重蔵たちの村
重蔵と重次に連れられて、クゥは薄暗い道を進んでいく。深い谷にかかった一本橋を渡り、床に開けられた穴からハシゴを降り、かと思えばまた別のハシゴを上がり、一時間ほど歩いたころ、ふいに広い空間へ出た。そこが彼らの村だった。
重蔵たちの村は、人の数こそやや多そうに見えるが、なんの変哲もない一般的な村に見えた。壁か床から露出していたらしい太い流動管を中心に、小さな家屋たちを上手く育てて作った村らしかった。村の空間からべつの場所へと繋がるであろう道の出入り口には、固定機銃などの防衛設備が充実していて、豊かな村であることが示唆されていた。
「おーい! 戻ったぞー!」
重蔵が手を振って呼ぶと、彼らの帰りを待っていたらしい他の村人たちがガヤガヤと姿を現して近づいてくる。その中にひとりの女性がいて、彼女はいち早く重蔵にかけよってきた。
「あんた、大丈夫――あら、この人は?」
「崩れた通路に巻きこまれたんだ。クゥさん、妻のミチだ」
「どうもすいません、お世話になります」重次の隣でクゥは頭をさげた。
「ひどい怪我じゃないの。すぐ食べ物用意するから、ウチに運んで!」
「んじゃあ、またあとで」重次がクゥから離れ、代わりにミチがクゥと並んで支えた。
「あれまぁ、ここまで大変だったでしょ。バグに襲われなかった?」
「小さいやつなら何回か逢いました。でも重蔵さんが追い払ってくれて」
「あの人、銃だけはうまいからねぇ」ミチがはにかんだ。
クゥは歩きながら横目で後ろを見た。後方では、重蔵と重次が集まった他の村の男たちとなにやら真剣な顔で話し合っている。
「まぁでも、なにしろクゥさんが無事でよかったよ。あなたひとりで?」
「ええ」ミチの言葉に、クゥは頷く。
「見たところ旅人みたいだけれど、命は大事にしなきゃダメよ。まだ若いんだから……ほら、ここ。ここがウチだ」
ミチは大きな建物にクゥを導いた。ミチは居間の椅子にクゥを座らせると、パタパタとまた建物を出ていった。
クゥは息をひそめ、耳をすませた。そして周囲に誰もいないことを確認すると、そっと話しかけた。
「……どう? ヒンメル」
「いい人たちじゃないか」ホルスターの中のヒンメルが言った。
「よかったぁ……!」クゥは心の底から安堵した。わずかに表情をこわばらせていた緊張がほどけて消えた。
「しばらく村に立ち寄っていなかったからな。何十時間か、ここで厄介になるのもいいだろう。恩返しのためなら俺を使ってもいい」
「ヒンメルも喋ればいいのに」
「いい人たちだが過信は禁物だ。喋る銃は珍しいからな」
「そんなこと言って、ただの人見知りでしょ?」からかい気味に言う。
「自由に動ける手足があれば、もっと人を信じられるかもな」
「あとで訊いてみるよ、余ってる体がないか」
「期待しないで待ってるよ」ヒンメルが微笑したようにクゥには感じられた。
建物の外から足音が近づいて、ミチが戻ってきた。両手に深いお椀をふたつ持っている。
「あれ、あんた、今誰かと話してなかったかい?」
「いえ? 誰とも」
「そう? まぁいいや。ほれ、食べ物だよ」
ミチが椀の片方を差し出し、クゥは受けとる。椀の中には灰色のドロドロとしたペーストがよそられていて、そこにスプーンが突き刺さっている。よその村で見かけるものと同じだった。
「ありがとうございます、いただきます」
クゥは『食べ物』を口に運ぶと、無意識に呑み込んだ。
「たくさん食べな。ここの流動管は太くてたくさん流れてるから、蓄えだっていっぱいあるんだ。だからバグとかの襲撃も多いんだけどさ」
ミチはもうひとつの椀の中身をスプーンですくうと、居間の窓辺に近づいて鎧戸の蝶番に塗りたくった。椀の中身は今しがたクゥが食べたものと同じもので、クゥは、どこの村も修理の仕方は同じだなあと、なんだか感慨深く思った。
「戻ったぞ」
重蔵が入り口から入ってきた。クゥはあらためて挨拶し、礼を述べた。
「いいんだよ、クゥさん。困ったときはお互いさまだ」重蔵は朗らかに笑い、床にあぐらをかいた。
「重次は?」ミチが重蔵のライフルを片づける。
「バグの解体を手伝いに行った。3番出入り口の機銃がちょいとガタがきてるからな、バグからとれればいいんだが……」
「私も手伝いましょうか?」
「あぁ、クゥさんはいいよ。まず怪我を治してくれ。そういやクゥさん、あんた、なんであんなところに? どこから来た?」
重蔵が額をさすりながらクゥを眺めた。バグ由来の素材の丈夫な旅人服はずいぶんと使いこまれてツギやスレが目立っている。銀色の髪も、重蔵やミチたちの黒いものとはちがっていた。
「私は……だいたい10000層くらい下からきました」すると重蔵は目を丸くして、
「10000! まさかそんな、ずいぶん遠いところから来たんだなぁ! 何千時間かかるか、想像もつかん!」
「冗談じゃないの、そんな遠くに人がいるなんて」とミチ。
「いえ、ほんとです。それで、旅をしています」クゥは苦笑した。
「旅ねぇ……なんでまた?」
「空をさがして」
クゥは微笑し、しかしつよい決意をこめてそう言った。重蔵は、クゥのその様子を見て意を得たふうに静かにうなずいたが、ミチはまた首をかしげた。
「『空』って、なんだいそりゃ。人かい?」
「いえ、場所の名前です。空はとてつもなく広くて、壁も天井もない場所なんです。どこまでも何もなくて、きれいで、そしてそこには私の――」
「壁も天井もない場所なんて、あるわけないじゃないか。よしんばあったとしても、バグが恐ろしくってとてもいられないよ」
「ミチ」重蔵が低い声で言った。
「ね、クゥさん。そんなことよりこの村にずっといるのはどう? 歓迎するよ。女の子なんだから、旅なんて危ないことはやめてさ、この村の一員に――」
「ミチッ!」重蔵が怒鳴った。ミチは口をへの字に曲げた。
「なんだい、いきなり」
「すまねぇな、クゥさん」重蔵は頭をさげた。
「アンタが空っちゅうもんに何を求めてるか知らねぇが、アンタが人生をかけてるもんだ。応援するよ」
「……ありがとうございます」
「それに俺はもしかしたら、その空って場所を知ってるかもしれねぇんだ」
重蔵はそう言って、にやりと笑った。