そのに
――2――
新宿、旧都庁前。
現在、都庁は場所を移されている。あの魔王との戦いの際、魔法で手早く一般人の避難を終えた私たちは、それはもう派手に戦った。
これ以上戦いを継続させないために、これ以上被害を出さないために。そう自分たちに課して戦った私たちは、新宿を廃墟に変えることとなった。これで魔王を倒しきれなかったら、流石に非難されるだろうというほどにぼろっぼろにした。いやだってさぁ、これ以上のチャンスはないと思うじゃない? わざわざ出てきてくれたのだから。
「懐かしいな。あの頃のままだ」
「そうね。あそこで魔王を倒せたことは僥倖だったけれど、こうして爪痕を見ると、ね」
生徒たちの指導を終えた私がビルの上から新宿の風景を眺めていると、隣に並んだ獅堂がそう呟く。
「魔王か。俺は一句たりとも忘れてないぜ」
「そうなの?」
「ああ。『フハハハハ、愚かな人間共よ。我が名は大魔王ワル・ウルゴ・ダイギャクテイなり。なに、今日は顔見せだ。我に挑みたくば、我が配下の七魔王を倒して貰おう。さすればこの我に挑む権利をやろうぞ。もっとも、力の差にひれ伏すというのなら刹那の間に楽にしてぐわーッ?!』……だな」
「……すごいね、獅堂」
「面白かったからな」
そう。
ご丁寧に挨拶をして下さっている最中に避難を終え、演説の最中に逃げられないような魔法を掛け、新宿に留めて七人でボコボコにした。これから七人も魔王を倒すなんて冗談じゃない、という気持ちが強くて、“つい”という部分が大きい。
おかげで完全に気が抜けていた魔王をあの手この手で消滅させ、魔王軍は瓦解。自然消滅に近い形で戦いは終焉を迎えた、という流れだ。おかげさまで私は、七魔王とやらをほとんど知らない。
「廃都・新宿。これであのゲートが完全に閉じてくれれば平和記念公園でも建てられるんだろうがな」
「そうだね……魔法でも、難しかったからなぁ」
そんな都庁の上は、黒い結晶に覆われた大舞台がある。魔王が顔見せの場として整えたその場所は、都庁の上半分を丸々侵食し、花開いたような皿形のステージを形成していた。
そしてそのステージの真上。黒々と光る太陽。これが魔界に繋がる“ゲート”だ。頑張って子供が体を丸めればやっと通れる、という程度まで魔法やみんなの異能で小さくすることができたので、出てくるのは小型悪魔のみ。そのほとんどが低級だが、それでも一般人に対処できるモノではない。
だから、今残っている中型以上の悪魔は、あの戦いで地球に残ったもののみ、であるのだ。今にして思えば、それにもう少し気を配っておけば一連の事件は起きなかったのではないかと、思わないこともない。
“あのこと”があって、後始末をみんなに任せてしまったのは、私だから。
「一人で、背負い込むなよ」
不意に、獅堂の手が私の頭に置かれる。
「楽しいことも辛いことも、嬉しいことも悲しいことも、全部分かち合うのが仲間だろ?」
「獅堂……そう、だね」
「なんだったら、未知の残りの人生、俺に預けても良いんだぜ? 九條未知って語呂も良いぜ? 鏡未知はくどいし、東雲未知はもっさりしてるし、ほら、一番良い」
「ふふっ、もう、何言ってるのよ。ばか」
「なんだ、“先生”の癖に知らないのか。男はみんなバカなんだぜ?」
「もう。賢い七と獅堂を一緒にしないで」
獅堂の手は、彼の異能が示すように温かい。
その温かい手に撫でられていると、父さんとお父さんのことを思い出す。置いてきてしまった父、置いて逝かれてしまった父。そういえばこんな風に、温かい手をしていた。
「昔、落ち込んでていたときも、同じように言ってくれたね」
「なんだ。覚えてたのか」
「忘れられないよ、もう」
「もう一度言ってやろうか? “汝の悲哀に寄り添おう。未知、我が伴侶となれ。その生涯、愛で満たしてくれようぞ”」
「ふふっ、あはははっ、やめてよもう、笑っちゃう」
「なにおう。俺は割とショックだったんだぞ? 笑われて」
「ひとのことをいつも笑っているからそーなるんです」
こんな時、年上だって思い知らされる。
中二病で、笑い上戸で、どこか子供っぽい。無駄に整った顔を気にさせない気安さ。昔はその上不器用だったなぁ、なんて思い出す。
「獅堂」
「おう」
「ありがとう」
「ああ」
短い返答。
小さなやりとり。
たったそれだけで救われる。
「なぁ、未知。とりあえず気にならないようにしてやろうか?」
……で、いい話で終わらないのがこの九條獅堂という男だ。
首を傾げる私に、あっという間に近づく獅堂。色々気が抜けていた瞬間に、頬に触れる熱。
「拓斗ばっかり良い思いしすぎだ。――しばらくは、俺のことで頭をいっぱいにしてやるから、感謝しろよ?」
「ひゃっ」
そう、更に、私の指先に唇を落として、獅堂は不敵に笑ってみせた。
っていうか、というか、もう、この、この!
「~っ――この、むっつりすけべ」
「煽るなよ。止まらなくなるぜ?」
「うっさい! 帰れ!」
「ははっ、そう照れるなよ。未知の玲瓏な顔には微笑みこそが至上のものだ。できれば、俺にだけ見せて欲しいがね。――閉じ込めて、しまいたくなるよ」
私の顎に手を添え。
見下ろす瞳に熱を込め。
熱が、僅かな空間を通じて、伝わる距離。
「っ――反省しろこのばかーッ!!」
両手で獅堂をぐいぐい押しのけると、笑う彼から走って逃げる。
もう、本当に、拓斗さんと言い獅堂と言いもう、ほんとうに、もう!
熱が、顔から抜けていかない。
――/――
ビルの上。
一人残された獅堂は、顔を押さえて蹲る。
「あー、くそ、外すとか馬鹿か俺はもう本当にあー」
本当は、唇に熱を落とすはずだったのに。
自分を信頼しきった横顔に動揺して、頬に唇を落とした獅堂は今更になって後悔する。おまけに、テンパりすぎて口調も昔のような中二病的なものになってしまった。
「七はじわじわと距離を縮めてやがる。拓斗はあろうことか、躊躇いすらしなかったってーのに、くそっ。俺はへたれか? おい」
誤解を解く機会をくれてやったら、そのまま思い人の唇を奪っていった兄貴分。このロリコンめ、と叫ばなかった自分を褒めてやりたいと、獅堂は顔を赤らめたまま拳を握る。
「あー、もう、ほんとに」
赤くなった顔。
照れて、逸らされた濡れる瞳。
誘うような唇が、頭から離れない。
「調子狂うぜ。ったく」
そう呟く獅堂の顔からは、未だ熱が引かない。
獅堂はそんな、惚れた女に限ってへたれる自分を誤魔化すように天を仰いだ。




