GENE3-13.宴の始まり 何かの終わり
街の中心部。見上げると鐘楼がそびえ立つ。もう外は真っ暗で、街灯がボンヤリと霧雨を照らしていた。テッサの家の外見は始めて見たときと変わらない。
けれど、リサ達は大量の蠢く気配を察知していた。
「スー、準備して」
「本当によろしいのですか」
日が沈んで、雨はいっそう冷たかった。
「スー、いいの。私の命令は変わらない。あの屋敷を出たときから、さっさとゲームを攻略しようって決めてるの。こんなことでいちいち立ち止まってられないの」
スーはこくりと頷いて、バックパックを開いた。
レイは着いてきているが、ずっと無言のままである。指示に強制的に従わされた彼は、リサを噛み殺すような眼で見つめていた。
「期待してるよ、レイちゃん! 私に着いてきて、そのまま合図するまで待機」
「……」
苛立つ彼を無視して、リサはしっかりと息を吐いて、ランからの餞別である指輪の一つをスーから受け取った。黒ずんだ銀色を右手の人差し指に着けて、スーやレイと目配せをする。
大がかりな準備が終わり、墓場に向かう兵士のような気持ちで、テッサの家のドアを叩く。
元気よくテッサが飛び出して、リサに抱きついてきた。彼女は何も知らない。リサは自分を装って、受けとめるしかなかった。
「リサ、スーちゃん、どこ行ってたの? 最後だからゆっくりして行けば良いのにさ! ほら、最後だから! 今夜はさよならのパーティーだよ!」
「……ごめん! テッサ! ちょっと用事があってね。でも、そんなことまでしなくていいのに」
「そう言われるとしたくなるものなの」
抱きしめていたリサからのけぞって、テッサは満面の笑みになる。最後の夜だからなのか、彼女はいつもよりも活発で、金色のおさげが元気よく跳ねる。
「気にしないで。今日は仕事もなかったし、暇だったの。スーちゃんも早く早く早くっ――どうしたの? ここ数日、ずっともじもじして。可愛い-! やっぱり服の下に何か隠しているでしょ? 何? 何を隠してるの? お姉さんに教えてよ。リサには内緒にするからさ」
それを聞いて、スーは驚いて飛び上がる。
「ななな、何を言ってるんですか!? お姉様の前で変なこと言わないで下さい!」
「わー、怒られちゃった。ごめんね。でも、お礼に美味しいもの作ったから!」
リサは笑いそうになってしまう。テッサはスーと仲良くなろうと根気よく話しかけいた。スーはもう拒絶するのが面倒になって、仕方なく話に応じるようになっている。
こんな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまった。
リビングの雰囲気は華やかだった。
テッサはずっと今夜の送別会の準備をしていたみたいで、部屋の隅々まで飾り付けがされていた。染み一つない赤に白い水玉模様のテーブルクロス。ピンク、白、紫のバラのような花を中心に、それぞれの席に磨かれた銀食器が置いてある。
「いいよ、手伝わなくて。主役なんだから座ってて!」
テッサに無理矢理座らされてしまう。
キッチンから次々と料理が運ばれてきた。どれも時間が掛りそうな料理ばかりで、机に収まらないほど並べられていく。
「食べ切れるかな……」
「でしょう? 今日は頑張ったんだよ? リサって御飯の前にどこか寄ってるでしょう? いつも量が足らないの知ってたんだよ? 今日は思いっきり食べていいから! そして、味も保証します。腕によりをかけてます!」
自分の料理が褒められて、テッサは嬉しそうに笑っていた。胸の前で小さなガッツポーズをする。
「ほら、食べよう! 三人で仲良くしなって、お父さんは外出しちゃった。お父さん、仕事以外じゃほとんど喋らないし。あの人が空気を読むなんて、私驚いちゃって。今度、お礼に何かプレゼントしようかな。リサ達が家に来てから、私本当に楽しいの! 今日が最後なのは哀しいけどね」
「……テッサ」
リサは口を開いたが、つぐんでしまう。
「湿っぽいのはやめようよ! リサ達にも私にも似合わないよ。そういう柄じゃないでしょ? 私達。 だって、もう会えないわけじゃないんだし!」
「うん、そうだね」
「――ごめん、そんな無口にならないで。哀しい顔しないでよ。ダメ! ダメダメ! 私まで泣きそうになっちゃう。ああ!! 調味料とってくるね」
彼女はその場から逃げるようにキッチンへ向かう。
テッサが見えなくなって数秒後、静電気のような小さな刺激が大気を伝達する。
「お姉さま?」
スーに見つめられて、黙ったままリサは頷いた。声に出さずにアイコンタクトで指示をする。
そして、テッサはお盆を抱えて戻ってきた。表には色とりどりの調味料。赤、黄、緑と実にカラフルだ。小さな取り皿はピンクの花柄で可愛らしい。
しかし、それだけじゃなかった。
テッサとはもう言葉を交わすことができない。わかってしまう。敵意には嫌になるほど敏感だった。
お盆の裏には小さな注射器を隠していた。見えないように向けられている毒の牙。
もう彼女ではない。リサと喋っていた少女はいなくなってしまった。そう、発している雰囲気も、その足取りさえも、じっとりと重いものに変わる。纏っている世界の断片の量も桁違いだ。
正体は知っていた。不審な点はいくつもあった。それをつなぎ合わせると一つの事実ができあがる。知りたくなかった。でも、わかってしまう。世界を変える権限を与えられたリサは、眼を反らしてもわかってしまう。
「こうやって話すのは初めてですね」
「どうしたの? 急に!? そんな――」
「ねぇ、演じても無駄ですよ」
眼が見開いた。彼女は全身を強ばらせたが、すぐに硬直は溶ける。
嘘で固めた少女のような仮面が消えて、本来の彼女らしい艶やかな空気を放ち出す。
テッサの記憶消失。その母は強かったレーベだった。そんな彼女が死んでしまった。社内でのテッサに対して怯えた乗客達。アドルフの娘に対する強烈な隠し事。この荒野には亡霊がいるという記憶。
いくつもの情報が全て俯瞰で見えてしまう。この世界の住人とは、得られる情報の次元が違う。
ゴミ箱の底の真実なんて、簡単にわかってしまう。
「――テッサのお母さん」
テッサの母は、娘の中で生きていた。この荒野で狩りを続けている。
彼女は小さく息を吐いて、微笑する。あのお転婆な笑顔が消えて、色気のある女性になる。外見は全く同一だとは思えない。それほどの変わりようだった。
「――どうしてわかったのかしら」
「そんなこと言っても、しょうがないじゃないですか。いくつか聞きたいことがあるんですけど」
「ああそう?」
テッサの眼に光が宿る。スーが小さな悲鳴を上げた。
まるでヘビに睨まれたカエルのように、その場に縫い付けられたように動かなくなった。
「困った子ね。子供は素直でいるのが一番なのに。ほら、出てきなさい」
彼女が合図すると、家の陰に隠れていたアドルフ達が入ってきた。ビリーや、旅客用トラックにいた乗客達も何人か混じっていた。
綺麗に装飾された部屋が、革靴にこびり付いた泥で汚されていく。ビリーが真っ先にリサの元へ来て、両腕をきつく縛りあげた。
「よう、あん時は世話になったな……なんだ? 全く声をあげねえな、お嬢ちゃん。面白くねえ――」
「っ!?」
そして、脂ぎった手でリサの頭を掴むと、そのまま机の上に叩きつけた。
頭に温かいスープがかかる。料理は湯気を発したまま、ぶちまけられた。スプーンやフォーク、食卓を彩っていた花が床に散らばった。
それを見て、リサは何も言えなくなってしまう。
「やめなさい」
命令され、ビリーは舌打ちをしてリサに向かって唾を吐く。リサはそれを見つめるしかなかった。
ぐしゃりと床に落ちた花を踏みしめて、彼女はリサの耳元まで顔を近づけた。優しい声を装って、首筋を撫でるように話し始める。
「わかったかしら? 貴方は最初から狙われていたの。私の前に現れた時からね」
そのまま、彼女に持っている武器がないか探られて、
「良いものを持ってるじゃないの」
ポケットに入っていた黒い立方体を取り出された。
「ねぇ、それは一体なんなの?」
「知らないの? あの地域出身じゃあ、知らないわよね。いいわ、教えてあげる」
うっとりと頬を歪ませて、まるで宝石を見るかのように、彼女はその黒塊を天井の照明に当てた。そのどす黒さはいつ見ても変わらない。全ての光を飲み込むよう漆黒だった。
「これは殺生石。私がこの子の中で生きられるのも、これのおかげ」
彼女は自分のこめかみを指で示した。どうやらそこに埋め込んでいるらしい。
「ねぇ、これの材料は何だと思う? 血よ。粋の良い死体なの」
そして、甘いケーキをほおばるように嬉しそうに話し出す。
「傭兵として、私はこの荒野に迷い込んだ人を捕まえてきた。時折、貴方みたいな旅人が捕まるわ。そして、そのお陰で私はこうして生きていられる」
醜い石は死体で出来ていた。そう言われると納得してしまう。
どんな色も、混ぜれば黒になっていく。その黒は、何百人もの死体を押し固めてできた色だった。
「ここは私の遊び場。ゴミに群がる彼等を私が全部頂く。美味しくね。それにしても前回の仕事は一体何? 全部黒焦げ。ゴミの再利用もできないじゃない」
あの荒れ果てた野原は、彼女の縄張りだったのだ。
広いフィールドを自分の餌場として、自分の身体を失っても狩りを続けた。まるで動く死体が肉を食べ続けるように、自然の摂理に逆らったまま奪い続けた。
「でも、それでもお釣りは来るわ。高値で売れる良質な発現者。それもレーベに登録してもいない、何も知らない田舎娘。こんなに幸運なこともあるものね」
もう食卓はぐちゃぐちゃだった。
テッサが心を込めたテーブルだった。
悲哀に飲み込まれてしまいそうになる。
リサ達を取り囲む人達は、飛び散った彼女の食卓の残骸を、これっぽっちの配慮もせずに踏んでいく。父親のアドルフでさえもだ。ここにいる奴らは何も思わないのか。そんなにも得られる報酬が高いのかと叫びたくなってしまう。
ビリー達は彼女には従っているようだが、テッサに対しては思いやりなんて、これっぽっちもない。
頭蓋骨の内側が熱い液体で満たされていく。
彼女の吐息がうなじにかかる。最後の哀れみの言葉だった。
「ねぇ、貴方の聞きたいことってまだあるのかしら?」
リサの首元数センチまで注射器の針が近づいていく。その毒牙の先から透明の液体がしたたり出して、銀色の針が怪しく光る。
リサはやっと口を開いた。
「――二つ聞いていい?」
「いいわ、なんでも答えてあげる。これから死ぬっていうのに動じないの? おかしな子」
「どうして自分の娘の身体にいるの?」
「娘だから――じゃ、駄目かしら? あと一つは?」
それは単純な理由だった。激情が脳裏を駆け巡って、ギリギリと歯を食いしばる。聞きたいことは残り一つになった。
「貴方はレイブレナルト=フルーフって名前を知ってる?」
それを聞いた彼女は首をかしげる。全く予想していなかった質問が来て、上がっていた口角が元に戻る。
「誰? 知らないわ」
「そう? きっと会ったことあると思う」
「え――」
まるで閉じていたカーテンが開くように、世界は元の姿に戻ってしまう。彼女達は自分の捉えている景色が転がって、その場で倒れそうになる。
能力を解除して、机に叩きつけられていたリサが、霧のような白いモヤとなって、薄くなっていく。見せていた幻影が現実に戻る。
「なんで……!?」
教えるつもりもない。
師匠の能力を全力で行使した。《蝴蝶之夢》で虚像を創り出し、世界を簡単に騙してしまう。そもそもリサ達は捕まってすらいない。
キッチンに戻って、テッサの世界の断片の変化に気付いて、師匠の能力を発動していた。
彼等はまるでパントマイムのように、そこにいないリサと喋っていただけである。
例の殺生石だって、リサの手元にある。手の平の上でコロコロと転がしていた。第一、あんな安っぽい能力に引っ掛かるわけがない。
リサの横にはレイが立っている。彼等に見覚えがあるようだった。肉食獣特有の獲物を貫くような眼光を向けている。彼の笑っている顔をはじめて見た。彼女の顔を見てからずっと笑っているのだ。
「レイちゃん、後少しだけ待っててね」
幻影から覚めても、テッサの心を込めた準備が踏みにじられた事実は変わらない。作りたての料理は床にこぼれ、もう冷め切っていた。机を彩っていた淡い色の花は泥が付いていた。
「ご飯の準備するから」
用意していた神子術式を起動して、師匠の《蝴蝶之夢》で小さな世界を、その暗闇より黒く染め上げていく。天井の照明が消え、小さな民家が闇に呑まれていった。
「この人達にとっては悪夢だけどね」
暗黒がリサたちのいる空間を上書きして、彼らの認識を塗りつぶす。
あの人達は伝達情報の波に飲まれて、ピクリとも動けないはずだ。
夜の惨劇の幕が上がる。
スーです。こんばんは。今回紹介するのはテッサの母親の能力です。
「蛇の瞳」
効果は対象の硬直。その瞳で見つめられた相手は、自らの身体を動かせなくなってしまう。
うん、この世界の住人の場合は能力が発動できるだけでも凄いらしいですよ。
能力はプレイヤーの血筋にしか発現しません。プレイヤ―が現れて数百年経過している。遺伝形質である能力が発現するのは、非常に希少です。
そして、こういった相手の身体に直接関与する能力は、例えば師匠の二次的な能力である読心等がありますが、対象と能力者の力の差で効果の有無が決まります。