そのさん
――3――
観司先生、という女性が、私にはよくわからない。
尊敬する瀬戸先生の代理で、関東特専の中では公然の秘密として扱われている“縁故採用”の先生。
瀬戸先生の推薦で代理になった、ということではあったのだけれど、縁故採用の人が本当にそんなことになるのか。なにかの間違いでは無いのか。そんな不安と不満を押し隠して、今日、この場にまで来てしまった。
とても、権力を笠にするように見えない。優しげで物腰は柔らかい。押しに弱そうだけれど、学長先生にも物怖じした様子はない。涼しげな顔立ちの、美人の先生。縁故採用云々の噂がなければ、良い人、で飲み込めていたのに。
でも、気遣ってくれる態度は真摯で、観司先生の実力を確認したいとずっと思っていたはずなのに、気がついたら急な提案をした佐久間先生に一言、申し出てしまっていた。
「うぅ、まさか笠宮ではなくその師匠が来るなんて……っ」
私と一緒に審判を命じられた水無月さんは、そう、ぶつぶつと呟いている。
この人はこの人で大丈夫な人なのだろうか。熱血、なんていう言葉が脳裏を過ぎる。いや……だめだ。私は、こんなところで余計なことを考えている暇なんてないのに。
「観司先生、まさか了承するなんて。怪我をして途中帰宅なんてごめんよ」
口から零れるのは、我がことながら素直ではない。
心配している、なんて、認めているはずなのに、いつもそう。思ったことが素直に口に出せない。堅物の、つまらない女。
「へ? 怪我をさせて、じゃなくて?」
「え?」
水無月さんのきょとんとした表情に、思わず首を傾げる。
そういえばこの子、観司先生になにか言われて、我に返っていたようだった。てっきり気遣う言葉でも貰ったのだと思ったのだけれど……あれ?
「あー、そっか、知らないのか、そっか……見ていれば、嫌でも……ううん、嫌って言うほどわかりますよ、絶対」
「どういう、こと?」
「あの忌々しい笠宮鈴理の師匠が、“マトモ”なはずがないっていうことです」
「はぁ」
笠宮鈴理。
確か、碓氷夢、アリュシカ・有栖川・エンフォミアの三人でチームを組み、フラッグ・キャストで優勝した一年生の名前だ。
別の試合があったから彼女たちの観戦はできなかったのだけれど……彼女が、なんだというのだろうか。
「さぁ、準備は大丈夫なようですね。始めましょう! 観司先生!」
「はい。……では香嶋さん、合図を」
「は、はい。それでは、位置について――」
もう、情報が多すぎて訳がわからない。
いや、なら、ちょうど良くもあるか。見極めよう。見て、確かめよう。観司未知という先生が、瀬戸先生の代理として相応しい先生なのか。
私に課外授業を施すなどといった大口が、真実なのか。
「――始め!」
私のこの、目で。
佐久間先生は余裕そうに佇んでいる。
カウンター、のつもりなのかも知れない。絶対に勝つ自信があるのだろう。私でも、縁故採用と聞けばそうするかもしれない。
対して観司先生は、開始合図から後に下がり、詠唱準備に入っていた。距離をとった、ということは、先ほどの水無月さんのように攪乱術式だろうか?
でも、そういえば、私は観司先生の魔導スタイルを一切知らない。
なにせ、出回る噂は縁故採用だとか、英雄を色仕掛けで誑かしたとか、学長に色仕掛けで取り入ってるとか、女生徒を色仕掛けで弄んでるとかそんなものばかりだ。
今一、観司先生の実像がつかめない。いや、いい。自分の目で見極めると決めたのであれば、そうしないと。
「さ、観司先生! 先手は譲りましょう!」
「――そうですか。では、胸をお借りします」
佐久間先生の声に、観司先生は感情のこもっていない声でそう応えた。
……不覚にも、なにが起こるのか、期待している自分もいて、そんな自分に困惑する。
「うぅ、佐久間先生、四国特専の面子として、瞬殺はされないで下さいね」
横で呟く水無月さんの声も、正直に言ってよくわからない。
笠宮鈴理という女生徒は、そんなに恐ろしい女だったのだろうか。私の中でのイメージが、ゴリラのような大女になっていく。きっと筋骨隆々なのだろう。こわい。
さて、どうなるのか。
見守る私たちの視線の先。先に詠唱を始めたのは、宣言どおり観司先生だ。
「【術式開始・形態・防御展開陣・様式・空間結界・付加・術式介入制御・追加・術式付与・圧縮】」
え? あれ? 今、幾つ何を展開した?
空間結界。文字どおり空間に作用させる超高度な術式で、だからこそ細かい部分設定や役割設定が必要、だというのに、観司先生は“それ”を詠唱に含めたように見えなかった。
ただ、一瞬魔導陣が浮かび上がったかと思うと、観司先生の手を翳した先、正面部分の空間に歪みができる。
「あ、あの、香嶋先輩。関東特専ってあんなこと習えるのですか?」
「どうなのでしょう。三年生の受講なのかも、しれませんが……」
いや、わかっている。
これでも私は、より優秀になって家族に楽をさせてあげなければならないから、三年生の魔導術についても、大学部の受講についても特専の図書館で独学したり、瀬戸先生に聞いたりしている。
それでも、あんな術式は知らない。というか、空間結界になにを“付加”したのか、一切わからない。佐久間先生は不思議に思わないのか……って、距離があるから聞こえてないのかな。
「【圧縮・圧縮・圧縮・圧縮・圧縮・圧縮】」
んんん?
聞き間違いだろうか?
「【圧縮・圧縮・圧縮・圧縮・圧縮・圧縮】」
いや、違う。
追加効果付与だとするのなら、あんなにたくさんの付与はできない。熟練の魔導術師でも精々が四つ。だというのに、今唱えた数は……十二?
観司先生の正面の空間が、陽炎のように歪む。まるで何千キロメートルという空間が、観司先生の正面に“圧縮”されているかのように。
「【術式変換・形態・攻勢展開陣・様式・結界射出・付加・追尾制御陣】」
詠唱を始めてからまったく動かない観司先生に、流石に、佐久間先生も焦りを見せ始める。だが生徒たちに見せつけるように先手を譲ると言った手前、動けないのだろう。
……まぁ、こんなことになろうとは想像もできなかった、というのはわかるけれど。
「既に発動準備状態にある魔導術を変換って、可能なんでしたっけ」
「……展開準備した魔導術式を崩すことなく、保持したまま別の術式に書き換えながら、整合性を合わせながら他の効果も付与して、その間も術式が崩壊しないように保持できるのなら、可能なのではないかしら」
「ええっと……空中に浮いたシャボン玉に絵を描いて、それを元に色を塗りながら線を足して、一部消して、もう一回書いて、その間シャボン玉は割らないと、そういうことでしょうか?」
「ええ」
「うへぁ、やっぱり笠宮の系譜は化け物じゃない」
笠宮鈴理……ああ、やはりゴリラ型大女なのかしら。繊細な術式が作れると言うことは、手先が器用なのかしら? いえ、器用不器用はさほど関係ないけれど、イメージ的に。手がタコ足のようにたくさん生えていれば、あるいは……?
いけない、混乱している。
「み、観司先生、来ないならこちらから行きましょうか?」
「いえ。お気遣いありがとうございます。ですが、もう終わったので大丈夫ですよ」
「そ、そうですか」
「ええ。【展開】」
観司先生の正面に展開されていた陽炎の壁が、“面のまま”射出された。
それを佐久間先生は、笑顔を引きつらせたまま、壊そうとする。けど、うん。
「【術式開始・形態・貫通弾・様式・徹甲・展開】!」
展開速度は速い。
破壊力の高い弾丸を即座に選択して、貫通を狙うのも流石だ。
けれど、観司先生の盾は、そんな常識的な判断を容易く崩す。
「なに?!」
弾丸が、結界にめり込んで失速。
そのまま数秒その場にあったが、消滅した。
「く、くそっ! 【術式開始・形態・身体強化・展開】!」
素早く身体強化をかけた佐久間先生が、結界から避けようとする。
だが、結界はそのまま佐久間先生を追尾する。あんな複雑な術式に、魔導術を保持したまま結界を追尾させるなんて、どうかしている。あの結界は、やはり“距離を圧縮”した結界なのだろう。圧縮空間結界、というものの存在だけなら勉強をしたことがあるから知ってはいたが……あれは机上の空論だったはず。こんなことが、あり得るのか。
「や、やめろ、くるなぁッ! 【術式開始・形態・爆裂・様式・焼夷・付加・威力増加・展開】ッ!!」
逃げ惑う佐久間先生の足を、結界が呑み込む。佐久間先生は結界に向かって強力な爆裂の魔導術を展開するも、爆裂術式は壁の“中”で燃え広がり、やがて消えていった。
「は、ぇ、うそだろ」
その上、爆裂術式を放つために振りかざした佐久間先生の手を、結界が固定する。
距離を圧縮した結界。勢いよく踏み出した足が呑み込まれているのであれば、勢いよく“同じ方向に”抜けば良い。だが、空間の圧縮率が高すぎて、気がつかず奥まで右手を入れてしまっていた佐久間先生は、中々手を抜くことができないでいる。
「それではせっかくです。香嶋さん、水無月さん」
「は、はい!」
「はいっ!?」
「“これ”が、あなたたちの術式の応用です」
暴れる佐久間先生に向かって、観司先生は掌を向ける。
距離圧縮による絶対拘束。その上で選択する攻撃は、いったいなんなのか。不覚にも、興味で唇を舐めてしまう。
「くそくそくそッ!!【術式開始・形態・魔力剣・展開】!!」
「【術式開始・形態・切断・様式・情報制御・付加・視覚情報付与・展開】」
観司先生が高速の斬撃を放つ。
佐久間先生は慌てながらも、片手に展開した魔力剣で、斬撃を切り落とそうとするが――
「えっ」
斬撃が、“空中”で“分裂”した。
佐久間先生の困惑の声。咄嗟に振った剣は、ダミーの斬撃を切り裂いて。
「はっ、ぁ?」
本物の斬撃が、エンブレムを切り落とす。
「せ、先輩、あれ、教えて欲しいです」
「奇遇ですね……私も、です。――そこまで! 勝者は観司先生となります。異存はないですね?」
一瞬、しんと静まりかえり――とたん、爆発する歓声。
呆然と座り込む佐久間先生を置いて、観司先生に駆け寄る生徒たち。私も彼女たちのように駆け寄りたいが……自分が、観司先生に向けていた視線を思うと、踏み出すことができなかった。
縁故採用?
色仕掛けの噂?
そんなもの、真相は視れば解る。誰かが観司先生に嫉妬して、流した噂だ。
だからこそ、締め付けられるように胸が痛い。
自分も他の人たちのように、色眼鏡で観司先生を見て、判断してきた。見極める? ちゃんちゃらおかしいわ。自分よりも優れた人間を認められないなんて。そんな、そんな。
「先輩?」
「いえ、なんでもないわ」
胸が痛い。
自業自得だというのに、おかしな話だ。
そう自嘲することしかできなくて、結局、私は観司先生に謝るどころか近寄ることすらも、できそうになかった。




