GENE3-9.どうしてみんな死にたがるの
熱風が駆け巡る。まばゆい炎が立ち上り、広大な空間を満たしていく。泥や錆びてくすんだ鉄屑を上書きするように、真っ赤な火炎が広がった。
荒廃した灰色の世界で、その紅はひどく目立つ。
それを引き起こしたのは、コンテナの山の頂上に佇む、一人の男だった。リサの標的である、髭の男だった。
彼は眼下の炎を見下ろして、その瞳は煌々と赤い光を反射していた。白髪交じりの長い髭。ピンと直立した犬の耳。尖った鼻先には、いくつもの細かい切り傷が付いている。
構えていた武器を下ろす。赤い石がグリップに埋め込まれて、爛々と燃えるように光っていた。しかし、強烈な赤色光は途切れ途切れに弱くなり、完全に消失する。
そして、魔核は鈍い赤になる。その過程を、彼は悲しそうに見つめていた。
全てが終わった。彼の全てが燃えていく。彼の巣を真っ赤な炎が包み込んだ。
薄汚れた緑色のジャケットを探る。内ポケットから携帯用のウイスキーボトルを取り出して、一口だけ飲むと、まだ酒が入ったまま投げ捨てる。供養の酒瓶が炎に飲まれた。さらに、煙草を引っ張り出して、口に含んだ。
火をつけようとライターを探るが、見つからない。ポケットを手当たり次第に叩く。
そのときだった。
彼には全く認知されていなかった。
横に現れたリサは、ぶっきらぼうに腕を突き出した。
「はい」
指を鳴らすように、指先に蝋燭ほどの火を灯す。簡単な術式だった。リサだ。もちろんリサは死んでいない。あれくらいでは死ねない。爆発の範囲を読み取って、火炎を避けながら、コンテナの山を瞬時に駆け上がった。
そして、今は標的の隣に立っていた。すぐに無力化してもよかった。しかし、聞きたいことがあったのだ。腹いせのつもりで、驚かせようと男の死角から突然声をかける。
「ほら、火を着けたかったんでしょ。要らないの?」
髭の男は一度硬直した。険しい表情がさらに固くなる。
しかし、驚くことはなかった。リサの指先に顔を近づけて、じっくりと煙草に火を灯す。
「……感傷に浸っているときに、人が悪いな、お嬢ちゃん」と煙を味わいながら、横にいるリサをちらりと見た。
「しかし、よく生き残ってたな。そういえば白い魔女がいるって聞いたが。使徒じゃねえな。戦い方が甘すぎる――」
男が銃の引き金を引いて、攻撃が発動するまで数秒のラグがあった。それだけあれば、回避ルートは何十通りも浮かぶ。
「初めまして、リサでいいよ? 私のことは別に好きに呼んでも構わない。でも、その誰かが私はとても気になるんだけど」
「安心しろ。ちょうどあそこで燃えている。変な奴だった」
男は煙を吐き出した。煙草を持っている手で広場の隅の方を指し示す。炎に包まれて何も見えなかった。
「なら、いいや。賞金首さんの名前は? 写真しか渡されてないの。みんな、『髭が目印だ』としか言わないし」
無愛想な彼は無言で煙草を吸うだけだった。
「私の名前を教えたんだから、教えてよ」
「……そんなのはとっくに忘れちまった。仲間からもずっと髭って呼ばれてたからよ」
「ええ?」
名前って忘れるものなのだろうか。噓か本当かわからない冗談を言うような、捻くれた人ではなさそうだった。
「一つ聞きたいことがあるの……その銃について教えてくれない?」
ここに訪れてからの一番の収穫と言っても良い。あそこまでの威力がある武器が存在するとは知らなかった。新技術についての情報は、ゲームの攻略に必要不可欠な情報だった。
リサの疑問を聞いて、男は横にいるリサを凝視する。そこまで意外な質問だったのだろうか。
「――っがははははっはっは!!!」
そして、腹を抱えるほどの大笑いをし始めた。
「どうして笑うの?」
「もっと他に聞くことがあるだろう? そのために俺に時間をくれているんじゃないのか? ああ、もう気が抜けちまった。ちくしょう。お嬢ちゃん、面白いやつだな」
「……そうだけど、別に良いじゃない。私の勝手」
「俺もだが、お嬢ちゃんもだいぶおかしい」
男は豪快に笑い続ける。目には涙を浮かべていた。男の硬い表情が一気に柔らかくなって、話しやすくなる。まるで親戚のおじさんのように、軽快に武器の説明を始めた。帝国軍の魔導武器だそうだ。
「これは昔の友人からの借り物だ。価値も高い。なのにさっきの一発でぶっ壊れやがった。欲しいか?」
「うん、貰えるなら」
「ほらよ」
「冗談だったのに良いの? その友人は?」
銃口を自分に向けて、リサに持ち手を向ける。まさか貰えるとは思っていなかった。
「お嬢ちゃんが会ったら渡してくれ」
「そんな、絶対会えないよ」
でも、資料としてその武器は欲しかった。リサはパシリとそれを掴み取った。
銃には黒ずんだ赤い魔核が埋め込まれている。すでに力を使い切ってしまったようだ。帰ってこの構造を詳しく見てみよう。魔導武器にあそこまで威力があるとは思わなかった。
「うん、ありがと。あともう一つ質問良い?」
「おっと、その前に俺の番だ。俺も聞きたいことがある。どうしてあいつ等を殺さなかった?」
「――どうして殺さなきゃいけないの?」
ただ殺す理由がない。それ以上でも、それ以下でもなかった。なぜか髭の男から目を背けてしまう。それを見て、男は鼻で笑って、乾いた空気の音が響いた。
それをリサは笑い返す。そう、それが聞きたかったのだ。興味があったのだ。彼がどうして広場に火を放ったのか。どうして仲間を焼き尽くせたのか。その動機が知りたかった。
「次は私の番ね。貴方はどうして?」
「……良いか、お嬢ちゃん。俺たちはゴミだ。道に落ちてる空き缶と同じだ。ゴミ溜めを丸ごと焼却処分しただけだ」
「でも、仲間なんでしょ?」
別に怒っているわけじゃない。彼の行動の理由が気になってしまう。
「そう、仲間だからだ。お前は何の為にきた? 俺たちを狩るためだろう。捕らえられたって行き着く先は変わらん。俺たちに権利なんてものはない。人として扱われるかも怪しい」
そう言って、空虚な煙を吐き出した。
「どこでもそうだ。ゴミ箱が溢れたら、片付けなければならない。それを放置して何になる? 殺さないのも優しさだ。殺すのも優しさだ。そして、お嬢ちゃんは化物だ。優しさなんてない。俺の方がずっと優しい」
もう身体は人間としての存在を越えていた。それは重々承知している。でも、淡淡と会話をしながらストレートに言われると動揺してしまう。
広場の炎は、雨に打たれて弱々しく揺らめいていた。
彼はリサを見る。一瞬玩具を見つけた子供のようににやける。そして、表情から感情が消える。その目に光はない。黒い瞳に飲み込まれそうになる。彼の眼からは何も読み取れない。彼が何が言いたいかわからない。
「なあ、どうしてそんな質問を聞いた? 俺があいつ等を殺しても何も思わないんだろう?」
「別になんとも思わないわけじゃない、そういう風に鍛えられただけだから」
「じゃあ、なんて思うんだ」
「わかんないよ。そのうちたくさん殺すことになる、でも死んだら終わりじゃない……正直わかんないだって」
リサが嫌がってもゲームは進む。これは戦いの技術よりも先に教え込まれた。
そして、管理者特権を持つリサ達でも、生物の死は覆せない。死ぬと、その人を構成していた世界の断片は崩れて、大切な一部が消えてしまう。
屋敷にいた時に、ねずみで実験をしてみたのだ。
それは人の道を踏み外しているかもしれない。でも、リサにとって、それは知っておかねばならないことだった。小さな命を刈り取って、動かなくなった死体を修復して、元に戻してみた。
結論から言うと生き返らなかった。
心臓は動いても、その野ねずみは動き出さなかった。まるでロボットのように血液が循環するだけ。
死ぬと肉体を構成する世界の断片は残る。しかし、生物を動かす何かは消えてしまう。なくなってしまった大切なものは、きっと魂なのかもしれない。
「死」は不可逆的な事象だった。その人の根幹が消えてなくなってしまう。
彼はゆっくりと口角をあげた。
「――だから?」と、彼は嬉しそうに話し出す。
「そうだ、終わりだ。死んだら何もない。俺たちは知っている。天国なんてものはない。地獄なんてものは幻想だ。このままお嬢ちゃんに連れていかれるつもりだったが、気が変わった」
吸い殻を指先で弾いて、捨てた。へらへらと笑いながら、ジャケットの内側をごそごそと探る。ライターを探しているわけじゃなさそうだ。
「ごっこ遊びで殺されちゃかなわねえな」
彼の言葉がリサに鋭く刺さる。それは銃弾よりも痛かった。何か言い返そうと口を開くが、言葉が出て来ない。
お酒を飲んだ影響なのか、男は揚々と顔を上げる。目的の探し物が見つかったようだ。
「どうだ? 俺がプレゼントをやろう」
カチン。
くぐもった金属音が聞こえた。男の殺意は全く感じ取れなかった。
突然だった。理解したときは遅かった。熱い爆風と共に、男の四肢が飛び散った。この小さな爆風は手榴弾のものだっだ。
彼の腰元あたりから小さな、しかし人一人吹き飛ばすのには十分な爆発が生じた。
「なに?! なんなの!?」
リサは反射的に身を守る。男の行動の意図が読めない。
全身に纏う世界の断片の量を増加させる。白い光を放つ防殻に覆われて、リサのダメージは皆無だった。
コンテナの上の水たまりが赤くなる。肉片がボタボタと落ちてくる。遅れて降ってきた血の雨で、真っ白な外套が赤く染まる。
髭の男は吹き飛ばされて、コンテナに激突していた。腹が裂けて、息も絶え絶えだった。大量の血液が流れだしている。生きているのが不思議なくらいだ。
「ちょっと! 待ちなさい。治すから!!」
男の目が大きく見開いた。身体から発せられる意識の量が跳ね上がる。
「――お前は馬鹿か!? 死なせろ!」
血を吐きながら、鬼気迫る表情で睨みつけられる。
広場の火は消えかかっていた。雨がほんの少し強くなっただけで、かき消えてしまいそうだった。
「……やっぱりガキじゃねえか」と、男は固まったリサの表情を見て、笑顔になっていく。
「貴方の方が馬鹿じゃない! どうして――」
どうして笑えるの。
苦しそうな表情で吐血した。激痛で顔を歪めている。それでもにやついていた。目の前で一つの命が死んでいく。その理由がわからない。どうすればいいのかわからない。
何ができる。私は何をすれば良いのか。
目の前でまざまざと死を見せつけて、戸惑うリサを見て、彼は憎たらしく笑っていた。
誰にも見せないようにしていた傷に、塩を塗り込まれたのだ。リサは少しだけ腹が立った。
「私にわかるわけないでしょ」
血を吐き出す男の真横にしゃがむ。彼の頭に手を置いて、彼の記憶を探っていく。
彼の一生の情報が一気に頭の中に流入する。師匠の時と一緒だ。彼の世界の断片がリサに読み取られていく。電気のように、リサの脳を経由して、元の場所へ戻っていく。
そして、発動した。リサの真っ白な衣が黄金色に替わる。ランの能力を、まさかここで使うとは思わなかった。
彼の記憶を、現在から過去へ過去へと遡っていく。どうしようもなく繰り返した業の数々。突然消えてしまった親友。かり出された戦争。埃を被った過去の記憶を掘り出していく。
《胡蝶之夢》だなんてランは皮肉な名前を付けたと思う。
材料は揃った。それを編集して、つなぎ合わせていく。リサと彼のいる場所だけ、見える世界が変わっていく。現実のような幻が実現した。
雨は消えて、鈍色の空は青くなる。
投影した場所は、小さな森の中にある農村、彼の故郷の場所だ。戦争が始まる前だった。
そして、リサの髪に色が付いて、小さな犬の耳が生えてくる。
彼の横に座っているのは、戦争で亡くなった、彼の妻だった。
彼の生気を失っていた目に懐かしさが灯る。張り付いたような笑顔が消えて、顔の筋肉が硬直した。
倒れたまま、男は力なく手を伸ばす。血を吐き出して、手が止まる。しかし、それでも突き出して、リサの頬をゆっくりとなぞる。
「仕返しをしてあげる」と、彼に向かって微笑んだ。
「……口閉じてろ」
髭の男はゆっくりと目を閉じた。腕がバタリと力なく倒れる。
「おやすみなさい、モーゼス」
彼の死に顔は笑っていた。心の底からの笑顔なのだろうか。安堵の表情で、眠るように笑っている。あの嘲るような笑いではなかった。
広場の火も消えてしまった。
彼の記憶を通して見た一生は泥のような人生だった。全くもって救いがなかった。現実に絶望していた。だから、いつも偽りの笑顔を浮かべていた。
盗賊達が真っ当な人生を歩んでこれなかったことは知っていた。けれど、違った。そう思っていただけ。知っているとは言えなかった。彼の記憶を覗いて、こうやって全て見たことはなかったのだ。
聞いてみたいけど、モーゼスは既に死んでいる。死人に口なし。もう何もわからない。それに飄々とした彼はきっと本当のことを言ってくれない。きっと煙に巻いて、何も答えてくれない。大人はみんなそうだった。
静かに降る雨の中で、スー達が来たのはその十分後のことだった。
モーゼスの死体とともに、鎮火した広場で待っていた。モクモクと白い煙が、まるで太い柱のように立ち上っている。
「お姉さま!! 大丈夫ですか? その血は!?」
「これは私のじゃないから」
リサの白い外套には大量の血痕が付いている。そして、ずぶ濡れだった。スーが全身隈なくチェックを始める。
「頭を下げてください」
「……うん」
スーはバックパックからハンドタオルを取り出して、リサの頭を拭いていく。リサはスーに指示されるまま身体を動かす。
「問題ないようですね、流石です……お姉さま?」
トラックからアドルフとビリーが降りる。あたりを見回して、広場の惨状に言葉を失っていた。
「アドルフさん、賞金首の方は死にました。あとここにいた人達も。今トラックに乗っているので全員です」
無力化していた人たちは広場の数か所に集めていたが、そこには黒焦げの物体が転がっていた。
「ああ、あれじゃあ連れて帰るのは無理だな。ここに来る途中、彼女が凄かった。まるで熟練した兵士のような勘の良さだ。彼女のおかげで見落とさずに回収できた」
「……スーはお役に立ったんですね。残しておいてよかった。検討します」
愛想笑いをしていたときだった。
「笑いながら死にやがって、この野郎!!」
鈍い打撃音、そして、銃声。まさかと思って、振り返る。
ビリーがモーゼスの死体に拳銃を向けていた。リサは途端に、周囲の音が聞こえなくなる。
「ちょっ、お姉さま!?」
横にいるスーが右手を掴むが振り払う。リサはビリーを睨みつけながら、歩き出す。殺気なんて隠さない。彼を心の底から威嚇した。
袖から隠していた折りたたみ式ナイフを取り出した。シャキンと綺麗な刃の音が鳴る。
「おう? な、なんだよ? どうした――」
そして、彼の目が追い付かない速度で動き出した。
背後に回る。肩に手を置いて、膝裏を蹴り飛ばすと、彼は簡単に地面に跪いた。ちょうど頭が手に届く位置に来たのは、丸々と太った頭だった。
「ひぃ!?」
ナイフの出番だった。その切っ先を眼球から数ミリの位置に突きつける。わかりやすく教えてあげるためだ。彼が死にかけているこの状況を。
「動くな。目を閉じるな。この先端をよく見るんだ。ちょっとでも動いたら刺さるよ?」
生物実験の筋肉繊維のようにビリーは痺れて固まった。
「私は気が立っている」
優しく、簡潔にお願いをする。きっと彼もわかってくれる。
「その人は丁重に扱え。わかった?」
「……」
「わかりました?」
「……はっい」
ビリーは声を絞り出した。その様子を見て、アドルフが慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっとリサさん!?」
「失礼しました。アドルフさん。帰りましょ! 私はもうヘトヘトです」
ナイフを折りたたんで袖に入れる。ビリーから離れる。側にだっていたくない。
糸が切れたようにビリーは前に倒れた。泥濘んだ地面に四つん這いになる。恨めしそうにリサに視線を向けていた。
彼等は盗賊達に途轍もない恨みを持っている。それは知っていた。そして、それは当然だ。モーゼス達はそれだけの悪行を重ねてきたのだ。
しかし、どうしても許せなかった。
「説明なんてできないよ」とリサが独り言に、心配そうにスーが見つめてくる。
「……くすぐったいです」
精神の安定を求めて、その可愛らしい頭を軽く撫でた。