GENE3-5.友達ができるなんて思わなかった
貨物自動車を覆うシートの上を雨が跳ねる。
そして、男達の呻き声が聞こえる。捕縛された賊達は無造作に押し込まれていた。物として積み重なった彼等は、口枷をされて一言も喋れない。
被害者と加害者が複雑に絡み合った密室だった。
舗装されていない田舎道を走る。スプリングが軋む。地面の衝撃が直接車内に響く。車体がバウンドする度に、床に積まれた男達の苦悶の声が跳ね上がる。
彼等が加害者であるリサを見つめると、スーが殺意のまなざしで睨み返す。リサは苦笑いするしかなかった。
湿度の高いモヤッとした室内を切り裂くように、唐突に声が発せられた。
「わあ! 旅人さん!? 女の子だ!」
アドルフが大きく目を見開いている。彼が驚いて向いた方向を見ると、どうやら声の主は隣のフードを被った人のものらしい。リサ達が最も警戒していた人物だ。
この乗客の中で一番保有している世界の断片の量が多く、同乗していた他の人達は、その人物に何故か怯えていたのだ。
フードを被っていて性別がわからなかったが、どうやら女性であるらしい。凜として少女のようなのに艶やかな声だった。
一瞬の動揺は消え、アドルフはすぐに落ち着いて、しっかりとした笑顔に戻る。
「リサさん、紹介が遅れたね。私の娘、テッサだ。ほら、お前もお礼を言いなさい」
スーの眼が光った。リサも気付いた。纏う世界の断片の量が一瞬で減少し、発している生命力が極端に変容した。雰囲気や気配もガラリと変化し、まるで別人のようであった。
フードを勢いよく脱ぐと、パサリと綺麗な絹糸のような髪が溢れ出る。若い女性だった。歳は二十前後、リサと同じくらいの背丈だが、その姿はどこか幼い。アドルフと同じ金髪で、二つのおさげが胸元まで垂れていた。
整った顔つきで、あの大木のような男と親子だとは信じられない。父親が象なら、テッサはハムスターなどの小動物の類いの印象だ。
「初めまして!」
愛嬌のある彼女は前に乗り出したり、目線を合わせたり、慌ただしく動き出す。さらに、人が変わったよう喋り出した。これまで黙っていたのが不思議なくらいだ。
同年代の話しやすい女の子で、リサとも話が合いそうなタイプだった。
しかし、リサにとって奇襲でしかない。
これまで妹や我が儘な師匠達、泥臭い盗賊らと遭遇してきたリサにとって、初めての『同年代』の『女子』だ。『屑』の『隊長』でもないし、『癖のある』の『先輩方』でもない。
リサは過去の記憶を思い出す。同年代との会話の仕方を忘れてしまった。神を殺すほどの戦闘能力と引き替えに、一般常識は消え、対人能力は衰えていたのだ。
「――わぁ! どういたしまして。初めましてリサと言います」
無理にテンションを上げて、テッサの沸点に合わせる。こんな感じだったかと自分でも違和感を感じてしまって、首を傾げてしまう。
「リサさん! 珍しいお名前なんですね」
「リサで良いよ。年も近そうだし」
「まさか旅人に貴方みたいな女の子がいるなんて! 相当強いのね! 初めて! いいな、ねえ? これまでどんな街を回ってきたの? イースタルの奥地から? さらに海を渡って、もっと東側から? たまに貴方みたいな旅人がいるの!」
突然のトーンが高い会話に、アドルフや乗客達がちらちらと視線を投げかける。そんなにリサがそんな風に話すのが意外なのだろうか。これでも本来は現役の女子大生だった。リサ自身、時たま忘れそうになってしまう。
しかし、今は『リサ=トラオラム』なのだ。決して『高遠リサ』ではない。
「真っ白……綺麗な髪」
「そんなことないよ。テッサ。それよりこっち! スーの方が可愛いから」
テッサがリサの白髪を羨ましそうに見つめた。
こんなもの、自分を偽るための髪なのに。話題を反らすように、スーに話の矛先を向ける。突然の会話の球にスーは驚いて、「なんでこっちに話を振るんですか」とでも言うように眼を向けられた。
何か言いかけたが、ウインクするとスーは渋々と口をつぐむ。
「……スーちゃんで良いかな? 可愛い! ものすごい可愛い! ああもう抱きしめて良い!?」
「ってもう抱きしめているじゃないですか、やめてください放してください!」
スーは力の加減はしているようで、テッサの腕の中で弱々しく抵抗している。十分と堪能するまで離すつもりはないようで、テッサは抱きついたままリサに次々と質問をぶつけてくる。スーの早くここから助けてくださいというアイコンタクトを、リサは見なかったことにした。
「それでリサの職業は、やっぱりレーベ?」と首を傾ける。
「ええと、何? レーベって?」
「あら? 知らないの? てっきりそうなの。傭兵のことだよ。賞金稼ぎ《バウンティハンター》だとか、魔物の駆除なんかもしている。お父さんもそうだよ! 今日みたいな護衛で稼いでいるの。あれだけ強いんだもん。リサもそういう仕事をしているのかと思った。ちなみに私はそのサポートです! あれだけ強いなら傭兵になった方が良いって。ねぇ? お父さん?」
「――!? あ、ああ」
「それってどうやったらなれるの?」
話をいきなり振られたからか、何故か煮え切らない答えだった。それでもアドルフの表情に表われた曇りはすぐ消えた。何か不都合でもあるように見えてしまう。しかし、ここは勢いで押し切るべきだとすぐさま判断する。
「――ねぇ、お父さん。リサがレーベになるのを手伝ってあげてよ? お父さんなら出来るでしょ?」
「テッサ、そんなに簡単に」
「いいでしょ! 私のだって作ったじゃん!」
「それは……」
「その仕事する地域って限定されますか?」とリサは疑問をぶつけてみる。
「いや、ない。世界中に機関の支所がある。これを持っていればどこでも仕事ができる」
「本当ですか!」
思ったよりも魅力的な話だった。さらに話を聞いてみよう。
リサがかなり話に乗り気になると、アドルフはいぶかしげな表情になるが、すぐに仮面のような笑顔に戻った。
アドルフは胸にぶら下げた銀色のタグを掲げる。チェーンのついた銀盤は黒いサイレンサーにはめられていた。その表面には何も刻まれていない。微弱に白い粒子、世界の断片を纏っている。
「これは……なんですか?」
「ここに全てのデータが入っているんだ。魔導技術とは、はじめてか? 魔物の核を利用した技術だよ。魔物には核があるだろう」
「ふーん」
ここにデータが入っているのか。文字による神子術式も見えない。存在については知っていた。それが魔核と呼ぶのは初めて知った。
これまで魔物と遭遇した数は盗賊ほどではないが多い。体内にある場合よりも体表にある場合がよく見られる。強烈な色と大量の世界の断片を纏っていたから覚えている。深紅、琥珀色、深緑、濃紺、どの核も特徴的な色をしていたのだ。
「その魔核のおかげで私たちの生活が成り立っている」
この世界の文明に関する情報は全て欲しい。アドルフに質問攻めするリサとは裏腹に、スーは放っておかれたままで、テッサに弄ばれていた。魔核技術が余りにも興味深かったので話を続けていると、スーが遂に爆発した。
「ああ、もういい加減にしてください!」
スーが何とかテッサを振りほどいた。テッサの魔の手から必死に逃げ出した。残されたテッサの腕は悲しそうに空を切る。
「ああ、スーちゃん、そんなぁ」
「こっちこないでください」
「ううう……」
しょんぼりとして落ち込んでいた彼女は、自分を奮い立たせて頭を振って、すぐに気持ちを切り替えた。感情のジェット―コースターのような子だった。どこか懐かしく思ってしまう。
「ともかく! リサ。お父さんにまかせておけば大丈夫だから。ね!」
屈強な男でも娘に弱いらしく、アドルフは困り顔になってしまった。
雨は次第に強くなってきた。天井のシートに雨が打ち付ける。隙間から流れ込んできた土の匂いが途切れ、小さな窓を覗くと大きな門が見えた。まるで城壁のような堅牢な構造で、外界を隔絶するように分厚かった。
「立派な門………」
「そうでしょ。昔、この街は最前線の基地だったの。レーゲンにようこそ!」
吐く息で体温が上がっているのを感じる。始めて大きな街へ入ったのだ。違う、この世界に来てから始めての大きな街だった。
レーゲンは堅牢な石造りの街だった。
ゴシック様式の建物がコピー&ペーストされたように奥まで続いている。とあるヨーロッパの街へ迷い込んだよう。
「綺麗な街だね」
「そんなことないよ。華やかに見えるけど、そんなんじゃない。ここも戦場だったの。ずっと振っている雨と荒れ地だけ、住んでいるとちょっと嫌になる」
しかし、門の前にある広場は美しかった。雨でくすんでいても伝わってくる。五階建ての建物が規則正しく整列して、窓の格子とレンガによって、大量の四角形が一つの空間に敷き詰められている。壮観だった。
門の正面、広場の奥には巨大な鐘楼が聳えていた。街のシンボルなのだろう。どの建物よりも丁寧で、微細な装飾が施されていた。大きな時計がその中腹に、てっぺんには豪華な鐘が設置されていた。
どんよりとした一日を少しでも彩るためなのだろうか。広場を沢山のカラフルな傘が花のように咲いていた。獣人は一人も見られず、全て人間だった。一見すると欧米系の人達だ。昔のプレイヤーの影響なのだろうか。
雨脚は弱まることはない。テッサに連れられて広場の隅で雨宿りする。
アドルフが賊達を換金している間、テッサのレーゲンの解説は続く。戦争が終わったのは二十年前、帝国は隣国との戦争に勝ち、この街も大きく変わったそうだ。イースタルは戦争に負け、その国土は帝国が占領していることになっているらしい。
「極東戦争が始まったのは私が生まれるもっと前。元々傭兵だったお父さんは真っ先に招集されたの。そして、この街でお母さんに一目惚れして結婚、そのままここに移り住んだの。お母さんはいろいろあって、死んじゃったけどね」
テッサの元気は出会ったときから変化がない。
その明るさに引き込まれてしまいそうになるほどの、元気な少女だった。
けれど、この時だけ彼女は申し訳なさそうに笑顔を曇らせた。
「聞かれて答えると面倒くさいから、いつも先に答えるようにしているの。気にしないで」
そのまま歴史や魔導技術について、これまた質問攻めをしていると、何故か嬉しそうな表情のアドルフが帰ってきた。
「これが今回の報酬だ。君の分はこれだ」
「ええ? 良いんですか?」
「気にするな。今日は助かった。見たところ自治区の人間だろう、こっちの貨幣の方も持っていた方がいい」
渡された封筒の中には紙幣が入っていた。百ゼル紙幣が十枚だ。実際の価値がどれくらいあるのかは知らない。まだ使ったことがなかった。しかし、盗賊達が持っていたのは一ゼルや五ゼル紙幣だったので高い金額だとは思う。
「このタグは受け取ってくれ。身分証代わりにもなるはずだ。これも今日のお礼だよ。そして、一つ相談なんだかある仕事手伝って欲しいか? それで、こっからの話はビジネスだ」
レーベの認識票だった。銅板に黒い縁取りのサイレンサーがはめられている。予想外の出来事に信じられず、大きな声をあげてしまう。まさか渡されるとは思わなかった。この父親は相当娘に弱いのか。
「――ええ!? 良いんですか?」
「大丈夫だ。あんな所を歩いていると疑い深くもなるだろう。どうだ?」
「凄く助かります。仕事ってどんな内容ですか?」
「賞金首を捕まえてくれば良い。生死問わず。金額は後で相談しよう。車などの準備は全てこちらでする。もし心配な――」
「やります」
即決だった。それでお金が貰えるのなら文句はない。難易度は余り問題ないだろう。何しろ、草原の悪党共に負ける気がしなかった。
しかし、受け取った金属製のタグを見て疑問に思う。
「――発行するのに本人いなくて問題ないんですか?」
「手数料を払えばなんとかなる。そっちも商売でやっている。東側からは客が多い」
アドルフはにんまりと笑った。手数料とは賄賂のことかと即座に理解した。別の商売は余り公にできない内容だろう。しかし、今のリサには非常に都合がいい話だった。
「ははは、ありがとうございます――では明日ですね。よろしくお願いします。アドルフさん」
「こちらこそだよ、リサさん」
早くうちにおいでよとばかりに、テッサに腕を引っ張られる。
「リサ! スーちゃん! こっち! 今日、うちに泊まるんでしょ? 昔からお父さんは旅人を捕まえて泊めるの。全然気にしないでいいから! 何日でもいてもいいんだよ?」
名前で呼ばれると、なんだか大学生の自分を思い出してしまった。こんな世界でも運が良いことは続くらしい。幸先の良いスタートだった。
「うん、よろしくね! テッサ」
もうとっくに日が暮れて、街灯の光と雨の音と閑散とした賑わいだけ残る。フードを被っても、テッサから伝わってくる元気は衰えない。一緒に表通りを突き進んでいった。