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GENE1-2.さっさと元の世界に帰してよ

ノアの箱舟なんて昔話の、大洪水を起こした神様の気持ちを考える。

私の掌の上で世界がぼろぼろと崩れていく。まるで腐爛した屍体から染みだした、たらたらとした水晶の液が、指の間だから垂れいく。

爛漫と咲き乱れるために、世界は前に進まなければならない。

だから、私は世界を食べた。


挿絵(By みてみん)

 混じりけの無い白色空間に飲み込まれた。

 目が覚めて、リサが最初に抱いた印象だった。実体験では例えようがなく、全ての感覚が麻痺しているのか、正常に作動しているのかすらわからない。


 どうやら寝転んでいるらしいことにリサは気付く。腕で身体を起こして、自分の身の回りを確認する。


 おなじみの寝間着姿。『食物連鎖』とでかでかと白文字で書かれたピンクのTシャツに、ショートパンツを着ていた。よくわからないTシャツはミナミからのプレゼントで、わざわざ発注してつくったらしい。

 スマートフォンは持っていない。しかし、その小さな端末があっても、この状況はきっとどうすることもできなかった。夢見心地の夢のような場所である。


「どこ……?」


 発した声は響かずに、吸い込まれるように減衰していく。


 故郷の広大な雪原を思い出した。何もない空白の上を歩いてみるけれど、追い立てるような冷たい風は吹いていない。そして、足が沈み込むこともない。踏みしめる音すら聞こえない。固い金属のような地面だった。


 気を抜くと歩いていることすら忘れてしまいそうになる。

 重力の方向も、時間の流れも、何も感じない。頭がおかしくなりそうだ。この空間に五分いたのか、一時間いたのか、わからなくなってしまいそう。


 目を閉じても周囲が見えた。五感が機能していない。そして、自分は息をしていなかった。


「へ!?」


 慌てて手首を掴む。脈もない。

 そんな事はあり得ない。余りにも思い掛けない状況で、絞り出せた答えは一つだけだった。


「夢……かな? あれ!?」


 口を開けていないのに声が生じる。意識とスピーカーが直結していて、心の声が空間内でだだ漏れになっていた。そして、彼女は何か大切なことを忘れている気がして、必死に思い出そうとする。記憶がぼやけていた、お酒を飲んだように思考がハッキリしない。


「そうだって!……レポート書き終わってないじゃん! 早く起きて! わたし! あー、もうプリン食べたい」


 書きかけのレポートを思い出して、思考が際限なく流れ出す。作業の疲れが残っているらしく、体は糖分を欲していた。

 しかし、甘いものを食べるよりもすべきことがあるのだ。最終課題であるレポートを書き上げた記憶がない。これぽっちもない。そう自分は窮地に陥っている。


 背筋が冷たくなって、不安で胸がいっぱいになる。全身が小さく震え出した気がした。


「どどっどうしよう! やばいって!! 起きろ馬鹿!! 早く!! 起きなさい!!」


 頭の中に留年の二文字がちらついた。面倒くさがりなリサは、限りなく履修する授業を減らしているので、単位とはまさに生命線だった。ともかく一刻も早く夢から覚めなければならない。


 しかし、どうすれば――

 そのときだ。突然だった。

 焦るリサの心臓を打ち抜いたのは、背後から発せられた声だった。


「おはようございます。リサ様」

「うわ!」


 車のナビゲーションを彷彿とさせる男の機械音声だった。感情は全く含まれていない。

 思わず飛び上がって、その場に立ちすくんでしまう。体の意志に抵抗して、リサは恐る恐る振り返った。

 

「ひっ!?」


 この空間には何もなかった。まわりには何もなかったはずなのだ。

 ただ、背後にはひっそりとソレはいた。目が合ってしまい、リサの身体が硬直する。


「なんで! なんでなんでなんで! ぬいぐるみが!」


 尻餅をついて、手足をばたつかせて、必死に距離をとった。

 それは母から送られてきた『ぬいぐるみ』。あの段ボールに入っていた、外見は可愛いらしいキャラクターである。しかし、抑揚のない音声とその姿が全くかみ合っていない。そのことが怖気を増幅させた。


「え? ええええ? 喋っ……た……?」


 思考が混乱して、まるで凍り付いたように回転が止まる。飲み込めない不安だけが残った。

 リサは目を反らそうとする。しかし、掃除機で吸い込まれるように意識は捉えてしまう。

 そんなリサを全く配慮せずに、ぬいぐるみはメッセージを、おそらくにっこりと笑いながら、淡々と発し続けた。


「高遠リサ様。ご当選おめでとうございます。あなたは七十億分の一の幸運を手にすることができました。『箱庭』でおこなわれるゲームのプレイヤーに選ばれたのです。貴方はとても運が良い」

「……?」

 

 大量の疑問符は、頭を埋め尽くして、処理しきれずに口から漏れ出してしまう。まるで宝くじが当たったような言い方だけど、それどころじゃなかった。


「どうして私の名前を? 七十億分の一? ゲーム? はっ箱庭っ?」

「箱庭は貴方の想像が力となる世界です。貴方はこの世界を遊び尽くし、世界を新しい形にする権利が与えられます。ゲームの勝利条件は、この私を殺すこと。今回は七回です。一度だけでは駄目ですよ」

「あなたはだれですか!? どうゆうこと!? 何物騒なこと言ってるの! ここはどこですか!? 早く夢から覚ましてよ!」


 止まっていた思考速度は動き出して、加速していく。そんなことはどうでもいい。全くもってどうでもよかった。

 こんなことしている場合じゃない。こんな意味不明の夢から早く覚めなければならないのだ。


「ふざけないで!! 留年するかもしれないの! そんなことどうでもいいの! 単位を! 私は単位をとらなきゃいけないの!」


 来年の四月、桜の樹の下を同級生の『後輩』として歩くのは避けたかった。母の鉄拳も恐ろしかった。


「ゲームに勝利することができれば、あなたは元の世界に戻ることができます。そして、報酬として願い事を一つ叶えてあげましょう。突然言われても驚くでしょうが、貴方には長い長い時間があります。じっくり考えておいてください」

「だから今じゃないでしょ!?」


 拒絶する気持ちを示しても、ぬいぐるみは無反応でピクリとも動かない。一方通行のコミュニケーションだった。駄目だ、リサの声は完璧にシャットアウトされている。


「ねぇ! 答えてよ!!」

「プレイヤー特典として、リサ様に管理者権限を一部譲渡します。以上で説明は終わりです。リサ様のご健闘をお祈りしています。楽しい楽しいゲームの始まりです。選択は貴方次第ですので」

「絶対祈ってないよ! まだ説明してないこと沢山あるよ!? え? 何……?」


 思考が減速して、意識のレベルが低くなって、ぬいぐるみの姿がぼやけだした。視界が掠れて、霧散するように、自分と空間の境界がなくなっていく。


「腕が……?」


 四肢が白い粒子となって拡散していく。光の挙動は蛍のようで、やはり痛覚もなかった。手、腕、肩、胴体が泡沫のように分解される。そして、首元に達して、喉がなくなって、口を失って、視界が閉ざされる。リサは自分がその場から消え去ったのを感じとった。


 そう、そんな『夢』から覚めた気がした。

 

「……もう一体、なんなの……。もう無理、気持ち悪いー。死ぬー。吐くー。もう少しだけ、もう少しだけで良いから寝かせて」


 高熱にうなされているように全身が倦怠感で満たされ、うわごとで口が動く。眼球の奥が熱く、強い吐き気と頭痛に襲われていた。金属で打ち付けるように鈍痛が鳴り響き、お酒を一滴も飲んでいないのに、泥酔したときを思い出す。


 足を自分に引き寄せて丸くなって回復体位をとると、呼吸が少し楽になった。目を深く閉じて、鼻から深呼吸すると、心地よい風が吹く。青々しい緑の匂いだった。


「ん?」


 まぶたを勢いよく開ける。強烈な緑が眼に入った。自分の家の中じゃ絶対見ることのない、緑色の植物。顔の数センチ前で元気よく揺れていた。


 電源が入った機械のように、強制的に意識が覚醒する。


「うう……。ここは!?」


 倦怠感で立つことはできず、ゆっくりと体を起こす。


 そこは草原だった。見渡す限りの緑だった。のっぺりとした平面ではなく、緩急をつけて凹凸の地形が続く。たった数種の植物が世界を埋め尽くしていた。

 そして、雲一つない青空だった。交わることのない地平線が世界を切り分けるように続いている。緑と青の二色に区分だけのシンプルで美しい世界。


「だから、どこ!?」


 答えてくれる人はいなかった。その頭痛は生きている証拠だった。

 徹夜明けの疲れは消えていない。そして、謎の酩酊感で起きているのも辛かった。


 優しい風が吹いた。温暖な空気がリサを優しく包み込んで、気を落ち着かせるように撫でられる。

 リサは考えることを放棄した。

 やっぱり夢かもしれないと、淡い希望を込めながら、独りぽつんと緑のベッドに横になる。


 早く目を覚まして、あとちょっとのレポートを書き終える。さっさと提出しに大学へ行き、ミナミと下らない言い争いをしながら、美味しいランチを食べるのだ。


 リサは何度か息を吸うと、逃れられない眠気に襲われる。心地良く寝ることができそうだ。

 のんびりとした草原は見るからに平和だった。



******



 野原で二度寝をして過ごすなんて初めてだった。睡眠を取ったら頭が軽く、相も変わらず体調は万全である。むしろ過去最高に頭が冴えてはいる。だからこそ自分のこれまでで一番どうしようもない状況だと思ってしまうので、現状については思考することを放棄した。


 時計も何も持っていなかった。Tシャツと短パンで時間がわかるわけもない。寝間着姿で知らない草原を歩いていた。

 全てが心地良く感じてしまう。締め切りから逃げだした背徳感がそうさせたのかもしれないが、リサ自身でどうにかなる問題ではない。


「……のどかだ」


 自暴自棄ともいえなくはない。 

 今まで訪れたことのない場所で、きっと自分のいた世界ですらない。

 リサはなぜわかったのか。それは単純だ。説明されなくてもわかる。


 人間離れした身体能力を得ていた。重力が軽くなったように体が軽い。そして、全身がぬるま湯につかったように熱を帯びている。歩いていたリサはスキップの感覚で、無心で数メートルの跳躍を繰り返す。


 寝間着姿で、スプリングの着いたベッドの上ではなく、緑色の地面を跳ねていた。


「……うぎゃっ」


 簡単に丘を一つ越えて、バランスを崩して、首筋に柔らかな雑草が当たる。空を見上げるように大の字になって、そのまま思考の整理し始めると、脳味噌が数秒間フリーズしてしまった。


「だから……どこ?」


 頬をペチンと叩くと、しっかりと痛みを感じた。一息ついて、考えたくなかった現状の不安材料を整理しようとしても、整理できるわけがない。


「夢じゃないんかーい! これは幻覚か! 嘘でしょ! ねぇ、嘘だよね! いやだー! こんなのいやだー! 留年する! ここはどこだ!! ぬいぐるみ(お前)は一体全体なんなんだ!!」


 ダムが決壊するように、溜め込んだ疑問や恨み事を叫びながら、草原をゴロゴロと転がる。リサの叫びには誰も答えてくれない。彼女に向かって、太陽光が容赦なく降り注ぐ。

 わかっているのは、自分が緑色の砂漠に放り出されたことだった。このままじっとしていても無意味なことだった。


「よし!」


 気持ちを力業で切り替える。切り替えが大事なのだ。考えないことも大切である。

 どうしようもない負の気持ちを抑制して、思考をシンプルに、ポジティブにしようと意識する。単純な性格で良かった。きっと考えすぎの親友(ミナミ)は卒倒してしまうだろう。

 衣服についた草の欠片を手ではらう。髪にもまとわりついていたので、頭を軽く振る。そして、背筋を伸ばして、寝ている身体に目覚めの電気信号を送る。


 深く呼吸して一気に酸素を吸収させて、体の各部のチェックをはじめる。徹夜の疲れは残っていなかった。寝る前の酩酊感も消えた。意識もハッキリしている。むしろ、いつもより元気過ぎるほどだった。


 広大な草原に動くのは自分一人だった。風の音しか聞こえない。

 背後には延々と草原が広がっていて、他に何もない。移動するなら森の方が良さそうだ。

 誰もいない。どこかに自分以外の生き物はいないだろうか。壮大な自然は一人のリサを際立たせる。夢だとしても、とても寂しい場所だった。リサは力任せに走り出す。景色が高速で移り変わる。そして――


「ぎゃっ!」と信じられない速度で転んだ。



 そのまま、走り出してから随分経った。一生分の緑色の植物を見て、ウンザリした気持ちもある。しかし、それ以上に自分の身体の異変が気になってしまう。


 速度が全く衰えず、息切れもしない。裸足で走っても擦り傷一つない。異常なほどエネルギーが満ちあふれ、驚きを通り越して恐怖を感じてしまう。


 無人の世界に自分だけ放り出されたのか、自らを励まそうと童謡を口ずさむ。人目なんて気にしない。誰でも良いからと流れる風景に人影を探す。陽気なテンポと走る速度の不一致が凄まじかった。


「あるひ、もりのなか、くまさんに!?? ちょっ――」


 予想外の影を見つけてしまった。走る速度が速くなっても、思考速度に変化はない。両足を突き出して、止まろうという努力はしたのだ。しかし、そのまま二、三回転して俯せの体勢になる。


 先ほど誰でもいいから居て欲しいと彼女は願った。誰でもいい訳じゃなかった。 


「ひっ……」


 正面の光景に息を呑んで、眼を疑ってしまう。それは始めて見るこの世界の住人で、棘だらけのシルエットである。大柄な身体を小さく上下に動かして、どうやら食事の途中のようであった。


 数十メートル前にいる怪物は人の形をしていない。

 その生物は例えるならバッタだろうか。ただ虫と呼ぶには余りにも大きすぎる。数メートルの体躯を持っていた。


 草原の水辺に巨大な未知の虫が何かを食べている。よく観察すると、それは子供のようだった。リサよりも小さいブーツが一つ、隣の茂みに引っ掛かっている。

 泥は紅く染まり、黙々とその化物は口を動かしている。口が動く度に、食べかけのもう一本の脚が、フラフラと風鈴のように揺れていた。


 食事中のソレは、地球存在しない生物だと断言できる。もし見た人がいるのならそれはきっと映画の中だ。しかし、フィクションではない。目の前にあるのは願っても消えない現実だった。

 フォルムは丸みを帯びていた。足は八本伸びていて、数十センチの鋭い棘がビッシリと生えている。一番後の両足が特に太い。中の翅は水色とグレーのまだら模様。黄色い体色と組み合わさって、生理的な気持ち悪さを感じてしまう。


 前足を擦り合わせ、ギチチッギチッと、不快な音が周囲に響く。

 ごちそうさまと食後の挨拶をしているようだった。


 化物の頭部にピンク色の眼が複数ついている。しかし、その視線の方向はわからない。頭頂部にある触角が振動し、何本もある足を器用に動かしていく。


 怪物の前には子供がへたり込んでいた。リサと同様に動けなくなってしまったようである。怪物は向きを変えて、その子供の方を一度向く。そして、また向きを変えた。


「ッ……!?」


 ゆっくりと体の向きが変わり、リサの方を向く。リサは目を背けたくなってしまう。食べかけの「餌」が、その口からこぼれ落ちたからだ。


「ひっ?」


 化物は一番大きな後ろ足を折りたたんだ。

 そして、体をすこし上方へのけぞった瞬間、地面を大きく蹴って、周囲に気色悪い羽音を振り向いた。音量が大きくなり、寒気がそれ以上に大きくなる。


「……」


 数十メートルの距離を一気に飛越えて、リサ目の前に着地する。その着地の衝撃で髪が揺れる。虫の口唇部を濡らしていた、赤い液体がリサの頬に飛び散った。

 二匹のうち、サイズの大きい獲物を選んだようである。


「……いやっ」

 

 何か行動をしなければならない、脳の機能が停止してしまう。おそるおそる視線をあげて、息が止まる。


 化物は何かを食べている途中だった。口の中を見せつけて、左右の顎からベットリと着いた血が垂れて、鼻先にある草が赤く染まる。頭の斜め一メートル上で、化物は可愛いでしょとでも言いたげにくりっと首を傾げる。


 そして、遅れて悲鳴がやって来た。


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