そのご
――5――
大浴場を出て、客室に向かう。
付き添いの教員が同性だった場合、同室か別室か選択することができる。当初は別室希望だった香嶋さんも、大浴場のあと、“教員に魔導術の教えを請う”という名目で変更して貰った。いや、名目もなにもそのとおりなのだけれど。
部屋は洋室で、セミダブルのベッドが二つ。十畳もあるリビング付きで、魔導術や異能を試しても大丈夫なような加工が施されている。
「けっこう、広いですね」
「ええ、そうね。でも、ちょっと待ってね」
「? は、はい」
もう体に纏うのは浴衣だし、ベッドに飛び込んでも良いかもしれない。
けれどその前に、どうやら片付けないとならないことがあるようだ。
「【術式開始・形態・剣弾・様式・影縫い・展開】」
高速で詠唱。
撃ち放った剣弾が、ベッドの脇に突き刺さる。
「せ、先生?」
「これ、ね」
剣弾の傍まで歩いて行くと、そこには影が貼り付けにされて動けなくなっていた紫色の蛇がいた。まぁ、蛇はともかく、問題はその蛇が頭にくくりつけている、カメラだ。
そのカメラを証拠品として取り外し、蛇を調べる。
「盗撮、でしょうか」
「そうね。未遂で良かったわ」
「ですね……」
見つけることができなかったら。
それに思い至って青い顔をする香嶋さん。私はほら、半裸で痴女呼ばわりは慣れて……慣れて? い、いや、やめておこう。この思考はよくないよね、うん。
「【術式開始・形態・解析展開陣・展開】」
「展開陣……固定魔導陣、ですか。それでなにを?」
「うん。これは、こう使うの」
展開されて視覚化した魔導陣を蛇に翳すと、蛇の情報が解析される。
「やっぱり、“共存型”だね。ここの異能科の生徒で、名前は保住寛、三年生。血液型はAB型で――ぁ」
ひゅんっ、と、蛇が消える。
体の中に戻したのだろうけれど、魔導術をつけたままだ。
「追うよ!」
「はい!」
体に戻すためには、近づかなければならなかったのだろう。
急いで廊下に飛び出すと、背を向けて走る白い制服の姿があった。
「【術式開始・形態・捕縛鎖・展開】!」
その背中に向かって捕縛鎖を射出。
同時に、身体強化を自分にかけて走り出す。
「ひ、ひぃっ――【愉快な蛇君】!」
放たれるのは、紫の蛇。
それを、魔導術の弾丸が打ち落とす。魔力の気配は――香嶋さんの、ものだ。
「なっ!? く、くそっ【かわいい蛇君】」
デフォルメされた蛇が大量に、捕縛鎖を絡め取る。
相殺された捕縛鎖は力の行き場を失い落ちる、が、役割は充分果たした。
蛇を放って隙だらけとなった男子生徒の、その腹に手を当てる。
「【術式開始・形態・麻痺・展開】」
「ぎゃひんっ!?」
悲鳴を上げて倒れる、男子生徒。
なんとか追いついてきた香嶋さんに手を振って、無事を伝える。
うーん、これはちょっと、厄介事に巻き込まれてしまったのかもしれないなぁ。
――/――
学長に昨晩の内に生徒を引き渡し、どっと押し寄せた疲労に勝てず、魔導の話なんかできずに就寝。
二人揃ってぐっすりと眠りについたその翌日。謎の重い雰囲気の中、学長室に呼び出された私たちは早々に、その空気の理由を知ることになった。
「暴動、ですか?」
「いや、その一歩手前、ですね」
なんでも、何故か男子生徒――保住寛の行ったことが全校生徒に知り渡っていたらしい。
魔導科の女子生徒が怖がり、男子生徒が異能科の生徒に文句を言う。また、魔導科に対して逆に異能科の生徒が暴言を吐く。そんな繰り返しをしているうちに、魔導科と異能科の合同で朝礼を行っている最中に不満が爆発した、という顛末だ。
「バリケードを作り、中庭演習場で警戒し合っています。もし何か切っ掛けがあれば、爆発しかねません」
「本格的な暴動、ですか」
「ああ」
嘆息する護星先生。
他の先生方は、対応にかけずり回っているようだ。
「互いを刺激しないように、魔導科の先生は魔導科の生徒を、異能科の先生は異能科の生徒を説得に当たっていますが……噂に尾びれ背びれがついて、集束の目処が立たない現状です」
「では、私たちも説得に?」
「いえ。流石に関東特専まで巻き込めば、事態が拡大しかねません。ですから何か、良い案があれば教えて下さい」
力なく笑う護星先生に、頷く。
なにか。なにか、できることはないか。
「観司先生……誰が、盗撮犯を密告したのでしょうか?」
「密告……そう、ですね」
そうだ。
この短時間で広めるためには、“何者か”が盗撮犯の存在をあらかじめ知っていなければ難しい。もちろん、短時間で広める異能という可能性もあるが、低いだろう。なにせ足が付きやすい。
なら、誰が、なんの目的で? いや、そうだ。
そもそも。
「――私たちの部屋は、要人のためにも使える。そうですね? 護星先生」
「ええ、そうです」
「では、保住寛は、どうやって私たちの部屋まで近づけたのですか?」
「それは――いや、なるほど」
そうだ。
私たちの与えられた客室、そのフロアは大浴場含めて“要人”用のゲストフロアだ。
そんな場所に、盗撮目的の生徒がほいほいと入れ込めるはずがない。
「護星先生。保住寛君に、会えますか?」
「直ぐに手配しましょう」
“可能性”に気がついた香嶋さんも、私同様、真剣な顔つきになる。
これは、もしかしたら、陰謀の類いなのかも知れない。
保住寛は、黒髪で目元を隠した大人しそうな生徒だ。
今は暴れ回った影響で拘束衣を着せられ、彼自身が自分の動きで怪我をしないように配慮されている。
彼女たっての願いで香嶋さんを連れ立った私は、そんな保住君の頭に手を翳した。
「【術式開始・形態・解析展開陣・展開】」
舌を噛むことを防止するための猿ぐつわを嵌めた保住君が、うなり声を上げる。
けれど、申し訳ないけれど、やめるわけには行かない。
「先生、どうですか?」
「当たりよ。これ――“洗脳術式”ね」
こんなことに、魔導を使って欲しくはない。
叫び出したくなるほどにぐらついた心を、体で受け止めて制止する。解析展開陣の上にぼんやりと浮かび上がる魔導陣は、間違いなく、指示を与えた者を思い通りにするための“洗脳術式”であった。
「香嶋さん。これから見る物は、秘密でお願いします」
「は、はい? わかりました」
解析展開陣をもう一度かければ、術式が完成することを待たず専用術式が崩壊してしまうことだろう。
故に、事は迅速を尊ぶ。
「【速攻術式・窮理展開陣・展開】」
後で、香嶋さんの息を呑む音が聞こえる。
速攻術式だからなぁ。後で説明しないとなぁ。
でも、今はひとまず。
「せ、先生、術式が崩壊します!」
「ええ。でも大丈夫、術者の――真犯人の情報は抜き取れた」
「なら」
香嶋さんに頷く。
護星先生は、私たちに託してくれた。
香嶋さんは、ここに置いていくことを望まないだろう。いや、強く言えば残ってくれるかも知れないけれど――責任を感じやすい子だ。暴動の原因を、自分に、犯人の発見メンバーとして、なにかできたのではないかと思ってしまうのは、想像に難くない。
「真犯人を、捕まえる」
だから、行こう。
この暴動未遂を、未遂で終わらせるために――!




