GENE3-3.その車に私も乗せて
季節は秋だった。
この世界は不思議なことに地球と似ていた。いや、ほとんど同じだとリサは思った。月が当たり前のように一つ浮かび、満ちては欠けてゆく。天体の動きや時間、気候、天気が同じ速度で流れていた。
季節の移ろいが少し鼻につく。
紅葉直前の森を抜けた。自然が乱暴に彩られて、鮮やかだった。その勢いはすさまじく、リサだけを取り残して世界は勝手に回っている。
自分はなんてちっぽけな存在なんだと感じてしまう。
今歩いている場所は荒廃した荒れ地だった。かつて戦争があったらしく、その傷跡が生々しく残っている。錆び付いた鉄の塊が何台も転がって、砲撃や塹壕の痕をリサ達は通り抜ける。
ククリの森を抜けて、ゴルド帝国の国境に入り、文明のレベルは圧倒的に変化した。かつて獣人の村で見た生活水準と数百年のレベルの差があるんじゃないだろうか。
「まさか戦車があるなんてね」
「これもお姉様の世界のものですか?」
「うん。でも、私も初めて見た」
リサ達、そしてランも知らなかった技術。師匠が閉じ込められてからのゲームで、プレイヤーが持ち込んだ『文明』なのだろう。
もう動くことのない履帯とそっぽを向いた砲塔。その戦闘力は見る影もなく、鋼鉄の亡骸には雑草がはびこって、溢れた生命力に飲み込まれていた。
野原を貫くように焦げ茶色の道が延びていた。
旅は楽しく、何も知らない白紙を埋めていく高揚感が堪らず、リサは偉大な自然に癒やされて、ゲームとかどうでもよくなった。
湿った草原に日が差して、深い青空の底にある雲がゆっくりと流れている。まだ暖かい秋の風が吹いて、のんびりとした気分になってしまう。
「のどかだねー」
「そうですわねー」
メイド服を着たスーはリサの一歩後を歩いていて、小さなウサギ耳がひょこひょこと揺らしていた。黒髪に白い肌、それを隠せば人間の少女に間違われてしまうだろう。白黒の従者の服をキッチリと着こなしていた。
幸い、まだ襲われてはいない。
今日は犯罪者の集団に会わないことを願ってしまう。なにしろ久しぶりの晴天なのだ。森を抜けてから天候が悪くなり、ずっと雨模様だった。しかし、今日は朝から晴天である。
どんよりとした雨天よりも、晴天の方が気分が良い。青い空が突き抜けて、あるのは湿った緑と鉄屑だけ。
「誰もいませんね」
「もう来なくていいよ。今はそういう気分じゃないって」
銃火器で武装した盗賊もいないはずである。鍛錬に寄って研ぎ澄まされた感覚で、彼等が気付く前にリサ達が先に気付いてしまう。少なくとも今近くに気配は察知されない。
昨日はスーとどっちが先に探知できるか競争していたが、今日はもう彼女達はやっていない。そもそも盗賊には会いたくない。詫びの品だけ置いてさっさと消えろとリサは言いたかった。
「探してきましょうか?」
「いや、やめてよ、スー。もういいよ、お腹いっぱい。昨日、どれだけ会ったと思ってるの! 何、嫌み? 嫌みか!」
「――そんなことはないです」
「もう笑ってるじゃん! その目は狡いんだって! すぐに見つけて!」
「心外です! お姉様も使えるじゃないですか!」
昨日の競争はリサの十勝十二敗。そう、スーに負けたのだ。彼女は斥候として余りにも優秀すぎる能力を持ち合わせている。
スーの能力と元兎人の特性で、リサよりも探知範囲が広く、精度も高い。リサもスーの能力を使えるが、技術も効率も本人の方が勝る。何しろ能力は願いの形なのだ。スーの能力は彼女が一番扱える。
ちなみに勝敗の数ほど、襲ってきた盗賊がいる。
別にリサ達が襲ったわけじゃない。偶然襲われて、売られたケンカを買った。彼等も運が悪かった。
今歩いている場所が既にゴルド帝国内であること、これは親切な盗賊が教えてくれた。西へ行くとレーゲンという街に辿り着く、これも親切な盗賊が教えてくれた。
冗談はここまでにして。民家すらない、国と国を繋ぐ一本道。ここを狩り場とする悪党は、ここに朽ちている戦車より明らかに多かった。
そこを歩く上等な衣服を着込む美少女二人は、『箱に入り過ぎて世間を全く知らずに育ったお嬢様』か『余りにも我が儘で車を下ろされた高慢な貴族の娘』に見えるらしい。ちなみに、リサ達は前者である。少なからずも当たっていた。彼等にとって不幸だったのは、ランから熱烈な愛の鞭を受けた箱入り娘だったことだ。
あんな賊より師匠の方が死ぬほど恐い。骨の髄まで染みついた師匠の恐怖を思い出すだけで、彼等はまるで道端の小石についた苔に思えてしまう。
「あの方達の持っているものは興味深いものばかりです」
スーは首にぶら下げた懐中時計をまじまじと見つめる。銀色のボディは傷だらけだが、辛うじて機能していた。賊達からは迷惑料として必要な物資は奪い取った――のではなく貰った。殺されそうになって、結果奪い取ったのは食料やお金、必要になりそうな道具類である。
「それよりご飯を食べよ! あそこ見晴らし良さそう。せめて、場所だけでも良くしなきゃ。スーもお腹減ったでしょ?」
「はい、準備しますね」
適当な廃れた戦車の上に登る。先日の雨で濡れていたので、神子術式でしっかりと乾かしてハッチの真上に座る。スーはバックパックを開いて、本日のランチを取り出した。
缶詰とパン。シンプルな献立である。塩っ気のある魚肉をボソボソとした食感のパンが受けとめて、何とか食べられるほどの微妙な味だった。手の中の味気ない昼食を胃に押し込んだ。
昼食を食べ終わって、屋敷で食べていた和食が恋しくなっていると、錆びた鉄の塊の端っこで、スーがもぞもぞと動いている。
「スー? どうしたの?」
「お姉様、見て下さい! 可愛いです!」
スーがパンの欠片を何かに与えていた。戦車の起動輪の横、草むらの中でショッキンググリーンの固体がバウンドしている。
その塊は何に例えたら良いだろう。緑色のコンニャクゼリーというのが一番近いかもしれない。アメリカのお菓子みたいな色だった。それは、この世界に住み着いた怪物の一種だった。ランが言っていた新しく生まれた『奇妙な生物』。盗賊達と比べて、纏っている『世界の断片』の量は明らかに多い。この世界の住人が『魔物』と呼んでいる生物だと、盗賊達から教えてもらった。
以前、どこかでも魔物に出会ったことがある気がしたが、リサは忘れることにした。
ボール状の生物は、ドロドロとした液体の塊であり、意志を持って動いていた。リサはスライムと呼ぶのが、最も適切だと思った。
「スー、野生の生物に餌はあげちゃダメ」
「こんなに可愛いのにですか!?」
「どこがだ! 禍々しい色でしょ!」
「お姉様! 見て下さい、この形!」
「駄目です!!」
コンニャクゼリーに可愛いさなんて感じない。戦車の横でスーパーボールのように弾んでいる。なにやら餌を貰って喜んでいるらしい。表情が読めない。いや、表情すらない球体である。
「いい、スー? 自然のものは自然に放っておく方がいいの」
そもそも飼い方が不明である。確かに魔物がどうして生まれたのかは気になったが、流石にスライムを連れて旅をするのは無理があった。
「魔物が自然のものかどうかはわからないけどね」
久しぶりにお姉さんらしい事を言えた気がする。スーのウサギ耳が悲しげに垂れた。
スライムは別れの気持ちを伝えるように、スーと見つめ合う――ように見えた。そもそもこのゼリー体に感覚器官なんてあるのだろうか。
風の音とスライムの弾む音だけが聞こえた。
「そうですね……。わかりました――」
自分の想いを断ち切るかのような強烈なサヨナラだった。
スーが強烈なアッパーを打ち込んで、緑色の塊は弧を描いて、ものすごい速さで飛んでいく。草の陰に紛れて見えなくなった。言った手前、リサはあの魔物に対して申し訳なくなってしまう。
「ご迷惑をおかけしました、お姉様。今からお茶を入れますね」
「なんか、ごめんね」
「どうしてお姉様が謝るのですか?」
「いや……、何でもない! 何でもないから!」
そうだ、スーは友達が欲しかったのだ。垣間見せた寂寂としたスーの表情が、リサの心に突き刺さる。
スーはずっとリサと一緒だった。同年代の友達は、かつての村でもいなかったと聞いている。ただ友達が欲しかっただけなんじゃないか。
新しい仲間を加えた方が良いとは思っていた。戦力的にも人手はもっと欲しい。スライム一匹で解決するかは疑問だったが、スーが喜ぶのなら良いじゃないかと思ってしまう。金属製のコップに注がれた緑茶を受け取って、たゆたう湯気をじっと見つめ、何故か緑色ゲル球体の哀愁の漂う姿が浮かぶ。
自分でもハッキリとわかるほどに気が抜けてしまう。
ここ数日ののんびりとした日常は掛け替えのないものだった。気が抜けてしまう。あの地獄みたい日々は終わったのだ。
自分の血液がスプリンクラーのように散布され、自分の悲鳴が修行中の音楽だった。死ぬことも許されない。地獄の釜の底で、師匠と一緒にむりやりワルツを踊らされることもない。出発したときに、あの屋敷が名残惜しいと思ったかもしれない。あれは記憶違いだ。これっぽっちも未練はなく、もう二度とあそこへは戻るつもりもない。リサの決意は固かった。
昼食を終えると少し雲行きが怪しくなってきた。雨が降り出す前に紺色の雨合羽をスーに着せて、リサはフードを被る。師匠からの餞別の真っ白なコートは完全防水、そして、さらに戦闘で銃弾に当たっても破れることもなかった。
「また降りそうだね、今日は晴れたと思ったのに」
予定では街まであと数十キロだった。これで冷たい食事も終わりだと思うと気持ちも晴れやかになる。師匠の能力で簡単な建物を建てられるが、食べ物は創れない。温かい食事が食べたかった。
「もうそろそろ、あの方達が言っていた街に着きそうですわね」
走った方が速いが、あいにく急ぐ気持ちもない。ゆっくりと徒歩でレーゲンに向かっていた。ゆったりと異国の旅路を満喫したかった。まるで海外に来た錯覚を覚えてしまう。
リサがいた世界の技術が部分的に伝播して、この世界を形づくってきた。盗賊達の装備、時計や銃器を見ても、別の世界だとは思えなかった。魔法みたいな力や知らない生物は沢山いるけど。
この先に街があるかどうか半信半疑で、不安に押されるように早足になってしまう。まさか、この世界はゲームでさらに目茶苦茶になってしまったのではないだろうか。その可能性は捨てきれない。
ぽつりと雨が降り出した。
風の音に喧噪が混じる。道の遙か前方で大型トラックが停車していた。十人にも満たない『普通』の人達が盗賊に襲われていて、思わず小躍りしてしまう。無骨なトラックの荷台は風雨を遮る覆いが付いている。旅客運搬用らしい。
襲われている人達は薄汚い服を着ていなかった。カジュアルなズボンにシャツなど見慣れた洋服や、グレーの作業着を着ている。もちろん、銃器なんて持っていなくて、どう見ても一般人だった。
やはり街はあった。ある筈なんだと確信を得て、嬉しくなってしまう。
「スー! 盗賊じゃない人もいたよ!」
「いつものように武器を持っていますけど……」
「違う! 襲われている方だって!」
「武器を失った盗賊ではないのですか」
「……いや、違う! 一瞬信じかけたけど違う! ほら、あの人達怯えてるでしょ! 今まさに金品を巻き上げられているでしょ! それに小汚くないでしょ!」
「私たちをおびき出す罠では?」
「それは考えすぎだって」
世の中そんなに悪い人ばかりじゃない。全く知らない他人全員が自分に対して悪意を持っていると思うのは穿ちすぎだ――と思う。彼等はきっと悪い人じゃない。
リサは息を深く吐いて、精神を統一させていく。感覚をさらに研ぎ澄ませる。
「スー。襲われている人達を助けるよ。スーは倒した奴を縛り付けて」
「わかりました。これまで通りに、ですね」
「そう、これまでとやることは同じ」
盗賊達はまだ気付いていない。狩りの時間だった。
彼等の装備は自動小銃だけだった。運が良い。他に大した装備は見られない。トラックを囲む七人の盗賊。彼等の持つ銃器を見ても、それほど驚かなくなってしまった。兵器よりもランが恐ろしい。
「スー、行動開始」
風を置き去りにする速度で動き出した。
隠密用の神子術式で音や光を減衰させる。スクールバスに乗り込むような心持ちで動き出した。