GENE4-3.師匠の伝言
リサと同じ車両に乗っていたアンナ=バルドワールは、十六歳の少女だった。横にいる母に固く抱きしめられて、占領している仮面の男達を見つめるしかない。鈍くて禍々しい黒の銃身を彼等は振り回していた。
「アンナ、大丈夫だから」
母は絞り出すように声を出す。震えていて、今にも泣き出しそうだった。
それに答えるようにアンナは母を抱きしめる。触れた母の肩は燃えるように熱かった。
帝都リオンの生者のための精霊祭は、毎年見物する行事である。中央司令部に配属されている軍人の父の元へ、母と二人でこの列車に乗る。五歳のころから何度も使ったおきまりのルート。祭りの三日目には家族全員で誕生日を祝うはずだった。
でも、今年は違った。お祝いできないのかもしれない。そんな「もしも」を考えてしまう。
窓から射し込む夕日がこんなに恐ろしいとは知らなかった。
アンナ達は車両の出入り口から一番近い席にいる。床に血まみれで倒れているのは、数分前まで陽気に話していたおじさんだった。
帝都リオンはお墓だ。国民のほとんどの人がそこに眠っている。だから、彼等を供養し明日を見るために国民は精霊祭に赴くのだ。彼は死んだ妻と娘の供養しに参加するのだと言っていた。さっきまで彼がいたシートに、取り残されたように二人の人形が座っている。その人形の服は奥さんと娘の遺品から作られたものだと言っていた。
家族思いのおじさんから、ジワリジワリと血溜まりが広がって、アンナの足下まで達した。
「っ!?」
必死に声を押し込んで足を引っ込める。
数発の銃弾を受けて、席に座っている妻と娘へ手を伸ばしていたけれど、彼はもう動くことはなかった。アンナは何もできなかった。
その発する熱量がゼロに近くなっていく。すぐ足下で命の火が消えていく。
死の瞬間は明確に決められていて、時間のように刻まれるようなものだと、アンナは思った。
流れる血の量に比例して、死亡時刻が迫ってきて、彼はカチリと動かなくなって、きっと人形になってしまうのだろう。
アンナはどうすることもできなくて、恐怖に怯えるしかなかった。
銃一つで人の命が塵のように消えてしまう。
その概念を見せつけられて、彼等の銃の尖端に釘付けになってしまうのだ。
アンナの横にも物々しい銃を持っている狐面の男がいる。出入り口を塞ぐように立っていて、もう一方の出入り口にも一人。通路を歩いている鳥の仮面の男が一人。
そして、その銃口がついに乗客に突きつけられる。
狙われたのは、真っ白で壮麗な女性だった。
アンナは彼女が、電車に乗ってからずっと気になっていたのだ。
はじめて見たときの、目が覚めるような美しさがアンナの目に焼き付いて離れない。
護衛のような男と二人の女の子。一人はフリルの着いたエプロンをしていた。最初見たときは可愛い服だななんて思っていた。
あのボックス席だけが異質な空間だった。
みんなお祭りで黄色、ピンク、オレンジみたいな普段よりも明るく彩られた服装なのに、彼女達はモノクロトーン。三人の黒服に全身白の女性。
しかも、決して塗りつぶされない綺麗な白だった。しかし、ガラス細工のような壊れやすさを感じてしまう。彼女の美しさは鮮烈で、きっと長続きしないしないものだった。
儚げな魅力を見逃せなくて、他の乗客達もチラチラと彼女達を気にしていた。
その横を通り過ぎようとした鳥の仮面も、見逃すことができなかったようだ。
「お前――」
彼女は銃を突きつけられても、全く動じずに会話していた。あの銃が恐くないのだろうか。恐怖と不安とは無縁のようで、全く動じていない。アンナはその危なっかしい彼女の行動を止めたかった。でも、動けるわけない。
夕日で影ができて、表情が読み取れなかった。しかし、暗闇の中でその眼光はハッキリとわかる。全てを呑み込むような目をしていた。
仮面の男は殴りかかろうとして制される。通路側にいたフリルの少女がそれを遮ったのだ。
「!?」
アンナはその男と同様に驚いてしまう。
母はアンナを抱き寄せていて、その異様さに気付いていない。至極当然のように行われている静かな行動に、何人かの乗客も注目し始める。
「アンナ……アンナ……」
母は小さな声で名前を連呼するけれど、アンナは驚くほど恐怖を感じない。彼女の瞳を見て安心してしまったのだ。
一発の銃声。その銃弾が当たるとは思えない。
それからは一瞬だった。あの女の子が銃を奪い取って、仮面の男に反撃した。
白い女性がやれやれと腰を上げた。
目が合って、小さく微笑んでくれた気がした。
彼女が両手を合わせると、夕闇を塗り替えるように、世界は暖かい白に包まれた。
*******
リサは師匠の能力、胡蝶之夢を発動させて、乗客の動きを止める。大量の情報を頭の中で巡らせて、彼らを強制的な睡眠状態に追い込んだ。
仮面の男たちだけが、過酷な現実に向き合うしかない。
この車両にいる仮面の男は残り二人。車両の出入口に一人ずつ、和風の狐面とトーテムポールのような仮面。るつぼのように、この世界の文化はかき混ぜられているのだと改めて感じてしまう。
テロリスト達はスーに向かって撃とうとするけど、そんな速度の攻撃を許すわけがない。
「レイちゃんはそっちをお願い」
返事はない。でも、問題はなさそうだ。
レイの能力、暗闇の中の平衡者は自身の身体を黒い霧に変化させ、その形を相手に合わせて自由自在に変化させる。そして、対象の恐怖に比例して可能なことが増える。
自らの存在を限りなく夢に近づける。
夢と現実の境目に立つ能力。
そして、レイは音もなくリサの隣から車両の外へ。出入り口のドアの向こう側へ一瞬で移動して、トーテムポールの男を狙う。
獲物の背後、スライドドアが勢いよく開き、飛び出してきたのは黒い触手だった。粘り気のある液体のような、のっぺりとした複数の腕。
「な――」
予想外の方向からの襲撃を避けられない。叫び声を上げようとするが、真っ先に口を塞がれた。
蛸の足のように絡みつかれて、彼は手足を拘束されて通路に倒れ込んでしまう。
「うわー」とその様子を眺めるリサは、レイの趣味の悪さを感じてしまう。獲物を怖がらせる気しかない。
ドアの向こう側は真っ黒で何も見えない。絶対に帰ってこれない入り口だった。
「んんんーー!? んーー!?」
今回の獲物である彼は力の限り抵抗するけれど、ゆっくりと黒い闇に呑み込まれていく。
つま先、太もも、腰、肩。そして、勢いよく頭の先まで、静音な闇へ絶叫を閉ざされて彼は飲まれていく。
彼は完全に無形の黒へ取り込まれ、静かにドアは閉まった。
「そりゃ静かにって……命令したけどさ」とリサは頭を抱えてしまう。
もう一方の出入り口に立っていた狐面の男はメアが対処していた。
振り返ると、メアが食べきった後でその痕跡の欠片もない。
身長一メートル弱の少女の身体の中に、「綺麗に」取り込まれてしまっていた。明らかに自分より体積が大きい餌を食べたのに、メアの外見は変わりない。そう、それが彼女の能力だった。
メアの能力も特殊なのだ。
食いだめができる能力、「魔法の胃袋」。食べ物以外も取り込める。武器や道具などもリサは放り込んでいた。
当然、食べ物以外を放り込まれるのは不服なようだったが、諦めて渋々と荷物を取り込んでくれた。
『食べたい』という願いが予想外の方向の能力になってしまった。アホらしいが、馬鹿にできないほどに役に立っているのだ。ここ数日、リサは物資として、ベット一台からクッキー一個に至るまで、(強制的に)呑み込ませているが、許容量の底はしれない。
「メア、その人はダメ。彼等の仲間じゃないのわかってるでしょ」
慌ててメアの行動を止めて、倒れている乗客の元へ駆け寄った。
周囲の目はなくなって、禁煙車両と注意書きのあるドアの前で、リサは煙草に火を付ける。
足下には最初に銃で撃たれた乗客の一人。呼吸は止まっているが、まだ間に合いそうだ。彼の側にしゃがみ込んでその容態をチェックする。
「メアはいつも通り後始末もお願い。終わったら、みんな私と一緒に先頭車両へ。数は六人。爆弾もあるはずだから、気をつけて」
「はあ!?」
声を荒げたのはメアだった。
メアはもう一人の人格の方が出ている。リサが呪いのようにスライムに縛り付けた、もう一人のじゃじゃ馬な彼女。その小さい少女は妖艶さを帯びて、憎しみを込めてリサを見る。
そんな彼女は、外見は幼女であるのに、ある得ないほど大人の立ち振る舞いに変化した。
「だから、なんで私がそんなことしなきゃいけないの!?」
「逆らえないことは知ってるでしょう? ねえ、メア、よくそんなに怒って疲れないね」
倒れている男の治療をしながら、リサはメアへ返答する。メア――彼女にリサは収まりのつかない感情があった。それは「はじめて」の街のこと、彼女に罰のような呪いを与えたこと、その原因に余りにも心当たりが多すぎて、リサは正直彼女をもてあましていた。
だから、メア、そしてレイには、リサの命令通りに動くように制約を組み込んでいたのだ。
「勝手に引き釣り回して、奴隷のようにこき使って! 早く解放してよ! 元に戻してよ! じゃなきゃ殺す!! 今すぐ殺す!!」
ツンと少女は背伸びするように睨み付けられる。リサは優しく笑顔で答えてあげた。
「そんなことできないのは一番自分がわかってるでしょう? 私を殺す機会なら街に着いたらいくらでもあげるから我慢して」
師匠が言っていた。わかり合うために必要なのは殴り合いなのだと。暴れ足りないなら、音を上げるまで付き合ってあげる。殺せるものなら、殺してみればいい。リサだって、そんなやる気のある奴は大歓迎だ。ぬるま湯のような戦闘にも飽きてきたのだ。
「だから今は黙って働いてね。私のために」とリサが微笑むと、
「っくっっそ……が……」と鬼の形相でメアが黙ってくれた。
リサが彼女の体にプログラムした制約は、しっかりと彼女をがんじがらめに縛り付けている。メアの口は固く閉ざされて、渋々と命令された後始末を始めた。
そしてリサは患者へ視線を戻す。メアに食べられそうになった床に倒れている男。鉛弾で内蔵を貫かれて、あと一分もしないうちに死ぬ運命だった。
「運が良かったね」
取り出す手間が省けてよかった。銃弾は貫通している。傷口に手を当てて、彼の細胞を複製。破損した箇所を直していく。
「助ける気はなかったんだけど、あの人にお礼を言って」
と彼に向かって独り言。そのお礼を言う相手である鳥仮面のテロリストは、既にメアが跡形もなく飲み込んでいた。
煙草を一本吸いきる前に制圧は完了した。残る物は何もない。あっという間だった。みんなフラストレーションが溜まっていたのだろう。飢餓状態のライオンの群れに肉の切れ端を与えたように、跡形もなかった。
車内は赤く夕日に染まるだけ。綺麗だとも美しいとも思わない。何も感じなかった。
先頭車両。全てを片付けて、力業で爆弾を破壊した。その残骸をメアに食べさせて全て完了した。もう爆破テロがあった事実を証明できる証拠はない。
煙草の吸い殻を燃やして塵に変える。目を閉じて、小さく息をついた。
列車が線路のつなぎ目を越える音。それだけが聞こえる。
「――よし、あと数分で帝都に着きそうだね」
列車は市街地に入り、目を疑うような高さの高層ビルが建ち並ぶ。この世界でも最大級の都市の中心にあと少しで到着するのだ。窓から見える都会の様子に高揚感を覚えてしまう。リサがはじめて辿り着く、この世界の大都会。いくつかの不安要素はあるが、きっと何事もなく平和に観光なんかして次の街に行くのかもしれない――なんて根拠のない希望が湧いてきた。
「はい、お姉様どうしますか?」
「なんだろう。嫌な予感がするの。ゆっくりしてる暇なんてなさそう。せっかくのお祭りなのにねー」
「お姉様、最初からお祭りを見る気ないですよね」
「やっぱりわかる? だって苦手な物を見物する趣味はないよ」
世界を舞台にしたゲームが始まる。予想では、もうそろそろ対象が動き出すはずだった。最低限の駒は揃っている。戦力を補充するも良し、チェス盤の仕組みを調べるのも良し、先に見つけ出して先制攻撃をするのも良い。
これからの予定を話しながら、柏手を打って、師匠の能力を解除する。
乗客の意識が戻ってき、車内にざわめきが戻ってきた。テロリストなんて、夢だったのかと首を傾げているのだろう。
すると、リサは背後から声をかけられた。
「ラン=トラオラムを知っているな」
息が止まる。警戒レベルを可能な限り高めて、声の主を探る。
そこには誰も座っていなかったはずだ。先頭車両の一番前の席。リサが手を伸ばせば届く距離。
黒い帝国軍服を纏った死神のような男で、生気をまるで感じない、霞のような幽霊みたいな人。
彼はもう一度口を開いた。
「ラン=トラオラムからの――」
その名前を聞いて、思いつく対象は限られていた。
師匠はずっとあの屋敷に幽閉されていて、世界が誰の手の上で転がっているかは想像がつく。ランを閉じ込めた神の代理人の差し金か。こんなにも早く来るとは思っていなかった。
奇襲である。敵だ。
手元には武器がない。最も早く彼を仕留められるのは、スー達に指示することでも、ナイフを取り出すことでも、神子術式を発動することでもない。
最も速いのは単純な近接攻撃であり、自らの生命力を凝集させた右手の手刀だった。
右手に纏う世界の断片の量をためて、数メートル離れている彼に向って、一気に踏み込んだ。
彼は怯えもせず、微動だにしない。まるで刺されることを望んでいるようだった。
「伝言だ。ここにいろ。後は好きにしろ」
貫こうとした手刀をピタリと止める。
彼の眼球から数センチだった。それを聞いて、脊髄反射で筋肉が飛び上がったように硬直する。
師匠であるランからの伝言。リサはその言葉を幾度も反芻する。
「それだけですか?」
彼はコクリとうなずく。
その顔はどこかで見たことある気がした。
「……それで……貴方は誰?」
彼はもう一度口を開く。
「俺はあの人の孫だよ」
「え――ええ!?? 」
リサは手刀を突きつけたまま、予想外の単語に脳の処理が追い付かず、ついに思考がノックアウトしてしまう。
*******
アンナの目の前から仮面の男達が消えた。モノクロトーンの彼女達も消えた。まるで何事もなかったように。
あの光景が幻だったのか。車内の人達も周囲を見回している。けれど、何が起きたのか説明できる人はいなさそうだ。母はアンナを抱きしめたまま、震えていた。
首を傾げていると、足下で倒れていたおじさんが何事もなかったように立ち上がった。
「きゃああ!」とアンナは驚いて、飛び上がってしまう。
立ち上がった彼は死んでいた。さっきまで息をしていなかったはずなのだ。なのに彼は呼吸を繰り返し、傷も完全にふさがっていた。
「……大丈夫ですか?」と恐る恐る聞いてみた。
彼は撃たれた跡を何度も触るけど、痛みはもうないようだ。彼も自分自身に何が起きたのかわかっていないようで、両手を小さく広げて首を振る。
「あの人が……?」
彼女が生返らせてくれたのか。外は黄昏時。アンナは、まるで夕闇の中で夢でも見たかのようだった。
スー「お姉様! 爆弾です! 爆弾!!」
リサ「おお! どんな仕組み!? どんな仕組み!? うーん……」
スー「どうですか?」
リサ「師匠に仕掛けられた方が複雑だったかな!」
スー「色んな意味で複雑ですね」