そのはち
――8――
ぐるぐる、ぐるぐると。
わたしの中を、色んな物が駆け巡る。
『泣きわめけ、苦しみ足掻け、ああ、いい顔だ。美しいよ、鈴理』
「いいや、だめだ。死んだ人間は現世で足掻いてはならない。消えるべきだ」
『ああ、鈴理、私の鈴理。痛みを堪えておくれ。その顔こそが至宝だ』
「囚われてはダメだ。希望を向けて。思い出すんだ。手を差し伸べろ、鈴理」
声。
ねっとりとした醜悪な声。
心地よい、優しい声。
交互に聞こえる声は、僅かに、ほんの僅かに、醜悪な声を上回る。
(でも、わたしはもう、傷つけたよ)
「誰も傷ついてなんかいない。間に合ったんだ。まだ、誰も傷ついていない」
『いいや、おまえは傷つける。いつもそうだろう? 何度、自分の都合に他人を巻き込んだ?』
おじいさま。
幼い頃からそうだった。人を、幼い少女を傷つけることが好きで、それ以外の全てを愉しめなくて、おばあさまと連れ添ったはずなのに、彼女の死にすら興味が湧かなかったというおじいさま。
我慢して、時折、証拠を残さないように“発散”して、それがばれないように家族には、自分を知る人には善人の仮面を被って生きてきた人。
悲しい人。
『さぁ鈴理、絶望しておくれ。なぁ、鈴理よ』
(わたし、は)
「選ぶのは君だ。手を取れ、鈴理。選択肢はその悪霊と、僕の手ではない」
(わたしは……)
『痛み、苦しめ。絶望を選び続けろと、教えてあげただろう? 可愛い私の鈴理』
(ああ、そうだ、わたしは)
「見ろ、鈴理。差し出された手を見ろ。醜悪な泥の塊なんかじゃない。光を見るんだ、鈴理」
(ひか、り)
光り。
照らされた道の先。
その先から差す光りの色は――。
(瑠璃、色)
――「魔法少女、みーらーくーるー――ラピっ」
ああ、そうだ。
あの瑠璃色こそが、わたしの――希望だ。
(おじいさま、ごめんなさい。わたしは――)
『な、なに?!』
溢れる光り。
瑠璃色が欲しいのに、わたしに満ちるのは“エメラルド”ばかり。
ああ、でも、日の沈む前の夜。昼の白と夜の黒の狭間。瑠璃色の空が映り込んだ海は、きっとこんな色に違いない。
(わたしはもう、おじいさまの言いなりにはならない)
だから、おじいさま。
わたしの体から、消え去って。
いなくなれ!
「そうだ、鈴理!! 君の思いが、未来を切り拓くぞ!」
光りが、満ちた。
――/――
『なんという嫌がらせ動画。アカウント停止にすべきだろ年増め!』
「なんの話?! もうやだ、なんなの、もうやだ」
体をぎゅっと押さえて隠すと、咳き込む七。
えっ、なにごと? というか、さっきからどうしたの?!
「思わぬダメージを負ったというか、色々回復したというか、と、とにかく! 鈴理さんは回復した。君の“干渉”は取り除いたけれど、どうする?!」
『な、なにィッ!? く、なんということだ、気分の悪い画で気を逸らすとは、卑劣な痴女め!』
これが終わったら、田舎に引っ越そう。
それで、野山に囲まれて、鳥さんと暮らそう。うん。
なんなの? 変態老人に痴女呼ばわりされるとかなんなの? ……ぐすっ。
い、いや、だめだ。
危うく現実逃避するところだった!
「――おじいさまは、趣味が悪いです」
「鈴理さん?」
ふらりと立ち上がるのは、先ほどまで伏せっていた鈴理さんだ。
「言いたいことはたくさんあります。でも、一つだけ」
『のこのこ出てきおって……もう一度、支配してくれるわッ!!』
跳ねるように飛び出す下郎。
ステッキでめためたにしてやろうかと構えると、それよりも早く、鈴理さんが前に出た。
「可憐で究極無比で格好良くて素敵で優しい師匠を馬鹿にすることは、わたしが絶対に許さない! その身で、わたしの怒りを受け止めなさい――」
い、言い過ぎよ? 鈴理さん? 私は本当に、鈴理さんの将来が心配です。……って、あ、あれ? 鈴理さんの体から、ぼんやりと溢れる力。緑色のその波動の種類、は。
え、あ、あれ? そ、そんな、だって、これは。
「――“干渉制御”」
鈴理さんに集うように光りが明滅する。
その光りはなにもない空間に溶けると、爆発するように膨張。
その姿を、鮮やかなエメラルドグリーンから、燃えるような赤に変質させる。
「【熱量制御】!」
とたん、鈴理さんの視線の先。
下郎の体に仄かに赤い光りが奔ったかと思えば、次の瞬間、爆炎となって光が爆ぜた。
――ズガァンッ!!
『ぐぎゃっ づっ、ばかな?!』
この力は、まさしく“異能”。
けれど、そんなはずはない。だって、“異能者に魔導は使えない”のだから。なのに。
「押し潰れなさい――」
溢れる緑。
次いで、その色を沈むような黒に変質させる。
『ちぃっ』
「逃がさない!」
その“黒”は、下郎の動きを逃さない。
まるで、重く沈む鉄牢のように。
『な、なにをするつもり――』
「【重力増加】!!」
『――げぎゃッ?!』
黒い光の力、“重力”の力場に押し潰される下郎。
それを放つ鈴理さんの瞳は、薄くエメラルドに輝いていた。
「ポチ!」
『応ッ!』
駆け寄るポチの上に跨がる、鈴理さん。
『舐めるなァッ!!』
抵抗して起き上がり、腕を斧に変質させる下郎。
「人!」
『狼!』
そして。
「『一体!!』」
いつの間に練習したのだろう。
鈴理さんとポチは、息ぴったりにそう叫んだ。
「【速攻術式・平面結界・展開】!!」
『狼雅“ブレス=オブ=ロア”!!』
横に寝かせた平面結界。
ポチの術による超加速。二つが合わさり、瞬時の間に、斧に変質した下郎の手が寸断される。
「今です!」
『ボス!』
「――ええ。【祈願・現想・愛と絆と正義の波動砲】」
重力の力場で足掻く下郎。
その顔は、今まで自分が鈴理さんに強制してきたものよりも、ずっと醜い恐怖の形に歪んでいた。
ならこれこそが、自業自得、因果応報と知れ!
「お願い、ステッキさん!」
『や、やめ、ひっ、ぃ、やめ――』
ステッキの正面に集うのは、瑠璃色の魔法陣。
溢れ出た力は球体と化し、私はそこにステッキを振り下ろした。
「【成就】ッ!!!!」
『――ろぅあァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ?!?!』
轟音。
閃光。
眩い光と共に、下郎の姿が消えていく。
やがてその場には何も残らず――ただ、えぐり取られた崖と、巨大な穴を穿たれた雲だけが、その結果を残していた。
「今日も、魔法少女は完璧可憐♪ 笑顔を護ってキュートにぶいっ☆」
巻き起こるのは瑠璃色の風。
きらっと光る星。ぷるんっと揺れる胸。ちらっと見る七。
……七、あなた本当に、覚えてなさいよ? 一週間は“性に興味を持ち始めた子供”扱いするからね?
魔法少女衣装が、空に溶ける。
いつものスーツ姿に戻ると、私はそっと、佇む鈴理さんに近づいた。
「師匠、わた、わたし、わたし……」
そんな、言いよどむ鈴理さんを、そっと抱き寄せた。
「頑張ったね」
「っ」
「えらい、偉いよ、鈴理さん、本当に、よく頑張ったね」
「っぅ、ぁ」
「――無事で、よかった」
おそるおそる抱き返す手は、震えていた。
けれど一度、ぎゅっとスーツを掴むと、それで決壊したのだろう。
「うぁ、ああっ、ししょう、うぇ、ぐすっ、あ、ぁああああああっ」
「遅くなってごめんね、もう大丈夫だよ」
「わたし、わた、わたし」
「大丈夫――どこにも、いかないよ」
鈴理さんが、声を上げて泣く。
その涙を、叫びを、ただ受け止めるように。
雨の止んだ空の下。
私はただ、強くて優しい愛弟子を、抱きしめ続けた。




