GENE3-15.雨のゆくさき
まだ夜が明けて薄暗い。雨は日の出と共に強くなって、家の外壁を打ちつける。結局、滞在中に雨が止むことはなかった。
テッサの寝室だ。床には塵一つ落ちていない。備え付けのクローゼットとテッサの眠るベットだけ。少女の部屋としては、余りにも殺風景な光景だった。ぬいぐるみや人形が置かれてるとリサは思っていてが、妙な空白に驚いてしまう。
窓が開いて、白いカーテンがたなびいた。
リサは足音を立てずに、痕跡を残さないように部屋に入る。
街にある全ての惨劇の跡を消した後である。掃除にはメアの能力が役に立った。一度戻ってテッサを置いて、また戻ってきたのだ。
散らばっていた肉片も、雨で流しきれなかった血溜まりもなくなってしまった。これから、この街の住人は当たり前のように学校や職場に向かうのだろう。あの夜のことはリサ達以外、誰も知らない。
テッサになんて言えば良いのかなんてわからなかった。しかし、一方通行の挨拶だけでもしたかった。去る前に寝顔だけでも見たかったのだ。
スーに止められてしまったが、リサにとって、やらなければならない決別だった。
きっとテッサは寝ているに違いない。そう思って、彼女の寝室に侵入した。
「――!?」
リサは思わず息を呑んでしまう。
テッサは起きていた。
ベットに腰掛けたまま、窓から入ってきたリサに対して背中を向けていた。テッサの表情は見えなかった。彼女は振り返ろうとしなかった。
あの快活な彼女じゃない。髪は下ろしていて、陶器のような冷たさを放っていた。夕食の時と同じ洋服である。しかし、同じ人物とは思えない。
「ねぇ、リサでしょ?」
テッサは顔を横にほんの少しずらして、窓辺にいるリサに耳だけ向けた。彼女の鼻先がちらりと見えた。声からは感情が読み取れない。目は見えない。見えてもリサは合わせることができなかった。
彼女は初めての友人だった。
だから、お別れを伝えなければならなかった。だけど何を言えば良いのかわからなかったのだ。
「……」
呼吸が止まる。彼女を直視できない。でも、言わなければならない。ちゃんと彼女に伝えて、リサは決別しなければならないのだ。
「私ね、貴方のお父さんを――」
「わかってる。殺してくれたんでしょ?」
ナイフのようなテッサの声が突き刺さる。驚いて、思わず彼女を見つめるが、髪で隠れた表情は読み取れない。彼女は冷め切ったスープのようだった。
「ねぇ、リサ。私だって馬鹿じゃないもん。これは私の日常なの。旅人さんと仲良くなって、御飯を作ってあげて、そしていなくなっちゃうの」
テッサは自分の思いを綴っていく。でも、リサは彼女が何を伝えたいのか全くわからなかった。
「仲良くなった旅人さんは、いつの間にかいなくなっちゃうの。そういうものなの。でも、七歳の時かな。目の前でおじさんが死んでたの。私の夕食を食べた後だった。誰も教えてくれない。学校なんて行ってないから友達なんていない。それに、私の周りにいる大人達は嘘ばっかり。本当に嘘ばっかり」
リサは相づちの打ち方を忘れてしまった。雨の音が激しくなる。
「でも、私の生活は変わらない。仲良くなって、御飯つくって、いなくなるの。その繰り返し」
彼女は振り返る。それは満面の笑みだった。
ゾッとするほどの笑顔で、眼を反らしてしまう。
リサはわかってしまった。最初から欠けていたことを。どんなときでも笑えてしまう。悲しいことがあっても、笑えてしまう。ずっと無邪気でいれてしまう。
あの無垢な表情には大事な何かが欠けていた。いや、欠けていたから無垢だった。
「でも、今回は違った! 貴方が帰ってきたっていうのはそういうことでしょ? リサはお父さんを殺した。なんとなくわかるもん。でも、気にしないで。私は気にしてないから」
テッサは最初に会った時から、歪んでいたのだ。
この生活を何度も何度も繰り返して、壊れてしまった。気にかけてくれる優しい人が誰もいなかったからかもしれない。母親の意志が埋め込まれたからかもしれない。
彼女の心は歪で、大切な部品を失ったまま、稼働していた。
「ねぇ、私もリサと一緒に行っちゃダメかな? こんな田舎からさっさと出て行きたいの」
何があったのか、全て知っている。その上で彼女は笑っていられる。そして、どんな旅行をしようかと、嬉しそうに夢を膨らませていく。
「昔からね、旅人さんに憧れてたんだ。土産話をいっぱい聞いて育ってきたから!」
必死に守ってきた砂の城がガラガラと崩れるようだった。残ったのは雨の音だけ。
助けようとした彼女が一番おかしかったのだ。
「リサ?」
「……できないよ」
「どうしたの?」
「友達だから――」
気の利いた一言なんて言えるわけがない。何でも解決できるヒーローなんかじゃない。
リサは彼女を救いたかった。
でも、それは叶わなかった。心の底から歪んでいるものは、リサでも元に戻せない。強大な力を与えるられる。大抵の傷だって治せる。それでも治せない。
「連れてかない」
「えー、駄目?」
彼女は誘いを断られた子供のように、口をすぼめて、頬を膨らませる。眼を合わせることなんてできなかった。
リサはその場から逃げだすしかなかった。窓から飛び出して、通行人が誰もいない朝の街道を駆け抜ける。外は雨だった。びしょ濡れになって構わない。
能力を酷使して、身体が思ったように動かなかった。脚がもつれて、大きな水たまりに倒れて込んでしまう。
現実が嫌だなんて絶対に言わない。でも、テッサを連れていくなんてできなかった。
それでは助けた意味なんてない。
でも、助けた意味なんてなかった。
「ああああ!!」
降り続ける雨が腹立たしい。空に向かって雄叫びをあげる。
誰かを救うために得た能力で、全てを救えるわけじゃない。
「なんでよ! なんでなんでなんで!」
泣いてなんかいない。泣いてなんかいない。泣いてなんか。絶対に泣かない。
全部受けとめる。吐き出さない。そう決めたんだ。
神様はきっと人間じゃない。リサはずぶ濡れになるしかなかった。
*******
私はこれからどうなっていくのだろう。
ガタンゴトンと列車が揺れる。
リサは外を見つめて、ぼーっとしてしまう。小学生に入る前は、電車から見える風景が好きだった。なのに今は全く気持が盛り上がらない。くすんだ景色があっという間に移り変わっていく。
大陸を横断する長距離列車に乗っていた。帝都リオンまで一日では移動できない。あの雨の街を出て、数日経過した。なのに、数時間前の出来事に思えてしまう。
「……なんでよ」
四人組のボックス席に座っている。前の席に座るスーは、独り言を呟いたリサへちらちらと視線を投げかける。分かっているけれど、それに答えてあげる余裕はなかった。
リサ以外の服装は黒の色で統一されていた。レイはパンツにレザージャケットを羽織り、ハンチング帽で狼の耳を隠していて、メアはワンピースを着ている。スーが買い集めてきたものだった。
みんな黒を基調とした洋服で固められている。まるで喪服だ。スーのメイド服も白の配色は少なめで、ボックス席には黒ずくめの三人と真っ白なリサが一人。嫌でも目立っていた。
あの後、三人と合流してから、リサは放心状態でほとんど無意識だった。スーに言われるがままで、良く覚えていない。思い出したくもなかった。
旅客用トラックに乗って数時間、駅について魔導列車に飛び乗った。彼等にスーの命令を聞くようにしておいてよかった。スーが上手く二人を引き連れてくれた。
リサのモヤモヤは冷たくて固く、碇のように身体の奥底に沈んでいく。
「お姉様、これ面白そうですよ」
駅で情報収集の為に買ったパンフレットを片手に、スーが寄ってくる。励まそうとして、無理に話題を出しているのもわかっていた。
「スー、ごめん。今は笑ってられないや」
じっと見つめるスーの頭を撫でる。
笑えなかった。フードを深く被り、世界の情報を遮断して、列車の窓に頭を預ける。振動が頭に直接当たり、決して居心地が良いわけではないが、構わなかった。
「こんなのは最後にするからさ……ちょっと寝かせて……」
師匠に馬鹿じゃないかと言われてしまうかもしれない。わからない。何が正しいのかわからなかった。
化物共を連れて向かうは世界の中心部の一つ。そこから隠されたものを暴き出して、さっさとあの管理人を見つけ出してやる。
リサは自分の目的を果たすだけ。それしかなかった。