GENE3-10.それでも腹は減ってくる
「――と言うことで、面白い物を手に入れました!」
「お姉様ぁ!」
「ちょっと。どうして抱きつくの、スー?」
初仕事が終わり、街に戻ってきた。仕事の報酬を片手にお店で一息ついて、スーと一日の報告とミーティングをしている最中だった。
向かい合って座るスーが、机を回り込んで抱きついてきた。
まわりの客は何があったのかと、リサ達の方を向く。しかし、スーの殺気を込めたビームのような眼光で一括されて、彼等は自分のテーブルに視線を戻す。
「スー?」
「すっすいません。でも、ケンカは売ってませんよ?」
「いや、騒ぎを起こさないなら良いんだけど」
「それよりも、お姉様は大丈夫ですか?」
「大丈夫って言われねぇ」
スーは見逃すまいと真剣な眼差しだ。もうこの状態だと言いつくろうことはできない。スーにはいつも心配させてしまう。
「私の中身は変わらない、年相応の女の子のまま」
「もう女の子なんて誰も呼べませんよ?」とスーに苦笑いされてしまった。
人が息を引き取る様子をずっと見ていた。初めてだった。目の前で燃えていた火が、雨に打たれてゆっくりと消えていく。そして、その人の人生を丸ごと覗いて、死を看取った。
彼は人として死んだ。しかし、重ねてきた悪業は消えない。
それと確実に言えるのは、彼の嫌がらせはリサの心に重くのしかかっている。
「でも、成長はしてます。私はお姉様の全てが見えるんです」
「ありがと」
「そうだと良いね」と自分の椅子に戻ったスーへ微笑む。
「まぁ、明確な線引きは必要だと思いますけどね。どこか煮え切らないお姉様も素敵です」
少しだけ悪趣味な妹の、スーは嬉しそうに一口大に切り取ったケーキをほおばった。
机の上には所狭しと、色とりどりのデザートが並べられている。やけ食いしたい気分だった。それに力を使って、とてつもない空腹に襲われていた。
「あのときのお姉様も良かった……」
「それってナイフ突きつけたことを言ってる?」
そうですよと、初めて甘いケーキを口に入れたときのように、スーの眼が輝いた。
「なんでやらないんですか。やって良いですか? お姉様がやらないのなら私が!」
「ダメ! スーはどうしてそんなに好戦的なの」
「それは基準があるからです。私だって別に闘いが好きなわけじゃありません」
「うーん、聞いてみてもいい? スーの基準って?」
「お姉様に近づ……いえ間違えました、仇なす物は――」
スーはフォークをケーキに突き立てて、「この通りです」と一口で食べてしまう。
予想通りの答えに頭を抱えてしまう。情報を得るために目立つという手段はある。しかし、騒ぎを起こしたくない。それに四百年分の情報を整理できていない。戦える地盤も整っていないのに、騒動を起こす気はなかった。
気を紛らわせるためにハーブティーを飲み干して、ケーキを三個ほど一気に身体に詰め込んでいく。白、茶、黒とデザートが机から消えた。
この世界にある食べ物や文化。ついでに言うと動物や植物などの生物まで、この世界に訪れた先輩方によって形づくられてきた。だから、ケーキも元いた世界で見たことあるようなものに似ていた。しかし、自分の国で食べていたようなケーキとは一風違ったものが多い。
率直な感想を言うと、リサは言葉の通じる外国に訪れたようだった。
暗くなってきた曇天の屋外と比べると、どうしても店内が明る過ぎるように感じるてしまう。壁は濃い緑、天井はえんじ色と落ち着いた配色だった。店内はカップルや女性通しの客が多い。
「これ美味しいですね」
「イチゴのケーキね。ほんのりとしたブランデーの香りがいいよね」
スポンジで濃いクリームとイチゴを挟み込んで、上には小さなイチゴがちょこんとのっている。可愛らしい外見だ。味も申し分ない。
「何で黙ってるの、スー?」
「いや、ちゃんと味わって食べているんですね」
「当たり前だよ!」
「ああ、ごめんなさい! だって、お姉様。さっきから飲み物のように召し上がっているんですもの」
力を想像以上に行使した後はお腹が減る。それも胃袋に収まらない量を必要とするのだ。ありがたいことに体つきに変化もなかった。そして、今回は少し抑えている。テッサが作る夕食がある。馬鹿食いをするつもりもない。この後彼女の手料理を食べることを計算に入れて、ちゃんと食事をしている。
「そりゃ、仕事したからお腹も減るよ。はい、私の報告は終わり!」
机の上にあるケーキは数えられるほどに減って、暴力的な食欲もようやく落ち着いてきた。
「スーの方はどうだったの?」
「ああ、あの人達ですね。怪しいです。いや、真っ黒です。旅の最中にあった盗賊と何も変わらないですね。特にあのデブ! 脳味噌の代わりに脂肪が詰まっているのでしょう」
スーにアドルフ達について調べるようにお願いしていた。
彼等が身寄りのない旅人に良くしてくれるのは知っていた。しかし、それはリサ達が油断する理由にはならなかった。
「そんなにひどかった?」
「そもそもお姉様が帰ってくると信じてなかったですからね。トラックを運転しながら進むにつれ、青ざめていく様はもう最高でした! 支払いのお金も誤魔化そうとしたんですよ!? あのデブをナイフで刺しても、誰も文句は言いませんよ」
「アドルフさんは?」
「あの人は――利用するために取り入ろうとして、後悔しているように見えます。過去の戦争の影響なのか、この地での賞金稼ぎに固執してますね。戦争の恨みは相当なものです。仕事以外の時は死んだような顔してます」
アドルフの言葉遣いはいつも丁寧だ。そして、決して無愛想なわけじゃない。しかし、死んだような眼をしていた。その眼が生き生きとするのは、仕事中だけなのはリサでもわかった。
「あとちょっと気になることが」
「気になること?」
「特定のワードに異様に動揺するんです。その単語が出たときだけ目が泳ぎます。典型的な隠し事の反応ですね。昨日から見ていてやっと傾向が掴めましたよ。そのキーワードが『娘』です。なにか大きな隠し事があるのは明確です」
「テッサに?」
「はい。詳細なことはわかりません」
「うーん……」と不適に笑うと、スーの耳がピンと直立した。
「ふふふ、何? 隠し事?」
「そんなことあるわけないじゃないですか!!」
「読心を防ぐ術は知ってるでしょ? そもそも使うつもりもないし、使ってもスーの表情を読む精度の方がいいよ」
少しだけ冗談だったのにイヤらしいことでも考えていたのだろうか。そう言えば屋敷を出てから、二人は一緒にお風呂に入っていなかった。
「お姉様。また、あの方達と仕事をするのですか?」
「ううん、これでお終い。そもそもそういう約束だったし。ここで情報集めかな。でも、そんなに長居する気はない。テッサにも早く伝えないと」
「五日間くらいですか?」
「うーん、調べ物次第だね。でも、テッサについての隠し事は気になる。問題ないかどうか調べとこう。ここでのタスクに追加しておこう」
この街でやることは多い。この世界に発達した技術を調べること。住んでいた世界と異なる。文化は似ているが、文明は別種の物だった。
ランが世界の歴史から退場して、発達したのが魔核技術だ。
道行く車も夜の街灯も、魔核から生み出されるエネルギーを利用して駆動している。リサ達、神の代理人が世界の断片を自身の身体で変換して利用するのに対して、この世界の魔核技術は魔物の核を用いるので、使用者には何の代償もなかった。ただ一定の制限もあるし、変換できる力にも制限がある。リサにとっては、使い勝手が悪い技術である。
さらに世界の歴史を調べなければいけなかった。ランが退場してから四百年に何があったのか調べなければならない。世界は『ゲーム』について、どう対処してきたのか。そして、今はどう対処しているのか。今の世界は誰が支配しているのか。
支払いをスーに任せて店外へ出た。お金や日常の雑多なことはスーがまとめて管理している。
空気を吸うと、胸の奥がざわざわする。モーゼスの記憶を取り込んでからずっとそうだった。彼の未練まで引き継いでしまったのか、思わずグルリと見回してしまう。
歯の隙間に何かが引っ掛かったような、どうしようもない違和感があった。
日は既に沈み、街灯がぼんやりと灯りを放つ。それに照らされて、霧状の雨が流れているのがはっきりとわかる。
「うーん、結構高かったですね。一日くらいなら問題ありませんが……」
「スー? なにか感じない?」
「いえ、特に。問題はありません。能力で探ってもなにも」
「なんだろね?」
スーの目にも見えない。でも、リサの感覚では感じとることができる。勘違いでもない。不自然な違和感だった。
心の中の霧が晴れないまま、誰もいない道を通って、テッサ達の家へ帰る。
夜になると誰も歩かない。コンビニなんてものはなくて、この街はすぐに寝静まってしまうようだった。
「ああ、リサとスーちゃんお帰り! ごめんねー。まだ作ってないの。三十分くらい待ってて。ちょっとあり合わせのものになっちゃうけど」
戻ると、ドタバタとテッサが玄関に現れて、申し訳なさそうにリサに伝えた。白いエプロンをつけて、今から準備を始めるようだ。
「あれ? 何かあったの?」
テッサの仕事はアドルフのサポートである。しかし、今日は丸一日休日だったはずだ。溜まっていた家事ができると嬉しそうに言っていたので、てっきり夕食を作り終えていると思っていた。
「うーん、気付いたらこの時間でね。言ってなかったけど、実は昔からちょっと意識が飛ぶんだよね」
「意識が飛ぶ?」
「そう。一時間。長いときは半日かな? 良くあるんだ。お父さん曰く、そういう体質らしくてね。医者に看てもらっても原因がよくわからないの。仕事している時も結構多いんだ。でも、とっくに馴れちゃった。気付いたら勝手に仕事終わってるし、結構楽ちんだよ。リサと初めて会ったときもそう。目が覚めたら、リサが目の前にいたの。昔からだから馴れちゃった。こうやっていつも旅人さんのお世話をするのもなんだけどね、不思議と支障はないんだ」
髪をくくりながら、テッサは笑っていた。本人はあまり気にしていない様子で、キッチンへ向かって野菜を洗い始める。
「今、アドルフさんは?」
「外出中、晩ご飯は要らないって。たぶん、仕事仲間とお酒でも飲んでるんじゃない? やったね! 今日は女の子だけでパーティーしよっ!」
「……ああ、うん」
記憶が飛ぶことは初耳だった。初めて会ったときはフードを被っていて、テッサはずっと黙っていた。帰り道の車内で、人が変わったように喋り出した。テッサから自己紹介をされたのも、その時で
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ。ごめん、ボーっとしてた。何か手伝うことある?」
「本当!? 助かる!! じゃあ、皮むきお願いしてもいい?」
「うん、わかった」
アドルフへの不信感は募るばかりだった。
下らない話をしていると準備なんてすぐ終わる。テッサの料理は美味しくて、家庭料理特有の温かさが身に染みた。こんなにも日常を求めていたとは知らなかった。
それからは馬鹿騒ぎである。酒盛りである。まるで他人の家に感じられない。二人で葡萄酒の瓶を丸々一本飲み干した。明日は何もないとテッサが持ち出してきた、とっておきの甘い香りをする蒸留酒もである。
テッサとおしゃべりは、まるで失った何かが取り戻されていくようで、とても癒やされてしまう。そんな時間が数時間続き、テッサは急に大人しくなった。
悲しそうにグラスを見つめて、一気に飲み干す。話題は彼女の母親についてだった。
「お母さんはね――お父さんよりも強かったんだよ? とっても凄いレーベだったの。使徒付きになるんじゃないかって噂もあったんだよ」
「使徒?」
「使徒様は、この世界で最も強いと呼ばれる力を持つ人達だよ!! ともかくお母さんは強かったの!!」
テッサは顔を真っ赤にして語気を強めて、リサはたじろいでしまう。
「それでも死んじゃった。お父さんがずっと抜け殻なのも、きっとそれのせい。あの人は仕事というか、この街に縛り付けられてるの。本当にどうしようもないんだ。人を殺すことが生きがいだなんて、おかしいとは思わない? 笑っちゃうよね」
酒の勢いに任せて、堪っていた言葉がずらずらと流れ落ちていくようだった。テッサは空になったグラスに、別の酒をつぎ足してさらに飲み干していく。
「お父さんほどの腕があれば、別の街で魔物を狩った方がお金を稼げるの。こんな田舎町、私はさっさと出て行きたいのにね。でも、体質のこともあるから、私だけで暮らすわけにもいかないし……」
テッサはかなり酔っていた。話しながら、眼が微睡んでいく。
「ああー! 自分の体に文句言わないようにしてたのに……。ごめん、膝かして」
そして、倒れるようにリサの膝へ頭を乗せて、それを見たスーの目付きが鋭くなる。何を考えているのかおおかた予想は付いた。
「スー? やめなさい」
「うう……」
「もう、後でやってあげるから」
「本当ですか!? なら仕方ありません。この人、喋りたいだけ喋って寝ちゃいましたね」
「そういう時もあるって」
いろいろ言いたいことがあったのだろう。寄りかかって寝ているテッサの頭を優しく撫でる
「ほら、テッサ起きて! ここで寝ると風邪引くから」
テッサの寝顔はどこか懐かしかった。今夜の楽しい時間は終わり、戦いの後の甘い休息だった。
明日からは街に出てやらなければいけないことがある。リサの戦場はここではないのだ。これからの来たるべき戦いに備えなければならなかった。
テッサ「どうぞ! ごめんね。夕食ちょっと簡単な物になっちゃったけど」
リサ「わーい!」
スー「(あれだけ食べた後なのにまだ食べるんですかっ!?)」
リサ「(ええ? ああ、うん)」
スー「(今後の食費を考えると頭がっ――)」
リサ「スープは食塩、香辛料で風味を調えて、牛肉、粗く切った野菜――ポトフか」
スー「……本当にちゃんと味わってるんですね」