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GENE2-1.可愛い妹と美しき師匠


 リサは苦しさと痛さで悶絶したまま、右手にお風呂セットを抱えて、スーに左手を引っ張られる。

 部屋に訪れたラン=トラオラムは、破天荒な女性だった。脳天に衝撃が走った。物理的にである。

 どこからともなく風呂桶が頭に直撃する、強烈な挨拶だった。この酔いの苦しみはさらに悪化して、頭の上にあるたんこぶが鈍い痛みを発している。


「痛い……よ……」


 しかし、余りにも美しくて、その振る舞いを許してしまいそうになる。同じ人間だとは思えないほど顔が整っていた。リサがこれまで見た人間の中で最も綺麗な存在だ。


「お姉様! こっちです!」


 案内をする兎耳を揺らす少女は、身長一四〇センチほどで、リサよりも一回り小さい。なめらかなショートの黒髪から獣の耳が飛び出ている。おそらく、スーである。もう兎の獣人ではなく、耳を隠せば人間と相違ない。


 白い衣の袖をはためかせて、突き進むスーの表情はとても嬉しそうだった。

 対して、頭蓋骨の内側で金属製の打楽器がグワングワンと打ち鳴らされている。リサは抵抗する気力はなかった。


 淡い青の浴衣を着せられて、足がもつれそうになってしまう。


 朝の薄暗い太陽光が差し込む廊下。どこか既視感のある木目だった。窓を覗くと日本の伝統的な庭園が広がっている。美しく配置された木々で奥が見えない。巨大な土地の起伏を縫うように一本の川が流れていた。


 吐き気を押し殺して、口を開く。

 見覚えのある光景に浮かんだ疑問は多くある。しかし、それ以前に聞かなければならない事があった。


「スー? でいいよね? あってる?」

「はい! スーです。初めまして――っていうのは、ちょっとおかしな感じですね」


 苦笑して振り返る彼女は、照れる表情を前髪をいじりながら隠そうとする。


「耳が聞こえるようになったの……?」

「そうなのです! ランさん曰く、お姉様の能力の結果らしいのです!」

「能力?」

「ランさんは『理を変える力』と言ってましたよ」


 また聞かなければならないことが増えたようだ。変な力を得たことは体の感覚でわかる。手をかざして意識を集中すると、手の平が発する白い粒子の量が多くなる。

 そう言えば何か大事なことをランから言われた気がするが、目が覚めて間もない頭ではさっぱりだ。加えて、痛みで思考が邪魔される。


「説明を任されたので、お風呂に入りながら、ゆっくりお伝えいたします」

「スー、良く喋るね……」

「うふふ、考えていたことが、言葉になっただけですよ」


 スーは嬉しそうに振り向いた。寝ぼけた頭では理解できず、辛い二日酔いは治まらない。短い一言で返事をするのが精一杯だった。

 

「お風呂に入ったら、すぐ体調は戻るはずですから」


 長い廊下を曲がると、見覚えのある赤と紺の暖簾があった。


「性別で分かれています。私たちは――」

「知ってる……。こっち」


 弱々しく指で示した。「お風呂に関しては、スーよりも先輩なの」と心の中で自慢げに念じるけれど、口から出たのはうめき声だった。

 それにしても何故お風呂あるのだろう。先ほどまで寝ていた部屋や、廊下から見える風景。もう温泉宿にしか見えなかった。


 入ると立派な脱衣場があった。服を入れるための竹カゴ、床にはすのこ。ムッとした熱気で立ちくらみしてしまう。ゆっくりと服を脱ごうとすると、スーが飛びついてきた。心なしか息が荒い。


「ちょっ……」


 スーに一気に服を脱がされる。恥ずかしいと伝えようとするけれど、やっぱり声にならない。絞り出すような悲鳴を出した。スーは笑っていたかもしれない。いや、笑っている。満面の笑みだった。


 スーは止まらない。抵抗するのを諦めて、脱力してなすがままになる。

 そして、勢いよく水しぶきが弾ける音。拒絶する間もなく、乱暴に湯船に投げ込まれてしまった。


「ごばはっ!!?」


 草木に彩られた庭は、石畳が敷き詰められている。高さ数メートルの崖からお湯の滝が勢いよく降り注いでいる。空気中に散った湯気が白いもやとなって浴場を満たしていた。滝壺に大小の岩に囲まれた、リサが予想していた以上に見事な露天風呂。

 緑色のネットリとした湯が全身を包む。急いで呼吸しようと、顔をだす。酸素を吸って体の力が抜けていく。そして、苦しみが一気に溶け出した。嘘みたいだ。


「……」

「このお風呂は、ランさんが調合した薬湯です」


 風呂の淵にある手頃な岩に寄りかかる。お湯は香草の香りを含んでいて、ヨモギを思い出させた。

 スーはゆっくりと湯船に浸かり、リサのすぐ横にぴったりと寄り添う。苦しみから解放されたリサを見て、早口で喋り始めた。


「ランさんから、お姉様のことを聞きました。お姉様がやるゲームについてもです」

「え?」

「ランさんは神様の代理人(プレイヤー)だそうで、もうゲームが始まったと聞きました」

「……スー、ちょっと! ちょっと待って!」

「お姉様?」

「少しだけ、一息つかせて」


 展開が急でついていけない。ゆっくりと両腕を伸ばして、スーの両頬を摘まむ。もっちりとした肌だった。


「ほっほねえはま? ふぃたい! ふぃたいふぇす!」


 ちょっと強くつねってみると、だいぶ元気が出てきた。痛がるスーを見て確信した。どうやら夢ではなさそうだ。

 夢か幻かと悩むのは何度目だろう。ここに来てから、信じられない出来事ばかりで現実を疑ってしまう。しかし、ちゃんと現実だった。しっかりとスーはそこにいた。頭がスッキリした。


 最後に自分を落ち着かせるように小さく咳払いして、ゆっくりとスーに言い聞かせる。


「スー、お風呂はゆっくり浸かるもの。覚えときなさい」

「……はい」


 リサに怒られて、少ししょんぼりとした顔になったスー。垂れた耳が可愛らしくて、リサの胸の奥底から、どうしようもない衝動が湧き出してくる。


「それは置いといて――」

「?」


 鼻を膨らませて、深呼吸をする。体に変化はあっても、中身は全く変わらないようだ。リサはリサだった。そして、スーもスーだった。脱衣場での蛮行をお返ししなければならないと、リサは彼女に飛びかかる。


「おっお姉様!? 急に何をっ!? おぼっ、溺れるっ」


 本当に生きてて良かった スーに抱きついてそのまま倒れ込んだ。ちょっとお風呂に投げ入れられた仕返しの気持ちもある。腕の中に熱い感触があたる。スーはちゃんと生きていた。可愛らしい顔つきと、自分より有望性のある胸が憎たらしい。

 

「うわあああ、お姉さま。くすぐったい! くすぐったいです!!」

「……よかった……よかったよ、本当に……」

「きゃっ、あははっお姉様! くすぐったいですから」

「…よかった」


 スーの全身を余すところなく確認して、力強く抱きしめる。本当にもうダメかと思った。襲われた恐怖が蘇ってくる。リサが殺意を感じたのは生まれて初めての経験で、殺意を抱いたのも生まれて初めての経験だ。


 身体が強ばって、思わず彼女の肩に項垂れてしまった。


「……お姉様! 私もとっても嬉しいのですが! 力が、力が強すぎですっ!」

「――ああ、ごめん。まただね」

「ええ、またです」


 抱きしめていた腕を緩めてスーを離す。彼女は恥ずかしそうに笑っていて、安心して力が抜ける。

 首元までお湯に浸かり、また湯船の縁の小さな岩に頭を乗せて、ゆっくりと空を見つめる。朝の涼しげな冷気で頭が次第に冴えていく。遠くまで青い空が広がっていた。


 スーが現実だった。すなわち、あの惨劇も現実なのだ。

 どこか浮遊感のある悩みが生じる。それは重量もなく、ただ視界を奪う霧のようなものだった。

 

「スー、私どうなっちゃたのかな」

「お姉様はお姉様です」

「私のこと、恐くない?」

「恐くありません! 何をそんな弱気になっているんですか? お姉様はもっと単純な方だと思ってました」

「単純って……」


 褒められてるのかと疑問に思ってしまう。確かにスーと出会ったときは、不安を押込めていた。何もわからないまま、手足を動かしもがいていた。自分にここまでの生存本能が備わっていたことに驚いてしまう。

 落ち込んでいる暇などなかった彼女の、処理しきれない二日の出来事の結果が、おそらくは森奥にあるこの秘湯だと思うと、自分は運が良かった方なのかもしれない。


「止まっているよりましです。不安なら、悩んでいるなら、足を止めてはいけません」

「――もう」


 横を見ると、スーの強い眼光と目が合った。何でも見通しているような目だった。聡明な瞳と彼女の言葉に、リサは励まされてしまった。

 もう一度、上を見ると、久しぶりに青空を見たように感じる。今日は曇りがちで、ゆったりと雲が浮かんでいた。

 見えない悩みを綿雲のように押し固めて、数十秒ほど呼吸に集中する。一息ついて、スーに笑いかけた。


「私は良い妹を持ったみたい」


 どうしてお姉様と呼ばれるのかわからなかった。確かに、どこかしら血のつながりは感じている。姿が変わったのは変な力のせいだとスーは言っていた。

 この異常な力はそれほど危険なものじゃないのかもしれない。

 

「お姉様-!」


 妹は強く私に抱きついて、その小さな頭をぽんぽんと優しく叩き返す。一人っ子だったので妹の存在は素直に嬉しい。「よし! では、スー。説明をお願いできる?」と、彼女に一つお願いをしてみた。


「わかりました。でも、お姉様、一つお願いが……」

「スー!?」


 まだお風呂になれていなかったようで、その雪のような肌が真っ赤にゆであがっている。リサは彼女を引っ張り出して、今度はリサが彼女に服を着せた。



******



 脱衣場に行くと服が替わっていた。白衣に紺色の袴である。新しい服は道着のようにずっしりとした重さで、合気道の服に似ていた。寝ていた部屋に戻ると、立ち上る白米の湯気に感激してしまう。想定外の和食に身体ごと飛びついて、スーに一週間寝ていたからだと言われて、底知れない食欲に納得した。


「ランさんから、お姉様が別の世界の人であることを聞きました。この世界の神様とゲームをしなければいけないことも。そして、ゲームは既に始まって、その敵は世界のどこかに降臨したらしいです」

「本当に!?」

「ただ、どこにいるのかはわかりません。この広い世界のどこかで動き出すのを待つしかないそうです。お姉様に必要なのは、その間に力をつけること」


「あんまり物騒なことしたくないんだけど」とリサが困り顔をすると、そんなこと言ってられなそうですよとスーは苦笑した。


「ランさんは神様の代理人(プレイヤー)だそうです。胡蝶之夢ドリームズカムトゥルーのラン=トラオラムと呼ばれ、この世界を千年以上生きてきたと言っていました。今いるこのイースタルや総代会もあの方がつくったそうです」


 急に話が嘘くさくなってきた。

 食べ終わると、カタカタと音を立てて、木製の絡繰人形が食べ終わったお膳を下げていく。黒い髪に白い肌。身長は二メートルはないが、人形としては大き過ぎる。祖母の家にあった市松人形を思い出す。しかし、カラクリ人形にしては動きが滑らかで、明るい茶色の着物からは白い手足が突き出て、近づくと何かが高速で回転する音が聞こえる。不気味な人形はぺこりと小さくお辞儀をして、リサは反射的にお辞儀を返してしまった。


「……」

「どうしました? お姉様の世界にあるものじゃないのですか?」

「いやいやいや! あんなのはない! 似たような人形は知ってるけど、あんなのはない!」


 リサのいた世界をかなり誤解しているようだった。スーはどこか残念そうだ。

 そろそろですねと、スーにランの部屋まで案内してもらう。この広い屋敷の配置を、リサが寝ている間にすっかり覚えているようで、迷路のような屋敷の中を迷わずに進んでいく。


 村長のヘンリから聞かされていた内容とは随分と異なっている。総代会とはもっと人の集まる組織だと思っていた。


 しかし、リサとスー以外、この屋敷には人がいない。全て先程の人形が掃除などを行っているようだった。どこか既視感のある風景に、今度は二人が迷い込んでしまったようだった。


 長い廊下を何度も曲がり、次第に窓がなくなって、階段を降りると、雰囲気ががらりと変わる。天井が高くなり、薄暗い空間を行灯がぼんやりと照らしている。

 壺や掛け軸、刀剣などが置かれていて、その豪華絢爛な通り道に肩身が狭くなってしまう。まるで美術館の展示のようだった。


 突き当たりに、暗い赤色に大きく鳳凰が描かれていた。近づいてみると巨大な襖のようで、鳳凰が真っ二つに分かれて左右にスライドする。次の絢爛な襖絵が現われる。深遠な湖の風景画だった。


「入れ」


 凜とした声が襖の向こう側から聞こえた。触れてもいないのにまた襖が開く。その湖畔の風景の奥にある三色の襖も動き、タンタンタンと連続して音が響いた。


 畳が一面に敷かれた広大な和室に、白い照明が天井から降り注いでいる。

 ランは部屋の中央に肘掛けを支えにして、悠々と座っている。真っ白な衣に緋色の袴を着て、まるでどこかの国の女王のようにその存在は凜々しかった。自分の最も美しいと思う『概念』が実現したようだった。


「まぁ、それはある意味では正解じゃな」

「?」

「いや気にするな。入れ入れ! こっちじゃ! こっち!」


 ランは目の前の畳をバンバン叩いてリサ達を呼ぶ。

 急に話しかけやすい雰囲気になってしまった。

 

「どうじゃ? ゆっくり休めたかのう?」

「はい、良い湯でした。食事までありがとうございます。スーから聞きました。助けていただいて、本当に感謝しています」

「よいよい! 堅苦しい挨拶はなしじゃ。お主が何を聞きたいのかはわかる。お主、元の世界に帰りたいか?」

「――はい、もちろんです」


 ずばりと言い当たられて固まってしまう。それを見たランは悪戯をした子供のような笑みを浮かべた。


「それではまずこの世界について話さなければならないのう。この世界は妾やお主がいた世界とは異なる世界じゃ」

「……」

「なんじゃ? 驚かんのか? つまらんのう。まず、この世界はあの管理人(クソ野郎)がつくった世界じゃ。妾、神様の代理人(プレイヤー)達は箱庭と呼んでいる」

「管理人?」

「この世界に来る前にあった奴じゃ。心あたりはあるじゃろう」


 あのぬいぐるみ(クソ野郎)のことだろう。あの白い空間のことも思い出したくはなかった。彼女も同じような経験をしたのだろう。


「この世界で何百年かに一度、妾達が召喚される。わしが大体千年前。だいたい五回か六回くらい前のゲームのじゃのう。妾は主の大先輩じゃ」と、ランは遠くを見つめるように、懐かしそうに話し出す。


「ゲーム毎に世界が大きく変革する。昔の先輩曰く、妾のように残るプレイヤーは珍しいらしい。こっちに新しく来た神様の代理人(プレイヤー)と一緒にゲームをしたり、闘ったり、国をつくったり、滅ぼしたりなんかしてた」


 そして、哀しげな表情になる。なにか嫌なことでも思い出したのだろうか。

 ランの動作を一つ一つを見ていると、本当に神様だと信じてしまいそうになる。生きている次元が違うような気がした。まるで心に直接語り掛けているように、彼女の言葉が頭の中に響くのだ。


「スーが何を言ったのかは知らんが――」


 スーがびっくりして、そのウサギ耳が直立する。


「主と取引がしたい。別に強制させる気はない。妾はお主にゲームに勝利する力や知識を与える。その代わりに、願いを叶えて欲しい」


 悠然と語る姿だけで華のある人だった。現状が全く見えないリサは置いてけぼりになるしかない。ひとまず信用できるのか、できないかの答えは出なかった。


「お主、見た目はちんちくりんのくせに、意外と用心深いのう」

「……」

「あーそう、怖がるな。私はお主を騙すつもりもない。利用しないというのは、嘘になるが。だからこそのお願いじゃ!」


 まるで心を読んでいるみたいに、リサの思い浮かべた不安に対して、ランは返答する。リサの戸惑う様子を見て、彼女はさらに笑顔になる。


「変なことは思わん方が良いぞ? 心が読めるのじゃから。これは妾の能力の一部みたいなものでのう。当たり前すぎて抑えることができないのじゃ。すまんのう」


 絶対に申し訳ない気持ちは欠片も持ってない。返答する内容を考えてしまう。無言で困っていると、ランは勢いよく立ち上がった。


「よし! 立て! 修行を始めるぞ!」

「えええ!? 私――何も!?!?」

「師匠と呼ぶのじゃ。ついて来い! いやー、こうやって動くのは久しぶりじゃ。体がなまっていないといいがのう」

「ちょっと待ってくだ――うわっ!?」


 首元を掴まれて、ずるずると引きずられてしまう、歩くと騒いでも彼女は離してくれなかった。心を読まれているらしいが、リサの二十年少しの人生では、だからどうすれば良いのか答えが見つからない。


「――防ぎたいなら鍛えること。この世界の理を教えるからのう」

「心読めるんだなんて便利ですね……のっ能力って?」

「この世界に来た神様の代理人(プレイヤー)には、世界を変える権利を与えられる。その形は人それぞれ、お主は既にわかっているじゃろう?」

「でも、こんな得体の知れない力なんて――」

「だから修行する。ほれ時間は限られておる。どんどん質問しろ!」


 聞きたいことが多すぎて、何から聞けばよいのかわからなくなってしまう。

 ランはゆっくりと喋るけれど、その内容が突飛すぎる。異世界だのゲームだの能力だの言われても現実味がない。


「……願い事ってなんですか?」

「妾の友人を助けて欲しい」

「友人ですか?」

「妾は、この場所に数百年前から縛り付けられておる。前々回のゲームからじゃ。その友人は捕まっていてのう。そのために妾の力を全て与えてやる。主は決して損をしない」

「……」


 どうもがいても逃げられなくて、抵抗をやめて腕組みをしたまま連れて行かれてしまう。

 廊下の行灯が、ちらちらと横を通り過ぎて、後からスーがトコトコと追いかけている。心配そうなスーの視線を見て、リサも自分の行く末が不安になってしまう。


「総代会ってなんですか?」

「妾の昔の名残じゃよ。神様の代理人(プレイヤー)の影響力は強大での、国やら組織やらを設立することになる。お主もそのうちつくることになるじゃろう。総代会は妾のつくったものでの――もう歴史上はなくなった存在じゃよ」

「なくなった?」

「正確には消されたかのう。今は妾一人だけ、他は皆死んだじゃろうな……今は少数のコミュニティにちょっかいを出すくらいじゃ。幸いお主が引っ掛かった」


 ランは懐からヘンリが書いた紹介状を取り出した。本当に運が良いとランは言葉を付け足した。


「運の悪いプレイヤーだと、この世界に訪れてすぐ死んでしまう。与えられた力を発揮することなくのう。こうやって先輩に会えたのに、せっかくの機会を手放すのか?」

「……それは」

「まさに困ったときの神頼み。修行が終わったら、お主は一人のプレイヤーとして生きなければならない。どうせ国の一つや二つつくったり、滅ぼしたりする」


 師匠の歩く速度は一定だった。ようやく頭が動き出した。さらに朝食のエネルギーが身体を見たし、これまで寝ていた身体が目覚めていくようだった。


「ゲームに参加しないでさっさと帰る方法はないんですか?」

「ない。あったらやっておる」

「世界間の移動は管理者だけができる。試した例を知っているが、みんな失敗した。理不尽じゃのう」

「そっそんな」

「お主が言いたいこともわかる。元の世界に帰るためにはゲームをクリアするしかない。奴のルールなのが癪だが……」


 ゲームをクリアするしかないと、ランに即答されてしまう。本当にそれしか方法はないのだろうか。リサが悩んでも、師匠は勝手に話を進めていく。


「まず、最初のアドバイス。使えるものは何でも利用しろ。人、組織、国、敵の身内など何でも。情けなんてなくせ。容赦はするな。いちいち悩んでいると、ゲームは終わらない。どうせ世界大戦に発展して屍体の山に、血の大河。残るのは死屍累々の夜じゃよ」


 師匠が立ち止まった。だいぶ長く引きずられていた気がする。急に身体に加速度が加わり、重力が軽くなった。 


「なっなにをっ――」


 数秒の浮遊感の後に、固そうな土の地面が近づくのが見えた。

 片手で着地して、そのまま地面に両足をつける。

 屋敷の中庭で、学校の校庭のように土のグラウンドが広がっている。サッカーと野球を同時に試合できるほどの広さが、塀に囲まれていた。リサ達がいた場所が、屋敷のほんの一部だったことがわかる。


「中身は空っぽじゃが、幸い基礎的な運動能力は良いみたいじゃの」


 と師匠は完全にいじめっ子の顔をしていた。リサを見る眼が玩具箱を前にした五歳児である。


「ちょっと、話の続きを――」


 彼女は雄弁であったが、今度は言葉ではなく、蹴りが飛んできた。リサは咄嗟に下にしゃがんで避ける。師匠は説明を続けながら、次の蹴りを繰り出した。


「ほれほれ、お主が拒否してもゲームは進む。修行するかここで死ぬかじゃ。ゲームをしないのなら元の世界に帰れない。クリアする気がないなら、奴に殺されて終わりじゃ。そして、妾はあいつの喜ぶ顔が見たくない。ならいっそ妾がここで殺してやる!!」


 高笑いをしながら、師匠は拳や脚を繰り出してくる姿は鬼のようである。リサは必死に避けるしかなかった。 

 人の話を聞こうという姿勢が最初からなかった。命令に従わなければ殺すなど、最初から脅しと変わらなかった。


 師匠の攻撃は止まらず、突きだしたパンチをリサは腕でガードする。そして、師匠が腕を振り下ろすと、猛烈な突風でリサの身体が持ち上がる。

 不可思議な術で空中に吹き飛ばされて、リサは彼女から数十メートほどの引き離せられる。


 無茶苦茶だ。論理も何もあったもんじゃない。師匠の倫理観を疑う。神を名乗るならもっと道徳的な人じゃないのか。


「妾ほど優しい神様の代理人(プレイヤー)はいない」


 いや、噓だと思う。そう思われても仕方がないような、悪魔の笑みを師匠は浮かべていた。防御した腕がビリビリと痛む。しかし、覚醒する前と比べると痛覚は鈍くなっているようだ。


「主が想像しているよりも、奴は簡単に倒せる。問題なのは、如何に邪魔されないか。ゲームに必要なのは絶対的な強さ。そして、戦術、戦略、策略、知略。よし、準備は良いか?」

「まっ待ってください!」


 突然、戦闘をするなんて聞いていない。そもそもリサは闘いたくなんてないのだ。化物みたいな力を与えられて、疑問もなくすぐ使える人の方が頭が可笑しい。狂っている。

 自分の力を見ると、あの草原の光景を思い出してしまう。あの真っ赤に染まった草っ原を。 

 ゲーム以前に、自分の存在が一番恐ろしいのだ。


「――待たん、死ね」


 眼の前の師匠は掠れて、幻影のように消えていく。今度は背後から殺気を感じ、強烈な蹴りが無防備な背中に叩き込まれた。


「っ!?」


 リサは自分を信用できなかった。

 自分の力を信用できなかった。

 この意味の分からない力が恐ろしかった。あの惨劇がフラッシュバックしてしまう。


「……それは嫌です」


 鈍感だと言っても、苦痛は苦痛だった。地面に叩きつけられて、カーリングの石のようにグラウンドを滑って、土埃で汚れていく。


「あはははははっはっは!! 本気で言っておるのか! お主面白いことを言うのう。わからないのか、お主はもう戻れない」


 苛立ちの目を師匠に向けると、彼女はその妖艶な表情で、悠々と歩いていた。その凜とした声が頭に直接響き、リサは耳を塞ぎたくなってしまう。


「哀しくもそれはどうしようもない。事故や天災に巻き込まれたとしか思うしかない」

「……」

「本当にどうしようもない。何もせずに帰れるなど甘い選択肢はない。この世界が今のお主の現実。決して夢でも幻でもない。逃げることができない現実なのじゃ」


 沈黙が流れた。そんなことを言われても、なんて言い返せばいいのかわからないのだ。


「力が恐いのか」

「そりゃ、恐いですよ! だって、人を殺せるんですよ」

「だから?」


 まるで命のやりとりをなんとも思っていない答えだった。スーが中庭の出入り口で心配そうに立っている。答えのない疑問をランは


「どうせ使わなければもっと人が死ぬ。今はまだ何も起きてない。現実味がないじゃろう。しかし、お主がこれまで信じられないことが現実になった。これから地獄がはじまることも、どうせ現実になる」

「こんな力いらない!」

「そんなこと言っても消えない。主は授かった神の力を得てしまった。ほっといて暴発する方が不幸になる。まずは使いこなせるようになれ」

「……」

「ほれ! 使ってみろ」

「……」


 初めて会ったときから彼女には少女のような童心をリサは感じた。それが彼女の異様さを際立たせる。美人は千年生きると魔女になるのか。リサは師匠に少し腹が立ってきた。


「よう言うわ――」


 リサは思い切って、力の安全装置(セーフティ)を外す。こめかみの裏にある、触れていけない腫れ物のような器官に力を込める。脳味噌全体が熱くなり、腹の底から力が湧いて、自分の感覚が研ぎ澄まされる。可能な限りの戦闘能力をイメージすると、どうしてか兎の耳が生えてきた。


「おお!!」


 師匠が楽しそうに歓声を上げた。リサが悩んでいた分、その飄々とした表情にイラッとしてしまう。


 リサは地面を全力で蹴った。立っていた地面が反作用でひび割れる。真っ正面から全ての力を彼女にぶつけた。彼女の首元に、たった一歩で近づいて、横一文字に空間を切断する。

 渾身の力の手刀だった。


「っ!?」


 白い粒子の飛沫が、ランの首元に達すると光の爆発が生じた。いや、ただの光じゃない、稲光である。立っているランは帯電状体だったのか、近づいたリサは零距離で落雷に呑み込まれる。結果、全身の筋肉が硬直し、吹き飛ばされてしまった。


 遅れたように雷鳴が轟いて地面を振るわせる。

 高温に熱せられた空気の爆発に、体中が焼けるように熱い。


「まぁ、基礎的な身体能力は及第点。成長してどうなるのか楽しみじゃ。しかし、まあまあまあ。ちょっと馬鹿じゃがのう。それに実力差くらいはわかって欲しいもんじゃ」

「あぐっ!?」

「このように世界の理を使えば、簡単に倒す事ができる。」

「……」

「お主には世界を変える力が与えられた。今使ったそれは、それのたった一つの結果にすぎん。能力の根幹を理解していないと全く意味がない。そのスイッチが何を意味するかわかって初めて、お主は使いこなせる」


 雷撃で全身が痺れているリサに、嬉しそうに語り掛けながら近づいて来て、その足袋がリサの鼻先に数センチで止まる。


「今はでたらめに石を投げているだけ。お主に変化が現れたのも、スーが変身したのも偶然投げた石が当たったに過ぎん――」


 師匠は一息ついて、倒れているリサの頭をぐりぐりと踏みつける。電撃の影響で身体はまだ動かなかった。リサの現状の説明は有り難いが、その所作は問題があると、リサは踏まれながら確信した。


「その力の付き合い方を教えてやる。自分の存在が恐いじゃと!? 笑わせるな。この世界にはもっと恐ろしいものがあるのじゃ。妾みたいにの!! ふっふっふ!!」


 人の頭を踏みながら、この人は一体何を言っている。本当に腹が立っていた。いくらリサでも人に頭を踏まれながら会話する被虐的な趣味はない。

 

「お主、元気じゃのう。そんぐらいじゃないと、楽しみようがない」


 師匠の妖しい笑顔はそのままだった。袖をヒラヒラと動かしている。師匠は心を弾ませて、リサがどう反応するのかを待っていた。自分は被虐的趣味はないが、彼女は絶対に加虐的趣味の持ち主だ。リサは決して立ち上がりたくはなかった。


 何が幸運だ。この人を本当に師匠としなければいけないのか。まだ、管理人(くそやろう)の方が可愛げがあるじゃないか。千年も生きれば、こんなにも素晴らしい神様になれるのだろうか。


「口だけは一人前じゃのう」と、心を読み取った師匠の目が輝いて、辺り一面に轟音が鳴り出した。


「何してるんですか! 何してるんですか! 何してるんですか! この人でなし! 馬鹿師匠!」


 人を踏みつけたまま、雷を落とそうとする彼女はまるで悪の化身だった。

 命の危機を感じたリサは、踏みつける師匠の脚を何とかどけて、その逃げ場のない絨毯爆撃から必死に逃げ出した。




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