休息
「ほんとですかっ!?」
クゥが目を輝かせ、椅子から転げ落ちるほどに身を乗り出した。重蔵はいきなりの大声にびっくりしてのけぞった。
「あ、あぁ……たぶんだけどな」
「やった! やった! とうとう手がかりだ!」クゥは喜びを爆発させていた。両腕を大きく広げたかと思うと、ぎゅっと身を縮め、また体を開いた。全身が笑顔だった。
「その空ってとこにはなにがあるんだね?」とミチ。
「それで、空はどこにあるんですか!?」クゥが言った。ミチは口をとがらせた。
「わかったわかった、教えるから落ち着きなさいよ」重蔵は頭をかいた。彼はクゥが床に正座するのを見てから、軽く咳払いして話を続けた。
「ありゃあまだ俺があんたぐらいのころだったがな、親父とケンカしてよ、村を飛び出したことがあったんだよ。親父はずいぶん前に死んだから、今となっちゃあ、どうして怒られたのかも覚えちゃいないんだけどな。あんときの親父は怖かったなぁ……。
まぁそれはともかく、俺はまだ若かったから、悔しくって、ライフル一丁だけ持って村を出たんだよ。どこか遠くに行きたくて、一人きりで先へ先へと進んでいったんだ。そこで、そこを見つけた」
クゥがつばを呑み込んだ。重蔵は目を細め、ゆっくりと噛みしめるように語る。
「とんでもなく広い場所だった。床は全部が緑の植物に覆われていて、ものすごく明るかった。目を凝らすと上の方は青く見えたよ。そしてどこを見渡しても、ハシゴも、階段も、エレベーターも、柱も壁も天井も無かったんだ」
「空だ! まちがいない! それでそのあとどうしたんですか!?」
「逃げたよ」
「――え?」
重蔵の顔がわずかに歪んだ。思い出したくないことを思い出してしまったとき特有の、苦いものを我慢するような表情だった。
「おっかなくなったんだ。まるでいきなり宙に投げ出されたみたいに、何もかもが不安定になっちまった気がしたんだ。この世界に自分がたったひとりだと突きつけられたみたいで、叫び出したくてたまらなくなった。まさかこの世にあんな広い場所があるなんて、自分がゴミのようにちっぽけな存在だなんて、思いもしなかったんだよ俺は」
重蔵は再びクゥを見、微笑した。
「だから俺は逃げ帰ったんだよ。情けない話ですまなかったが、これが俺の知っている空だ。なぁクゥさん、それでも行くのかい?」
「行きます」即答した。彼女の瞳に宿る光には、少しもブレがなかった。
「……そうかい。じゃあ教えるよ」
耳の後ろからプラグを引き出して、重蔵は差し出した。クゥはそれを受け取って、自分の耳の後ろに挿した。そしてしばらく目を閉じると、重蔵に返した。
「2847000時間くらい前のマップだから、床や壁が成長して構造が変わっているだろうが、概ねあってるはずだ」
「ありがとうございます。これで間違いないと思います」丁寧に頭をさげるクゥ。
「話は終わったかい」横で退屈そうにしていたミチが言った。
「なんにせよ、出発するならその足が治ってからにするんだね。その服も洗濯したげるから脱ぎな、代わりに私のお古を貸すから。空き部屋がひとつあるからそこ使って」
ミチに言われたとおり、クゥは案内された空き部屋で服を着替えた。それから部屋に据え付けてあったベッドに腰かけ、長く息を吐いた。
「意外だな」
不意にヒンメルが言った。
「クゥのことだから、場所を教えてもらったら飛び出すかと思った」
「そうしたいよ」苦笑するクゥ。
「でも、こういうときこそ準備は万端にしなきゃ。まずは足を治す。それから、ここの人たちに恩返しして、それから出発する……」
クゥはベッドに仰向けに倒れた。それからぼーっと天井を眺めながら、徐々にに体を休眠状態へと移行していく。
「まぁいいさ。好きにしろ」ヒンメルも、どこか眠たげに言った。
「……あ」
「どうした?」
「ヒンメルの体……余ってないか、訊くの忘れてた……」
クゥはそのまま寝息をたてはじめた。ヒンメルはセンサーの光を弱めながら、「はじめから期待してないさ」と小さくつぶやいた。