしまう。例えるなら、着色されていない真っ黒なフィギア。
リルは目の前が夢なのかもしれないと思った。何が夢で、何が嘘で、何が本当で、何が冗談なのか、わからない。
アイゼンは迷いなく、襲い掛かる黒色生物を寸断していく。
当たり前のように千切れた身体は再生していく。切っても切れないネバネバとした肉体。
破壊することしかできないアイゼンの能力、黒い雨との相性は最悪だった。
「なんで……なんでアレに私は気づけなかったの……」
「妾が説明してやろうか」
「――ッ!?」
凜とした声が聞えた。その方向に眼を向けるが、誰もいない。リルの能力。失くし物の見つけ方でも反応がなかった。
「無駄じゃ、無駄。お主は少しばかり勘が良い。根本から認識を阻害して――」
ちらりと赤い影が見えて、リルはゾッとした。
即反応して、二発。
突然現れた赤い羽織の女性に発砲した。眉間に一発、問答無用で放たれたそれは命中した。
その怪しい女はその場に崩れ落ちる。無言になった彼女を見て、リサは深く呼吸をして、息を整える。
そうしなければならない。リルは直感でそう感じた。
銃を女の身体に向けたまま、リルはそう言い聞かせた。近づいて、女の身体を蹴飛ばす。
反応がない。息もしてない。明らかに屍体だ。対象はだらりと四肢を弛緩させ、完全に沈黙していた。
「――お主、そういうところじゃよ。全く妾の話は遮るモノではないぞ?」
「はっ!?」
「動くな」
後から冷たい声。ひんやりと腕が両肩にぽんと置かれた。リルはゾッとして動けなくなってしまう。軍人の彼女ですら、有無を言わせず、蛇に睨まれたカエルのように固まらせる迫力があった。
「そう。そうじゃ。指一本でも動かすな」
艶がかった声が耳にかかる。甘い吐息が首筋に当たる。
足下にある女の死体は消えていた。まるで幻のようだった。
「それでいい。脅しているわけではない。別に手出しするつもりはなかった」
「貴方もアレの仲間なの?」
「ほう? この状況でお主よく聞けるのう」
「……ッ」
「愚者か? それとも勇者か? お主はどんな役になるじゃろうな。そして、妾が一体何に見える?」
リルは頬を撫でられる。振り向くことはできない。喋る女の表情が分からない。澄み切った彼女の声だけが耳に入る。
視界の隅ではアイゼンの苦戦していた。何か、何か、手はないのか。
「まぁ、お主は妾が何を言っても、そうとしか見ないじゃろうなあ。しかし、お主も相当面白い奴じゃ。……アレ? ああ、アレか」
数十秒遅れて、彼女はリルの問いを受け取った。
広場で蠢く有象無象、魔物よりも魔物らしい、まるで悪魔みたいな黒色生物達。
「まぁ、そうじゃのう。そんなもんじゃ」
こいつもやはりあの化物の仲間なのか。リルの頭には怒りと謎が流入し、自分を制御できなくなりそうだった。
「貴方達は何!? この街で何をしているの?」
ふふふっと耳元で囁くように小鳥のような笑い声が聞えた。
「随分、度胸がある。嫌いじゃない」
「……私をどうするの? 血でも吸うって言うの?」
「ははははは!! 面白い! 面白いぞ!」
リルの言葉で、女のうっすらとしたものは、高らかな笑いに変わる。
首筋に視線が集中したのをリルは感じて、ゾッとした。自分の生命はこの女に握られているのを忘れているわけじゃなかった。
この人はまるで魔女だった。お伽噺で聞かされるような、寓話に出てくる絶対的な悪役。
「ああ、そうじゃのう。そう呼ばれているときもあった。あったあった! なっははははは!! 涙が出るほど笑わせてくれるな。まあ、お主の血を吸えば妾ももう少し若返れそうな気もしない」
「なっ――」
舌なめずりされるように、女はリルのすぐ横に顔を近づける。
何か言おうとすると、唇に陶器のように滑らかな指がやさしく包み、遮られてしまう。
「そう焦るな。お主の大好きな先輩とやらは、『いけないもの』に手を出した。ここに来なければ良かったのう。アレはもうカンカンに怒っておる。お主達、アレに以前何かしたのではないか」
「……知らない」
職業柄恨みを買うのには慣れている。
その女は背後に立ったまま。それが広場で隊列のようなものを組んで、巨大なうねりを形成している「アレ」の一部なのかもしれない。
「まぁ、間違ってはない。お主達に不幸だったのは、タイミングの悪いときに飛び込んできたこと。お主も能力を使っていると分かるじゃろう。迷うほどに力は制御出来ない。宝石のような輝きも、道端の石ころと同等のものになってしまう」
背後でため息。リルは打つ手がなかった。
ぺらぺらとしゃべり続ける女の話を聞きながら、アイゼンが闘う姿を見るしかなかった。歯がみしてしまう。
アイゼンは双剣を、正面の敵に投擲した。
「ははっ!!」
その敵は人の足が生えている海百合だった。放射状に伸びた羽場の腕を、まとわりつく直前に切り落とす。
それは痛がったのか、その揺らめく身体を強く振る。ゆっさゆっさと身体を揺らし、ガラガラと無数の腕が鳴る。
色が黒く塗りつぶされているのに、一瞬極彩色で彩られると錯覚してしまう。それほどの異様さ、歪さだった。
アイゼンを襲う幾多もの生物たちは、狼人と海洋生物の合成獣のような外見をしていた。毒々しい。一度見たら忘れられない外見。夢に出てきそうだ。
触手の一つ一つが狼の頭、鋭利な口が並んでいる蛸。四本脚の狼型の海星。
斬っても斬っても、貫いても貫いても、叩いても叩いても、磨り潰しても磨り潰しても――倒れない。
一向に倒れない。
もし倒れても黒色生物は塵となって崩れ去り、また新しい外見の生物がつくられる。
先ほど倒された磯巾着型の怪物は、蟹の鋏がついた狼人になっていた。人型である分、まだまともな形をしている。
「っ!?」
アイゼンはリルと目が合った。
その動きが鈍る。その隙を突いて、五,六体の黒色生物が覆いかぶさる。
そして、彼等は、間髪入れずに串刺しになる。
アイゼンの身体から数十本の黒槍が生え、攻撃をシャットアウトする。
まだアイゼンの魔力には余裕がある。負けてはいない。こんなもの彼にとっては負ける条件には当てはまらない。
さらに、アイゼンは形成した多数の武器をそのままにしている。広場には数多もの剣が、槍が、槌が、斧が、まるで草木のように刺さっている。
彼にとって長期戦は得意な分野だ。
まだ彼の心は折れていなかった。そして、まだ勝つ気でいた。
しかし、黒色生物の勢いは未だに衰えない。襲い掛かる化物に対して、反撃の手を止めなかった。もみくちゃになりながらも、アイゼンの速度も落ちていない。
最小限の動きで、襲い掛かる相手の力を利用して、狩って狩って狩りまくっていた。
絶望的な状況でも、負けたわけじゃない。アイゼンは手元に突き刺さっている、黒い剣を引き抜こうとする。
しかし それは抜けなかった。
「くそっ!!」
剣の柄を見ると、小さな獣の目玉がグルンと動き、アイゼンと目が合って、ニタリと笑われてしまう。
アイゼンは慌てて飛び退くが、間に合わなかった。
背後、黒い闇からチョウチンアンコウ型の黒狼が、ぱくりとアイゼンを呑み込んだ。
「やめてっ! 嘘っ! いやあああああああっ!!」
殺す。今すぐこの女を殺して、アレも殺す。
リルは背後の女に拘束されながらも、銃を引き抜こうとして、それよりも早く、リルは頭を鷲掴みにされてしまう。
リルの視界は盗まれて、真っ白になる。背後の彼女が能力を発動した。
《蝴蝶之夢》。彼女が実現するのは悪夢か、本当の夢なのか。
「動くなと言ったろうに」
「あ……あっ……」
リルの小さな喘ぎが漏れていく。身体の自由がきかなくなって、精神も完全に拘束された。
「だから言ったじゃろう。動くなと。そのまま寝てろ。全て幻じゃよ。まあ、もともと『まやかし』みたいな世界じゃがのう」
広場にはレイが元の姿になっていた。黒いジャケットを着ている。深く帽子を被って、その目元は隠れて見えない。
足下には傷だらけのアイゼンが倒れている。まだ生きてはいるようだ。
レイは黒い煙と化して、その場から消える。ランに気づかずに、他の場所へ向かったようだ。
それを見て、ランは安堵の息を漏らす。そして、彼女も立ち去ろうとしたときだった。
「っ!??」
ちょっと俯いたランはグルリと横を仰ぎ見る。その瞳は爛々とぎらついて、火炎を帯びているようだった。
「来た……どれだけ待たせたと思っておる……。妾のついてるのう。ああ、どれほど! どれほどこのときを!! 弟子を釣り餌にしたかいがあったのう……後で思いっきり可愛がってやろう」
幾星霜の時を経て、彼女は仕掛けた網にそれが触れたのを感じとった。
「やはりこの騒ぎに参加したいのは妾だけじゃないか! 引っ掛かった! 引っ掛かったぞ」
笑い出しそうになるのを、ランは必死に堪えていた。
******
地上から遙か上、四五〇メートルのタワーの屋上。地上百五階の頂天にある。真っ赤な光が蝋燭のように灯って、私はここにいるのだと、叫んでいるようだった。
タワーの屋上は二段構造になっていて、リサが出た西側の出入り口の小広場から、階段を上って大広場へ繋がる。
ぶん殴ってやる。リサは息巻いて、カツンカツンと金属質の階段を上る。
昇りきると、大型の飛行型機動虫が着陸できるほどのポートがある。
ガラスもない、フェンスもない。一番高い建物の頂上からは、夜空しか見えない。
そこに一人立っていた。
真っ赤なライトが湧き上がるようだった。屋上の中心にいる彼女はリサを見て、首を傾げた。
「ア…アア……アア……」
身体機能は死人と同等。半壊したラジオのように、ノイズまみれでその声の意味する内容も、ちゃんと話せないようだ。あれだけ饒舌だった彼女は、喋れない程壊れている。リサはざまあみろと歓喜した。
彼女にはもう一人の意志がある。昨夜一瞬聞き取れた声は、今夜はしっかりとリサの耳に届いた。
それはくっきりとした、泣きじゃくる少女の声だった。
(タスケテ……タスケテ……タスケテヨ)
雑音の竜巻の中、それは次第に大きくなって行く。
(タズケテタスケテタシケテタズケテタズゲデダズゲテタスケテ!!)
「聞えてるよ」
目前の彼女から叫びが漏れ出している。リサはこくりと頷いた。
対策はちゃんとある。指先の黒い指輪がきらりと光った。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「私の前では――」
能面に取り憑かれた彼女の腹からの咆吼。あの化物はリサを敵と認識した。
「死なせない」
後はどう救うかだった。