そのよん
――4――
目が笑っていない外面だけ笑顔の佐久間先生と握手をして、他の授業を回って、一日目の交流会が終了する。
私と香嶋さんはゲスト用の宿泊施設に通されて一晩過ごすことになるのだが……香嶋さんの元気がない様子で、私は心配を募らせる。
うーん、やりすぎたかな? でも、香嶋さんほどの努力家ならいずれはたどり着ける位置、を想定して展開したから、良い刺激になればと思ったのだけれど……ううむ。こんなとき、護星先生ならばどうするのだろう。
「ぁ」
と、ふと、大浴場に向かう廊下をとぼとぼと歩く香嶋さんを見つけた。
うん、これはチャンスだ。せっかく、わかり合えるかも知れないのに、ここですれ違ってしまうのは悲しい。
「香嶋さん」
「っ、観司、先生」
「お話し、しませんか?」
香嶋さんは私の言葉に目を伏せると、やがて、ゆっくりと――断罪を待つ子羊のように、頷いた。
あれぇ? 私ってもしかして、“怖い人”の枠にいるのだろうか?
い、いや、それを含めて誤解を解くためにも話し合おう。うん。
四国特専の名物の一つに、この大浴場がある。
かつての英雄、魔法少女が温泉好きだったという逸話から引かれたものなのだが、まぁ、私のことだ。そういうのであればむしろグリーンティーとか置いてくれても……と、今は関係ないか。
石造りの大浴場は、今、関東特専の貸し切りとなっている。それはそうだろう。この、ゲスト用の浴場を使用できる校外関係者は我々しか居ないのだから。
「ふぅ、良いお湯」
石に背を預けて、ガラス張りの空を見る。
関東よりも遙かに空気が綺麗だからか、空は澄んでいて、満天の星空が私たちを見守ってくれているようだった。
「香嶋さんは」
声を掛けると、隣に並んだ香嶋さんはびくりと肩を震わせる。
「関東以外の特専に、足を運んだことはある?」
「え、ぁ、い、いいえ」
「そっか。それなら、ここの大浴場は驚いたでしょう?」
「は、ぃ。関東には、個人浴室とシャワールームのみ、ですから」
学生寮に備え付けられた浴室と、一度に複数人が汗を流すために実習室に設けられたシャワールーム。関東のシンボルが炎使いの獅堂だからか、水回りはそこまで力を入れられていない。
対して四国は、他にも洋風の大浴場もあったはずだ。
「中部は源泉掛け流しがあって、東北・北海は温水プールがついているし、関西は校舎が純和風。九州は海の一部を取り入れているから海中実習室もあるし、山陰山陽に至っては鳥取から砂漠をイメージした実習室まで備えているの」
「京都の城風の校舎は、資料で閲覧したことがあります。その、有名な温水プールも。源泉掛け流しは羨ましく思いますが、海中や砂漠は、よくわかりません」
「香嶋さんなら、来年も選出されるかもしれないよ? そうしたら、自分で体験してみるのも良いかもしれないね」
普段は生徒に対しても丁寧語で接しているが、今は別だ。
優しく、距離を感じさせないように。拒絶はしていないというメッセージ、届いてくれれば良いのだけれど。
「私、なんか、だめです。噂に踊らされて、観司先生に、良くないイメージを持っていました。――ごめん、なさい」
俯いて、ぽつりと零す香嶋さん。
その華奢な肩を、そっと抱き寄せて、頭を撫でる。
「香嶋さんは、えらいね」
「ひゃっ、え? あ、あの?」
「言葉にしなければ、暴かれなかったはずだよ。それを、認めて、口に出して、謝るって言うのはすごく難しいこと。それでも頑張って踏み出せた香嶋さんは、偉い」
「そ、そんな、私はただの自己満足です。もし、観司先生に力がなかったら、こんなに気遣って貰っていたのに、私は先生を疑ったままだった! 軽蔑、されても仕方のない、ことです」
うん、やっぱり、真面目で不器用。
繊細で、優しい子だ。
「しないよ。軽蔑なんて、しない。縁故採用は事実だしね」
「え? そ、そうなんですか?」
「ええ。試験に通る技術ではないから、ね」
「ぁ」
今でこそそつなくなんでもできるが、当時は魔法の意識に引っ張られて、どうしても練度にしては奇妙なほどに強い魔導が使えてしまっていた。
だから、縁故採用。父の友人だった学長に、拾って貰った。
「噂に踊らされてしまったことで、自分を責めないで。私も、それを否定しなかったから、だから、ごめんね」
「なんで! なんで、観司先生が、謝るのですか……?」
「不安な思いをさせてしまったから」
「!」
私が縁故採用だと聴いて、付き添いが私だと知って、さぞ不安に思ったことだろう。
それを解かず、不安な思いにさせてしまったこと。こんなに傷つくまで放置してしまったこと。私はそのことを、後悔している。
「だから、話がしたいの。香嶋さんと、色々なことをお話しして、色んなコトを知り合いたい。もし、疑ったことを後悔しているのなら、それでお相子にして欲しい、なんていうのは、ずるいかな?」
「ぅぁ、ぁ、ぐすっ、うぅ、で、も、わた、し、嫌な人、でした……っ」
「大丈夫。大丈夫だから。あなたは、嫌な子なんかじゃないよ。大丈夫、大丈夫」
ぽんぽん、と背中を叩いてあげる。
二年生。まだ、たったの十七歳だ。十近くも年下の、女の子だ。
「うぇっ、あ、ぅぁぁあっ」
「泣いて良いよ。たくさんたくさん、泣いて良いんだよ」
きっと、この華奢な体にたくさんのものを背負ってきたのだろう。
きっと、この小さな体でたくさんのことを乗り越えてきたのだろう。
きっと、この少女は、自分だけに色々なものを課してきたのだろう。
だから、今は泣かせてあげよう。
また、いつもの彼女に戻れるように、たくさんたくさん、ね。
「おみぐるしいところをおみせしました」
真っ赤な顔でタオルを顔に当てる香嶋さんを見て、いいえと首を振る。
きっと色々なことを考えて、考えすぎて爆発してしまったのだろう。温泉に足だけつかり、岩場に腰掛ける彼女の体は、火照りからか照れからかうっすらと朱が差している。
「すれ違いや勘違いは、たくさんあるからね。私だって初めて九條先生に出会ったときは、色々な勘違いをしてしまったし、ね」
「そうなのですか? ええと、可能であれば、お聞きしたいです。その、出回る噂は色仕掛けのものばかりで……すみません」
「そ、そうなんだ。ううん、大丈夫だよ。そっか、色仕掛けか。私が九條先生と初めて会ったの、七歳の時なんだけどね……」
魔法少女に変身できるようになって一年目。
氷の悪魔と戦っていたときに出会った、後の七英雄として集う最初の一人。それが、九條獅堂という男だった。
その強烈な出会いを、私はまだ忘れたことがない。
「私が悪魔に襲われていたとき、助けに来てくれたのが九條先生だったの」
「そ、そうなんですか? 素敵な出会い、なんですね」
「そうでもないよ?」
「えっ」
うん、間違いない。
氷の悪魔が頭上に作った氷山を、炎で砕きながら現れた獅堂。その時彼は、怪我もないのに右腕に包帯を巻き、左目に眼帯をしていた。しかも赤の装飾眼帯だ。
「『――我が紅蓮、喚んだのはおまえか? 瑠璃色のフロイライン。ふっ、何故わかったかって? 疼いたのさ。我が右腕に封印されし、赤にして紅蓮の炎龍、“グロウ=ドラグ=カタストロフィー”が、な』」
「え? えー……。ま、まさか、九條先生」
「ええ、重度の中二病だったわ」
ちなみにこの“何故わかったかって?”の下りの最中、私は無言である。
正直に言えば関わりたくなかった。先日も頬にキスをされて動揺させられたが、根本的なところで男の人として見られないのは、この後も続く中二病時代のせいである。
「当時の九條先生と比べれば、香嶋さんの方がずっと素敵な人よ。比べるのも香嶋さんに失礼だけれど」
「九條先生をそんな風に言えるのは、きっと、観司先生だけです」
いや、七は言うよ?
七のことまで言うと、収拾が付かないので黙っておくけれど。さすがに、魔法少女バレは避けたいし。ちなみにこの中二病語録、獅堂本人に言ってもけろっとしているが、逆に拓斗さんがじたばたと頭を抱えることがある。どうやら昔、覚えがあるらしい。
「楸さん、なんかとも交流がお有りなんですよね?」
「ええ、そう。仙じい、仙衛門さんは私の後見人だからね」
「後見人?」
「十歳の時に、両親が飛行機事故で他界して、それでね」
「ぁ、“最後の犠牲者”――ご、ごめんなさい、私」
「いいの、大丈夫だよ。もう十六年も前のことだから」
魔王を倒したその日。
魔法少女だと明かし、受け入れて貰えて、頼み込んで逃げて貰ったその先で、お父さんとお母さんは事故に遭った。
原因不明の飛行機事故。だからおそらく悪魔の仕業と思われているだけで、もしかしたらただの事故でしかないのかもしれない。だから私は、誰もが大切ななにかを守れるように、大切な誰かのために、力のない誰かが力を揮えるようになるために、魔法の力で魔導を願った。
“異能の才能がない人が力を得られるように”と願って、魔法の力を犠牲に最後の大魔法を使って、異能を持たない人だけが持つことができる、魔導術をもたらした。
――まぁ、魔法の力は犠牲になんかなってなかったのだけれども。あの悪夢の同期会で変身できたとき、一番焦らされたのは、たぶん私だと思う。
「香嶋さんは、どうして魔導術師になろうと思ったの?」
「ええっと、私の家は九人姉弟で、上に二人、下に六人いるのですが、全員を学校に通わせてあげるためには私が偉くならないと、いけないんです」
おお、夢さんも確か七人姉妹だったと思うのだけれど、それ以上か。
なるほど、ご家族を助けるため、か。
「偉いね。うん、頑張っているのね。えらい、えらい」
そう頭を撫でると、香嶋さんはまた、赤くなってしまう。
「観司先生」
「はい。なぁに?」
「魔導術、たくさん、教えて下さい」
「ええ、もちろん」
「ありがとう、ございます。その、よろしくお願いします」
「お願いされました。ふふ、どういたしまして」
甘えることを知らなくて。
頼られることが当たり前になってしまった少女。
彼女のために一肌脱ぐことが、嫌なはずがない。
笑いかけて赤くなった彼女をもう一度撫でると、今度は、気持ちよさそうに目を細めてくれた。




