GENE3-14.神様のイタズラ
この夜の闇の底を、じっと見つめていた。
舞い降りる雨は、まるで観客のざわつきだった。舞台の主役は復讐の鬼。追いかけられるは因縁の兵士達。
惨劇の幕が上がる。夢のような現実の世界。レイはまるで霧のように形を失って、美味しそうに彼らを襲っていた。
水滴の音を切り裂くような悲鳴が上がる。それはビリーのものだった。
「やめろー!! やめてくれー!!」
大柄な彼は脚が遅く、最初に黒いモヤに捕まってしまう。形のない闇が彼を包み込む。
黒いガスは型に押込められたように、形作られていく。現れたのは尖った爪を持った巨大な手だった。
宙をフワフワと浮いている。まるで手品師の白い手袋だけが実現したようでもある。
流れるような動作で、ビリーの両足を二本の指で摘まみ、そのまま陽気に振り回す。そして、お手玉のように宙に投げてはキャッチを繰り返した。
「やっ、やめてくれ……」
そして、巨大な手が消えた。彼が地表から三メートルほどの高さに達して、ゆっくりと滞空して、落ちてゆく。
「うわあああああああああ」
彼は驚愕した。自分を受けて止めるのは、怪物の手の平ではなかった。それは真っ白な牙が生えた、黒狼の口だった。地面から狼の巨大な頭だけが生えている。それは生温かく彼を受けとめて、かみ砕く。周囲に鮮血が飛び散った。
一人が口の中に消えて、狼の頭は捕らえようのない黒い霧に移り変わっていく。
その姿は全てを飲み込んでしまうようだった。これまで何も食べていなかったのだろう。しかし、彼は一目散にパクリと食べない。相手に最大限の恐怖を与えるように、いたずらに、唐突に、そしてジットリと、逃げ惑う獲物を襲っていく。
また一人、噛み千切られた。今度はアドルフだった。肉片が飛び散って、血が流れだし、命の灯が消えて、レイは他の獲物を探し出す。
どう猛な化物は夜の街を駆け回る。
獲物達の上げる悲鳴は、町の人には聞こえない。そういう仕様にしていた。
鐘楼の天辺からリサは、眼下に広がる悲劇を見下ろす。
吹き抜けの部屋の大きな窓に腰掛けて、両脚を外にぶら下げていた。横にはスーが座っていた。
「――ほんとに神様みたい」
彼等の声を聞きながら、煙草に火を付ける。
舌先はチリチリと刺激され、胚は煙で満たされて、咳き込みそうになる。どうしてこんなものが吸われているのか、リサは疑問に思ってしまう。その味はよくわからなかった。
「お姉様、お姉様は」
「私が何っ!?……ごめん……スーに言ってもどうしようもないのにね」
「あの人達はお姉様を殺そうとしたんですよ?」
「知ってる」
自分でもわかっている。
あの時の決意は揺らいでいない。
それなのに、どうしてこんなにもスッキリしないのか。
「スー、私は――」
「お姉様はあの子を救いたかった。これから必要になる力を手に入れたかった。一直線に突き進んでいます……ねぇ、お姉様」
スーの声が大人びる。はと目が覚めたように彼女の方を向く。いつもスーと一緒だったのに、ここまで真剣な表情をしたスーは初めてだった。
「一つだけ言わせて下さい。お姉様がお姉様だからこそ、私達は私達でいることができるのです」
スーを無言で見つめてしまう。でも、そこに答えはないのだ。答えは自分の中にある。全て私が決めるしかないのだ。
「お姉様は迷ってはいけないのです」
「……うん、そうだね」
スーはまるでお姉さんのように、横に座るリサに抱きついた。ぐるぐると頭の底で感情が渦巻いて、煙草を咥える。そして、求めるように彼女を撫でてしまう。
迷うなと言われても、無理だろうと思う。
でも、スーの言葉は決意させるに十分すぎる思いが含まれていた。
空の一点を見つめながら、ゆっくりと煙を吐いて、気持ちを切り替える。みんな喜ぶハッピーエンドなんて思いつかない。でも、スーのおかげで心はどこか落ち着いた。
「――お姉様、聞いてもいいですか?」
「何? いいよ、何でも聞いて」
「あの人は何を望んだのですか?」
「直接は聞いてないんだけどね。多分、のんびり暮らしたいとかじゃないかな?」
「あれがですかっ!?」
「でしょ? 笑っちゃうよね」
レイの願いは平穏だった。彼の過去を知っているリサだからわかる。彼はそれだけを願っていた。なのに、ずっと叶わなかった。
彼は戦争で全てを失って、やっと新しい家族が出来て、また失った。
実験で弄ばれて、逃げだして、殺されかけて、この街の裏側で叫び続けていた。
だから、彼は邪魔するものを弄んで、虐めて、喰らい尽くす。自分の運命を呪うかのように、障害物を切り裂いて、引き千切って、離さない。
平穏を求めて、鬼になる。彼はきっと逃がさない。とても矛盾している一匹の化け物だった。
「暗闇の中の平衡者とでも言えばいいかな? ネーミングセンスは、やっぱりエアさんの影響受けちゃうね」
「どんな能力だと思いますか?」
「まるでお化けだね。黒い何かが動いているようにしか見えないけど……」
その姿はまるで黒い霧だった。対象を霧の中へ連れ込んで、食い散らかす。闇の中から、牙や爪が飛び出して、彼等に最大限の恐怖と苦痛を与えていた。
残された獲物は二,三人。あと数分で惨劇が終わる。
背後から声が聞こえた。きっと彼女が起きたのだろう。
「これはどういうことなの……?」
テッサの目が覚めた。今は母親の方だ。鐘楼の鐘の横。直径三メートルほどの術式陣の中で寝かせていた。プログラムした内容は大量の世界の断片の収縮だ。
振り返らずに、煙草を持った手で神子術式を描く。煙草の火の軌跡が暗闇に残り、床に書いた術式陣が起動した。
「ああああああああ!!」
リサ達のいる一室に、彼女の声が響き渡る。
二人を分離させる準備だ。まず、テッサの身体に対する母親の命令権を奪っていく。
リサはずっと外の光景を眺めていた。親指で引っかけて、煙草の灰を落とす。飛んだ火の粉は雨に当たって消えた。
背後で彼女の金切り声が途絶えた。声帯も使えなくなったようだ。
煙草を咥え直して、ようやく彼女の姿を見る。彼女は眼だけを動かして、リサにアイスピックのような鋭い視線を向けていた。
「貴方だけは殺さない。でも、貴方にはとても酷い目にあってもらう」
彼女も一匹の化物だった。そんなにいっぱい食べたいなら、そのお願いを叶えてあげよう。
一般人じゃ耐えきれない。だから、人としておかしな人が必要だった。世界の隅で生きる、馬鹿なことをしている人が必要だった。狂っていないと、これからの旅路につきあえない。
歩み寄って、彼女のこめかみに手を添える。その身体にアクセスして、埋め込まれた殺生石を取り出していく。
彼女はもう眼球さえ動かせない。
怒りで震えていた身体が、次第にゆっくりとした呼吸になっていく。
テッサの身体は深い眠りの状態に写っていく。幸せそうな寝顔、本来の彼女らしい表情になる。完全に母親と娘を分離したのだ。
「テッサ、ごめんね」
母親は完全にこの石に封じ込めた。抜き出した殺生石はずっしりと重い。そう感じてしまう。
「これでもう大丈夫。テッサはちゃんと一人で生きていける。もう誰にも邪魔されない」
そして、この殺生石をどうするか。リサはスーの方を向いて、にっこりと笑いかける。
スーは苦笑いしながら、ほんの少し後ずさりをした。
「スー、その隠しているやつ出して」
「え!? なんのこと言ってるんですか?」
「隠しているの無駄なの、知っているでしょ? いいよ、怒らないから。隠しているのはこの前の魔物?」
「えっえーと、はい」
「ずっと服の下に隠して! 早く言いたくてしょうがなかったんだから!」
スーがスカートを両手で摘まみながら振ると、ぼたりと緑色のスライムが現れた。やはり見覚えがあった。戦車の上でランチを食べたときのスライムだ。相変わらず毒々しい緑色をしていた。サッカーボール程の大きさで、よく服の下に潜り込んでいたのだと、感心してしまう。隠し切れていなかったけど。
「お姉様の初仕事の後ですね……。いつの間にか荷物に紛れていたみたいで、気付いたら一緒に街に入ってました。街中だと魔物だから退治されちゃうし、駄目って言ったんですけど、どうしても着いてきちゃって。お姉様の言うとおり、餌をあげたのがいけなかったみたいです……」
あの時の一食でここまで来るとは、とても強い執念だ。いや、食欲だろうか。
「いいよ、問題ないって。こうやって必要になったし。スー、テッサをどけて貰ってもいい?」
外は雨の音だけになっていた。下の惨劇も終わったようだ。
「レイちゃん! こっち来て。新しい子ができるよ――ひっ!? もう驚かせないでよ」
声をかけると、レイは音もなく背後に現れる。感じ取れた気配は皆無だった。肉食獣らしい狩りに適した能力なのかもしれない。
「――よしやるか」
世界の酸いも甘いも全て丸呑みするつもりだった。
このゲームを終わらせて、全部引き受けて、最後に醜い力を全部飲み込んでやる。
能力を発動して、持っている殺生石と魔物を掛け合わせた。
目の前のゲル状の球体が真っ白な繭に包まれる。そこに殺生石を加えると、その繭はゆっくりと大きくなっていく。
そして、緩やかに白色光が落ち着いて、出てきたのは大量の緑色の粘液が、地面にばしゃりと広がった。
「終わったみたいね」
そして、ゆっくりと人型になっていく。
身長は一・二メートルほどだった。粘性のある塊が、徐々に明確な身体へと変化していく。液状のドロッとした身体が、キッチリとした美しさを放ち出す。そして、フィギアに塗装するように、一つ一つのパーツに色がついていく。
粘液体の緑色の肌が明滅して、真っ白な肌になる。境界線のなかったのっぺりとした髪が、繊細な金色の絹糸のような髪の毛に変わっていく。
さらさらとした金髪が腰元まで伸びていた。テッサの面影が少しだけある。彼女の母親の影響だろう。
整った顔立ちなのにトロンとした目付きをしていて、口を開閉するが、なかなか音がでない。
「あ……あ……」
「貴方の名前は?」
「メ…ア…?」
「貴方の願いは?」
「ご……ごはん……」
「うん、よろしくね。メア……。これから御飯食べに行こっか……」
リサは幼いメアに向かって、優しく微笑みかける。メアはまったりとした表情で、自分の手を握って、開いて、その動作を確かめていた。
「随分可愛らしくなりましたね!!」
スーは持っていたレインコートを裸のメアにかけて、嬉しそうに抱きつく。頬ずりをしながら、メアの頭を撫でていく。
「むううー!」
被せられたレインコートを力なく掴んで、メアは鬱陶しそうに顔を振る。その動きはのんびりとして、新しい身体になじめていない。今はきっと魔物の人格の方だろう。
そう、それだけじゃない。
スーに抱きつかれたまま、メアの目付きが鋭くなって、妖艶さを放ち始めた。
それはもう一人のメアだった。目の前の小さな身体には、二つの意思が存在している。
彼女は自分の身体が何でできているかを瞬時に理解して、噛みつくようにリサを見た。純粋な殺意を突きつける。
「――殺してやる」
リサは睨み付けられて、しっかりと睨み返す。そのスライムに近づいて、さっきと同じように優しく微笑み返した。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!」
「いいよ。できるならね」
「あああっ!」
宿主を傷つけることは出来なかった。スーの腕の中で暴れて、リサに向かって拳を振るが、決してリサには届かない。自分の身体で自分を傷つけることはできない。メアの身体はリサの身体でもあった。
そして、その身体は呪いだった。
まるで魔女の魔法によってカエルに変身させられたように、テッサの母親はメアの身体に縛り付けられた。いや、彼女もメアになってしまった。
その神様のイタズラが解けるのはいつになるだろう。
ばたつくメアを見ながら、リサはゆったりと煙草を吸いながら考えた。煙はのんびりと宙を登っていた。
「ちょっと貴方! 離しなさい! 離しなさいったら! ええい、もう!!」
「駄目ですよ、メア。じっとしてなさい! お姉様! まさかこの子も一緒に連れて行って良いんですか? ありがとうございます!!」
「だから! やめなさいといってるでしょう!」
暴れるメアを全く気にせずに、スーは眼をキラキラと輝かせて抱きしめていた。その腕の中でメアはもがき続けた。
スーから絶対に逃げられないと観念すると、メアは項垂れたまま、わしゃわしゃと撫でられる。
「お姉様、お腹空きましたでしょう? 早く御飯食べましょう!」
「このちびっ子! だから離しな……ごはん……ごはん!!」
メアの人格がいきなり切り替わる。どうやら意志の強さによって、どっちの人格が表にでるか決まるらしい。娘を縛り付けていた人が、荒野の最下層の生物に縛られていた。
「じゃあ、そうしよっか」
「うおーー!」
元気よくメアは返事をする。とろっとした振る舞いで嬉しそうに両腕を突き上げる。
吸い殻を地面に叩きつけて、簡易術式で燃やし尽くす。これから今夜の片付けをしなければならなかった。リサは溜息をついてしまった。
「無理しすぎですよ、どれだけ力を使ったと思ってるんですか?」
リサを背負おうとするスーを止める。意識を失って途中で投げ出すなんて、絶対にしてはならない。何故だかスーは残念そうな顔をする。
床に寝ているテッサは、ニンマリと笑いながら寝息を立てていた。幸せな夢を見ているのだろうか。このままでいて欲しかった。
起こさないように慎重にテッサを抱きかかえる。
何もなかったかのように、今夜の証拠は全て消さなければならない。街中の惨劇の跡、術式陣。抹消しなければいけないものは多かった。
「とんだ悪党になっちゃったな」
夜空が明るくなってきた。雨はずっと降っていた。
リサは鐘楼から飛び降りて、音を立てずに着地した。
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こんばんは、スーです。今回紹介するのはレイの能力です。
「暗闇の中の平衡者」
願いは平穏なんですが、だいぶ捻くれてお前等全員同じような目に合わせてやると思っています。
彼の境遇を考えますと、そうなるのも頷けます。研究所で実験動物として生き、逃げれたと思ったら軍人に殺されかけ、下水まみれで独りぼっち。弄ばれて、死にかけて、彼が何を考えていたかはとても気になります。
ともかく、その結果、彼の力は非常に残虐性溢れたものとなっています。弄んで、虐めて、焦らして。恐怖を与えることに特化している能力です。
自分の形態を変化させることは、自らの次元を薄めることで可能にしているという、よくわからない原理ですね。そのため、相手に合わせて形状変化、瞬時の高速移動ができるようになっています。