GENE3-6.お前はどこにいるんだ
かつて戦場だったゴルド帝国とイースタル自治区の境界付近の広大な荒野。この土地が世界に自慢できるのは、治安の悪さだけである。
この無法地帯を上から俯瞰してみると、鉄屑の塊が寄せ合って『巣』のようなものを形成していた。廃墟ともいえる前線基地の痕に、軍の輸送船や大型車両を掻き集めてできた構造物。世界に取り残された屑達のねぐらは『巣』と呼ばれた。
夜になるとポツポツとまるで取り残された光が灯される
巣の中にあるものは、ほとんど彼等のものではない。倉庫代わりの車両を覗くと、老若男女の古着やアクセサリーが積み上がっている。全て盗品だった。当たり前だ。
その一つでは酒盛りが開かれている。いつ死んでもおかしくない彼等は、まるで火の付いたちり紙のように、後先考えずに生きている。
多くの男達が顔を紅潮させる中で、一人だけ顔面蒼白の男がいた。灯りが届く範囲のギリギリの場所で、寂しく独りで項垂れていた。
まわりが騒げば騒ぐほど、その無口な男は目立っていく。
それに声をかける男がいた。酒を片手に陽気なフリをして近づいていく。彼はこのグループを取りまとめる存在だった。口元から真っ白な髭が腹まで伸びていて、仲間内からは『髭』と呼ばれていた。
「おい、どうした? 湿気た面して。酒も飲んでねぇじゃねえか」
「あ……ああ」
「お前、ここに来たばっかだろ?」
真っ青な顔した男は何か言いかけた。口を開けて、何か言おうとして、また口を閉じる。それを何度か繰り返した。
思ったよりも面白くない反応に残念がって、髭の男はいい加減帰ろうかとした。引き留めるように、うなだれた男は声を絞り出した。
「……なぁ、『白き魔女』って知ってるか?」
「なんだそりゃ? 始めて聞いたぞ。前からいる『亡霊』じゃないのかよ」
この荒野に積み着く住人の中で、『亡霊』と呼んでいる存在がいた。この荒れ地には亡霊がいる。戦争が終わって数年後から、ここを根城にする怪物だという噂もある。しかし、遭遇した者は帰ってこない。実体の掴めない現象のようなものだった。
外に出た者が行方不明になるのは、頻繁にあるわけではない。のたれ死んだとも考えにくい。たった数人がパタリと消えてしまう。髭の男の親友も、煙のように消えてしまった。もしかしたら亡霊に食べられたのかもしれない。
男は下を向いたまま、矢継ぎ早に喋り続ける。相手ではなく、その言葉は自分に向けるようだった。
「違う、そんな不確実なものじゃない。確実にいるんだ。良いか? さっさと逃げた方が良い。うちの組はそいつのせいで壊滅だ。見た目は少女なんだ。二人組でな。寒気がするほど真っ白な外套で全身を纏って、その髪まで白い。草原を歩いていると嫌でも眼に入っちまう。俺はそいつに声をかけて……」
髭のついた男は、なにやら珍しい玩具でも見つかったかのように口角を上げた。
「女に声をかけちゃ悪いのかよ。それだったら、うちの奴らはもう死んでる。ここにいるのが屑ばっかなのは知っているだろう? 第一、この場所にはルールがない。だからこそ、俺等みたいなもんが集まってるんじゃねえか」
「違う。ルールができたんだ。あいつ自体がルールなんだ。うちは全滅だ。十人にも満たないチームだったが、一瞬だ。抵抗する隙もなかった。あいつ等は恐ろしくて、残虐なんだ。奴は拷問がきっと大好きなんだ」
「拷問ってどういうことだよ」
「あれは俺等が犯してきた罪への罰なんだ。何度も何度も殺されそうになっても、自然に生返させられるんだ。今、俺の言っている意味がわからないだろう。本当にそうなんだ。腹を貫かれたと思ったら、元に戻っている。腕が千切れたらと思ったら、元に戻っている。信じられるか、死に至る苦痛を死ぬほど受けるんだ」
「……なんだよ、冗談じゃねえか」
「嘘じゃねえよ! 嘘じゃ! 気が狂いそうなほどの長い時間拷問を受けるしかなかった。別に現実の時間が過ぎたわけじゃない。実際には会ってから十分しか経っていない。時計をみて絶句したよ。丸一日経ったと勘違いしちまいそうになったんだ」
「忠告ありがとうよ。これでも飲んで忘れちまえ」
話を聞くだけ聞いて、彼は飲みかけの酒瓶をしゃがんだままの男の前に置く。まるでお供え物ようだった。男はずっとブツブツ呟いている。
「嘘じゃないんだ。嘘じゃないんだ。嘘じゃないんだ。嘘じゃないんだ」
それを尻目に、髭の男は宴の輪に戻る。今にも燃え尽きそうな仲間達の出自は様々だ。捨てられたもの、望んだもの、拾われたもの。世の中から溢れたものが、この場所に自然と集まった。
その中でも彼は古株だ。遠い昔を見つめるように、巻き煙草に火を付けた。上がった口角は下がらない。
「よくない兆候だな」
「なんすか? 髭のおっさん。何にやにやしるんすか?」
「うるせえ。何でも笑うくらいじゃなきゃ、やってられるか」
深呼吸の要領で、煙草の煙を肺に溜め込んだ。それを一息で吐きだして、蒸気機関車の煙突の如く、鼻から煙が塊となって吐き出された。その瞳に写るのは哀しみだった。
ルールを作ろうとした奴がいた。
それは消えてしまった髭の男の親友だ。亡霊に喰われた彼の望みだった。彼はこの場所を平和に導こうとして、消えてしまった。
「なあ、レイ。お前はどこにいるんだ……」
髭の男は親友の名前を呼ぶ。自分の名前なんて忘れてしまったのに、彼の名前はすぐ思い出せた。
かつての草原の主の名は、レイブレナルト=フルーフ。気高くも優しい狼だった。糞ったれの使徒にでも殺されたんじゃないだろうか。
あの時はもっと静かな場所だった。ゴミ箱の中が腐り始めたのは、彼がいなくなってからだった。