そのなな
――7――
森を進み、空けたところ。
憔悴し、瞳に涙を溜める鈴理さん。
鈴理さんを怯えさせる、黒い泥を纏った男。
その顔を見た瞬間に、理解した。
あれは以前の悪夢で鈴理さんが“魔法少女の力”を借りてまで倒したかった、似非ロマンスグレーの姿だ、と。
「鈴理さん、七、怪我は?」
「だ、大丈夫ですっ、師匠!」
「僕よりポチかな。目が覚めない。それから彼が、沖ノ鳥諸島で話した、“気に掛かっていること”で間違いないよ。鈴理の中を無断借用していたみたいだ」
「そう……」
七が気にして力をセーブしていた、という相手か。鈴理さんの中に入り込み、ずっと観察していた、と。それで魔法少女を脅威に思い、四国に行った際に事を起こした、と。
きっと、幾度となく涙を流したのだろう。それでも、強くあろうとできたのだろう。本当なら、今すぐ駆け寄って、抱きしめて頭を撫でて、たくさんたくさん褒めてあげたい。
でも。
その前に、邪魔モノの排除をしないとならないかな。
「ポチ、【限定解除】」
『むぐっ、もう朝かッ?!』
飛び起きるポチに、目を剥く鈴理さん。
彼の本来の力は、“この程度”の相手に無力化されるほど優しい物ではない。私の背丈に近づくほどの巨大な黒狼の姿になると、彼はそう首を傾げた。
「夜よ。あなたの“同胞”が傷つけられたわ。牙を剥く準備をなさい」
『鈴理か……? どうした、ずいぶんと魂を消耗している様子だが……まさか、我の雌に手を出した雄がいるのか?』
「うん、ええっとポチ? わたしはポチの雌じゃないよ……?」
『おっとすまぬ、ボスの雌か』
「いや、待ってポチ――」
「うん、そうだね」
「――って鈴理さん?」
あ、あれ?
なんで急に社会的に追い詰められる展開になっているのだろう?
世界的に同性愛のハードルが低くても、ロリコンは犯罪ですよ……?
『うぎぎぎがぁぁぁッ! 馬鹿にしおってェェッ! 鈴理ィ、おまえは私にさからっ――』
「【起動術式・忍法・絶氷舞踏・展開】 私の嫁になにしてくれたんだこの変態ッ!!」
――ガズンッ!!
『――ぎぁぁぁああああぁッ?!?!』
襲いかかろうと起き上がった下郎を、森から弾丸のように飛び出してきた夢さんの蹴りが、轟音と共に突き刺さる。下郎はそのまま地面をバウンドし、崖のギリギリで停止した。
夢さんは怒りに上げた眉を直ぐに泣きそうな物に変えると、鈴理さんに駆け寄って抱きつく。
「鈴理、鈴理鈴理鈴理ッ……すずりぃぃぃ」
「夢ちゃん……ごめんね、心配掛けて、ごめんね、ごめん、ね、夢、ちゃん」
『うむ、雌の友情はこう、クるな? 弟殿』
「同意しないからね……?」
うん、ようやく、いつのもの空気に戻りつつある。
やっぱり、どうもだめだ。生徒に、弟子にこんな風に言ってしまうのは教師としても師匠としても及第点には至らないかも知れない。
それでも、思う。鈴理さんがいないと、どうも調子が出ない、って。
『ガはっ、ゲホッ、馬鹿に、して、くれ、おって、この恨み――』
「【起動・縮地・衝撃】!!」
――ガンッ!!
『――げぎッ?!』
ふらふらと立ち上がり、地を這うように鈴理さんに襲いかかった下郎。
その頭を、森から風のように飛び出してきた有栖川さんが蹴り飛ばす。
「スズリ、ユメ!! ああ、こんなに憔悴してっ」
「リュシー、ちゃん、うぇ、ぐすっ」
「泣かないで、スズリ、私のスズリ……無事で、良かった」
『なぁ弟殿』
「僕にふらないでくれるかな?」
鈴理さんの腰に抱きついたまま離れない夢さんと、鈴理さんの頭を抱えるように覆い被さる有栖川さん。
さて……そろそろ、私も、報復に乗りだそうか。
『貴様、ころ――』
「【術式開始・刃断・術式連動】
【術式開始・四連弾・連動展開】」
――ズザザザザンッ!!
『――ギャギィヤァッ!?』
続いて森から飛び出してきたのは、重なり合って聞こえる不可思議な詠唱と、続いて飛来する“速攻詠唱”の連続斬撃。
綺麗に同じ場所に命中した四撃は、切断以上の威力をたたき出す。
「お姉さま、森の中規模妖魔制圧は完了しました。端末にて九條特別講師に連絡を試みたのですが、繋がりません。ここ一帯は情報網が遮断されている物かと思われます」
「ありがとう。香嶋さん、余力は?」
「十二分に満ちているとは言い難いですが、気合いで補える程度です」
「なら、後衛サポートをお願い」
「命令口調でお願いします。お姉さま」
「やりなさい」
「喜んで」
うん、あの、えっとね?
違うの、生徒に“お姉さま”って呼ばせて喜んでいる訳じゃないの。
だからお願い、夢さん、そんな羨ましそうに見ないで。心が折れる。あと鈴理さん、“察しました”っていう顔もやめて。うん、そうだよね、貴女ほど鋭ければ察するよね。
『きひっ』
「……元気ですね。そろそろ冥府に帰られたらいかがかしら?」
「わいるどな師匠も素敵です」
ずるり、ずるりと起き上がる下郎。
その周囲には、彼が呼び集めたのであろう妖魔たちが、群れを成して集まっていた。香嶋さんたちの猛攻を逃れた物ではなく、潜ませておいたのだろう。
それを下郎は――自身の泥で、呑み込んだ。
『きひひゃはははははははぁッ!! 貴様ら、殺し尽くすぅぅぅぅッ!!』
「【速攻術式・切断・術式設定・圧縮・短縮詠唱・十二】」
手をかざし。
弾丸を“纏めて十二回分”圧縮。
空中に刹那浮かぶ魔導陣が人外魔境レベルの複雑さになるが、誰も気にしてないから気にしない。夢さんは諦めた顔をしているし、鈴理さんは感動してるし、香嶋さんはどや顔……えっ、なんで。
『しぃぃねぇぇぇぇッ!!』
「【展開】」
放たれた弾丸は、多重圧縮の影響でビー玉ほどのサイズだ。
下郎はそれを避けようともせずに肥大化した下半身で受け止めて。
『なっ?!』
――ズパァンッ!!
爆ぜた。
二メートルほどまで膨れあがっていた下半身が、風船のようにはじけ飛ぶ。防御の力でも使っていたのかも知れないが……関係ない。所詮、“成り立て”の妖魔などこの程度だ。
『ひ、ひひ』
「余裕そうね。まだ、なにか手があるのかしら?」
『ああ、あるとも、ひひ、こういう手がなぁッ!!』
上半身だけの下郎が、醜く顔を歪ませて、そう言い放つ。
……だが、身構えてもなにも来ない。強がり、かな。
「あうっ!?」
「鈴理?! ちょっ、どうしたの?!」
急に、胸を押さえて苦しむ鈴理さん。
っ、まさか!
『ひ、ひひ、宿主であったのだぞ? なにも残さないと思ったのか、馬鹿め! 私を殺すか? 良いだろう。さすれば私は、残した“私”に干渉してその中で復活するまでよッ! 私を見逃せば、そうはならんぞ? 同じ自我二つで扱えるほど易しい異能ではない。おまえがむざむざとこの場で痛めつけられ、私が逃げ延びる様を見送るだけで良い! 簡単だろう?』
苦しむ鈴理さん。
嘲笑う、下郎。こんな手を残していたなんて……迂闊!
この場で見逃せば、鈴理さんから“干渉物”を取り除く時間はできるだろう。だけどそれは、他の場所で、鈴理さんのような犠牲者を増やすだけだ。
「っ、だめ、です、師匠っ、あうっ」
「笠宮鈴理、今は喋らないで。先生!」
「っ鈴理、僕がわかるかい?」
苦しみながらも、助けを求めない鈴理さん。
震えながら鈴理さんを抱きしめ、下郎を睨み付ける夢さん。
下郎にライフルを構えたまま、唇を噛みしめる有栖川さん。
鈴理さんに声を掛け、意識を安定させようと試みる香嶋さん
体に手をかざして状態を見る、七。
私は。
「鈴理、僕に体を預けて。――未知」
『ボスよ』
決断を迫る七の目。
群れの長として私を見る、ポチ。
私は。
私は、決して迷わない。
でなければ、迷わずにこの場に立った鈴理さんに、立ち向かった鈴理さんに、先生として――師匠として、顔向けできないから。
だから!
「来たれ【瑠璃の花冠】」
『きひゃっ! 知ってるぞッ! “変身中”は攻撃ができない、のだろう? だが変身は瞬く間だ、何度も見てきた! その間に治療は間に合うまい? 変身が終えたら鈴理の体ははじけ飛ぶ! さぁ、どうする?!』
どうする?
決まっている。
「七」
「ああ。――七時七分七秒、これより七七七秒間、全ての幸運は“ここ”に集約する。五分で良い、時間を稼いで、未知」
ステッキを掲げる。
すると、ステッキの本体が一瞬、瑠璃色に輝いた。
その輝きを見て、香嶋さんと夢さんが、なにかに気がついたようだ。
「リュシー! こうなったらもう大丈夫だけれど未知先生が大規模な術を使うからここを離れるわよ!」
「え?」
「有栖川さん、離れましょう。あれは、私たちがいれば足手まといになります」
「え? え?」
「ほら、早く!」
「いやしかし、さっきから私の“天眼”が謎のむちむちぷりりんのブラクラを」
「それは危険な兆候よ有栖川さん急ぎなさいほら碓氷さんも早く!」
「あわわわ大変よリュシー、早く撤退しなきゃ! 抱えるよ!」
「えっ、ちょっ、まっ、ああっ――」
私に目配せをして、後退してくれる碓氷さんと碓氷さんに抱えられた有栖川さん。
そんな二人を促しながら、キメ顔で目配せをしてくれる香嶋さん。碓氷さんと香嶋さんは互いに私の正体を知っている、ということを知らないはずだが……察してくれたのだろう。
「これで、心置きなく変身できるわ」
『いきひひひっ、いいぞ、年増のストリップショーでも最後の痴態と思えば愉しめる。二重変身でもして詠唱を破棄するか? それで五分、いや、もう二分経ったか。三分も保つか? ひひひひひっ』
「……保つわ」
『なに?』
ステッキが輝きを増す。
その光りの名は、瑠璃。ラピスラズリの輝きに、周囲が満ちていく。
「教えてあげましょう」
『なにを……?』
「今までの変身は、全て“演出カットVer”だったということを!」
『は?』
――たららららん♪
周囲に、音楽が響く。
魔法少女の変身鉄則、“二度目以降の演出はカット”できるを解除。
とたん、演出開始の“ラピのテーマ♪”が流れ始める。
【説明しよう!】
『な、なんだこの声は?!』
「ポチの声じゃないか?」
『わ、我は知らんぞ?!』
響き渡るのはダンディな声。
流れる音声データの元は、関係者の中で一番“ダンディ”な声。現役時代はお父さんの声だったが、故人となった今、どうやら選ばれたのはポチの声であったようだ。
【観司未知は魔法少女である! 宇宙の果てよりもたらされし至高の力、“少女パワー”を使い、愛と正義の魔法少女、“ミラクル・ラピ”に変身することが可能なのだッ!!】
野太い声に合わせて、こほんっと咳払い。
照れたように“えへ”と笑う。もちろん演出の一環ですが?
「いっくよーっ!」
ステッキを上空に投げて、その間にその場でくるっとターン。
変身せずにこれやるのもほんっときっつい……じゃなくて、演出、演出、えんしゅつだからしかたないのゆるして。
「おねがい、ステッキさん!」
膝をついて、見る方向は斜め上。
雲間を割って輝くのは、瑠璃色の星。
「わるいひとをやっつけるため、か弱い女の子を助けるために、私に少女の力を集めて!」
片膝を突き、天に手を翳す。
すぽっと収まるステッキさん。
そこの下郎、悪いけれど、変身中でも声は聞こえるの。『年を考えろ』ってなに? 私が一番よくわかってるわよ!
「マジカル・ミラクル・キューティクル」
立ち上がり、両手を水平にあげて、くるくると三回転半。
敵に背中を向けながら、ぴたりと止まって上半身だけひねって振り返る。
『狂ってる……』
知ってる。
じゃ、なくて。ぱちっとウィンク紡ぐのは、ここでやっと変身詠唱。
「可憐に――【ミラクル】」
体ごと振り向きながら、踏み込む足。
ひらがなで物理的に鳴る効果音は、“らぴらぴ♪”だ。
「キュートに――【トランス】」
光の帯が生まれる。
瑠璃色の光りは半透明で、透けない星が浮かんでいる。
大事なところは隠すけれど、それ以外は公開します! の意思表示。後悔しかない。
「乙女の力をハートにたくさんっ――【ファクトォォォっ】!!」
やっと、光が満ちる。
まずは服が、“らぴっ”、“らぴっ”、と鳴りながらぽんっぽんっと消えていく。とたんに全裸になると、その場にふわりと浮かび上がった。
『弟殿、気持ちはわかるが集中しろ。見過ぎだ』
「うぐっ、わ、わかってる、手は抜いていないよ」
おい、こら、そこの。
い、いや、いい、追求はあと!
続いて眼鏡が“らぴっ”と星に変わる。
瑠璃色の帯が包み込むのは、手と足。まずはインナーから精製されるのだが、胸が最後なのはフェチなのかおい。
まずはぎゅっと肌を締め付け、一度わざわざ食い込ませてから、“らぴっ”と白いインナーに替わる。足、手、下。胸の時だけなぜかぷるんっと揺らすのは、どういった理屈なのか。なんでこの年、こんな、うぅ、もうやだぁ……じゃ、なくて!
『いい張りだ。……弟殿、鼻血が』
「出てないから。良いからもう放っておいてくれ」
『そうか、イイのか。心得たワン』
次に、瑠璃色の、いつものむちむち衣装が装着される。これもいちいち揺れるのは、嫌がらせ以外のなにものでもない。演出カットができなかったら、首を吊っていた自信がある。
最後にツインテールが生成される。ふわりと地面に降り立つと、足から“ぷぎゅる”と音が鳴り、ツインテールからは“らぴっ”と効果音。
「悪しき闇を打ち祓う、究極無比の可憐星☆」
ステッキをくるくる回し、びしっと決めるのは可憐なポーズ。
「魔法少女、みーらーくーるー」
ウィンク。
投げキッス。
光りを失う目。
「ラピっ」
瑠璃色の光りで流れて消える、数々のテロップ(物理)。
――可憐で最強――
――強くてかわいい――
――少女の力が溢れ出す――
――無敵できゅーとな女の子――
――刮目せよ! これが世界最高の少女力――
――みんな! 応援ありがとう。ラピは今日も、頑張るネっ♡――
そのテロップ全てが流れきると同時に、“ラピのテーマ”が終わった。
「――おねがい、七。そんなに見ないで……」
「ぐはっ!?」
『落ち着け弟殿、傷は深いぞ!!』
咳き込む七。
そんな七を励ますポチ。
そして。
「――――?」
声が。
聞こえた、気がした。




