GENE3-12.私が名前を付けてあげる
初仕事から数日経て、まだ灰色の街にいる。
力を手に入れると、世界は全く異なったものに見える。
丁寧に隠されているものほど、しっかりと見えてしまうのだ。
頭の中で何回も攻略の最短ルートを描く。もうのんびりしていられない。屋敷で決意した覚悟に変わりなかった。私はリサ=トラオラムなのだと、何度も何度も言い聞かせた。
不思議なもので動き出すと、一気にやる気が出てきた。早く大きな街、帝都へ向かわなければならない。
「お姉様。アドルフ達ですが、昨晩出発すると聞いて慌てて人を集めてますね。今夜何か仕掛けてきます」
「うん、わかった」
「どうするんですか?」
「彼女達の事情はわかった。今夜私たちは攻略に必要なものを手に入れる。それだけだよ」
答えは決めてなかった。
紺色のレインコートを着たスーは、そのフードの中からリサをじっと見つめていた。
「予定通り調べ物は終わりましたね」
「――うん」
この世界の歴史を知った。
認識票が示す傭兵という職業を管理しているのが、八大国機関。この世界を統治する組織だ。現在、八つの国で世界を統治しているらしい。当時の核となっているのが使徒という存在であり、国の規模に比例して数人配備されている。
そして、世界の歴史について、大きな疑問が生じてしまった。
ゲームに関する情報が完全に削除されている。今も、リサの知らない四百年間も、知っている四百年以前の過去さえも。師匠達が存在した事実も消えて、当事者知らずの偉業だけが残っていた。
世界は何事もなかったように流れていた。
それも不自然すぎる程に。ランを封じ込めたプレイヤーの影が、歴史の本の上をちらついていた。今の世界を彼が支配していることは明白だった。
たばこ屋に寄り道して、今はある場所へ向かっている。
「今向かっているのは例の違和感ですか?」
「そう! 正解!」
胸のざわつきの正体を探っている。明確な形となって感じ取れてしまう。今では研ぎ澄まされたナイフのように、リサの肌に突き刺さっていた。厳重な独房から聞こえてくる絶叫のような思いだ。
それは誰かの意志だった。願いなのかもしれない。
ここ数日伝わってくるこの意志は、とても痛そうな悲鳴でもあるのに、どこか懐かしい気持ちが湧いてくる。この咆吼はどこから聞こえてくるのだろう。
「それにしても、お姉様がお吸いになるとは思いませんでした?」
「ううん、吸ったことないんだけど、ちょっと気になっちゃって」
「どうしたんですか?」
「うーん、あの人の記憶の影響なのかな――自分でもよくわかんないや」
「そういえば……ここ数日、オッサン臭い気がします」
「ええ!? 嘘でしょ?」
「冗談です!」
「もう止めてよー」
最近、スーは意地悪である。自分でもなんとなく好みに変化があった気がして、本気で焦ってしまった。
あの飲食店の近くまで来た。やはり、この周辺が怪しい。地雷を確認するように地面を踏みしめて、お店の周囲の路地をぐるぐると何周もした。
「――やっぱり、ここかな」
「はい、私でもなんとなくわかりますね……」
重々しい息を吐く。灰色の雲が空を覆っているからじゃない。これから向かう場所が問題なのだ
「どうしてこうも、私は地下へ行かなきゃならんのだ」
リサの示した場所には、真っ黒なマンホールがどっしりと構えてた。
降りると、広大な下水道が広がって、こもった濁流の音が響いている。地表から数十メートルの地点だ。兎人のトンネルとは比べものにならない、巨大な人工の空間だった。
ここはこの街の裏側。降った雨水が全て集積している。
簡易の神子術式で光源を確保して、鉄柵から体を乗り出すと、眼下には轟轟と水が流れていた。
ぬめりとした鉄パイプ。ひんやりとした梯子、コンクリートの水たまり。
脚を滑らせないように気をつけて、曲がりくねった通路を進む。作業員用の通路は蜘蛛の巣のような立体構造で、リサ達は奥へ下へと向かっていく。
「思ったより、臭わないね」
「そ、そうですね……」
「スー?」
「は、はいっ!?」
足を止めて振り返ると、スーは立ち止まって、体をもぞもぞと動かしていた。
服の下に何か隠している。初仕事の間に、町の外に出て何か拾ってきたらしい。なんとなく予想が付いていた。まるで茂みに頭だけ隠して、しっぽ丸出しの子兎だった。
「……お姉様?」
それを見て、にやけ顔になるのを必死に堪える。
どうしようもない可愛さがこみ上げくる。妹もちゃんと子供だったのだ。お姉さんはとても嬉しくて、スーはとてもいぢらしかった。指摘したいが、まだ言わない。リサの小さな意地悪だった。いや、楽しみと言ってもいい。
まだだ。そう思って、話をそらす。そのまま歩き始めると、スーは慌てて着いてきた。
「……どうしました? なんでしょうか?」
「ねぇ、スー、私たちには何が必要だと思う?」
いつものようにパタパタとリサに追いついて、スーはそのままリサの数歩後を歩く。
まばゆい光源が暗くて狭い通路を照らして、二人の影が大きく壁に映る。
「うーん、お金ですか?」
「うん、それも正解」
「あと人手ですね。どうしても二人だけだと――いや、私はこのままの方がいいです!!」
「そういうわけにもいかない。そう、人手。圧倒的に戦力が足りない。たった一人で、軍隊を相手に戦えるような人材が欲しい。ではそれはどんな人でしょう?」
「意志の強い人ですか?」
「どうして?」
「だって、意志が強ければ、それほど能力が強いですから」
私の妹は本当に出来が良い。スーに正解だと笑いかけると、嬉しそうに目を細める。
「では、もう一つ問題です。この先に何がいると思う」
「この先にですか? なんとなくですけど、亡霊でしょうか?」
「うんうん」
「本で読みました。強烈な怨念を持って死ぬと、死にきれずに幽霊になると」
「ほとんど当たり。スーは賢い!」
スーは首を傾げて、リサを見上げる。
彼女の目に何か写ったのかもしれない。
「お姉様は何がいると思っているのですか?」
「うん、さっき確信を得たけど、たぶん知ってる人……。これだけ強い意志を発していると、ここにいるって嫌でも気づいちゃうね。死んではないと思う」
モーゼスの未練に腕を引っ張られるように、心のざわつきが強まる方へ足を動かす。金網の下をくぐり抜け、配管をまたいで、水路を飛越える。
下水特有の腐敗臭が鼻につく。
雨の街の水たまりの底にたどり着いた。ゴミが散乱して、それを餌にする蟲が群がっている。リサ達の光と足音に反応して闇の中に消えていった。
「やっぱり……」
その暗闇の先に彼はいた。
世界に取り残されたように朽ちていた。この街の底で、彼は叫び続けていた。恨み続けていた。
運命に対してかもしれない。狂わせた人達に対してかもしれない。地表にまで届くほどの、声にならない絶叫を発し続けていた。
生きているのが不思議なくらい体は崩れている。腕、胸、脚は縫い目に沿って蛆が湧き、ピクリとも動かない。体組織はもう死んでいた。
なのに眼だけが爛々と光っている。死の瀬戸際が近づくにつれて、体が腐敗する過程の中で、その光だけが強くなっていた。
リサはその姿から決して眼を逸らさない。
彼の名前はモーゼスの記憶から教えてもらっていた。
「こんにちは、レイヴレナルトさん」
レイヴレナルトはモーゼスと共に戦争を生き抜いて、共に帰る場所を失って、戦火の跡に散らばる人達をまとめ上げた。モーゼスの家族同然の存在だった。
そして、あの草原は一時的に平和になった。あの殺伐とした場所に平穏が訪れたことがある。
平穏の中で草原のコミュニティは大きくなって、国に依存しない住処に成長しようとした。
しかし、それは短かった。
この街の傭兵の襲撃を受け、何人か返り討ちにしたものの、彼は捕えらえてしまう。
彼はいなくなって、統率できる存在が消えて、緑の野原は悪党共の巣窟になった。
まるで見てきたように語れてしまう。モーゼスの記憶を取り込んで、その時のやるせなさまで思い出してしまう。
その彼が目の前にいる。名前はレイヴレナルト=フルーフ。
巨大なパイプに寄りかかり、下を向いていた。光に照らされて、ぼろ切れを纏った醜いからだが露わになる。筋肉はしなび、脂肪は腐臭を発して、周囲には蠅がたかっていた。
その面影に、記憶の中で見た以前の姿は全くない。異常に発達した二本の腕が取り付けられて、口だって本来の自分のものじゃない。悪趣味な実験で生まれた合成獣だった。
気高い狼の耳だけが変わっていない。
リサは懐かしい友人を見るように、彼に話しかける。
「これ知ってるでしょ」
モーゼスから受け取った魔核銃を見せた。
持ち主である彼は、ギロリと眼だけを動かした。スーは怯えて、リサの後に隠れてしまう。
「きっと貴方はおかしくて、正気じゃない」
リサは彼が狂っているなら、それで良かった。
「――だから、助けてあげる。私は貴方が欲しい。それにあの人に頼まれたってのものあるけど」
この世界を壊す。それを決めてから、ずっと仲間が欲しかった。
いや、仲間なんて生易しいものじゃない。共犯者と言う方が近い。
だから、まともな人間では駄目だった。
極度に病的なもので体を満たし、極限まで高められた異常さを身に纏い、極端に研ぎ澄まされた意志を持つ。
世界はきっとおかしな彼らを殺そうとする。それは当たり前のことだった。望まれないものだから。
しかし、世界から淘汰される化物を、リサは受け入れる。その力が欲しかった。
「貴方は選ばれました。私は神様みたいな存在です。自分で言うのはちょっと違うけど」
彼はしっかりと聞いていた。リサの意志は伝わっている。そう感じて、彼の耳元まで顔を近づけて、そっと彼を抱きしめた。
力を込めると、彼は崩れてしまいそうだった。
頬に顔を寄せて、彼の頭に手をのせる。
「貴方は何を望んでいるの?」
たった一つの疑問を投げつけて、消えかけた炎を大きくして、新しい蝋燭に火を移す。
リサは能力を発動させた。
体の内側から創り替えて、彼の願いを実現できるように、想像を広げた。そして、朽ちた体は真っ白な繭に包まれる。
一歩離れて、その様子をじっと見つめる。すると、その繭の中から異物を吐き出すように、一つの物質が飛び出してきた。聞き覚えのある金属音が響き渡る。
「またこいつか……」
例の真っ黒な立方体だった。握りつぶしたくなってしまう。
拾い上げた黒い物体に向けて、恨み言を言いたくなるが胸にしまって、それをポケットに突っ込んだ。
小さな溜息をつくと、白い繭が崩れ始める。彼が生まれ変わった合図だった。
光の卵から生まれたのは、悲壮感を帯びた男だった。身長は一・八メートル、黒髪に口を覆う無精髭。目だけが爛々と光っている。そして頭には気高い狼の耳。プレイヤーと獣人の掛け合わせてできた、スーと同じ半獣人。纏っていたぼろ切れをマントのように羽織っている。
彼の叫びは、こんなに大きくなって、リサの元まで届いてしまった。そして、実験動物として扱われていた彼は、本当の怪物に生まれ変わったのだ。
絶対に切れない血の契約でがんじがらめに縛り付けて、名前のない怪物に名前を与えてしまった。
渋い声が発せられる。重く、鈍く、殺気に満ちていた。
「――お前は誰だ?」
仲良くなるつもりはない。そう伝えるように、リサは表情を消した。
自分の気持ちを凍てつかせて、カツカツと歩み寄り、体を乗り出して、彼を睨み付けた。
これは、お願いではなく、命令だった。
「初めまして。私はリサ=トラオラム。私が助けたのはただの気まぐれ。貴方の昔の友人にお礼を言ってね」
そして、彼の眼から発せられる鋭い眼光を、瞳の中に飲み込んだ。
「これから私の言うことを聞き逃さないで――」
そもそも彼に拒否する権利などなかった。これは仕事関係ではない。友人関係でもない。主従関係でもない。宿主と寄生者の関係だ。
「私が飼ってやる」
「あっ!?――」
宿主のリサなしには、彼は生きることはできない。そして、リサに刃向かうことはできない。
「ほら、無理だってわかるでしょう?」
彼の腕がリサに向かって伸びる。しかし、振り上げて止まってしまった。
まるで見えない手に掴まれたように、自らの本能で身体が縛り付けられるのだ。彼の身体はリサの身体でもある。宿主には決して逆らえない。
「――よし!!」と笑顔になって、普段通りの息遣いになる。
「では、もう一人のメンバーの紹介です。仲間のスーです! 私たちの妹だよ。貴方の名前を、貴方の口から教えてもらって良い?」
「……レイブレナルト=フルーフ」
「長いね。名前を変えよう。レイちゃんにしよう。そして、フルーフという名前はもう使えません。貴方の名前はレイ=トラオラムです。ちょっと噛みそうだけど」
彼はじっとリサを睨んでいた。力関係が逆転してしまったら、リサは一瞬で噛み殺されてしまうだろう。針のような殺気は肌に刺さり、想像に難くない。
「名前も変える。一種の契りのようなもので、血の契りを確固たるものにする呪いだ。ともかく私について来い。私が場所をつくってやる」
捨てる命もあれば、拾う命もある。スーもリサの後から、おずおずと顔をだして、ぺこりと頭を下げた。
「――はい、注目!!」 と陽気溢れるリサの声に、二人の視線が集まった。
「もう一つのやることが残っています。もしかしたら、レイちゃんも関係があるかもしれないと私は予想してる」
スーの耳が直立する。それに向かってしっかりと頷く。アドルフ達の不審な動きは、日に日に目立ってきた。隠す気がないのだろうか。警戒しているリサ達に全てバレている。
「テッサの家へ行こっか。向こうも待ってるはずだから」
何故か笑ってしまう。 嬉しくて哀しかった。
「――レイちゃんのお披露目会だね。ああ、これ返すよ」
リサは銃をレイに渡す。これで約束は果たしたのだ。
そろそろ夜になる。闇に紛れて、彼女達は動き出した。