そのご
――5――
迷路の中。
その一角で、幼い少女は首を傾げる。
「あれ? なんだろう?」
虚空に向かって少女はそう呟くと、そのまま空に指を奔らせた。
「保護された? なんで? ――ああ。なるほど」
少女はそう頷いて、それから薄く微笑む。
無邪気で、どこか愉しげな笑みだ。
「うん、わかった。なら迎えに行くから、あなたはそのまま一緒に居て」
虚空を眺めて微笑む少女は、そう言い放ち。
それから――空を蹴るように、虚空を跳んで走り出した。
――/――
走る。走る。走る。
後から追いかけてくる“それ”に追いつかれないように、“反発”も駆使しながら走り抜ける。
「あわわわわわわわわわ!!」
『がうぅっ?!』
子虎を抱きしめる手にも、つい力が入る。
うぅ、ご、ごめんね? でも、“あれ”から逃げ切る間だけ、だから!
「なんで、こんなところに――」
轟音を立てながら迫るのは、道幅ギリギリの大きな無機物。
ごろごろと転がるソレは、たまにすれ違う鎧甲冑すらも轢き潰し。
「――大岩が転がってくるの?!」
まるで、冒険映画のワンシーン。
虚空から落ちてきた大岩が、わたしを追いかける。さらに厄介なことに、この大岩、角も曲がるし空も飛ぶ。途中でかけた身体強化のおかげで体力切れは心配ないけれど、魔力切れがこわいっ!
「ど、どうすればいいんだろう……っ」
いずれは追いつかれて。
いずれが轢き潰されて。
そうしたら、この子虎は?
わたしが連れてきてしまったこの子は、どうするの?
「覚悟を決めろ、笠宮鈴理」
走りながら、思考を固めていく。
「息を潜め、牙を研ぎ、獲物を見据え」
深く。
強く。
気高く。
「冷たきを体へ、熱きを裡へ、心意に満ちるは刃の如く」
我が身は鋼。
我が心は灼熱。
我が魂に満ちるのは、誇り高き。
「故にこれぞ」
故に。
「“狼の矜持”!」
体に力が満ちる。
体勢は低く、まるで四肢で駆ける狼のように駆け、走り、奔り。
大きく跳躍して、振り向いた。
「【重力制御】――【重力増加】!!」
大岩にかかる重力をカット。
自身にかかる重力を増加。
極限まで軽くした大岩に向かって、平面結界を纏わせた拳を向ける。
「【吸着】――ぁあああああッ!!」
――ドンッ!!
大岩を受け止める。
軽くなっても、これまで溜まった慣性は消えない。だけど、わたしは今、すごく“重い”。この程度の衝撃では、動かない!
「【構成分解】、脆く、なれッ」
大岩の構成を分解。
柔らかく、脆く、大岩の本体に霊力を流して、そして。
「【衝撃】――ッ!!」
――ズガンッ
平面結界から放たれた衝撃が、吸着していた大岩に余すことなく叩きつける。
すると脆くなった大岩は、粉々に砕け散った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
心臓がばくばくとうるさい。
足も手も棒のようだし、体も重い。
同時に、今すぐ眠ってしまいたくなるほどの疲労感が、体にのしかかっている。
魔導術を扱うと、世界に満ちる魔力を取り込んだ“器”が消耗する。
異能を使うと、己の魂から汲み上げた力が、私自身の“魂”を消耗する。
その両方を同時に扱うことが、こんなにも辛いことだったなんて、想像してなかった、なぁ……。
『がう?』
「ぁ」
そうだ、この子を。
この子を、守らなきゃ。
でも、どこへ進む?
消耗しすぎて探索ができない。今、鎧甲冑に群れに出くわしたら?
どうにかしないと、どうにか、どうにか。どうにか。
「冷たきは、体へ」
冷静になれ。
まずは息を整えろ。
最後には、牙だけあれば。
敵の、獲物ののど笛をかみ切れる。
だから――
「おねーさん」
「っ……へ、ぁ?」
――ふい、に、自己暗示の海から浮上させられる。
「ぇ? だ、だれ?」
「こっち」
差しのばされた手。
小さな手。十歳くらいかな。幼い少女だ。
「ついてきて」
わたしの手を引く少女。
前を見る彼女の顔は見られないけれど、後ろ姿ははっきりわかる。
白い髪の、ボブヘアの少女だ。鈴を転がしたような声が、どこか心地よい。
「ほら、こっち」
不思議な女の子。
引かれる手は温かくて、なんというか、ちっちゃい子特有の温かさだ。
……この娘と出会う前に変態おじいさまを退治できて、ほんっとうに良かった。おじいさま、幼い少女にトラウマを植え付けることが生き甲斐みたいなひとだったから。
「足下、気をつけてね」
女の子は、複雑な迷路を迷うことなくぐんぐん進む。
その道中で鎧甲冑には一度もぶつからず、やがて、小さな空間にたどり着いた。
「はい。ここは安全圏だから、ここで一休みしよっか?」
「う、うん、ありがとう。でも、えっと、あなたは?」
わたしがそう問いかけると、少女はくるっと振り向いた。
整った顔立ち。黄色い目。白い髪と合わさって、どこか神秘的な雰囲気がある。
「私は、この“侵入者追い込み結界”の管理をしている一族の、見習い巫女。みーちゃんって呼んでね?」
にこっと効果音がつきそうなほど、朗らかに笑う女の子――みーちゃん。十歳くらいの女の子も管理に携わるなんて、退魔師ってすごい。わたしが十歳のころなんて……ころなんて……だめだ、変質者のことしか思い出せない。
き、気を取り直して。
「どうして、ここに?」
「白とはぐれちゃったんだけど……おねーさんが保護してくれたんでしょ? だから、迎えに来たの」
「しろ? って、まさか」
『がう!』
わたしの腕の中でごろごろしていた子虎が、嬉しそうに鳴いて、みーちゃんの肩に飛びつく。そっか、だからあんなところにいたんだ。管理する女の子のペットだったんだね。
なんだかちょっと寂しい気もするけれど、この寂しさは特専に帰ったらポチをなで回して発散しよう。
「おねーさんは、迷い込んじゃったみたいだね」
「わかるの?」
「うん。だって、白は悪い人には懐かないから」
みーちゃんに褒められたと思ったのか、白は嬉しそうにみーちゃんの頬を舐める。
ごろごろと鳴く姿は、可愛らしいみーちゃんの容姿と合わせて実に絵になる光景だった。
「本当は無闇矢鱈にひとを迷い込ませるような場所じゃないんだけど……なんだか、調子が悪いみたいなんだよね。だから偉いひとから私みたいな下っ端まで、走り回って調査をしていたの。……巻き込んでしまって、ごめんね。おねーさん」
「い、いいよ。それに、わたしが落ちてきたおかげで、偶然、この子も助けられたし!」
そう言って白を撫でると、わたしの手にその小さな頭を押しつけて、もっと撫でろと催促された。
うううぁぁぁ、かわいぃ……。ポチ、ごめんね、あなたを撫で回すのはまた今度で。
「……うん、やっぱり、見る目があるね。おねーさんは、すっごく良い人だ」
「そ、そんなことないよ?」
「ふふ、そういうことにしておくねっ」
そういうことにしておく……って、もう。
わたしだって、自分のことばっかりだ。結局、自分が助けたくって助けたお節介。そう言っても、みーちゃんはのらりくらりと躱してしまった。むむむ。
「よし、そろそろ出発しよっか。ここから先は防衛装置が出ないとも限らないけれど、充分回復したみたいだし、ね」
「防衛装置?」
「鎧武者とか、罠とかだよ」
そ、そっか。
本来は、侵入者を排除するための装置なんだ。
「ご、ごめんね、それ、わたし、けっこう壊しちゃった……」
「ん? ああ、大丈夫大丈夫。この結界内に限り、自動で最大数まで増加するからね」
「そうなんだ……すごい」
なんだかちょっと、“異界”みたいだなぁ。
異界も、それぞれ特殊な空間で、魔獣の類いも自動生成されるみたいだし。
「よし、じゃあ行こうか。おねーさん?」
「うん! 【速攻術式・身体強化・展開】」
「お、強化魔導術ってやつだね。よし、なら私も。【式鬼憑依・韋駄天顕現・我が身に疾風の加護のあらんことを・急々如律令】!」
みーちゃんが懐から取り出した紙が、緑色の光を放つ。そのまま彼女に足に張り付くと、緑色の脚絆が出現した。
おお、すごい。“特性型”の異能、かな。黄地は式神使いって師匠も言ってたし、黄地の敷地の結界を調査しているこの子も、式神使いっていうことなのかな。なんだか格好良い、かも。
「私が先導するから、おねーさんはついてきて。道中の防衛装置はたぶん、管理権限を持つ私にも攻撃は仕掛けてくるけど、あからさまに障害になっているの以外は放置していーよ」
「うん、わかった! それなら障害は、わたしが“退ける”ね」
「ありがとう。じゃ、そーゆーことでっ」
風が舞う。
わたしはみーちゃんの目配せに頷いて、身体強化に足裏の反発結界を併用。
そして。
「よーい、どんっ」
声に合わせて、一息に飛び出した。




