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河童を釣ったときの話

作者: 斉藤メモリ

 河童を釣ってしまった。



 ある晩秋の日の昼。管理人を務めている山小屋から離れて、川に釣りに来た時のことだった。

 ヤマメでも釣れればいいがと思いながら竿を振っていたら、何かがかかった感触がした。

 急いで糸をたぐりよせると、ひぃーという悲鳴とともに緑色をした亀のようなものが引きずられてきた。

 何かの動物でもひっかけてしまったかと思い、慌てて渓流の中に入って、糸の先を確認する。


 暗緑色の肌。

 痩せた身体。

 尖った口先。

 背中の甲羅。

 頭頂部の皿。


 河童だった。


 口に引っかかった針を外してやると、河童は貧相な顔を歪めてひぃひぃ泣きながら口をおさえていた。

 傷口からだらだらと血を流して痛がっている。河童でも血は赤いものらしい。


 「すまないな、こんなところに河童がいるなんて思わなかったんだ。手当てしてやるから、小屋まで来いよ」

 

 そう言って山小屋の方角を指し示すと、河童は泣きながら頷いて、とぼとぼと俺についてきた。

 広葉樹の落ち葉が敷き詰められた地面を踏んで、徒歩二十分くらいのところにある山小屋を目指して歩いていく。

 時々振り返って河童がちゃんとついてきていることを確認する。どうも河童は歩くのが遅いようで、俺と同じ距離を歩くのに倍くらいの時間がかかっていた。陸に上がった河童という言葉もあるくらいだし、河童はあくまでも川の生き物ということなのだろう。


 山小屋に着くと、救急箱から大型の絆創膏を取り出して、河童の傷口にぺたりと貼ってやった。河童は物珍しそうに口に貼られた絆創膏を撫ででいる。


 「傷が治るまではがすなよ?」


 そう言うと、河童はこくこくと頷いた。

 どうやらある程度は言葉が分かっているらしい。河童という種はそういうものなのか、それともこの個体だけの特性なのかは分からない。


 「ここは俺が管理人をしている山小屋だ。見ての通り、小さなものだけどな。今は登山客もいないから、しばらくここで休んでいけ」


 河童は頷くと、大きな目玉を剥いて、きょろきょろと周りを見回した。人間の建物が珍しいのかもしれない。こっちだって河童は珍しいのだが。


 「しかしなあ、俺も河童なんて初めて会ったよ。この山小屋の管理人になってもう何年もたつし、あの川にもしょっちゅう行ってるのにな。そういえば、河童は人間を川に引きずり込んで尻子玉を抜くなんて言うが、本当にそんなことをするのか? お前はそんなことをしそうな感じには見えないけどなあ」


 そんなことを聞いてみたが、河童は何を言われているのかよく分からないようだった。尻子玉というのが何なのかは知らないが、きっとただの伝承なのだろう。ここにいる河童は本当に人畜無害のように見えた。


 しかし、早朝から屋根の修繕などをしていたせいか、昼飯には早い時間だが、腹が減ってきた。河童は何を食うのだろうか。

 河童と言えばやはりキュウリだろうが、あいにくと今この小屋にキュウリはない。台所を探してみると、とりあえず昨晩作った煮魚の残りが見つかった。

 河童は川の生き物だし、魚ぐらい食べるだろう。そう思って煮魚を与えてみると、河童は眼を不気味に光らせて手づかみでがつがつと食った。表情の変化に乏しいようで感情がわかりにくいが、どうやら喜んでいるようだ。

 

 外見は爬虫類か両生類かといった風で気味の悪い感じもあるが、こういう姿を見ていると、愛嬌のようなものを感じなくもない。せっかくこうして出会ったのだし、しばらくの間ここに置いておくのも面白いかもしれない。

 こんな得体のしれない生き物と一緒に生活するなど、我ながら正気の沙汰とは思えないが…… 特に危険はなさそうだし、構わないだろう。

 自分はそんな柄ではないと思っていたが、オフシーズンの山小屋で毎日ひとりで暮らしているせいで、人恋しくなっていたのかもしれない。孤高の山男だ、人嫌いの変わり者だ、と気取ってはいたが、俺も意外と平凡な性格だったということだろう。もっともそれで河童と生活してしまうのは平凡とは言えないが。

 

 

 それから、河童との生活が始まった。

 俺は日々、山小屋の設備の修繕や備品の整理といった仕事をして暮らしているのだが、河童に手伝わせてみると意外と役に立った。

 河童は意外と力が強く、建材や工具箱や非常食入りのケースを運ばせても軽々とこなすし、こちらの指示もよく理解した。

 おかげでひとりで作業をするよりずっと早く終わるので、空いた時間にはふたりで釣りに出かけた。河童は渓流に飛び込むと、陸にいるときよりずっと素早く動き回って、あっという間に川魚を何匹も捕まえた。

 何か報酬を与えなければならないと思って、麓の農家でキュウリを買ってきてやると、河童は目玉をぎょろぎょろと動かして大喜びした。何本もキュウリを大きな口のなかに詰め込み、口の端からだらだらと涎を流す。正直見た目が良くない。

 しかし、川に住んでいるのにどうしてキュウリが好物なのだろうか。やはり不思議な生き物である。

 


 河童を連れてきて数日がたった夜。

 荒天の多い山には珍しく、空は雲一つなく晴れていた。

 空気の中には余計な塵もなく、冷たく澄んで冴えていた。

 風が梢を騒がせる音も、ずっと遠くから聞こえてきた。

 少しだけ湿った地面からは土の香りがする。

 何と言えばいいのか、本を読まない俺には良い表現は思い浮かばない。

 とにかく良い夜だ。山の夜だ。

 こんな夜にやることはひとつ。酒盛りだ。


 河童を呼び、山小屋の外に設置してある木製のテーブルに炙ったスルメとキュウリを並べていく。お湯を沸かして、ステンレスのタンブラーの中で焼酎のお湯割りを薄めに作った。

 木製のベンチに並んで座って、キュウリをかじり、スルメをしゃぶり、お湯割りを舐めながら、夜空を眺めた。頭上いっぱいに広がる夜空の中、無数にある星がどれもはっきりと見えた。


 今これを見ているのは河童と俺だけだ。そう思うと、とても愉快な気分だった。

 これほどまでに美しいものがここにはある。

 それはこんなにも大きなものなのに、俺たちふたりだけが知っている。

 山の外にいる連中は、それがあることすら気づいていない。

 ああ、これが山だよ。俺はこれを探しに来ているんだ。


 河童は酒を少しだけ飲むとすぐ上機嫌になり、地面の上で飛び跳ねて、おかしな踊りを踊っていた。

 暗緑色の肌は赤らんで、灰色と緑色がまだらになったような、何だか気持ちの悪い色になっていて、それが無性におかしかった。

 

 

 翌朝、目を覚ますと、河童はいなくなっていた。

 予定していた作業も中止して、山小屋の中や近辺をあちこち探し回ったが、どこにも姿が見えない。

 翌日になっても戻ってこない。

 きっと川に帰ったのだろう。そう考えるしかなかった。

 

 「何だよ、出ていくなら挨拶くらいしていったらどうなんだ。黙って出ていくとは失礼なやつだな」


 思わず文句が口からこぼれる。

 河童にはそういう考え方はないのかもしれないが、正直面白くなかった。

 

 その日から河童のいない生活に逆戻り。

 つまりは今までと同じ、孤独で気楽な山男生活である。どうということはない。

 どうということはないのだが…… どういうわけなのか、俺ひとりで運ぶ建材は、河童が来る前よりも重たく感じられた。



 さらに数日後の朝。

 玄関のドアを開けると、すぐ前の地面に見慣れないものがあることに気づいた。

 十枚程度の笹の葉が皿のように敷かれている上に、二、三匹の川魚が並べて置いてある。

 河童と釣りに行ったときに、あいつがよく獲っていたものだ。


 「なんだ、お礼のつもりかあ? あいつ、変なとこで律儀だな」


 自然と口の端が上がっていくのを感じる。ああ、恥ずかしい。


 そうだ、まだ台所に何本かキュウリが残っていたはずだ。

 かごにでも入れて、玄関先に置いておくことにしよう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 丁寧な描写が詩的でもあってよかったです! 特にカッパの描写の所が深みを感じます。 話も昔話的でありながら、楽しくもありました!
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