GENE4-2.消された秘密
帝都リオン行きの魔導列車は魔核技術で駆動する。ボックス席に四人一緒にずっと座っていて、窓の外の景色を見るのも飽きた。雪の積もる岩壁や群青色の湖畔の風景、移り変わる車窓も楽しいが、ボンヤリ座り続けていると身体を動かしたくなってしまう。
乗車してから寝ていたら、もう眠気は去ってしまった。手持無沙汰な時間を過ごしている。あの街から出発してから、何度も何度も列車を乗り継いで、ようやく帝都に着きそうだ。
レイはずっと無口で、腕組をしたまま目を閉じていて、リサとメア、スーの三人でおしゃべりをしていた。リサとレイは窓側席、スーとメアは通路側。
「お姉様。無理に笑わなくても大丈夫ですよ?」
「もう、スー? 無理してないって。ありがとう」
スーの頭をポンポンと撫でる。悲しくないわけじゃない。しかし、何事もなかったかのように笑えてしまう。道連れも増えて、話が弾む。ボックス席で良かった。
「メア? もう一人のメアは……」
「ずっとねてる……はなしたくないって」
もう一人のメアはどうにもならないことを知って、ずっと不貞寝しているらしい。
それでよかった。レイやメアは銃であり、誰を撃つのかはリサが決める。思うところがないわけじゃないけれど。
「話に戻るね。この魔核を用いた技術について。スー、ペンと紙を出して」
「はい」とスーが気持ちよく相槌をうって、バックパックの中からごそごそと取り出した。そこに単純な文字術式を書いていく。
「この世界の力の使い方だけど、必要なのは起動する術者、その人の生命力である世界の断片とそのプログラムの内容」
メモに簡易的な光源術式を書いていく。数行のプログラムを書いて、自分のコードを流すと、豆電球ほどの光がボックス席の中央に浮かぶ。
生命力を光エネルギーに変換した。
この光源に必要なのは『リサ』と『リサの生命力』と『メモに書かれた文字式』だ。
「これを消すには?」
「そのうちどれか一つが欠ければいいです」
「そう」
ついでに起きているメアに教えているつもりだが、ポカンと口を開けたままだ。わかっているか怪しい。
「例えばこの場合だと、私を殺すか」とリサは自分自身を指を差す。そして、ビリビリとメモ用紙を破ると、光が消えた。
「プログラムを消すか。『能力』については、プログラムの内容が術者本人に刻まれているんだけど、それはまた別の話」
「それで魔核とどういう関係があるんですか?」
「そう! その魔核」
ポケットからレイに埋め込まれていた黒い立方体を取り出した。
「彼らは殺生石と呼んでたこれも、魔核とほとんど同じ構造なんだ。この中には、力を使うのに必要な三つの要素が全て詰め込まれている。これは鉱物のように見えるけど、実は」
「実は?」
「生命力の塊です。構造的には生物の細胞が、固まって出来た精密な機械なの。生き物のような機械です」
「これがですか?」
「そんでもって、この中にいくつものプログラムが仕組まれている。場合によっては人の意志も含まれている。一人か何人かはわからないけど」
レイから取り出した殺生石は白い光を発していた。原材料である人の生命力が濃縮した光だった。
「その機械が魔物に埋め込まれている」
メアはもう聞いてすらいない。項垂れてピクリとも動いていない。難しく話過ぎたかもしれない。寝ないようにほっぺたを叩いて、何とか起こす。
「結論から言うと――魔核は『生命』を材料にしている。魔物はおそらく管理人の分身体から発生した生物のような気もするんだけど、それだけじゃない気がするの」
「それ以上は、あんまり考えたくありませんね」
「そうね……」
それは故意かどうかわからない。もしかしたら事故によって生まれたのかもしれない。ひょっとしたら、あまり考えたくもなかったが、悪意をもって開発された可能性もあるのだ。
「レイちゃんの中にこれを埋め込んだのも研究という名目の兵器開発だろうね。だから、これから一般的には知られていない、この世界の秘密を暴くの。誰かに故意に隠されたね」
レーベの標識票はもう使う気はなかった。この世界のシステムは明らかに誰かの手の平の上だった。その誰かは、おそらくはランを封じ込めたプレイヤーだろう。彼が世界の謎を隠したのかも知れない。リサが調べた世界の歴史にはプレイヤーの痕跡が全て消されていた。リサ達は誰かの手の上で動き回っている。その状況は笑えない。
今この世界を動かしているのは、師匠を封じ込めたプレイヤーなのだろうか。隠された闇を知るには、この新しい技術の根本に近づくのが一番早い。
だから、帝都へ行くのだ。
状況が悪化する前に、その誰かさんにリサ達の存在を知られる前に、一刻も早く。
レイの体勢は変わっていなかった。ピクリとも動かない。狼耳を隠すためのハンチング帽子は、電車に乗ってから一ミリもずれていなかった。
どこかの大きな駅に着いたようで、乗客の三分の一が降り始め、新しい乗客が車内に入り騒がしくなる。
何か嫌なものが通路を通り過ぎて、リサは目が合ってしまった。
今の状況を説明したかったのに邪魔された。リサが唯一苦手とする「奴」だった。
「そんな感じで――ひっ!?」
「どうしたの?」とメアが眠そうな声で、見上げるようにスーに聞く。
全てを知っているスーは、苦笑いで説明を始めた。
「ああ、あれですね。メア。実はね、お姉様は人形が嫌いなんです」
そう、目の前を通ったのは、淡いピンクのドレスを着た西洋風の人形。一メートル弱の身長で、慎重に大柄の男に運ばれて、椅子に座らされている。汚濁したどぶ川みたいな眼球。そこに反射するのはリサの地獄のような修行風景だった。
リサは警戒態勢に入り、その人形から視線を逸らすことができなかった。冷汗が止まらない。
「どうして?」
「どうしてもこうしても!!」
メアの疑問を突っぱねるように返答する。あの人形を見たまま、顔を動かせなくなってしまう。
「あの家に泊まっていたときも、お姉様は部屋においてあった人形に飛び上がるほど驚きましたよね」
スーに言われた通り、テッサの家にも人形はあった。部屋の隅へこっそりどかしたのも覚えている。
この世界の文化は、過去のプレイヤーたちの影響を根強く反映している。帝国がどこか西洋風なのも、プレイヤーの先輩であるエアの影響が大きいのだろう。
そして、文化として人形がこの世界に根強く残っているのはランのせいだ。あの人が広めたに違いない。ランは悪魔みたいな存在なのに、少女みたいな趣味を持っている。
リサの人形嫌いもランのせいだ。
誰だって大量の武装人形にリンチされたら嫌いになる。
修行だとランに言われて、千体以上の人形と死に物狂いの戦闘。倒しきるまで眠ることすらできないデスゲーム。リサが華やかな思い出に頭を抱えると、師匠の高笑いが聞こえてきた。幻聴だ。魔改造された人形達を思い出してしまう。
過去数百年、師匠は相当暇だったのだろう。人形には煌びやかな武器が取り付けられていた。誰が火炎放射器や回転ノコギリを取り付けらえた殺戮人形を想像できるか。
幽閉されていた師匠がモノづくりハマるのはわかる。でも、悪趣味な人形を作り続けた意味がわからない。
実際持て余してたようで、その処理に付き合わされた身にもなって欲しい。
絶叫をあげて、リサが人形をなぎ倒していく様子を見て、師匠の顔は笑っていた。嬉しそうだった。
「お姉様! お姉さま!!」
「ごっごめん、嫌な記憶を思い出しちゃって」
「そんなお姉様に嬉しいお知らせと悲しいお知らせがあります」
その知らせ自体が不吉だった。リサはゴクリと唾を飲み込むと、スーはバックパックから、帝都の情報収集のために買ったパンフレットを取り出す。リサは読む気がなくて、その中身は知らない。
「……嬉しいお知らせは?」
「実は私たちが訪れる今日から三日間、帝都では『生者のための精霊祭』というお祭りをやるみたいです」
「本当!? それはちょっと楽しみかもしれない。……悲しいお知らせは?」
「人形のお祭りだそうです」
車内が騒がしくなる。まだ駅のホームに着いて停止していた。
乗客が降り切って、新しい乗客が入ってきた。それぞれ華麗に彩られた人形を抱えている。通りすがる女の子の腕の中、高齢のご婦人のバックに、赤ん坊のようにベビーカーに乗せている人もいた。どの人形もリサを見つめているように感じてしまう。
「……噓でしょ」
発車メロディーがなって、緩やかに列車は動き出す。
緊急退避とリサは内心叫ぶが、退路なんてない。ならつくれば良いじゃないかと仕方なく外を見る。まだ動き始めたばかりで、列車は最大速度に達していない。
「窓から飛び降りないで下さいね」とスーに釘を刺されてしまう。
両手をおろおろさせて、助けを求めるように意地悪なスーに縋り付くしかなかった。
スーが笑顔でガイドブックのページを開いて、リサに見せる。おそらく祭りの写真なのだろう。カラフルに彩られた人形が並んでいた。怖気が全身を襲う。お祭りのテーマカラーであるのだろう毒々しい黄色の紙吹雪が舞い散る中、大量のぎらつく人工の瞳。人形が街の中央平場を埋め尽くして、リサを見ていた。
さらに、街ゆく人達は様々な仮面を被っていた。能面、アフリカの部族のようなお面、白い鳥のくちばしのような仮面。民族色が非常に豊かだった。禍々しい配色だ。
表情のない仮面を見ると、人形を連想してぞっとしてしまう。リサは仮面も苦手だった。
動かない顔が苦手なのだ。ぬいぐるみもそうだ。これはもしかしたら、あの管理人のせいもあるかもしれない。リサがこの世界で出会った人に、碌な奴はいない。
開かれたページをバチンと無理矢理閉じて、リサは俯くしかなかった。
「……」
「ああ、ごめんなさい! お姉様! すいません! 顔を上げてください」
「帝都に着いたらこき使うからね」
「そんなあ! お姉様!」
「フン! ……もう? 顔上げても大丈夫?」
「大丈夫ですから、人形はもう通り過ぎましたから」
屋敷の中での人形との思い出はリサの血で彩られていた。一緒に地獄で踊り狂って死にかけたのだ。列車から飛び降り下車をしなかった自分を褒め称えたい。
「もう安心してください。ただの人形ですよ。あの屋敷みたいに動きませんから」
「……ふう、なんであんなにいるの!? しかも、全体的に笑顔だし!」
「死者を追悼するお祭りみたいです。笑って元気を出そうという主旨みたいですよ。お祭りの三日目、最終日には盛大に花火を打ち上げるそうなんです。本で読んだことはあるのですが、私見たことないんですよ! 花火って!」
「花火はともかく、それって追悼してる?」
「死を盛大に笑う意味もあるそうです。笑えないから、仮面と人形でお互いに笑い合う。私は嫌いじゃないですよ」
「私は……嫌いだ!!」
怒りの声を上げると横で、「花火って?」とメアが首をかしげる。
「色のついた爆弾です」
「スー? エアさんの本に書いてたことが正解とは限らないから」
どうやらもう一人の師匠であるエアも、悪影響を与えているようだ。
そんな会話を繰り返していると、帝都内まで残り一駅になる。あと数十分で人形だらけの場所に到着する。想像するだけで鳥肌になってしまう。
帝都に近づくにつれ、人形と仮面の量も増す。視界が狭めて、リサは外を眺めるしかない。
日も傾いて、空が赤くなって、田園風景は途切れて構造物が乱立する。垣間見える秋のあかね空がもの悲しい。
「お姉さま?……何か近づいてきています」
リサはほんの少し気を引き締める。彼女はリサ達の中でも異変に対する感度がずば抜けていた。
予想通りとばかりに、発砲音。リサに取っては歓迎しがたい音だった。田舎に比べて治安が良いだろうという期待が裏切られて、リサはため息をついてしまう。
車両を隔てるドアの向こう側で鈍い悲鳴が上がり、スライド式の車両のドアが勢いよく開くと、乗客らしき血まみれの男性が、ドサリと車両に倒れこんできた。
数発撃たれたようで、その傷跡から血が噴き出して、通路が赤く濡れていく。
悲鳴と恐慌で車両が染まる。
立ち上がる乗客達が、その場から逃げ出そうとすると、銃口から火が噴き出して、小さな空間が一気に静まり返った。
「うるせえ!! どけ!!――」
ガイドブックの写真にいた様々な民族のお面をつけた集団が、無遠慮に車内へ入ってくる。数は四人。どうやらお祭りに参加しに来たわけじゃなさそうだ。それぞれ帝国製の自動小銃を持っている。防弾チョッキを着た重装備。まるで戦争に赴くような武装だった。
「そのまま座っていろ!」
彼らはそのまま通路を突き進み、その一人。ペスト医師のマスクをかぶった男がリサを見る。鳥の嘴の形をした仮面だ。
苦手なお面に見つめられて、視線を合わせないようにリサは、窓の外を見てしまう。人形ほど嫌いじゃないが、それでも嫌いだった。ただ中身が人間の分、まだ耐えられた。
「お前――」
彼はリサに銃口を向ける。向けてしまったのだ。殺気を感じ取って、リサはその仮面で隠された顔を睨みつけた。全身で声をかけるなと叫びを発した。その方が良かった。リサにも、そして、この男にとっても。
あの街で少しだけリサは、自分自身の輪郭がぼやけてしまったように感じてしまう。
リサは怖かった。銃ではなく、自分自身に畏怖を抱いてしまう。あの雨の街から、自分の中の自分が抑えきれるか分からないのだ。暴発しそうな自分を紛らわせるために、いつも通りの会話で抑制したのに、運が悪いとしか言いようがない。
気分は一気にどん底へ向かっていく。心の中で前の男に舌打ちをしてしまう。昔はこんなに腹立たしい感情は抱かなかった。
しかし、この男にリサの感情は伝わっていないようだ。その銃口をリサに近づけて、その男はリサを視姦し始める。
「お願いだから、あっちへ行って」とやんわりと忠告をする。
「お前、何を――」
「お姉様の言うことが聞こえなかったのですか?」
スーが耐え切れなくなって、彼に苛立ちをぶつける。それを聞いて、馬鹿にされたと思ったのか、抱えていた銃のストックでスーに殴りかかろうとした。
振り下ろされた銃床は、宙に固定されたように、ピタリと止まる。
スーは小さな右手でそれを受け止めていた。
「なっ――」と男は驚きの声をあげる。
「スー、止めて」
そのまま反撃しようとしたスーを言葉で制して、スーの動きが固まった。
「お願いだから放っておいて。さっさとどこかへ行きなさい」
数秒の無言。他の武装した仮面の男たちは、この事態に気づいていない。スーが掴んでいた銃を放す。このまま去ってくれれば彼等は悪事に集中できるし、リサは誰も傷つけずに済む。その方がお互いにとって、一番良い形だった。
「は? 何を訳の分からないことを言ってやがる。なあ、姉ちゃん。反抗するものがいれば、容赦はしなくていいと指示されている。あの通路に転がっている男のようになりたくなければ――」
仮面を被った彼は床に血まみれで転がっている男を顎で示して、リサに尖った嘴が突き刺さりそうなほど顔を近づけた。結局、男は引き返さない。リサはうんざりな気分になって、深い溜息で彼の話を遮った。
「ねぇ――」
もう知らない、警告はちゃんとしたからと、どこか投げやりなリサは彼を睨み付けた。喧嘩を売ってきたのなら全部買ってやる。
「貴方たちの目的は何? 人数は何人?」
「そんなこと、答えるわけねえだろ」
「私に人質の価値はないよ。貴族でも何でもない。帝都最大の駅への爆破テロ。研究所から脱走した獣人。数は十二人。なんだ、そんなにいないじゃん」
質問を投げかけて、表層心理を読む。読心なんて便利な能力、最初から使えばよかった。もう手加減する気はない。彼はリサを見て何か利用できないかと愚考したけれど、それは不可能だ。
彼は子犬でも捕らえるかのようにリサへ手を伸ばした。しかし、それが抜き身のナイフだとは思わなかったようだ。
「なっ?」
「なんでわかるのか? そんなことはどうでもいい。うーん、この列車が吹っ飛ばされるのは確かに困る」
全て見透かせる。彼の動揺も、何を考えているかも、これから何が起きるのかも。リサはもう彼を見ていない。
「くだらない。ねぇ、やめてくれない?」
彼の怒った表情が仮面の裏側から読み取れた。返答は弾丸だった。
窓ガラスの割れる音。静まり返った車内に再度悲鳴が溢れかえる。
メアはぼーっとしたまま、レイは無言で眼を閉じたままである。リサのボックス席だけが世界が違う。
頬をかすって赤い血が垂れて唇に達する。久しぶりの血の味にリサは笑ってしまう。
「ねぇ、今の自分の状況わかってる」
「っ!?」
「わかってる? いいや、わかってない。全然、全然!」
「ひぃっ!」
数発撃ったところで、銃声はスーに止められた。
銃を持った腕を掴まれて、彼の鳩尾にスーの鬱憤が全て込められた、強烈なパンチが突き刺さる。
「――はがっあ、あぐ……」
その場でくの字に折れ曲がり、腹を押さえてシートを掴んで、なんとか倒れないように踏みとどまった。
ようやく他のテロリスト達も、このボックス席の異常事態に気付いたようだ。銃を構えようとするがもう間に合わない。
「いいよ、スー。レイとメアも出番」
早く身体を動かしたくて、うずうずしているのはわかっていた。リサはどうしてこうなってしまったのか、頭が痛くなってくる。
レイの眼が開く。憂さ晴らししたいとメアの目付きが変わった。もう一人の彼女が起きたようだ。
「ああ、静かに。綺麗にね!」
それを聞いて、メアは舌打ちして、レイはさらにしかめた表情になってしまう。
「文句ある?」とリサが笑顔を投げかけると、彼等は無言になってしまった。
口から嗚咽しか出てこない鳥の仮面の男は、顔を上げようとするが、それはできなかった。
「お前は……一体……!?」
「貴方には関係のないことです」
スーが優しく彼に指をあてると、彼はふわりと崩れ落ちて、大の男は通路にあおむけに転がる。
彼女は、なんでも読み取る「眼」を持っている。拡張視があれば、小指一本でも重心を崩せてしまう。本当に便利な能力だった。
メイド服を着ているスーは、男から奪い取った小銃を片手にヒラリと通路に立って、彼に銃弾を浴びせた。
リサも立ち上がって、柏手を打つ。師匠の能力、蝴蝶之夢を発動して、一般の人達の認識を遮っていく。
リサ達に照準を合わせるテロリスト達の動きも一瞬硬直する。それを合図にぎらついた眼をしたレイとメアが動き出した。