GENE4-6.錯綜する思惑
生者のための精霊祭二日目。
人通りの多い会場とは対照的に、高層ビルの谷底は暗かった。
華やかな大通りの賑わいの裏、人通りが全くない路地には二人の男女がいた。アイゼン=ジリルとリル=クロイゼル、二人は濃紺色の軍服に身を包む。
排気ダクト、くすんだコンクリートの壁を走る配管、裏路地に見当たるもので、汚れていないものはない。
けれど、一つだけ非日常が紛れていた。小雨の降った後の水たまりのように、血だまりがあること、金網フェンスには、赤いペンキで彩られたように血しぶきが付着している。
「今日は天気にも恵まれて良かったですね」
「ああ、祭だしな」
「あの湿った街から出て清々しました。あそこで一生分の雨を経験しましたね。やっぱり天気は晴れてないと!」
リルは撃ち尽くした拳銃をリロードする。その無駄のない動きだけで、相当な手練れであることが窺える。
探索系の能力の為、アイゼンの支援にまわることが多い。けれど、彼女の戦闘能力が低いとは限らなかった。
「まあ、私達には関係ないんですけど!!」
リルは頬を膨らませながら、祭りの日に仕事である身を恨んでいるようだ。
アイゼンは眠そうな顔をしている。手には何も持っていない。ゴミが散乱する路地の地面には討伐したモルモット達が倒れており、その背中には数本の黒剣が刺さったままである。
彼の能力、黒い雨で出した武器は、荒々しい黒だった。
アイゼンはそれを一瞥して、煙草に火を着ける。
聞えてくるのは祭りの歓声だ。世界中から精霊祭を見るために帝都に集まる。その数は二百五十万人にのぼった。その影で彼等が動いているのは誰もいない。
「のんきなもんですね。深夜に何があったのか、知っている人はいないのでしょうか」
「良いじゃいか。俺達が仕事している証拠だ」
早朝、帝国軍参謀本部は蜂の巣をつついた大騒ぎだ。
第一研究所は数週間前から何者かの手によって占拠されていたという事実は、軍上層部を凍り付かせた。
深夜にシュターゼル邸が爆発し、はじめて発覚。その地下の第一研究所にはむごたらしい光景が広がり、ケージから脱出した実験動物は全て消えていた。
シュターゼル家が管理していた研究施設は軍でも一部の人間のみが知る極秘の存在である。帝国の闇とも言える彼等が解き放たれてしまったのだ。
「ここ一週間ずっと帝都の端から端まで害獣の! 駆除! 駆除! そして、今日も! もう人材が不足してますって。こうやってかり出される優秀な発現者も大変ですよ。ほんと」
リルはため息をつきながら、アイゼンを見る。
帝国軍の使徒直轄の特殊機関、朱い山猫。どんな任務でもこなすが、疑問を抱かないわけではなかった。
「でも、これって大規模なテロですよね? なんで精霊祭をやめないんですか? 上は誰かに脅されてもいるんですか?」
「指揮権の争い。利権の食い違い。犯行声明や要求もない。不審な第三者もいる。だから、俺たちが動いている。おかしなことはある。しかし、それは俺たちの仕事ではない。それより早く後処理を頼む」
「はーい。係の人に連絡します」
リルが取り出したのは帝都限定で使える通信機器だ。殺生石が埋め込まれた、銀色のジッポライターにそっくりな端末を、蓋をカシャンと開いて起動する。
連絡が終わっても、リルの口から流れ出す愚痴は途切れない。
「せっかくお祭りの期間中に帝都にいるのに! 二年前は演習! 去年は地方で潜入!」
「今年はよかったな、祭りを見れて。ずっと行きたいといってたじゃないか」
「こんな形は望んでませんって」
彼女達は早朝に緊急収集、ミーティング。帝国の御三家の一つが、一晩で消えた。その歴史に残る大事件を、彼女達はまだ信じることはできなかった。この街が余りにも平和ボケしているからなのだろうか。
「ともかく、グダグダ言ってる場合じゃないだろう」
「わかってますよ、私たちの出番じゃないですか。肝心の使徒様は音信不通ですけどねー」
「いてもいなくても変わらんだろ」
実験動物が逃げだした。大量の不穏分子が第一研究所だけではなく、他の研究所からも脱走しているらしい。まるで誰かが周到に用意したように、明らかな計画的な犯行だった。
現場にいるリル達は肌で感じる。統率の取れた行動、痕跡を残さずに帝都に潜んでいる彼等。実験動物はそれまで影に潜んでいたテロリスト達に加わり、何か大きな目的をもって蠢いている。
動いているが、その計画は始まってはいない。聞きだそうにも、モルモットたちは人形のように一切喋らない。戦闘中もである。こんな温度のない戦いは初めてだった。それがアイゼン達の心配を一層強くさせている。
「でも、先輩ダメじゃないですか。やり過ぎですよ」
「喋らないんだから仕方ないんだろう」
「半分くらい聞く気はないじゃないですか」
「そんなことはない。早く終わらせて、次の対象に行くか」
「それもそうですね」と面倒くさそうにリルは、銀紙に包まれた一口サイズのチョコを食べようとする。
衣擦れの音。
足下の血だまりの中、倒れている被験体が僅かに動いた。アイゼンの能力で跡形もなく切り刻まれているにも関わらず、まだ死んでいなかった。
アイゼンよりも早く、リルが動く。
拳銃を取り出して、間髪入れずに二発。ヘッドショットだ。テンポ良く銃弾が男の頭部を貫いた。
「ちゃんとトドメさして下さい。先輩はいつも詰めが甘いんです。これで死んでいないのも驚きですけど」
彼女は一口チョコを頬ばりながら、その銀紙を放り投げる。ヒラヒラと舞い落ちて、冷たくなった赤い液体にぷかりと浮かぶ。お菓子の包み紙の方が軽かった。
「じゃあ、次を探しますね……ポイントA4が怪しそうです」
自分の寝場所をかき乱されて、山猫達は気が立っていた。唸りながら次の標的を探し始める。
*******
空には青空が広がって、地上では大音量で陽気な音楽が溢れかえり、道路に黄色の紙吹雪が積もっていた。
スーはお姉様と共に街の市街地を貫く、都のシンボルであるセントラルタワーを背に、大通りを歩いていた。
普段は目立ち気味のお姉様の白装束やスーのメイド服も、華やかな仮装をした人達のなかにいると、そこまで注目を集めなかった
「平和ですね」
「平和だね」
「今のところ、何も感じませんね。あのテロリストの人達も昨日以来さっぱり見えなくなりました」
「そうね、裏じゃ何やってるかわかんないけどね。うちの人も何しているかわかんないし」
「師匠のことですね」
「そう、師匠とか師匠とか」
「あの人はいつも勝手です。何かやるならちゃんと言って下さらないと! 振り回されるお姉様の身にもなって欲しいです」
「そんなマメな人じゃないよ」
屋敷を出てから師匠の気配は全く感じない。それが恐ろしいのだ。あの人が何かを企んでいるのは絶対である。国の一つや二つをクーデターで陥落させても、スーは驚かない自信があった。
「スー、師匠に当たり強いよね」
「あの方にお姉様は渡しません」
「そういうこと聞いてるんじゃないの」
そして、スーは不機嫌である。理由は全てお姉様にあった。
「デートに行こ!」と連れ出され、内心喜びの雄叫びを上げた。涙が出てしまったかもしれない。これまでずっと二人きりだったのに、肝心のお姉様は旅の道連れを増やしていく。スーも嬉しかったが、失う物も多かった。
「はあ……」
「スー? 元気ないよ?」
「何でもありません!」
スーは歩きながら、お姉様の目的がデートではなく偵察であったことに気付き、思わず嘆息を漏らしてしまう。
自他共に認める優秀な従者であるスーも、落ち込むときは落ち込む。
そもそもお姉様の口から師匠の話を聞くのも好きじゃなかった。
せっかくの二人っきりなのに、スーはお姉様から貰った、傷だらけの銀色の懐中時計を哀しく見つめるしかなかった。
メアとレイはそれぞれ情報収集に向かわせていた。魔導列車を乗っ取ろうとしたテロリストから、リサが聞き出した場所と軍の施設。お姉様は何重にも制約で縛り付けていたので、単独での偵察も問題はないそうだ。
スーは視界内全てに存在に危害判定をしながら、お姉様の顔を下から見上げる。
レイ達が加わって、こうして二人っきりになる機会も少なり、頭をなかなか撫でて貰えなくなってしまった。スーにとっては死活問題だ。
いいや、高望みしてはダメ、とスーは自分に言い聞かせた。
「昨日の成果はどうでした?」
「この街は面白いよ。中心部にあるタワーからエネルギー、世界の断片が隅々まで流れている。まるで心臓から血液が流れるみたい。まるで一つの生き物だ、この街は」
「第六研究所は見つかりました?」
「うん、そのタワーの地下にある。今日の夜みんなで忍び込もっか」
「わかりました」
大通りは人で溢れていた。
ロワナシア大陸の辺境の地、コモリの村出身のスーはこんなにも人が多いと目眩がしてしまう。お姉様は平気なようでお祭りを楽しそうに見物していた。
「あれ、お姉様。人形や仮装している人達は恐くないんですか?」
思い出したようにお姉様は肩を震わせていく、顔もすっかり青ざめてしまった。
「そんなものはない! 存在しないから!」
どうやらお姉様は人形や仮面を見ないふりをしているようだ。街には溢れんばかりの仮装した人達と人形。ないように振る舞うのにも限界があった。
「いい! ともかく! スー君、我々は尋常ならざる悪の道へ進みつつある」
強がったようにお姉様はニンマリと笑う。しかし、しっかりとスーと手を繋いでいるので、その言葉はちり紙のように軽い。
「悪党ですか?」
「そう。支配体制に楯突く人達。世界にとって私たちは異端であり、異質であり、異分子なのです。今の世界は師匠を裏切った四百年前のプレイヤー。長いから四番目にしよう。師匠から数えて四番目のプレイヤーってこと」
千年前の師匠が一番目、八百年前のプレイヤーであるエアが二番目ということだろう。
六百年前のプレイヤー、三番目は行方不明、四百年前のプレイヤー、四番目がランとエアを裏切った。スーも過去の歴史はしっかりと師匠の屋敷で勉強していたのだ。
「ちなみに私は六番目。師匠から一千年後のゲームのプレイヤーです。四番目以降、世界の歴史は全て隠蔽されている。だから、五番目がどうなったかはわからない。四番目の能力は不明だけど、きっとそういう能力なんだよ」
お姉様は嬉しそうに語り出す。きっと昨日の夜に調べて至った一つの答えなのだろう。
歩きを止めて、二人一緒に広場の噴水の縁に腰掛けた。水分を含んだ空気が肌に当たる。今日は晴天で、秋にしては日差しが強く、心地良い水しぶきだった。
「そして、今の世界は四番目が支配している。これもほぼ確実。八大国機関っていうのも彼が設立したんだろうね。設立した時期が、師匠が退場した時期と一致する」
「彼ってことは男なんですね」
「うん、それくらい。性別と顔以外はほとんど知らないけどね。その能力について、師匠は全く知らないみたい。いや、記憶が消されたと言うのが正解かも。そして――」
「そして?」
お姉様は一つ咳払いをして、その声のトーンが重くなった。
「世界には三つの陣営がある。一つ目は私たち。二つ目は四番目。三つ目は管理人の分身。そう、三つ巴の戦いです」
「はい! お姉様質問です」
「どうしました。スー君」
「その四番目とは敵対関係なんですか?」
「わからない。もしかしたら協力して、ゲームをプレイできるかもしれない。たぶん無理だけどね……」
「師匠の件ですか?」
「うん、それもある。簡単に言うとね。私はね、その力の使い方が――」
お姉様の目にはきっといくつもの光景が浮かんだのだろう。
命を薪のように火にくべるやり方をお姉様は嫌ってる。あの黒い立方体、殺生石を見るときのお姉様の表情はいつも哀しそうだった。
「気にくわない。ハッキリ言って嫌いだね」
お姉様は複雑な表情のままだ。街の中心、盛大な祭りのど真ん中で世界でも最大級の物騒な話題を続ける。
「でもね、今後きっと使うことになるの」
その瞳からは迷いが感じられた。スーだからこそわかる、微小なお姉様の変化だ。
スーはお姉様の顔をちらりと見る。それを見ると素直に観光を楽しめる気分にはなれなかった。
「お姉様。お姉様はどうしたいのですか?」
「……私?」
お姉様の吐く息は長く、伏し目がちになっていく。まだ自分の気持ちを形にできないようで、考えていることも読み取りづらくなっていく。彼女自身でまだ答えを出していなかった。
息が止まって、唇がゆっくりと動いた。
「私はね――そもそも人の上に立つタイプじゃない。世界の片隅で生きてきた。どこにでもいる一般人だったの! 本当はね、もっと私よりも『ゲーム』に向いている人なんてたくさんいる」
「で、で――む……」
慌てて反論しようとするが、お姉様の綺麗な人差し指が、スーの唇の上に優しく触れる。
無理矢理口を閉じらされて、強制的に固まってしまう。これでは何も言えなかった。
スーはこんなやり方をどこで覚えたのと言いたくなって、お姉様の仕草の麗しさに歓喜してしまう。
「むむむ」
押し黙るスーを見てお姉様が微笑む。頬が熱くなってしまう。唇からお姉様の指が離れて、ようやく息ができるようになった。
「ねぇ、最後まで聞いてよ。でも、私が神の代理人になってしまった。今回のゲームは私のゲームなの」
スーは知っていた。お姉様は手の届く範囲ならきっと救いたい。でも、誰よりも救われたいのはお姉様だった。
大切な人は気高くて、美しくて、簡単に壊れてしまいそうなほどもろい。
神の力を得ても、神を殺せる技術を得ても、中身は二十に満たない子供だった。ずっと見てきたスーだからわかること。
彼女をどう元気づけようか、何か良い方法はないかと思案していると、そのお姉様の声のトーンが急に高くなった。
「もう! こんな話するつもりじゃなかったのに! 実はね……」
お姉様は外套の内ポケットをごそごそと探り、取り出されたのはシルバーのネックレス。
「スー、いつもありがとうね」
「ふぇっ!?」
「じっとしてて、その懐中時計も傷だらけでしょ。買ったものじゃないしさ。何か別のものをってずっと思ってて」
お姉様の甘い吐息が耳に掛る。両手が硬直して、頭が真っ白になってしまう。
スーのぶら下げた懐中時計を外して、お姉様はスーの首に手を回してペンダントを着けた。
銀色の一センチほどボールが胸元にぶら下がっていた。表面には複雑な術式がかきこまれ、何層もの構造になっている。
「私、師匠から装飾品貰ったでしょう? 自分でもやってみたの。やっぱり師匠の能力はまだ慣れないや。昔っから不器用で、センスの欠片もないんだけど、結構上手くできたと思ってるんだ。装備品なのは申し訳ないけどね」
「ええ!?? は、はい。もちろん! で、でも私は――何も」
何もできていない。お姉様の救いにはなれていない。
そう言おうとして、スーはやめた。そういった後ろ向きな言葉はお姉様には似合わない。
叫び出したくなるほどの嬉しさを最初に伝えたかった。
「いえ、何でも無いです。お姉様の為なら千里眼です」
「うん、頼りにしてるよ。お祭り、もうちょっとまわってみよっか。もちろん情報収集もかねてさ」
「はい!」
かきこまれた術式は光学迷彩の神子術式だそうだ。また宝物が増えてしまった。
スーは嬉しくて、右手でその小さな球を触りながら、先を歩くお姉様を小走りで追いかけた。
********
『こどもはきらいなの?』
『嫌いね。見るのも嫌。鏡を見ると吐き気がするわ』
『でも、はいてないよ』
『バーカ。そんなこと言ってるんじゃないの』
『ふふふ』
『何笑ってるのよ』
『きらいなのに、なんだかんだメアとはなしてくれる』
『うるさい、自問自答よ』
メアはバスに乗って、自分の心の中でもう一人の自分と対話していた。
窓ガラスに写る自分の顔を見て、メアは舌打ちする。
「絶対やってやる。やってやる……」
周囲からガキ扱いされているのに殺意が湧く。街を歩くだけで迷子だと疑われる。内心ぶっ殺したかったが、命令が刻み込まれている身体がそれを許さない。
小娘に使役されている。その現状がさらに苛立ちを加速させる。
あのリサという奴は、見るからに子供だった。
自分の力に戸惑っているガキだ。はじめて銃を撃って、その反動にビビってる。
あの娘はまともな人間だ。自らを演じようと必死になっていた。引き金の重さなんて考えたことのないメアは、馬鹿な子だと笑いたくなってしまう。
ともかく、メアはこの拘束されている環境をどう抜け出すか考えを巡らせていた。
悔しくも与えられた力と身体は役に立ちそうだった。
形を変えられる魔物の身体。
いつでもどこでも物体を出し入れできるメアの能力「魔法の胃袋」。
「ほんと便利な身体よね」
形を変えることはできるが、その体積は限られている。可能なら子供の姿を変えたかったが、それは無理だった。
ただその要領には底がなかった。メアはもう一人の自分の食欲の旺盛さに、我ながら驚いてしまう。
この能力で何か応用ができないか。
軍事施設の前で立ち止まる。情報収集を命令されたのはこの場所だ。
火薬の匂いが鼻をついた。
『むふふふ』
『またわるいことかんがえてる』
『それは違う。私は悪いとは欠片も思ってないから』
命令をこなすために動き出した。
メアは食べ過ぎでお腹を壊さないか不安がよぎった。
******
シュターゼル邸の正門前。警備している憲兵同士が顔を見合わせる。
彼等の間を一瞬黒い霧が通り抜けた。
「今、なにか通らなかったか?」
「気のせいじゃないか。なにもなかったぞ」
黒いモヤは音もなく屋敷へ入り、静かに地下へ地下へと向かっていく。
その場所は第一研究所、正確には元第一研究所。もうその機能は失われていた。
黒塵が集まって、一つの身体が形成される。現れたのは口を固く結んだレイだった。
ここは魔導列車を襲撃したテロリストが拘束されていた場所であり、レイが身体を変えられた施設。
レイが自らここに行くことを主張すると、リサ達に驚かれた。会話を必要最低限にして接しているからだろう。
この地獄の光景は久しぶりだった。ここが今の自分の原点なのだろうと、彼は思った。
ここから逃げだして、行き着いたのは小さな少女の元。
鬼となった自分が些末なことを考えずに、力をふるうことができる環境は嫌いじゃない。
レイは目的が欲しかった。それを与えられたのが自分よりも二回り小さい少女であることは少しだけ癪だった。
軍による現場検証はまだ終わっていない。ただ人の虚を突く能力を持つレイには関係が無い。
凄惨な実験を上書きするように、研究員達の拷問された痕跡が残っている。
ぬぐい切れていない血の跡に、破壊された実験器具。
引き裂かれていたのは全て、実験動物ではなく、研究員の職員達だった。屍体はすでに片付けられていたが、その生々しさは残っていた。
軍人達の視界の影から影へ移動して、すでに検証が終わった一室に辿り着いた。
レイは一つのケージの前に立つ。それを撫でる手つきはどこか懐かしそうだった。
足下には名札。金属製のボードはへこんで、傷だらけだった。レイはその名前に見覚えがある。
「アルル=リカード」
レイの口から低い声。その声色はもの悲しげだった。