GENE3-4.彼等はきっといい人達
この世界はとてもシンプルで、喰うか喰われるかだった。
頭を戦闘用に切り換えると、何故かその一言を思い出してしまう。ランやエアに何度も言われた言葉だった。
彼等を拘束するには一分も必要ない。これまでの実験のおかげで、すぐに無力化できる。
リサ達を襲撃した盗賊達は、全員実験の犠牲となった。生物の教科書に載ってるようなことを試した結果、最も効率の良い無抵抗化のための神子術式を開発した。電撃系統で、破壊力と電気の誘導の制御はもう完璧だ。
しかし、今回は別の技を使いたかった。
対象まで数百メートルを切って、背を低くしながら、音を立てずに距離を詰める。彼等の武器である銃の有効射程圏内。それでも気付かれてはいなかった。
計七人の盗賊達は全員シャツやズボンは煤けたねずみ色、ところどころ黒い泥が付着している。
この荒野の住民達は獣人の割合が多いが、今回は人間の方が多かった。しかし、顔は土埃と髭で覆われて、一見獣人と区別がつかない。
獣の耳やら角が生えていて、全身が毛深い獣人が三人。残りは全く日本人とは異なった顔であり、リサにとっては彼等は全員外国人のようだった。
足を止めずに数秒で危害判定。これまで見かけた盗賊達と相違ない。近づくにつれ、盗賊達の言葉がリサの耳まで届いてくる。
「命までは奪わねえ。持ってる物全て渡しな」
明白な嘘だと見抜いてしまう。
スーの能力、《拡張視》は、どんなことも見逃さない。その言葉が真実かどうかわかってしまう。リサは戦闘中は常に発動していた。その効力を何割か弱めて、戦闘に支障が出ないほどの燃費に抑えていた。
一番目つきの悪い男がリーダーなのだろう。彼が乗客達に命令をし、残りの六人は乗客を取り囲んで、銃を向けている。自分たちの獲物に視線が集中して、まさか標的になっているとは思わないだろう。
攻撃開始。
右手と左手で別の内容の神子術式を描く。人質を巻き込まないように座標を入力していく。
我ながら慣れたものだった。師匠との稽古は常に頭と体を動かすことを求められる。
足を止めたら死にかけて、頭の回転を緩めても死にかける。不器用さ、至らなさも地獄の訓練で全て解決するのだ。
人質が負傷しないよう慎重に範囲を設定した。威力のプログラムも入力が終わった。接近速度は一切緩めない。あと二十メートルもなかった。たった数歩で集団のど真ん中に突入する。
彼等の一人と、ようやく目が合って、にっこりと笑顔でこう叫ぶ。
「ごめんなさいね」
右手を振り下ろすと、自分を起点に術式が発動した。
霜が走り、一瞬で冷気の通り道が白く染まる。
設定したルートに沿って、一筆書きのように盗賊達を伝達していく。白い煙を吐き出す導火線のようだった。
人質達には当たっていない。賊達のいる空間を丸ごと冷却し、湿度の高い空気が凍り付き、微少な氷の粒が散る。「……寒っ」と、冷やされた空気に突っ込んで、ぼやいてしまう。
「あぎゃあああああああ」と、盗賊達が叫び出した。
全身が冷凍されて、賊達は温かさを求めて縮こまった。でも、もう遅い。そこにある温もりは消えていた。賊達はドタバタと倒れていく。
主犯格の男は冷たい爆発と冷気で眼を瞑っていた。彼は運が良い。一人だけ意識を奪わないことに決めていたのだ。
別の神子術式を入力していた左手を振り下ろす。右手の神子術式を終えて、零コンマ何秒も経っていない。反撃する人は誰もいなかった。
問題はない。殺意は向けられていない。殺意を向ける対象を見つけてすらいない。
「おあっ――」
取り残された盗賊のリーダーから小さな悲鳴が漏れた。そして、真っ白な渦に包まれる。
空気を掻き集めて、彼を中心に巻き上がるように物理的力を加え、そのまま空間冷却。含まれている大量の水分を集中して、全て凍り付かせる。
最後の一人は、巨大な渦巻き状の氷柱に閉じ込められた。
「あああああああ!!」
全身が氷で覆われて、氷漬けにされていく。これまでの盗賊達の協力で、リサの戦い方のバラエティは確実に増していた。
叫び声が次第に小さくなって、終に途切れた。
「命までは奪わないから、安心して」
反応は返ってこなかった。本当だ。そう、邪魔にならなければ殺しはしない。ただ邪魔になるのなら殺す。
水分だけに干渉するようにしたので、男の体温は直接奪っていない。しかし、彼を中心に極寒のブリザードを巻き上げたので、リサの声を聞く余裕はなさそうだ。
口元の髭や眉毛に小さなつららができて、歯を小刻みに振るわせていた。
「やばっ、やり過ぎたかも……」
予想では喋るくらいの元気はあるはずだった。
想像以上に威力があるらしい。強い空気の移動によって、過度に冷却してしまったのかもしれない。なかなか加減が難しかった。
再度、リサは他に対象がいないか周囲を確認。脅威はなし。
へたり込んでいる人質達の元へ行く。年齢は三十から五十までだろうか、自分よりも一回り、二回り年上の男、そして、深くフードを被った人が一人。目の前の惨状を口を開けたまま眺めていた。
リサの神子術式で生じた霧が次第に晴れていく。
彼等の目の前では突然、冷たくて真っ白な爆発が生じたように見えたはずだ。自分が助けたとわかるような肉弾戦とかにすれば良かったと後悔してしまう。
「スー、縛り付けてー」
「はい」
半ば凍り付いた賊達を叩き起こして、メイド服の彼女は黙々と、自分よりも二倍以上の背丈の男達を拘束してゆく。ロープは別の盗賊達から調達した物だろう。彼等は自らの体を温めるのに必死で動く元気はなかったが、あくまで念のためだった。
「終わりました!」
「うん。ご苦労様」
そして、乗客達にゆっくりと声をかけた。緊張して声が震えないように気をつける。屋敷を出てからちゃんとした会話すらできない悪党にしか出会っていない。
「……大丈夫ですか?」
純白のコート、髪の先まで白いリサの姿をまじまじと見つめる。不安げな感情の中に、次第に安心が生じていく。
リサは正直不安だった。全く見ず知らずの、それも白髪の女が突如、襲撃者を瞬間冷凍して登場された気分が全くわからない。コホンと一つ咳をする。できるだけ作り笑いをして問いかけた。なんと言えば良いのだろう。彼等の表情から疑念、恐れがまだ読み取れた。
「……お怪我はありませんか?」
「お嬢ちゃんは……?」
「旅の者です。もしかしたらレーゲンに向かう方々ですか?」
「あ……ああ」
人質だった彼等も知っている地名が話題に出て、安堵の表情が広がっていった。敵ではないと認識してくれたらしく、乗客達の警戒心は解けていく。
「そうだよ。これはレーゲン行きだ。ああ、まずは自己紹介だ。私はアドルフ。本当に助かった。あれだけの人数は対処できなかった」
乗客の中でも恰幅の良い男だった。年齢は四十前後。身長は百九十センチまであるだろうか。金髪は短くカットされ、鼻は高く、口のまわりには無精髭。角張った顔つきだった。乗客の中でも、しっかりとした分厚い黒いジャケットを着ていて、握手を求めて突きだした太い腕は丸太のようだ。この世界でもおそらく、もっとも襲われづらそうな人種である。
「はは、私が本来は守らなきゃいけなかったんだがな。正直助かった」
「護衛の人ですか?」
「そう、意外そうな顔をしないでくれ、お嬢さん」
「お嬢さんって――ああ、名前を言っていませんでしたね。リサで良いです。今、縛り付けているのが付き人のスーです」
「ありがとう、リサさんで良いかな? これからレーゲンに向かっているのか? どうだ一緒に乗っていくか?」
「……えっと」
「おい。どうした? もし良ければ街まで乗せていこう。今日の宿は決まっているか? 今夜、我が家に泊まってくれ。ぜひお礼がしたい」
久しぶりに名前を呼ばれた。心の準備ができていなくて、すぐに返答できなかった。野宿ではないのなら喜んで泊まらせてもらおう。
「――いや、何でもないです。はい! ぜひ! お願いします」
「よし、乗って行きなさい。なぁ、いいだろ? ビリー」
「ああ、いいぞ」
ビリーと呼ばれた、丸々とした熊みたいな男が親指で車を示す。彼が運転手なのだろう。話がトントン拍子に進んで恐くなってしまう。案外、道端に幸運は転がっているものだ。
アドルフの鶴の一言で乗客達が動き出した。彼の仕事道具である金属製の手錠が現われる。賊達をさらに拘束してゆく。その動作は淀みなく、熟練した引っ越し業者のように悪党達がトラックに積み込まれてゆく。
「えっと、連れて行くんですか?」
「ああ、そうだ。周辺の治安維持の為にな。それに金になる。なぁ、リサさんこいつの氷を溶かすことができるかい?」
「え、ああ! そうですね。溶かします」
氷の檻に閉じ込められた主犯格の男はもう震えてすらいなかった。
急いで加熱神子術式を起動した。指先で氷塊を叩いた途端、氷が水に融解し、冷え切った男もその場に倒れた。その様子を乗客達が妙に興味深そうに覗きこんでくる。
「君は『発現者』なのかね?」
「ハツゲンシャ? なんですか、それ?」
「ああー、特殊な能力を持つ者のことだ。見たところ、氷を使った能力なのかな?」
「――そっそうです! そうです!」
四百年の歴史で神子術式が廃れてしまったのだろうか。リサの動作を見て、何かの能力だと思ってしまったらしい。発現者と誤解をしてくれるならそれでいい。それが何かは知らないが。
リサの能力の説明を一から始めると長くなるし、そもそも素直に話す気はない。神子術式を『能力』と誤解するならそれで良い。この世界の常識を知らないまま行動して、悪目立ちはしたくなかった。
スーは師匠お手製の帽子を被っていた。この世界では獣人差別が酷く、耳を隠す為だった。彼等には聞こえないように小声でリサは話しかけた。
「帽子似合ってるよ。着けなくても可愛いけど」
「そういうわけにもいきません。何か、妙ですね……。彼等どうして喜んでいるんでしょう」
「それは……助かったからじゃない?」
「何か企んでますよ、きっと。お気を付け下さい」
「考えすぎだって。でも、わかった。一応ね……」
雨が降り出してきて、強引に思考を切り替えられる。心配事は深く考えても底がない。そのまま大型車に乗り込んだ。天井は幌に覆われて、頭の後には小さな四角い窓が着いている。触ってみると分厚いビニールなのだろうか。柔らかい感触だった。
トラックが動き出すと、窓から見える風景は流れるように過ぎていく。雨滴の量が増えて、次第に外が滲んでいった。